079・血脈

「【厄災】直後、月の民の男子はほとんど産まれなくなったでござるよ。稀に産まれても総じて短命。月の民のおのこは、その数をどんどん減らしていったでござる」


「原因は? 原因はわかっているんですか?」


「男子が産まれぬ原因はいまだ不明。あらゆる可能性を考慮して、専門の機関が昼夜を舎かず究明を試みてはいるが――」


「成果は上がっていない……と」


 子供がいるという自身の下腹部を右手で一撫でしつつ、里見は狩夜の言葉に頷いた。次いで、こう口を動かす。


「短命については、原因は明白なれどどうにもならぬこと。子作りの際に使用する薬。その副作用にござる」


「副作用……」


「先ほども説明したが、月の民の男が性的興奮を抱くのは、獣化して鋭敏化した嗅覚でフェロモンを感知したときのみ。その道理を薬の力で無理矢理捻じ曲げているのだから、体に負荷がかかって当然。あの薬は、使う度に使用者の寿命を縮める劇薬にござる」


「……」


 そんな薬に頼らなければ次代を残すことができない月の民の現状に、狩夜は思わず生唾を飲んだ。そして、数秒の間を空けた後、恐る恐る尋ねる。


「ほとんど生まれない男の子……寿命を縮めるとわかっていて使わざるを得ない薬……そんなボロボロの状態で、月の民はどうやって今まで?」


「とある血脈をその身に色濃く残した二つの家系。その家に所縁ゆかりのある者に限り、【厄災】以前と同じように男子を産むことができたでござるよ。その家と積極的に縁組することで、拙ら月の民は、今日こんにちまで世代を重ねることができたでござる」


「とある血脈? 二つの家系?」


「私知ってる! とある血脈は、三代目勇者様のこと!」


「私も知ってる! 二つの家系は、将軍家たる美月家と、その家臣団の筆頭を務める鹿角家のこと!」


「「そうですよね、母上!?」」


「ん、その通りにござる。説明ご苦労」


 自身に代わって狩夜の疑問に答えてみせた愛娘二人の頭を「えらいえらい」と交互に撫でる里見。そんな一家団欒を見つめながら、狩夜は思考を巡らせた。


 美月と鹿角。双方とも聞き覚えのある家名である。というか、鹿角家の現当主とは顔見知りだ。


 鹿角紅葉。


 “戦鬼” の二つ名を持つ開拓者にして、精霊解放軍の一番槍。勇者であるレイラと互角に切り結んで見せた、突撃和装少女である。


 その紅葉が言っていた。美月家と鹿角家は、共に三代目勇者を祖とする家系で、日ノ本の武士の血を、最も色濃く受け継いでいる――と。


 随分と誇らしげであったが――なるほど。勇者の血にそのような力があるのならば納得である。


「勇者の血を広く、市井の家にまで入れ、女子の側に大きく偏った出生時の男女比を、どうにかこうにかほぼ均等にまで戻した拙ら月の民は、男子が短命という問題を抱えながらもその数を順調に増やし、国を栄えさせてきたでござるよ。だが、ある時期を境に、再度男女比が偏り始めたでござる」


「ある時期?」


「第一次精霊解放遠征。帝の大号令のもと、多くの月下の武士が、他種族の戦士たちと共に海を渡り、ミズガルズ大陸へと向かったでござる。その者たちがどうなったかは……世間知らずな童でも知っていよう?」


 里見のこの言葉に、狩夜は小さく息を飲んだ。


 精霊解放遠征。


 その名の通り、【厄災】の呪いによって封印された精霊の解放。もしくは、精霊解放のための手掛かりを探すための遠征である。


 一カ月前、第三次となる精霊解放遠征が組織され、大々的に行われた出立式の後、多くの開拓者がユグドラシル大陸を飛び出し、ミズガルズ大陸へと旅立っていったことは、記憶に新しい。


 “極光”のランティス率いるその遠征軍は、光精霊ウィスプを解放せんがため、今もミズガルズ大陸を邁進しているはずだ。


 光精霊ウィスプが解放されれば、世界樹はその力の一端を取り戻し、狩夜とレイラが聖獣を倒さなくとも、イスミンスールは当面の危機を回避できるという。ゆえに狩夜は、此度の遠征がうまくいきますようにと、心の底から願っている。


 ユグドラシル大陸中から集められた英雄豪傑。ソウルポイントによって強化された者のみで構成された、史上最強の遠征軍。彼らならきっとやってくれる。光の精霊を解放し、魔物に支配された大地を取り戻してくれる。狩夜は――いや、イスミンスールに生きる全人類が、そう信じていた。


 だが、それでも不安は尽きない。「大丈夫、大丈夫」と、何度自身に言い聞かせても、失敗が、最悪の結果が頭を過る。なぜなら、過去に実施された二度の遠征で、ミズガルズ大陸へと渡った者たちは――


「誰一人として、生きて帰った者はいない……」


「そう。遠征に参加した者は、誰一人として帰ってこなかった。そして、悲しみに暮れる間もなく、ミズガルズ大陸からの【返礼】がユグドラシル大陸全土を襲い、人類は著しく衰退したでござる」


「【返礼】……」


「ソウルポイントなど発見されていなかった時代。当然、戦いは男の仕事にござる。月の民の男は、その数を一気に減らした。その後、国力を取り戻すべく人口を増やしていく最中、皆が気がついたでござるよ。変だ。明らかに男が生まれづらい――と」


「それって、勇者の血の力が弱まりだしたってことですか?」


「さよう。世代を重ねすぎて血が薄まったのでござる。ここから、徐々に男子の出生率が低下していくわけでござるな」


「ちなみに、そのころの男女比はどの程度です?」


「三対七。出生時の男女比も同じぐらいでござるよ」


「そ、それくらいならまだ――」


「この数字が、第二次精霊解放遠征と、その後の【返礼】で一対九になるでござる」


「……」


「今では残り二人。男子の出生記録は、十四年前を最後に途絶えたままでござる。月の民の命運は、まさに風前の灯火」


 里見はこう言った後、左右に座る娘へと交互に視線を向けた。そして「この子らが生まれた頃は、もう少しましだったのでござるが……」と頭を撫でる。そんな里見の姿を見つめながら、狩夜は躊躇いがちに口を動かした。


「第一次はともかく、なぜ第二次にも参加したんですか? ただでさえ少ない男性の数が、更に減るとわかっていて?」


「このままでは緩やかな衰退を待つだけだったからでござるよ。男子の出生率の低下。その原因は不明なれど、解決方法は明白にござる。月精ルナの解放と、ヨトゥンヘイム大陸の奪還。月の民を取り巻く環境を、【厄災】以前と同じにすれば、月の民は獣化能力を取り戻し、薬の副作用からも解放され、再び男児も生まれるようになる。時の帝は、戦う力があるうちに戦うことを決断し、第二次精霊解放遠征に、月の民の命運を賭けたでござる」


 それが英断であるとはとても思えない! 口から飛び出しそうになるこの言葉を理性で押しとどめながら、狩夜は次の言葉を口にする。


「他種族からの協力はないのですか? 弱みを見せることができなかった【厄災】直後と今とでは、周囲の状況も違うでしょう?」


「無論ある。男性の移民希望者を積極的に募り、エーリヴァーガルに住む男には、例外なく多くの奥をあてがっているでござるよ」


「帝都に住む男の人は、皆お嫁さんがたくさんいるんだよ」


「帝都はね、男の甲斐性の見せ所なんだよ」


「えっと……奥さんが十人くらいいたり?」


「「うん、普通普通」」


「それで普通!? 皆さんはそれでいいんですか!?」


「まあ、童の言いたいこともわからぬではないが、拙ら月の民は『強き血を優先して後世に残すべし』という考えの元、【厄災】以前から一夫多妻制でござるからな、忌避感はないでござるよ。というか、それでも足りていないのが現状にござる。男にあぶれ、満月の夜に徘徊する者が後を絶たぬでござるからな」


「だから満月の夜に男が出歩いていると、追いかけ回されるんですね……」


 合点がいった――と、狩夜は両肩を深く落とした。帝都エーリヴァーガルは、慢性的な男不足なのである。


「あの、ちなみに里見さんの旦那さんはどちらに? 泊めてもらうんですから、ご挨拶ぐらいしたほうがいいですかね?」


 別の奥さんとよろしくやっているのかもしれないが――と思いつつ、おずおずと口を動かす狩夜。気まずすぎてできることなら顔を合わせたくないが、満月の夜に別の男を連れ込んだなどというあらぬ誤解を招いて、里見たちを窮地に立たすわけにもいかない。


 相応の覚悟と共に口にした言葉であったが、狩夜の心配は杞憂に終わる。里見が「挨拶など不要」と言わんばかりに首を左右に振り、こう言葉を続けたからだ。


「この子らは、現帝との。腹の子は、青葉様とのお役目で授かったものにござる。帝は元より、青葉様も国の要人。童と会わせるわけにはいかぬでござるよ」


 帝と、青葉。里見の言葉から察するに――


「その御二人が、残り二人しかいないという?」


「さよう、月の民の男でござる」


「あの、ちょっと待ってください……帝の奥さんで、そのお子さんということは、里見さんたちって、もの凄く偉い人じゃないんですか? 僕、平伏したほうがいいですかね?」


「いや、だから、この子らはお役目で授かった子だと言っておるでござろう。拙に旦那はおらぬ。確かに狛犬家は由緒正しい家系にござるが、童が平伏するほどの家柄ではござらんよ」


「私か左京が男の子だったら、母上が皇后だったんだけどね」


「私か右京が男の子だったら、帝位継承権がもらえたんだけどね」


「ねー左京」


「ねー右京」


「「ねー」」


「ん? どういうことです?」


 いい加減慣れてきた右京と左京のユニゾン会話。それを見聞きしながら首を傾げる狩夜。すると、すかさず里見からの補足説明が入る。


「お役目とは、月の民の男が名家の娘――すなわち、勇者の血を少しでも多く受け継いでいて、比較的男子が産まれやすいであろう女子おなごとの間で子作りに励むことでござるよ。そして、見事男子を生むことができた者のみが正式な奥であると認められ、その子供の存在が相手に認知されるのでござる」


「――っ」


 この説明を聞き、なんともいえない感情が狩夜の胸の内を覆い尽くした。そして、その感情に促されるまま、狩夜は口を動かす。間違いであってくれ。そう願いながら。


「お役目。つまり、その行為はただの仕事である――と? 義務で仕方なくしているだけだ――と?」


 狩夜が言わんとしていることを察したのか、里見は盛大に苦笑いを浮かべた。次いで言う。


「まあ……そういうことでござるな……」


 ――そこで肯定しちゃ駄目だろう!!


 胸中でこう叫びつつ、狩夜は座卓の下で両手を握り締めた。


 仕事だから? 義務だから? これはつまり、月の民の男女がおこなう営みには、すでに愛はないということを意味する。そのようなおこないが許されていいはずがない。


 子供が男子だった場合のみ、その存在が認知される? ならば、女の子として生を受けた右京と左京はなんなのだ? 見ず知らずの狩夜に優しく手を差し伸べてくれたこの子らは、いったいなんだというのだ?


 そんなの、そんなの――!


「童は、優しい子にござるなぁ」


 エーリヴァーガルの暗部を知り、それに引きずられる形で暗い方へと向かい始めた狩夜の思考。それを引き留めるかのように、里見の優しい声が客間に響いた。


 狩夜は「え?」と、口から声を漏らし、里見の顔を直視する。


「エーリヴァーガルの現状と、拙ら女子の扱いを知って、憤りを感じておるのでござろう? それは、童が優しい証拠でござるよ」


「里見さん……」


「だが、それは童が抱く必要のない感情にござる。愛のある正しい営みなど、拙はとうの昔に諦めた。国の未来のためにこの体が使われるなら、拙は本望にござる」


「……」


「何より、本当に辛いのは拙ら女子ではなく、男の方でござるよ。寿命を縮める薬を使って無理矢理準備を整え、好きでもない女子に寄ってたかって体を貪られる。フェロモンを感知したわけではないので、性への興味はなく、快楽も少ない。彼らにとって、女子との交わりは仕事どころか苦行にござる。月の民の男が一晩でどれほど痩せこけるか知っているでござるか? 次の日の朝にはまるで別人でござるよ」


 ――そうだった。月の民の男性は、命を削って次代を作っているのだった。


「あ、あの、当番制にしたりして、男性の負担を減らしたほうが……」


「理性ではそう考える。陽が落ちるそのときまで、今日は我慢しようと皆思う。だが、無駄でござるよ。満月の夜がくれば、野性が理性を塗り潰す。そして、男子を産む使命を持つ拙ら名家の娘は、他種族の男とは交われない。餓虎と化した拙らの牙が向かう先は、おのずと二つ。座敷牢に自ら入る者もいるが、それも長くは続かない。いずれ堕ちるでござるよ」


「……」


「帝も、青葉様も、近親交配の末にようやくお産まれになられた玉体にござる。だが、それゆえにお体が弱く、初見では女子と見紛う儚げな容姿をしておられる。寿命が短いのは誰の目にも明らか。その短い寿命を薬で更に削り、懸命にお役目に励んでおられるのだ。拙ら女が弱音を吐くわけにはいかぬでござるよ」


「……そうまでして作らなきゃ駄目なんですか? 男の子を」


「無論でござる。男が完全に姿を消し、月の民だけで次代を作れなくなれば、拙ら月の民は、他種族に頭を下げ、媚び諂わなければ滅んでしまう弱小種族に成り下がるでござるよ。そうなれば、ここエーリヴァーガルの統治も他種族に取って代わられるが必定。男は絶対に必要でござる」


「そう……ですね……その通りだと……思います……」


 里見の言葉に間違っていることは何もないように思われた。よそ者である狩夜が、感情のまま無責任にこれ以上口を挟むのは慎むべきだろう。


 だが、そうやって死に物狂いに新たな男性を作ったところで、状況は好転しない。月の民の男性が一人や二人増えたところで焼け石に水だ。


 今の月の民がおこなっている政策は、単なる延命処置である。この絶望的な状況を打破するためには――


「やっぱり、月精霊ルナを解放して、ヨトゥンヘイム大陸を奪還するしかないんですかね……」


 既存通りのこんな回答しか思い浮かばない非才の身を嘆きながら、狩夜は月明かりを頼りに右手を伸ばし、座卓の上に置かれた湯飲みを手に取った。次いで「今すぐそれができれば世話ないよね……」と胸中で呟きつつ、湯飲みを口元に運ぶ。


「それが理想でござるな。ゆえに、此度の精霊解放遠征には拙も期待しているでござるよ。まあ、他に方法がないわけではないのでござるが――こっちも現実的とは言えぬでござるからなぁ」


「え? 他にも現状を打破する方法があるんですか?」


 こう声を上げてから狩夜は湯飲みに口をつけ、注がれていた液体を口に含んだ。お茶ではなくただの水であったが、別段文句はない。世界樹の恵みたるマナに舌鼓を打ちながら喉を潤し、里見の次の言葉を待つ。


 その次の言葉が、己の今後を左右しかねない重大なものであることを知らずに。


「うむ。拙ら月の民の血脈に、異世界人の血を再び入れることでござるよ。三代目勇者と同じ日ノ本の人間ならば言うことなしにござるな」


「ぶほぉおぉ!?」

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