閑話 3-2
「ああ!?」
ある日の早朝。狛犬家の居間から悲痛な声が上がる。
妹である左京が上げたその声に、台所で朝食のしたくをしていた右京は、不審者を見つけた番犬のごとく駆け出した。
脇目も振らず居間を目指す右京。ほどなくして目的地へと辿り着き、勢いよく襖を開け放つ。
「どうしたの左京!? 大丈夫!?」
悲しそうな顔で床にへたり込んでいる左京を見つけるや否や、右京は叫んだ。名前を呼ばれた左京は、涙で揺れる瞳を右京へと向け、右手で居間の一角を指さしながら口を動かす。
「右京……お花さんが……」
「え? お花さんがどうか――あ、枯れてる!?」
右京の視線の先には、三日前にちょっとした縁で家に泊めた開拓者から貰った、不思議な花の姿がある。だが、その姿形は、昨日の夜までとはまるで違った。
鈴蘭によく似た愛らしい花弁はすべて散り、茎は茶色くなっている。そう、枯れているのだ。
「そんなぁ……とっても大事にしてたのに……」
「毎日お水を変えたのに……」
毎日手入れをしたにしては、枯れるのが早すぎる。切り花とはいえ、寿命が三日とはあまりに短い。
きっと私たちのやり方が悪かったんだ――と、左京だけでなく、右京の目にも大粒の涙が貯まる。夜になると蒼白い光を放つこの花が、月の民が苦手とする火に代わって屋敷を照らし、母親である里見の悪阻を和らげてくれるこの花が、二人は大好きであったのだ。
「悲しいね、左京」
「寂しいね、右京」
「「ねー……くすん……」」
意気消沈した二人は、互いに手を取り合って悲しみの言葉を口にする。その後、しばしの間慰め合った。
どれほど言葉を連ねても、二人の悲しみは尽きない。だが、いつまでもこうしてはいられない。一度枯れた花は、決して元には戻らないのだから。
二人は顔を見合わせ、同時に頷く。次いで、意を決して花へと手を伸ばした。せめてこの手で土に還してあげようと、花瓶から花を持ち上げる。
その、次の瞬間――
「「わ!?」」
以前花があった場所に残されていた、いくつもの茶色い膨らみ。その膨らみが、二人の手によって生じた僅かな刺激に反応し、一斉に破裂。周囲に黒い粒を撒き散らしたのだ。
居間の床に散らばる無数の粒。その一つを拾い上げながら、二人は言う。
「ねえねえ、左京。これってもしかしなくても……」
「うんうん、右京。間違いない」
「「あのお花さんの種だ!」」
再び手を取り合いながら声を上げる二人。だが、浮かべる表情は先ほどまでとは正反対だ。満面の笑みで喜びを分かち合う。
あの不思議な花は、ただ枯れたわけじゃない。きちんと次代を残し、役目を終えてから枯れたのである。
「凄い、凄いよ左京! 光るお花さんの種がこんなに一杯! いったいいくつあるのかなぁ?」
「たくさん、たくさんだよ右京! 十、二十――ううん、もっとたくさん!」
床に散らばる種を笑顔で拾い集めながら、二人は言う。そして、次のように言葉を続けた。
「ねぇねぇ、左京。私いいことを思い付いたの」
「うんうん、右京。きっと私も同じ気持ちだよ」
「「この種を、家のお庭に植えてみよう!」」
両手で種を抱えながら、笑顔で声を重ねる二人。そんな二人の手の中で、不思議な花の種は、自らの意思で動き出すようなこともなく、もちろん言葉を発することもない。
右京と左京の手の中で、ただただそのときを待っていた。
どこにでもある、ごく普通の種と変わらぬ様子で、発芽のときを待っていた。
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