082・将軍逐電

「いっちゃったね、左京」


「そうだね、右京」


 ふとした縁で知り合い、一晩自宅で保護した開拓者の少年。その姿が見えなくなると同時に、双子の姉妹である右京と左京は、鏡を覗き込むかのように互いの顔を見合わせ、交互に口を動かし始めた。


「月の民のこと、誤解しないでくれたかな?」


「月の民のこと、嫌わないでくれたかな?」


 泊めてくれたお礼にと貰った花。夜になると蒼白い光を放つ、不思議な花を握り締めながら、不安げな顔をする二人。そんな二人の頭を同時に撫でながら、母親である里見は言う。


「別れ際の童の目に、拙らへの忌避の色はなかった。だから大丈夫でござるよ。二人の気持ちは、きちんと伝わっているでござる」


「「母上……」」


「さぁ、いつまでも去った者のことをあれこれ考えていても仕方ない。朝の鍛錬を再開するでござるよ。武士たる者、日々これ精進にござる」


「「はい! あ、でも母上。これ……」」


 尊敬する母親の言葉に条件反射の如く大きな返事をした二人であったが、即座に顔を下に向けた。それに釣られて里見も顔を動かす。


 三人の視線の先には、木刀の代わりに握られた、不思議な花の姿があった。


 さすがにこれを持ちながら修行はできない。そう視線で訴えながら、再び里見を見上げる右京と左京。それを受け里見は「皆まで言うな」とこれまた視線で返し、次いでこう口を動かす。


「ふむ、先に花瓶を探したほうが良いか。よし、二人とも。今朝の鍛錬はここまでとする。花瓶を探してから朝餉にするでござるよ」


 こう言って踵を返し、自宅へと歩を進める里見。右京と左京は「「はい!」」と元気よく返事をして、母親の後に続いた。


 が、その直後――


「大変ですぞー! 大変ですぞー! たのもう! たのもーう!! 里見殿ー! 狛犬里見殿はご在宅ではありませんかー! 里見殿ー!!」


「む?」


 まるで、家に入ろうとする里見たちを呼び止めるかのごとく、エーリヴァーガルの一角に、少女のものと思しき甲高い声が響き渡った。


 早朝にはふさわしくない無遠慮な大声に眉をひそめながら、里見たちは足を止め、声のする方向へと視線を向ける。すると、つい今しがた交差点を曲がり、狛犬家の門へと続く道に入ってきた、小柄な人影が目に映った。


 身長は右京左京より低く、かなりの童顔。黒と白とが入り混じった髪をおさげにしており、頭からは熊のものと思しき丸い耳が飛び出している。


 白を基調とした袖が無駄に長い着物を着ており、両手は完全に袖の中に隠れてしまっている。が、その一方で、ミニスカートを彷彿させる丈の短い黒の膝上袴をはいており、健康的な太ももを惜しげもなく周囲に晒していた。


「あ、クマさんだ」


「あ、ネコさんだ」


「なんだ、子パンダではないか。どうした、藪から棒に?」


 右京、左京、里見の順に、様々な呼び方で呼ばれた大声の主は、里見たちの姿を見つけるや否や目を見開き、トコトコという擬音が実に合う走り方で駆け寄ってくる。


「おお、里見殿! ちょうど良いところに――って、いつも言っておりますが、小生しょうせいのことはちゃんと名前で呼んで欲しいのです! そこのお二人もですぞー!」


「「はーい。大熊おおくまさん、おはようございまーす」」


「その渋々言っている感はなんなのですかー!? 小生はこう見えて、お二人よりも年上なのですぞー!」


「まあまあ。二人には後で拙がよく言ってきかせるでござるよ。で、峰子みねこよ、拙にいったい何用でござるか?」


 大声の主――大熊峰子と正面から向かい合いながら、里見は言う。すると、峰子は表情を真剣なものに変え、その口を動かした。


「っは! そうでありました! 大変ですぞ、里見殿! 一大事なのです! 今すぐ里見殿にお伺いしたいことがあり、こうして小生が直接訪ねてきたのでありますが……あ――」


 言葉を途中で止め、言いづらそうに右京、左京へと視線を向ける峰子。それを受け「ふむ」と里見は声を漏らし、こう言葉を続けた。


「右京、左京。拙は峰子と大事な話があるゆえ、二人は花瓶を探してその花を生けた後、朝餉の準備を始めるでござるよ。拙が家に入る前に火を使い終えてくれるとありがたい」


「「はい、母上!」」


 里見の言葉に元気よく返事をした二人は、峰子に対し――


「それではクマさん」


「それではネコさん」


「「失礼します」」


 と、一礼してから屋敷へと駆けだした。そして、そんな二人の姿が玄関の中へと消えたことを確認してから、里見が苦笑いと共に口を動かす。


「すまぬな峰子。どうもあの子らは、自分たちと大して歳の変わらぬお主が、揚羽様の傅役ふやくをしているのが面白くないらしい。先ほどの言動は、子供のわがままと思って聞き流してくれるとありがたいでござるよ」


「ま、まあいいのです。犬に噛まれたと思って忘れるのですぞ」


「助かる。で、話を元に戻すが、拙になに用でござるか? 美月城でなんぞ大事だいじでもあったか?」


「それが……今朝がた、またも公方くぼう様が城を抜け出し、逐電されたのですぞ……」


「またでござるか……まったく、あの糸の切れた凧は……」


 他者に聞かれることを警戒し、かなりの小声で紡がれた峰子の言葉に、里見は右手で顔を覆う。


「あの方は、剣士としても為政者としてもこの上なく優秀だというのに、どうしてこうも落ち着きがないのでござろうか……」


「まったくなのです。お仕えする小生たちの身にもなって欲しいのですぞ」


 ほぼ同時に「はぁ」と溜息を吐く里見と峰子。が、即座に気持ちを切り替え、こう言葉を続ける。


「だが、それはいつものことでござろう? なれば、慌てず、騒がず、こちらもいつものように対応すれば良い。今すぐ猪牙忍軍を招集し――」


「それが、今回はそうもいかないのです。現在、我が国の草はとある任務に総動員されており、一人残らず国外なのですぞ」


「なん……だと……?」


 峰子の言葉がよほど予想外だったのか、里見が目をむいて驚きを露わにする。次いで、こう言葉を続けた。


「総動員とはいったいどういうことでござるか!? 拙の留守中に、国の上層部でいったい何があった!?」


「里見殿、声! 声が大きいのです! 申し訳ないのですが、その任については現在箝口令がしかれており、詳細をお話しすることはできないのですぞ。帝の勅命ということで、納得していただきたいのです」


「むぅ……わかった。取り乱して悪かったでござるよ」


「気にしないでいいのです。あと、ご安心くだされ。その任につきましては、近日中にかたがつく予定なのです。一度は取り逃がしましたが、我が国の草を総動員した此度の布陣は完璧。空でも飛ばない限り、逃がしはしないのですぞ!」


「逃がす? 捕り物の類か?」


「あわわ! 秘密なのですぞ! 秘密!」


「ふむ、まあよい。つまり猪牙忍軍を含めた我が国の草は、帝の勅命でその任務とやらに総動員されており、揚羽様の探索には使えない――と。そういうことにござるな?」


「はいですぞ。それでその、里見殿が産休中なのは重々承知なのですが、公方様を捕まえるため、ご尽力を賜りたく。猪牙忍軍がいない今、頼りになるのは――」


「拙の鼻ということでござるか……」


「そうなのです! 犬の獣人自慢の嗅覚で、公方様を見つけ出して欲しいのですぞ! して、里見殿。体調の方は?」


「悪阻が酷く、絶賛絶不調にござる。少しでも変な臭いを嗅いだ瞬間、胃の中身を周囲にぶちまける自信があるでござるよ」


「……つまり?」


「残念だが、拙は力になれそうにないでござる。無理をして探索に加わっても、足手まといになるだけでござろうな……」


 自身の体調を冷静に分析してから口にしたであろう里見の言葉に、峰子はがっくりと両肩を落とした。次いで言う。


「あうぅ……半ば予想していたことではありますが、やはり無理ですか。猪牙忍軍はおらず、里見殿にも頼れない。今回の公方様との追いかけっこは、長くなりそうなのですぞぉ……」


「揚羽様は、フヴェルゲルミル帝国随一の地獄耳でござるからな。数を頼りに周囲を取り囲むか、拙のように音以外の方法で位置を掴むかしない限り、捕まえるのは至難の業でござる。加えて、揚羽様は月読命流の免許皆伝。荒事にもめっぽう強い。生半可な追手では、返り討ちにあうのが関の山にござる」


「そうなのです。かといって開拓者ギルドに『我が国の将軍が逃げました、捕まえてください』と依頼を出すわけにもいかないですし……はぁ、頭が痛いのです」


「ふむ、開拓者か。峰子がくるのがもう少し早ければ、どうにかなったやもしれぬでござるが……」


「なんの話です?」


「昨日ちょっとした縁で、開拓者を一人拙の家に泊めたのでござるよ。女子の扱いはからきしだが、腕はそこそこ立ちそうだったでござる。拙に恩を返したいと言っていたでござるから、事情を話せば協力してくれたやもしれぬな」


「腕の立つ開拓者をギルドを通さずに雇えるのならば、願ったり叶ったりなのですぞ! その開拓者の名前は何というのです?」


「光の民の開拓者で、名前は――あぁ――」


「里見殿?」


「そう言えば、名前を聞いていなかったでござるな。ずっと童と呼んでいたから、気にしなかったでござるよ」


 眉をひそめ、右手で頬をかきながら言う里見。そんな里見を見つめながら、峰子は落胆の表情を浮かべた。


「むう、名前のわからない開拓者を探している暇も、人員もないのです……その者に助力を求めるのは、諦めるしかなさそうですぞ」


「ぬか喜びさせてすまぬな。ともかく、一刻も早く揚羽様を見つけ出し、城に連れ戻すでござるよ。拙らがこうしている間にも、揚羽様は魔物のテイムに励んでいるはず。手遅れになる前に動くでござる」


「わかっているのです。紅葉殿の二の舞は御免なのですぞ」


 峰子はこう言った後「では、小生はこれにて失礼するのです。公方様のことは小生に任せて、里見殿はご自愛するとよいのですぞ」と頭を下げ、きた道を大急ぎで戻り出した。その小さい背中を見つめながら、里見は言う。


「まったく、揚羽様にも困ったものだ……まあ、逃げ出したくなる気持ちもわかるし、味方をしてさしあげたい気持ちも拙にはあるのだが、国の現状を考えると、そうもいかぬでござるからなぁ……」


 ここで一旦言葉を止め、里見は子供がいる自身の腹部を優しく撫でた。次いで、なんとも複雑な表情で、こう言葉を紡ぐ。


「頼むぞ、峰子。揚羽様がソウルポイントで月経を止めてしまう前に……子を産めぬ体になる前に……なんとしても連れ戻せ」

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