085・森の殺戮者
「っし!」
気合の掛け声と共にマタギ鉈を振るい、正面から飛び掛かってきた三十センチほどのテントウムシ型の魔物、ジャイアント・レディバグをマタギ鉈で袈裟切りにした狩夜は、すぐ横にあった大径木に右足をかけ、即座に跳躍する。
大径木の幹に沿うように垂直飛びした狩夜は、上昇を続けながら右手のマタギ鉈を幹に対して垂直に構えた。そして、幹の一部に擬態し、じっと夜を待っていた両翼五十センチほどの蛾型の魔物、バークモスを下から両断する。
進行方向上にあった大径木の横枝を左手で掴み、上昇の勢いを利用して一回転してから手を離した狩夜は、勢いを落とすことなく進行方向を変え、右足を前に出しながら斜め下へと流星のように落ちていった。その後、バッタをモチーフにした変身ヒーローを彷彿させる豪快な飛び蹴りを、大木の横枝の上にいたカタツムリ型の魔物、デンデンへと叩き込む。
デンデンの強固な殻を蹴り砕きながら地面へ向かう狩夜。着地と同時にデンデンの殻を完全粉砕し、そのまま躊躇なく踏み潰す。
「どうレイラ? 主は君の探知能力の範囲に入ったかい?」
「……(こくこく)」
「よし。なら、案内よろしく」
勝利の余韻に浸ることなくこう口を動かし、狩夜はレイラが指し示した方向へと即座に走り出した。仕留めたビッグワームを肉団子にしようとしていたグリーンビーを、漁夫の利的に背後から強襲しつつ、更に森の奥を目指す。
まさに見敵必殺。見事なまでの無双状態だが、これは必然だ。ユグドラシル大陸に生息する魔物はそれだけ弱いのである。極普通の人間であっても、工夫次第で誰でも倒せるほどの能力しか持たない。
そんな魔物たちを、人間の壁を二度も破ったサウザンドの開拓者である狩夜が圧倒したところで、なんの自慢にもならない。これは当然のことであり、狩夜が特別強いわけではないのだ。この芸当は、ソウルポイントさえあれば誰であろうとできること。努力次第で万人が到達できる強さでしかない。
だが、そんな当然のことを「俺強くね? 俺やばくね?」と、勘違いする者が後を絶たないのが現実である。
幼少の頃より恐ろしい存在、忌むべきものと教えられてきた魔物たちを、一方的に蹂躙する際に得られる全能感に酔い、自信と慢心をはき違えたまま主に挑み、無残な死に様を晒す者。己が力を過信し、準備不足であるにもかかわらずユグドラシル大陸を飛び出し、そこに生息する屈強な魔物たちからの容赦ない洗礼を受け、断末魔の絶叫を上げる者。そんな開拓者のなんと多いことか。
開拓者を勇み足にする理由は慢心や過信ばかりではない。金、名誉、使命感や閉塞感、野望に欲望――と、理由はさまざまだ。そして、そんな生き急ぎがちな開拓者たちを窘めるためか、はたまた自らを戒めるためか、開拓者の間では
三人パーティならば全員がサウザンド以上でないと危ない――とか、二十人以上のレギオンを組めばハンドレットでもどうにかなる――とか。ソロの場合はテンサウザンド以上でなければ確実に死ぬ――などを、狩夜はよくギルドで耳にした。
これらはどれも根拠はないが、さほど的外れでもないという。ただの噂と無視すれば危険。されど、これを守れば大丈夫と信じすぎても危険であった。
そんな諸説ある適正戦力の中に、次のようなものがある。
どのような成長段階であれ、パーティ構成であれ、ユグドラシル大陸の主を倒すことができれば、そのパーティは絶叫の開拓地で通用する。
もちろんこの説にも根拠はない。根拠はないが、このような説が生まれ、現在に至るまで明確に否定されていないところを見るに、ユグドラシル大陸の主は、ミズガルズ大陸の魔物よりも強く、倒した際に獲得できるソウルポイントも多いと考えるのが自然であった。
もちろんこれは、ミズガルズ大陸の入口である希望峰周辺。ディープラインの内側にあり、ミズガルズ大陸で唯一マナによる弱体化がおこなわれる場所であるため、弱肉強食で生きる場を追われた魔物、つまりはミズガルズ大陸における弱者しか生息しない場所に限っての話なのだろう。なのだろうが、ユグドラシル大陸の主が、ミズガルズ大陸の最下層の魔物よりも強いことは、まず間違いない。
そして、そんな主を――絶叫の開拓地に進出する際の目安の一つにして、サウザンドの開拓者ですら返り討ちにしかねない存在の一体を、狩夜はついに見つけた。
大木が乱立する森の中、不自然に存在する開けた場所。無数の切り株と、切り倒されたまま放置されている大木が散見する場所の中心に、その主はいた。狩夜は反射的に足を止め、主の姿を観察する
「主化したシザーマンティス。情報通りだね」
シザーマンティス。通常は鎌状である左右の前足、そのどちらかが鋏状になっているカマキリ型の魔物である。この個体は、左側が鋏状になっていた。
体の色は若草色で、姿形は地球の一般的なカマキリと大差ない。が、その大きさは二メートルを優に超え、平均的なシザーマンティスの三倍近いサイズであった。右側の鎌も、左側の鋏も非常に大きく、人間の四肢くらいならば容易に切断しそうな鋭さを持っている。
本来は草原に生息しているはずのシザーマンティス。そんなシザーマンティスが、どうして森の中を縄張りにしているのだろう? と、ギルドで情報を聞いたときは首を傾げた狩夜であったが、切り倒されたまま放置されている大木と、主の周囲に散らばるワイズマンモンキーのものと思しき頭蓋骨を見た瞬間、おおよその理由を察することができた。
あの主は、縄張りの木を傷つけられることを酷く嫌うワイズマンモンキーの性質を逆手に取り、ソウルポイントを荒稼ぎしているのだろう。
自慢の鎌と鋏で森の木々を切り倒し、自身を倒すべく集まってきたワイズマンモンキーたちを、幾度も幾度も返り討ちにしてきたに違いない。猪のものに酷似した頭蓋骨も散見されることから、血の匂いに釣られてやってきたベヒーボアも、逐一返り討ちにしていたと推測できる。
そして、ギルドで聞いた情報によれば、自身の討伐にきた開拓者たちも――
「百戦錬磨の森の殺戮者ってとこか……」
魔物のものに混じって地面に転がる、己が力を過信した開拓者の成れの果てを見つめながら口を動かし、狩夜は主の縄張りへと足を踏み出した。自らの意思で奇襲の利を捨て、真正面から主へと近づいていく。
狩夜が森を抜けた瞬間、主の上半身が機敏に動き、その大きな複眼が狩夜の姿を捉えた。次いで、背中の羽を左右に大きく広げて狩夜を威嚇しつつ、すぐさま臨戦態勢を整える。逃げる気配は微塵もない。
自身と同じく真っ向勝負を選択してくれた主に感謝しながら、狩夜は更に前へと歩を進めた。
「レイラ。いつも通り、危なくなるまでは手出ししないでね?」
覚悟を感じさせる声で、狩夜は言う。
サウザンドの開拓者がソロで主に挑む。本来これは無謀なことだ。ユグドラシル大陸の主を倒すことが
そんな無謀なことを、狩夜は聖域での敗戦以降、延々と繰り返してきた。自身よりも強い相手と実戦を繰り返すことが強くなる近道だと信じて、愚直に主に挑み続けている。
そして、いまだに独力で主を倒せたことは一度もない。要所要所でレイラの力を借りて、どうにかこうにかというのが現実だった。レイラがいなければ、何度死んでいたかわからない。
正に命懸けの鍛錬。だが、それでいいと狩夜は考えていた。非才の上に、武術の心得もなく、平和な世界をごく普通に生きていた僕みたいな人間が、少しでも早く強くなるには、それくらい自分を追い込まないとダメなのだ――と。
ソウルポイントで身体能力を上げれば確かに人間は強くなる。だが、それだけでは本当の強さは身につかない。実戦経験を積み、幾度も死線を乗り越えてこそ、狩夜が求める強さは手に入るのだ。
「……(コクコク)」
レイラは狩夜の言葉に頷いた後、腹這いの体勢で占拠していた頭上から、背中の方へと移動した。次いで、自身の体と狩夜の体とが離れないよう、蔓でしっかりと固定していく。最近わかったことだが、これはレイラが真剣になった証拠だ。
レイラがマジモードということは、あの主の攻撃力は、気を抜いていたら万が一が起きかねないほどに高いということだろう。レイラが戦闘に一度でも介入したら、狩夜は本来死んでいたと考えてよさそうである。
だがその反面、防御力は低そうだった。あの細い首にしろ、胴体にしろ、今の狩夜ならば、一撃で切り飛ばすことが可能だろう。
ともに一撃必殺の攻撃手段を持つならば、先に当てた方が勝つのが道理。
地力は間違いなく主が上。だが、決して勝てない相手ではない。
――今日こそ、僕だけの力で主を倒してみせる!
狩夜は胸中でこう叫ぶと、右手のマタギ鉈を逆手に持ち替え、それと同時に全力で駆け出した。その疾走を、森の殺戮者が迎え撃つ。
先に手を出したのは、リーチで勝る主の方であった。鎌状の右前足を限界まで伸ばし、斜め上からの袈裟切りを放ってくる。
防御不可。左側に回避したら死ぬ。
咄嗟にそう判断し、進路を右斜めに変更。その身を鎌の攻撃範囲外へと逃がす狩夜。そのまま主へと接近しようとするが、その進路上に主が鋏状の左前足を限界まで広げ、刃が地面に対して水平になるよう突き出してくる。
狩夜は目を見開き、胸中で叫んだ。
——誘い込まれた!?
百八十度開かれたことによって、鋏はその攻撃範囲を爆発的に広げた。これでは左右に逃げ道がない。
上に向かって跳躍すればこの攻撃はかわせるだろう。だが、それは悪手だ。人間の背中に翼はない。それでは後に続かない。
この絶体絶命の窮地に、狩夜は——
「おおぉお!!」
そのまま前に前進することを選択。迫りくる鋏に向かって、臆することなく足を前に踏み出した。
死中に活を求める狩夜のこの選択に面喰ったのは、他ならぬ主である。
どうやら主は、狩夜はこの攻撃を上に跳躍することでかわすと先読みしていたらしい。その後、宙に身を躍らせたことで自由に動けなくなった狩夜を、先ほど振り下ろした右前足で下から切り上げ、勝負を決めるつもりだったようだ。
そんな主にかまわず更に前進する狩夜。そんな狩夜が、鋏の付け根目掛けて右足での蹴りを繰り出すのと、気を取り直した主が鋏を閉じ始めたのは、ほぼ同時である。
次の瞬間、狩夜の右足が主の左前足を直撃し、鋏を下からかち上げた。一方主の鋏は、狩夜の遥か頭上でようやく閉じられる。狩夜の体どころか、髪の毛一本切断できていない。攻撃範囲を広げるために限界まで刃を開いたことが、狩夜の前進によって裏目に転じたのだ。
サウザンドの脚力で左前足が蹴り上げられたことにより、主の体勢が大きく崩れる。その隙に狩夜は主に肉薄し、必殺の間合いの中に、主の首を収めた。
無防備となっている主の首目掛け、狩夜は銀光を走らせる。
ふと、主と目が合った。
「お見事」
そんな主の呟きを、耳ではなく心で聞きつつ、狩夜は主の首を切り飛ばす。
戦った相手の最後を見届けようと、安全を考慮して距離を取りつつ主へと向き直る狩夜。すると、頭部を失った主の体が、狩夜の視界の中でゆっくりと傾き、ほどなくしてその巨体を地面へと横たえる。昆虫の魔物だけあって、頭がなくとも所々が小刻みに動き続けているが、再び立ち上がる気配はない。
「勝った……ついに僕の力だけで……主に勝ったんだ……」
達成感やら疲労感やらで、その場にへたり込みそうになる自身の体をどうにか支えながら、狩夜は小さく呟く。次いで、左手を自身の顔のすぐ横へと運び――
「んで、またもお前は、僕の勝利に水を差すわけだ」
この言葉と共に、主の縄張りの外から高速で飛来した、拳大の石をつかみ取る。
投石の出どころへと目を向けると、案の定ワイズマンモンキーがいた。本来は縄張りの木を切り倒す主を殺すための刺客、あるいは監視役だったのだろうが、その主を倒した狩夜へとターゲットを変更し、今が好機とみて攻撃を仕掛けてきたのだろう。
強敵を倒して気が抜けた瞬間を狙い、必殺のつもりで放ったであろう投石。それが容易に受け止められたことがよほどショックだったのか、口をあんぐりと開けながら目を丸くしているワイズマンモンキー。ターゲットの前で間抜けをさらす刺客目掛け、狩夜は手首のスナップだけで石を投げ返した。それを見たワイズマンモンキーが我に返るが、時すでに遅し。
ワイズマンモンキーの顔面が投石で潰れ、捕まっていた木の上から落下するさまを見届けながら、狩夜は言う。
「うん。少しはマシになったじゃないか、叉鬼狩夜」
――まだまだ全然足りないけどね。
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