087・白猫拾いました

「あの、すみません。ちょっとよろしいですか?」


 レイラと共に森を抜け、夕焼け色に染まるグンスラーの放牧地へと無事に戻ってきた狩夜。そこで偶然見かけた羊角の女の子に、柵越しに話しかける。


 話しかけられた羊角の女の子は、家畜たちを小屋に戻す作業を中断し「はい、なんでしょう?」と狩夜の方へと顔を向けた。直後、その愛嬌のある顔をほころばせる。


「あ、今朝の開拓者さん! 今日は本当にありがとうございました!」


 柵の近くへと駆け寄りながら言う羊角の女の子。その言葉に狩夜は首を傾げ、こう尋ねる。


「ふえ? なんの話です?」


「何って、依頼ですよ依頼! うちの家畜を毎日のようにつけ狙う、あの憎っくきフォレストリザードたちをやっつけてくださったじゃないですか!」


「ああ、あの依頼ですか。あれはあなたからの依頼だったんですね?」


「はい! 見てましたよ~! フォレストリザードの群れをちぎっては投げちぎっては投げ! 凄くかっこよかったです! 小さいのにお強いんですね!」


「小さい……」


 不意にコンプレックスを刺激され、若干肩を落とす狩夜。そんな狩夜に向けて、羊角の女の子はこう言葉を続ける。


「それで、私になんのご用ですか? 報酬はもうギルドの方に預けて――まさか、あの額では足りないとか!?」


「違います違います! 報酬額になんら不満はありません! 依頼の件ではなくてですね、もしよろしければ、少しお部屋を貸していただけたらなぁ、と」


「部屋ですか? かまいませんけれど、いったい何のためにです?」


「実は森の中で人を保護したのですが……その人がちょっとのっぴきならない状況でして。あの姿で村の中を歩かせるのは気が引けると言うかなんと言うか……」


 そう口を動かしながら、自身の背後へと視線を向ける狩夜。それにつられて、羊角の女の子もそちらへと目を向ける。


 二人の視線の先には、森の木の陰に隠れる女性。主化したデンデンの魔手から狩夜が無事に救い出した、白猫の美少女の姿がある。


「クシュ!」


 半裸かつずぶ濡れの白猫の美少女は、今にも零れ落ちそうな胸を両手で押さえながら可愛らしくくしゃみをし、その細く白い体を小刻みに震わせた。



   ○



「んで、レイラ。これどうにかなりそう?」


 羊角の女の子に案内された部屋。その床に並べられた着物一式を見つめながら、狩夜は言う。


 主の消化液によって、どこもかしこも穴だらけとなった白猫の美少女の服。遠目からでも上質とわかる見事な品々であったが、目も当てられないほどに悲惨な様相を呈していた。正直、雑巾にするぐらいしか今後の使い道が思い浮かばない。


 レイラはしばし着物を見つめた後「ごめん、これはちょっと無理だよ~」と言いたげに首を左右に振る。さしものレイラでも、ここまで損傷してしまっては修復はできないようだ。


「そっか、なら仕方ないね。あの子に頼んで何か服を――ってレイラ、君は何をする気だい?」


 右手から複数のパーツを出し、何やら機械を組み立てていくレイラ。それに並行して頭からは巨大な蕾を出し、左手からは大小の車輪を用意する。


 狩夜の問いかけに対し「修復は無理そうだから、一から作る~」と言いたげな視線をレイラが返した瞬間、頭上の蕾が“ポン”という音と共に花開いた。すると、大量の白い綿が蕾の中から飛び出し、次から次へと溢れ出てくる。


「それ綿花だったの!?」と驚く狩夜を尻目に、レイラは綿花を左手の車輪――紡ぎ車へと通し、糸を量産。次いでその糸を右手で汲み上げた機械へと通し、瞬く間に機織りの準備を整える。


「ちょっと待っててね~」と小さい背中で語りながら作業を開始するレイラ。綿(マンドラゴラ)百パーセントの布地を、凄まじい速度で織り上げていく。


「ほんとなんでもできるよね、レイラ」


 相変わらずの万能性を発揮する相棒に、狩夜は感心と呆れが同居した声を漏らした。すると――


「へぇ、君は随分と器用な魔物を連れてるんだね。あ、そうだ。服を作ってくれるならさ、動きやすくて地味なので頼むよ。着の身着のまま飛び出してきたから、仕方なくそれを着てたんだけど、実はあんまり目立ちたくなくて」


 このように、なんとも無遠慮な声が、部屋の隅にあるベッドの方から上がる。


 狩夜がそちらに目を向けると、ベッドの上に腰かけ、体に纏った毛布一枚で裸体を隠す、白猫の美少女の姿が目に飛び込んできた。狩夜の視界の中で、彼女はこう注文を続ける。


「あ、動きやすくとは言ったけど、袴の丈はごく普通でね。最近は丈の短い、ミニスカートに似たものが人気と聞くけれど、見るのはともかく自分で着るのちょっと。やっぱり月の民の女性は慎み深くなくちゃ。そんなわけで、肌の露出は極力抑えてほしい。刺繍も絵柄もいらないし、色も白ではなく、田舎の街並みに溶け込む淡い色合いで。どこにでもいる町娘が普段着ているような、ありふれたものに仕上げてほしいな」


 まさに、気持ちいいくらいの遠慮のなさであった。常日頃から人を使っていることが、この声を聞いただけでありありとわかる。やはり彼女は、相当な名家の生まれに違いない。


 だが、不思議と嫌な感じはしなかった。それは、人を使う側である彼女が、使われる側の人間を、決して見下してはいないということが、その言動と立ち居振る舞いから、自然と相手に伝わるからだろう。


 人を使い、その人を気持ちよく働かせる天性の才能が、彼女にはある。


 だが、そんな彼女のカリスマ性も、レイラには通用しない。


 突然のリクエストに、レイラは一旦手を止め「どうする?」と言いたげな視線を狩夜に向けてくる。あくまでも狩夜の意に沿おうとする相棒に、狩夜は苦笑いを浮かべ「言う通りにしてあげて」と小声で呟いた。


「……(コクコク)」


 リクエストではなく、狩夜の言葉に頷いた後、作業を再開するレイラ。そんなレイラに向けて「良きに計ら――げふんげふん! ありがとう、恩に着るよ」と、白猫の美少女は笑顔で告げる。


「えっと、そろそろ事情を聞いてもいいですか?」


 服はレイラに任せて大丈夫。そう判断した狩夜は、部屋の中にあった木製の丸椅子腰掛けながら、白猫の美少女と正面から向き直った。


 狭い部屋の中で、裸同然の異性――しかも極上の美女――と、面と向かって話をするというこの状況に、やや緊張気味の狩夜。一方の白猫の美少女は、別段気後れした様子もなく、こう言葉を返してくる。


「それはもちろんいいけれど、ボクの事情はここにくるまでの道中で、あらかた話したと思うんだけどなぁ」


 この言葉で、狩夜は主から助け出した後のことを、森の中で聞いた彼女の身の上話を、もう一度脳内で整理した。


 余談であるが、あの絶壁の主はすでに打倒済みである。状況が状況だったので、地面に叩きつけた後で崖の一部を崩し、圧殺するという方法を取った。レイラの力を借りて手早く済ませてもよかったのだが、人前で容易に主を倒してしまうと、後々要らぬ勘繰りだの、追及だのを受ける可能性があるので、これでよかったと狩夜は思っている。


「それじゃ、順番に確認していきますね。あなたは魔物をテイムして開拓者になりたいと思っている。だけど、周りの人たちがそれを許さない。業を煮やしたあなたは、発情期で警戒が緩んだ隙を突いて木刀片手に家を飛び出した。初めのうちは水辺でテイムに挑んでいたが、中々魔物が見つからない。危険を承知で森の中へと歩を進め、魔物を見かけるたびにテイムを挑むが、ことごとく失敗。気がついたら森の奥、ウルズ王国の国境付近にまできていた。初めて見る国境の景色に目を奪われたあなたは主の接近に気がつかず、哀れ囚われの身。身ぐるみはがされ、もはやこれまでかと諦めかけたそのときに――」


「偶然通りかかった君に助けられて、九死に一生を得たわけだ」


「魔物のテイムに夢中になって水辺から離れ、無策じゃ手に負えない屈強な魔物に遭遇する……開拓者志望の人達が帰らぬ人になる定番じゃないですか! あなたは何をやってるんです! 命は一つなんですよ!? もっと大事にしてください!」


「ごめんごめん。反省してるから、そう大声で怒鳴らないでおくれよ。これでも勝算はあったんだ。ボクは耳の良さには少しばかり自信があってね。聴覚による周囲の警戒は、いついかなるときでも怠らない。もちろん、国境で景色を眺めていたときも、ね。だけどあの主は、気配や足音はおろか、心音や呼吸音、関節が曲がる音すらしなかったというか……」


「カタツムリですからね!」


 カタツムリの心臓と肺は、背中の殻の中にある。あの岩石めいた分厚い殻越しでは、音なんて聞こえるはずがない。関節にいたっては言わずもがなだ。


「木刀での打撃もほとんど効かないし……ボクの天敵みたいな魔物だったよ。それがあんな場所に潜んでいたなんて、夢にも思わなかった。ユグドラシル大陸に存在する主の情報は、すべて把握しているつもりだったけど、あんなのは知らない。あれに遭遇して生きている人間は、恐らくボクと君だけだろうね」


「え? ユグドラシル大陸に存在する主の情報を……全部? どうして開拓者志望の君が? サウザンドの僕だって全部は知らないのに……」


「あ……」


 狩夜のこの指摘に、白猫の美少女は「しまった」と言いたげな顔を浮かべ、次いで視線を右往左往させる。だが、狩夜の訝しげな視線に観念したのか、次のように言葉を紡いだ。


「えっと、そういう類の情報が、自然と耳に入る場所で普段暮らしているというか……その……」


「やっぱり、名家のお嬢様なんですね?」


「まあ……ね。って、この話はもうおしまい! それよりも、ちゃんとしたお礼がまだだった。今日は本当にありがとう。ボクが今生きているのは、間違いなく君のおかげだ。わけあって頭は下げられないけれど、ボクは君に心から感謝している。お礼は後日になるけれど、必ずさせてもらうから」


 真っ直ぐに目を見つめられながらの謝辞に、狩夜は右手の人差し指で頬をかいた。次いで言う。


「いえ、お礼は結構ですよ」


 この言葉に白猫の美少女は目を丸くした。直後、慌てたように口を開く。


「待ってくれ! 君は善意でそう言っているのかもしれないが、それではボクが困るんだ! 命の恩人に何の謝礼もしないとあっては、末代までの恥になる! ご先祖様にも顔向けができない! 絶対に受け取ってもらうよ!」


「いえ、受け取れません。確かに僕はあなたを主から助けましたが、その労力に見合った見返りは既に受け取りました。これ以上貰ったら貰いすぎになります」


 狩夜の言葉の意味が理解できなかったのか、白猫の美少女は困惑顔で小首を傾げた。次いで、自身の胸元に視線を落とし、顔をほんのり赤く染めた後、胸を庇うように両手で体を抱き締める。


「このスケベ」


「全然違いますよ! あなたの胸は、先ほどの話にまったく、これっぽっちも、一切合切関係ありません! 僕が受け取った見返りは、あの主のソウルポイントですよ! ソウルポイント! というか、あのとき触っちゃってごめんなさい!」


 顔を真っ赤にしながら叫ぶ狩夜。ようやく合点がいったのか、白猫の美少女は「ああ、そういうことか」と胸の前で手を打った。


 狩夜は「まったくもう……」と小声で呟いた後、こう言葉を続ける。


「あの主は、スキル重視の隠密特化型だと思われます。あなたが襲われている最中でなければ、僕たちはあの主を発見できなかったかもしれません。そして、あの主を打倒したことで僕が手にしたソウルポイントは、千を優に超えるはずです」


「千を超えるソウルポイント……」


「はい。お金には決して換えられない、この大開拓時代で最も価値のあるものの一つです。あなたを助けたことで、僕はそれを受け取りました。ですからお礼は結構ですよ」


 狩夜がこう言うと、白猫の美少女は「そうか、君の考えはわかったよ」と頷いた。次いで溜息吐き、肩を深く落としながら言葉を紡いでいく。


「お金に換えられない価値がある……か。そうだよね。お金でソウルポイントが買えるなら、ボクは今すぐそうするよ。いいなぁ、ソウルポイント。ボクも欲しいよ」


 心底羨ましげに言う白猫の美少女。その様子があまりに切実であったため、狩夜は気がつけば理由を尋ねていた。


「ただ開拓者になりたいってだけじゃなさそうですね。いったいあなたは、ソウルポイントで何がしたいんです?」


「止めたいんだよ、月経を。次の満月までにどうしても……ね」


「え゛?」


 間髪入れず返された男には縁遠い単語に、狩夜は目を丸くした。

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