080・光る花

「ごほ! ごほ!」


 右手から湯飲みを落とし、何度も咳を繰り返す狩夜。そんな狩夜の口から噴出し、床を濡らす水を見るや否や「「うわ、汚い! 雑巾雑巾!」」と右京と左京が立ち上がり、客間を飛び出していく。


「大丈夫でござるか、童!? 突然どうした!?」


「す、すみませ……ごほ! ちょっとむせた、ごほ! だけですから! 大丈夫です! 心配ご無用!」


 右手で胸を叩き、左手では「大丈夫!? ねぇ大丈夫!?」としきりに狩夜を心配し、蔓だの葉っぱだので狩夜の体を触診しだしたレイラを宥めつつ、狩夜は途切れ途切れに言葉を紡いだ。


 十数秒ほどで呼吸を整えた狩夜は、客間に戻ってきた双子から「あ、僕がやります」と雑巾を受け取り、すぐさま床の掃除を始める。


「い、異世界人の血を月の民の血脈に入れるって、それで本当に男の子が生まれるようになるんですか?」


「うむ。可能性は高いでござるよ」


 掃除をしながら口にした狩夜の言葉に、里見はすぐさま頷いた。狩夜は掃除を継続しつつ生唾を飲む。


「ゆ、勇者じゃなくてもいいんですか?」


「勇者である異世界人と、勇者でない異世界人の差は、世界樹の聖剣持っているか否か――それだけでござろう? 益荒男ますらおであるに越したことはないが、異世界人であるならばそれでよい。異世界人の血には、それだけの可能性があるでござるからな」


「異世界人の血……」


「先ほど少し話題になったでござるが、この世に生まれ出る赤子は、原則として母体優位にござる。その原則を唯一覆すのが、異世界人との混血児。初代勇者と木の民の姫との間に生まれたブランが、その証拠にござる」


「あ、確かに」


 ブランの木の民。


 純血の木の民と違い、褐色の肌を持つことが特徴の、初代勇者を祖とする血族である。


 母体優位の原則に従うのならば、木の民の姫から生まれるのは、ごく普通の木の民であったはずだ。里見の言うように、異世界人の血が何らかの形で影響を与えたのだろう。


 初代勇者って黒人だったのかなぁ? そう胸中で呟く狩夜に向けて、里見は更に説明を続ける。


「異世界人との間に生まれた混血児たちは、例外なく後世に影響を与えてきたでござるよ。木の民との間に生まれたブランしかり、光の民との間に生まれたヴァンしかり、月の民との間に生まれた美月と鹿角然り。そんな異世界人の血を入れることができれば、再び男子が生まれだし、拙ら月の民は、この窮地を脱することができるやもしれぬ」


「あの、里見さん。仮に……仮にですよ? もし異世界人が見つかったとしたら、月の民はその人をどうしますか?」


「ん? そうでござるな。見つけ次第保護という名目で有無を言わさずに拉致。ここエーリヴァーガルに強制連行の後、禁中にて軟禁。それがおのこであれば一正室いちせいしつ多側室たそくしつ多愛妾たあいしょう多伽係たとぎがかりをあてがって、平時は一日三食昼寝つきで過ごしてもらい、月一で子作り三昧――っと言ったところでござるか。国ぐるみで動き出すのは間違いないでござるよ」


「へ、へー。夢のような生活ですね。まるでお殿様じゃないですか。羨ましい限りです。あははー」


 不自然にならないよう細心の注意を払いつつ、里見に言葉を返す狩夜。次いで思う。この話をしたのが掃除をしながらでよかった。月明りしかない薄暗い部屋の中で本当によかった――と。


 里見と明るい部屋で、面と向かって先ほどの話をしていたら、視線の動きやら顔色やらで、こちらの動揺を気取られていただろう。そうなれば、素姓だの産まれだのを根掘り葉掘り聞かれ、狩夜が異世界人であるとばれていたかもしれない。


 一日三食昼寝つきで、月一で子作り三昧。なるほど、確かに夢のような生活である。この世界にきた直後の狩夜ならば、戸惑いつつもその提案を受け入れていたことだろう。


 里見たちには恩がある。月の民の現状を知り、なんとかしてあげたいとも思う。酒池肉林の生活に、興味がないと言えば嘘になる。


 だが、今の狩夜には――


『ごめんね、お兄ちゃん……』


 どうしても欲しいものがある。


『マンドラゴラのレイラさん、お願いがあります。僕と友達になっていっしょに戦ってくれますか?』


 果たさなければならない誓いがある。


『なあなあでやるのはここまでだ! この滅びかけた世界に、凡人の意地を見せてやる!』


 他の何を犠牲にしても、やり遂げなければならないことがある。


 禁中での軟禁生活などできようはずがない。というか、このままでは後一年足らずで世界樹が枯れ、イスミンスール自体が滅んでしまうのだから、月の民の女性と子作りに励む意味もない。


 滅亡の危機に瀕しているのは、月の民だけではないのだ。


 里見さんたちには悪いが――いや、里見さんたちのためにも、僕が異世界人であることは秘密にしておこう。狩夜はそう心に決め、それと同時に掃除を終えた。姿勢を正し、再度里見と向き直る。


「長々と語ってしまったが、以上が月の民の現状、そして、童が月の民に追いかけ回された理由にござる。理解してくれたでござろうか?」


「あ、はい。説明、本当にありがとうございました」


「だから、礼など不要にござる。もし、どうしても拙に礼がしたいと言うのであれば――そうでござるな。今夜のことで月の民に対し遺恨を残さないと、拙と約束してほしいでござる」


 里見はここで言葉を区切ると、気落ちした様子で小さく溜息を吐いた。次いで「昔はこうじゃなかった」と呟き、次のように言葉を続ける。


「元来、月の民は男女共に清廉潔白。発情した姿は、夫以外に見せてはならぬのが習わしにござる。性欲にしてもそう。一昔前までは、理性が消し飛ぶほどのものではなかったでござるよ。それが、男の数と反比例するかの如く増大していき、今ではこの有様」


「……」


「拙を含め、皆不安なのでござろうな。日々ため込んだ心労が、発情期と共に爆発し、男を求めずにいられなくなるのでござろう」


 心労。つまりはストレス。


 それは確かにあるだろう。フヴェルゲルミルという国家の危機。月の民という種族の危機。それに伴うストレスは、狩夜には想像もできないほど強いものに違いない。


 里見が言うように、きっと誰もが不安であるはずだ。右京や左京が今も笑顔でいられるのが、狩夜には不思議でならない。


 いったい彼女たちは、何を心の支えにして、日々を過ごしているのだろう?


「すまんな童。外ではさぞ怖い思いをしたでござろう。だが、どうか拙ら月の民を許してほしい。そして、どうか誤解せずにいてほしい。拙らは誇り高き武士にござる。決して情婦ではござらん」


「里見さん……」


「拙らは、ただ不安なだけにござる。愛に飢えている……だけにござるよ」


 里見はこう言うと、小さく頭を下げて謝罪の意を示した。恩人にそんなことをされると、自身が異世界人であることを秘密にしている負い目もあり、狩夜は何も言えなくなってしまう。


 里見が頭を上げた後、客間は静寂に支配された。誰も言葉を発することなく、ただ時間だけが過ぎていく。


 だが、そんな静寂も永遠には続かない。なぜならば――


 ぐぅううぅううぅ。


「「わ、おっきな腹の虫」」


 魚料理と豆腐料理を食い逃した狩夜のすきっ腹が「おい、いい加減飯よこせ」と、盛大に抗議の声を上げたからである。


 これを聞いた里見が「く……」と小さく笑い声を漏らし、その笑い声を聞いた狩夜が、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にした。


「童は随分と空腹のようでござるな?」


「す、すみません! 僕、まだ夕ご飯を食べていないものでして!」


「そうか。何か出してやりたいところだが、拙らはもう夕餉をすませてしまったでござるよ。満月の夜でなければ、美味い飯屋にでも案内するのでござるが……」


「いえ、どうぞお気遣いなく。僕はこれでも開拓者。食料は常時携帯していますので。あ、でも、軽く調理をしたいので、良ければ明かりをつけてはいただけませんか? もちろん薪と油の代金はお支払いしますので」


 客間の隅にある、火の入っていない行燈を見つめながら狩夜は言う。その直後――


「明かりはだめ!」


「火を使った調理もだめ!」


 と、右京と左京が揃って拒絶の声を上げた。過剰とも取れるその反応に、狩夜は目を丸くする。里見も「こら、客に対して失礼でござろう」と、二人を控えめに叱りつけていた。


「え? なんでだめなんですか? お金ならちゃんと――」


「「火を見ると母上が気持ち悪くなるの! だからだめ!」」


「里見さんが? いったいどうして?」


「あ、いや……その……拙ら月の民は、生まれつき火が苦手な者が多いのでござるが……妊娠中は、それがより顕著になると言うかなんと言うか……」


「……なるほど。もうわかりましたから、言わなくていいですよ」


 客である狩夜に気を使って明言を避けていたが、里見の説明で察しはついた。ようは『悪阻つわりが酷くなるので火は使わないでほしい』ということである。


 悪阻が酷いときは、身の回りから自分の嫌いなものを遠ざけるのが良いというのは狩夜も知っている。初めて会ったときから里見の顔色が悪い理由と、屋敷中の明かりが落ちている理由がこれでわかった。


 好意で泊めてもらう以上、無理を言って里見の悪阻を悪化させるわけにもいかない。調理は諦めた方がいいだろう。


 月明りを頼りに縁側で黒パンでも齧るか――と、狩夜が視線を庭に向けた瞬間、客間の中に  “ポン!”  という小気味の良い音が響いた。


 その直後――


「「うわぁ、奇麗!」」


 狩夜の頭上、つまりはレイラを中心にして蒼白い光が周囲に放たれ、客間全体が明るく照らし出される。


 まるで電気でもつけたかのようなこの現象に、狩夜は何事かと視線を上に向けた。すると、レイラの頭上から飛び出したと思しき、スズランによく似たいくつもの花の姿が目に飛び込んでくる。


 中心から蒼白い光を放つその花は、さながらアンティークのデスクランプ。幻想的で優しい光は目に優しく、心が洗われるかのようである。


 火が使えない状況で光を欲した狩夜のために、レイラがこの場で新しい能力を作ってくれたのだろう。狩夜は「ありがとう」と言いながら右手を頭上に運び、レイラの頭を丁寧に撫でる。


「これは見事な……」


 右京、左京に続き、里見の口からも感嘆の声が漏れた。その声からは、嫌悪感の類は一切感じられない。


「里見さん、この明かりなら大丈夫ですか?」


「うむ。なんともない――いや、それどころか凄く落ち着くでござるよ。なんだか気分がいい。その光をずっと見ていたいくらいにござる」


 こう言いながら里見は笑う。狩夜も「よかった」と笑い返し、レイラに声をかけ、体内に保管してもらっていた食料を出してもらった。


 狩夜の動きに合わせて揺れる花。蒼白い光を放つ不思議な花。その花の動きを目で追いながら、右京と左京が口を動かす。


「綺麗だね、左京」


「落ち着くね、右京」


「「まるでお月様の光みたい」」

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