081・エーリヴァーガルの朝

「本当にありがとうございました、里見さん。右京ちゃんと、左京ちゃんも。このご恩は、いつか必ず返させていただきます」


 満月の夜が終わり、迎えた朝。狩夜は狛犬家の門の前で、深々と頭を下げた。そんな狩夜を見つめながら、里見は言う。


「童、もういくでござるか? まだ太陽が顔を出したばかり。朝食ぐらい食べていくでござるよ」


「そうそう。こんな朝早くに出ていくことないよ」


「うんうん。もう少しゆっくりしていけばいいよ」


「ねー左京」


「ねー右京」


「「ねー」」


「あの、お気持ちは大変嬉しいのですが、僕よりずっと早く起きてらした皆さんが言う台詞じゃない気がします……」


 わざわざ見送りにきてくれた三人の物言いに、思わず苦笑いを浮かべる狩夜。次いで、自身が起床したときのことを思い出す。


 昨日、手持ちの食料で夕食をすませた後、客間に布団を敷き、眠りについた狩夜。懐かしき日本家屋と布団の感触に、普段よりかなり深く寝入っていた狩夜であったが、東の空が明らむと同時に目を覚まし、活動を開始している。


 その理由は、客間の外。庭の方から聞こえてきた、とある声にあった。


「「いち、に! いち、に!」」という、規則正しく真剣な掛け声。その声で目を覚まし、体を起こした狩夜は、寝惚け眼をこすりながら客間の障子を開ける。すると、一心不乱に木刀を振るい、剣術の鍛錬に励む右京と左京の姿が目に飛び込んできた。


 右足を踏み出すと同時に振りかぶり、左足を右足に引きつけながらの正面打ち。それが終わるや否や、左足を引くと同時に振りかぶり、同じように正面打ち。これを「いち、に。いち、に」の掛け声と共に、延々と繰り返す右京と左京。全身から汗を流し、木刀を振るい続けるその姿を、母親である里見が無言で見つめている。


 長年の反復によって体に覚えさせたその動作はよどみなく、美しくすらあった。明確な目標を持ち、自らの意思で修練を続けなければ、絶対に身に着かない動きであると、剣術については門外漢である狩夜にもわかる。


 狩夜より年下の女の子が、狩夜よりも早く目を覚まし、剣術の修練に励んでいる光景に、狩夜はいたく感心し、次いで「僕も負けていられない!」と奮起した。眠気は一瞬で消し飛び、すぐさま身支度を整えた後、狛犬家を出る旨を里見に伝え、今に至っている。


「私はいいんだよ、武家の娘だもん」


「私はいいんだよ、修行だもん」


「「私たち、もっともっと強くなって、将軍様みたいになりたいの!」」


「将軍様?」


 両の目を輝かせながら紡がれた双子の言葉に狩夜が首を傾げると、里見が「やれやれ、また始まったでござるか……」と小さく溜息を吐き、こう言葉を続ける。


「拙ら月下の武士の頂点に立つ、現将軍の美月揚羽みつきあげは様のことにござるよ。この子らは、揚羽様にいたく御執心でな」


「将軍様は凄いんだよ! 十二歳で月読命つくよみ流の免許皆伝になった、不世出の天才剣士なの!」


「将軍様は凄いんだよ! 十四歳の若さで将軍職についた、歴代唯一の女将軍なの!」


「「それでね、それでね! ものすごい美人なの!」」


 興奮した双子の剣幕に押され、一歩後退しながら「そ、そうなんだ。確かに凄いね」と口を動かす狩夜。そんな狩夜に向けて、双子はなおも言う。


「絵にも書けない美しさだよ!」


「フヴェルゲルミル帝国じゃ、間違いなく一番だよ!」


「「強く、正しく、美しく! あんな風に私もなりたい!!」


 純粋無垢な願望を、着飾ることなく口にする右京と左京。そんな二人を見つめながら、狩夜は笑った。次いで思う。その美月揚羽という将軍が、二人の笑顔の源なのだと。その人を心の支えにして、二人は日々を過ごしているのだと。


「二人は、その将軍様を目標にして、毎日修行を頑張っているんだね?」


「「うん! 絶対母上みたいな立派な武士になって、将来将軍様をお支えするの!」」


「そっか。でも、やっぱり僕は今出ていくよ。僕にもあるんだ、目標が。強くならなきゃいけない理由が。じっとしてなんていられない」


 今も病気と闘っているであろう妹の姿を思い浮かべながら、狩夜は言う。すると、右京と左京は互いの顔を見合わせた後、二度ほど瞬きをした。ほどなくして狩夜へと視線を戻し、同時に口を開く。


「「わかった! それじゃ仕方ないね!」」


「里見さん。そういうわけですので……」


「ああ、もう引き留めぬでござるよ。そうだ、童。この国で女子おなごとの睦事を避けたいのならば【グンスラー】を拠点にするとよい。ここから南西、ウルズ王国との国境付近にある畜産が盛んな農村で、とてものどかな良い村にござる。田舎であることと畜産が性に合わんのか、その村には闇の民がほとんどいない。童には好都合でござろう?」


「グンスラーの村ですか……わかりました、いってみます」


「それがよい。拙ら月の民は満月の夜だけだが、闇の民は年中無休、時間や場所はおろか、人目すらわきまえぬ者が多いでござるからなぁ……」


「あはは……」


 ウルザブルンで闇の民――アルカナにされたことを思い出し、狩夜の口から乾いた笑い声が漏れる。


「何から何まですみません。あの、本当に謝礼は――」


「不要にござる」


「なら、開拓者である僕に何か依頼はありませんか? 倒して欲しい魔物とか、採ってきてほしい素材とか?」


「ない。今拙が抱える望みは、此度の精霊解放遠征がうまくいってほしいことと、腹の子が元気に――そして、できれば男子として生まれてきてほしいこと……それだけにござる。どちらも童にはどうにもならぬことでござろう? 拙らに礼をしたいという、その気持ちだけで十分にござる」


「そう……ですか。わかりました……」


 確固たる意志を感じさせる里見からの返答に、狩夜は小さく肩を落とした。どうやら、またも恩人への負い目と借りを残したまま、次の目的地へと旅立たなければならないらしい。


 僕って、そういう星の下に生まれたのかな――と、胸中で呟きつつ、狩夜は姿勢を正す。次いで、別れの言葉と共に再度頭を下げ――


“ポン!”


 ようとしたのだが、昨晩も聞いた小気味の良い音が周囲に響いたので、狩夜は体の動きを止め、視線を上に向けた。すると、やはりというか、レイラの頭上から飛び出したと思しき、スズランによく似たいくつもの花の姿が目に飛び込んでくる。


 姿形は昨日のものとまったく同じだが、あの蒼白い光を発していない。今が夜ではなく昼間だからだろうか?


「「あ、昨日の光るお花!」」


 右京と左京が嬉し気に声を上げる中、レイラが動く。左右の腕から蔓を伸ばし、頭上から出した花の茎に巻きつけた。次いで、その茎を根元から引き抜き――


「はい、あげる」


 と言いたげに、右京、左京に向けて、先ほどまで自身の一部であった花を笑顔で差し出す。


「え? くれるの!?」


「嬉しい! ありがとう!」


 同時にレイラから花を受け取った右京と左京が、心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。それを見つめながら、狩夜と里見も笑う。


「「魔物さん、魔物さん! このお花も光るよね!? 夜になったら昨日みたいに光るよね!?」」


「……(コクコク)」


「「本当!? やったー!」」


 レイラからの肯定がよほど嬉しかったのか、今にもはしゃぎ回りそうな様子の右京と左京。そんな二人の頭を「ふふ、良かったでござるな、二人とも」と、里見が優しく撫でる。次いで、狩夜へと視線を戻しながら、こう言葉を続けた。


「童からの礼、確かに受け取ったでござる。これで拙らは、とうぶん夜の明かりには困らぬな」


「喜んでくれたのなら僕らも嬉しいです。それでは今度こそ……失礼します」


 狛犬家の人々と、気を利かせてくれたレイラに感謝しつつ、狩夜は頭を下げた。そして、頭を上げると同時に歩きだし、狛犬家を後にする。


「「じゃあねー! 困ったことがあったら、またいつでも来てねー!」」


 右京と左京の見送りの言葉に、狩夜は一度だけ振り返り、笑顔で右手を振った。その後は、黙々とエーリヴァーガルの道を歩く。


 レイラと二人で歩くその道は、満月の夜とは何もかも違っていた。空気はとても澄んでおり、少し耳を澄ませば、狛犬家と同じように早朝から剣術の鍛錬に励む声や、家事や仕事の準備に勤しむ物音が、周囲の家々から聞こえてくる。


 まるで、昨日の出来事が悪い夢であったかのような、ごく普通の、人としての営みが、そこにはあった。


 ――フヴェルゲルミルは、月下の武士に守られた、清廉で潔白な国でやがります。


 ふと、ウルザブルンで聞いた紅葉の言葉が頭を過る。次いで狩夜は「なるほど」と小声で呟いた。


 これこそが、フヴェルゲルミル帝国の――そして、帝都エーリヴァーガルの本当の姿なのだろう。紅葉の言葉にも頷ける。


 本来のフヴェルゲルミル帝国は、確かに清廉で潔白な――


「あ、なんか可愛い男の子発見♪ ねぇねぇ、早速なんだけど、お姉さんと向こうで気持ちいいことしない? 今日はお試しってことで、タダでいいわよ。精霊解放遠征が始まってからこっち、ずっと男日照りでさ。ね、いいでしょ? お姉さんを助けると思って――」


「すいません! 僕急いでいるので他をあたってください!」


 突然自身を誘惑してきたギャル風の闇の民をその場に残し、狩夜はすぐさま駆け出した。


 ――今すぐ帝都から逃げよう、そうしよう! ここは満月でなくても危険だ! 僕には刺激が強すぎる!


 胸中でこう叫びながら、狩夜は全力でひた走る。目指すは南西。グンスラーの村だ。

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