086・ある日 森の中 猫さんと出会った

「なんまんだぶ、なんまんだぶ」


 主化したキラーマンティスを独力で仕留めた後、狩夜は返り討ちにあった開拓者たちの前で両手を合わせながらこう口にし、死後の幸福を祈った。次いで、腰に下げていた瓢箪型の水筒を手に取り、完全に骨だけとなった頭蓋骨へと聖水をふりかける。


 簡素かつ、作法が日本風で申し訳ないが、これにて供養は終了。世の中には野ざらしになっている死体に対し「へんじがない、ただのしかばねのようだ」の一言で済ませ、その上を踏み歩いて目的のために邁進する者もいるのだ。これでも慈悲深い対応だと思いたい。


 本当はきちんと墓を作り、花の一つでも供えてあげたいのだが、主に狙いを絞って活動をしていると、今回のようなケースは珍しくなく、その度に墓を作っていては切りがないのが実状であった。何より時間が惜しい。墓を作る暇と体力があるのなら、一匹でも多く魔物を狩るべきである。


 何度目かも忘れた同業者の死と、その対処。ほんの一カ月前にはあったはずの死体への忌避感や、吐き気等は、もうほとんど感じない。


 人の死に慣れはじめてしまった自分にいくばくかの恐怖を感じながら、狩夜は死体の近くに落ちていたギルドカードを、開拓者にもしものことがあったとき、身元を照合するときにも使われるそれを手に取った。


「これは、僕が責任を持ってギルドに届けます」


 死体に向かって深々と一礼し、踵を返す狩夜。


 目的である主は倒した。グンスラーに戻って、今後のことやパーティメンバーについてあれこれ考えよう――と、右足を前へと踏み出す。が、その瞬間――


 ペシペシ。


 と、狩夜が死者の冥福を祈っている間に、主とワイズマンモンキーの死骸だけでなく、周囲に散乱していた魔物の骨まで肉食花の中へと放り込んでいたレイラが「止まって~」と言いたげに、狩夜の背中を叩いた。


「ん? どうかしたの、レイラ? 魔物は全部食べたでしょ?」


 足を止め、視線を背中に向けながら狩夜は言う。すると、レイラは二枚ある葉っぱの片方を動かして「あっち、あっち」と、グンスラーとは別方向を指し示した。


 レイラが何を言わんとしているか察し、狩夜はレイラが指し示す方向へと体ごと向き直る。


「ひょっとして、あっちにも主クラスの魔物が?」


「……(コクコク)」


「へぇ、主同士の縄張りが随分と近いね。ギルドでは教えてもらえなかったから、夜行性の魔物なのかな? 昼行性と夜行性で、住み分けができていたのかも……」


 まあ、理由などはこの際どうでもいい。主が近くにいるというのであれば、狩夜がなすべきことは一つだけだ。日没までにはまだ時間がある。体力も問題なし。一度グンスラーに戻って仕切り直す理由はどこにもない。


 情報未入手の主が、レイラの探知能力に偶然引っかかった幸運に感謝しつつ、狩夜は地面を蹴った。


 道中で目についた魔物は当然倒す。森の中を縦横無尽に駆け抜けながら、狩夜は主の姿を探した。


「うん、やっぱり森は……狩りはいい」


 横の茂みから飛び出してきたラビスタを、足を止めることなく右手のマタギ鉈で切り捨てながら、狩夜は呟く。


 森の土を一歩踏みしめるたび、そこに住まう魔物を倒すたび、自らの感覚が研ぎ澄まされていくことがわかる。お色気イベントの連続で緩んだ頭のネジが、再び締め直されていくのがわかる。


 思えば、フヴェルゲルミル帝国にやってきてからというもの、調子と予定が狂ってばかりであった。


 宿屋には泊まれない。大勢の女性に追いかけ回される。帝都は拠点に適さない。表門では闇の民に貞操を奪われかける。ギルドでは情報規制があり、要らないと考えていたパーティメンバーの再考を強要される――と、ろくなことがない。


 あまつさえ、異世界人であると月の民に露呈しただけで禁中に軟禁され、不特定多数の女性と肉体関係を強要される可能性さえ浮上した。


 声を大にして言いたい。「それ、なんてエロゲ?」と。


 だが、そんな一連のお色気イベント、肌色展開もここまでである。先の主との死闘を制し、主の単独撃破を成し遂げたことで、狩夜を取り巻いていた奇妙な流れ、負の連鎖は終わったはずだ。


 ここからは怒涛のバトルラッシュ。シリアスな展開が連続して起こるに違いない。現に、こうして主が見つかった。きっと、いや、間違いなく流れは変わる。


 ペシペシ。


 レイラが「あの茂みの向こう~」と言いたげに、狩夜の頭を叩きながら主のいる方向を示す。狩夜はそれに頷き返し、走る勢いそのままに跳躍。前方に存在する狩夜の身長よりも高い茂みを、軽快に跳び越える。


 跳び越えて――その瞬間後悔した。


「って、がぁけぇぇえぇぇ!?」


 茂みの向こう側には、なんと大地がなかったのだ。いや、なくはないのだが、茂みから五メートルほどの場所で見事に途切れている。端的に言うところの崖が、左右に延々と続いていた。


 崖から三メートルほどの位置に着地した狩夜は、即座に両脚で急制動をかける。その後、靴底から火花を散らしながら二秒ほど前進し、崖の直前でどうにかこうにか停止した。


 狩夜は「あ、危なかった……」と呟きながら、腰が抜けたようにその場にへたり込む。崖から落ちたところでレイラさえいればどうにでもなるのだが、心の準備ができていなければ怖いものは怖いのだ。


「なんでこんなところに崖が――って、そうか、国境か。魔物を狩っているうちに近くまできてたんだな。気がつかなかったよ」


 そう、この崖こそが、フヴェルゲルミル帝国とウルズ王国の国境にして、『世界樹の気まぐれ』と呼ばれるユグドラシル大陸最大最長の断崖絶壁である。


 その名前が示す通り、この長大な断崖は、世界樹の気まぐれよって形成された。


 ユグドラシル大陸は、世界樹が成長する過程でプレートから切り離され、根の上に取り残された海底の一部が、海上にまで押し上げられたことによって生まれたとされている大地である。


 鉱物資源が非常に乏しいユグドラシル大陸だが、その理由がこれだ。ユグドラシル大陸は、どこであっても下に向かって掘り進めていけば、必ず世界樹の根へとぶつかり、それより下には掘れなくなる。火山の類は一切なく、鉱山は数えるほどで、それらもあらかた掘り尽くされた。


 木の根の上に大地がある以上、大陸の地形には世界樹の影響が如実に表れる。成長過程で根が波打てばそこに山ができるし、大地が左右に引っ張られれば谷ができる。水源の位置も世界樹次第。


 この場所も、そんな『世界樹の気まぐれ』の一つである。世界樹の成長過程で大地が上下に引っ張られたことで、このような断崖絶壁が延々形成されることとなった。


 ウルザブルンからエーリヴァーガルに向かう途中、一度は上空から見下ろした場所。だが、そこから眺める景色は、上から見下ろすのとはまた違ったおもむきがあった。眼下に広がる雄大な自然に目を奪われ、狩夜は無言で眺め続ける。


 ペシペシ。


 そんな狩夜に対し「なにぼーとしてるんだよ~」と言いたげに、レイラが背中を叩いてきた。狩夜は「っは。いけない、いけない」と頭を振った後、レイラが指し示す方向を、主がいる場所を再度確認する。


 レイラの葉っぱが指し示す方向は――


「下?」


 そう、レイラの葉っぱは崖の下、しかも葉っぱの折れ具合からして、ほぼ直角方向、狩夜の真下を指し示していた。


 狩夜は小首を傾げながら上半身を動かし、先ほどまでは死角となっていた崖下を覗き込む。


「崖の下はウルズ王国の領土だよ? ウルズ王国の主はもう狩り尽くして――って、いたぁ!」


 目に飛び込んできたのは、小山のように巨大な殻を背負うカタツムリ型の魔物。そう、主化したデンデンであった。その主はカタツムリの特性を生かし、国境である断崖絶壁に我が物顔で張りついている。


 主同士の縄張りが近いわけだ。これなら確かに奪い合いにはならない。あの主は、フヴェルゲルミル帝国であり、ウルズ王国でもあるこの場所を、自らの独壇場である垂直の大地を縄張りにしているのだ。


 サイズは体長、体高ともに、おおよそ三メートル。体色は普通のデンデンと違い黒と灰色のまだら模様。背中に背負う殻にいたっては、もう見た目岩石そのものであり、周囲の岩肌とほとんど見分けがつかない。


 頭からは人の腕ほどもある目と触覚が飛び出しており、口からは消化液と思しき粘液にまみれた細長い触手が、何本も何本も伸びていた。


 捕食中なのか? と、狩夜が首を傾げながらその触手を辿ってみると――


「ええい、放せ放せ! 放さんか無礼者!」


 全身を触手に拘束された白猫の美少女が、カタツムリの粘液まみれになりつつ、半裸で身を捩らせていた。


 ――今朝見かけた女の子!?


 またも自らを強襲したお色気イベントに、狩夜が鼻血を噴きかけた鼻を抑える中、白猫の美少女が再度叫ぶ。


「ひ、ひひ卑怯だぞ貴様ぁ! 打撃がいっさい効かんうえに、出会い頭にこのような場所に連れ込みおって! 正々堂々勝負せよ!」


 唯一自由になる右手を振り回し、木刀で主の体だの、殻だの、触手だのを叩く白猫の美少女。しかし、主にその攻撃が効いた様子は一切ない。どうやらあの主は、打撃攻撃の類に対して、高い耐性があるようだ。


 白猫の美少女が木刀を振るう度、和服という拘束具から半ば解放された白亜の霊峰がばるんばるんと躍動する。狩夜の脳内で、理性という名の防壁が音を立てて削れていくのがわかった。


「おのれぇ、木刀ではなく本物の刀であったなら貴様なぞ――って、いったいどこを触っておるのじゃ貴様!? 服を溶かすなまさぐるな! そこは駄目! ほんとに駄目! 誰か! 誰か助けてたもれぇえぇ!」


「たもれって……育ちのいい子は言葉遣いが違うな……」


 ――というかあの子、今朝と口調が違う気がする。今朝はボーイッシュな感じだったが、こっちの方が地だろうか?


 なんにせよ、これ以上は白猫の美少女にとっても、狩夜にとっても色々と不味い。狩夜は顔を真っ赤にしながら立ち上がり、白猫の美少女を助けるべく行動を開始した。


「レイラ、高所戦闘用意」


「……(コクコク)」


 狩夜が一声かけると、背中に張りついているレイラが体から蔓を出し、その先端を硬質化させてアンカーを用意する。両手からはガトリングガンを出し、遠距離攻撃の準備も万端だ。


「だからこの手のイベントはさぁ――」


 レイラだけでなく狩夜も動く。腰に下げていた瓢箪を手に取り、蓋をしたまま少し強めに握り締めた。瓢箪全体に亀裂が入ったことを確認した後、右手を豪快に振りかぶる。


 そして――


「もういいってんだよぉおぉおおぉ!!」


 この怒号と共に、白猫の美少女目掛けて全力で投げつけた。


「わぷ!?」


 瓢箪は見事に白猫の美少女へと命中し、破砕。中身の聖水が瓢箪の破片と共に周囲に撒き散らされる。マナによる弱体化を嫌った主が、たまらず触手を引込め、拘束から解放された白猫の美少女が空へと投げ出された。


 それと同時に――


「いくよ、レイラ!」


「……(コクコク)」


 狩夜はレイラと共に崖を駆け下り、落下中の白猫の美少女を全力で追いかける。


 ほどなくして――


「よっと!」


「きゃ!?」


 狩夜は見事に白猫の美少女に追いつき、手をかけることに成功。その細く繊細な体を力強く抱きしめた。


 ぐにゅ♡


 瞬間、右手にとてつもなく柔らかく、幸せな感触が走る。今すぐ土下座して謝罪したい衝動に駆られる狩夜であったが、そのような場合ではない。


 狩夜は気を引き締めながら空中で身を翻し、断崖の主との戦いに備えるのであった。

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