078・月の民と闇の民

 月の民。


 体のどこかに人間以外の哺乳類の特徴を有する種族。つまりは獣人。


 真面目で勤勉な者が多く、厳格かつ清廉。それが、他種族の多くが月の民に対して抱く印象なのだという。 


 他種族からそのように見られる理由は多々あるが、一番の要因は、彼らの身持ちの硬さと、月の民特有の生殖方法にある。


 月の民は、お堅いと定評のある木の民以上に身持ちが硬い。特に男性は、美女が甘言を囁こうが、薄着で肉体関係を迫ろうが、平時では見向きもしないのだとか。他種族の女性に対してはもっと顕著で、そもそも異性として見ること自体が皆無だと言う。


 木の民のように性への興味が希薄なのではなく、そもそもないのだ。月の民の男性が、平時に性的興奮を抱くことはけしてない。月に一度の満月の夜。その時にしか、彼らは生殖行為をおこなうことができないのだ。


 成熟した月の民の女性は、満月の夜が訪れると同時に発情期を迎え、その体から特殊なフェロモンを分泌する。そのフェロモンを、獣化して鋭敏化した嗅覚で感じ取ったときのみ、月の民の男性は性的興奮を抱くのだ。


 月の民の女性もそう。貞淑を重んじ、発情期以外で男性に体を許すことは、快楽を得るためだけの恥ずべきおこないと考え、自らを厳しく律し、日々を過ごしている。


 満月の夜は月の民にとって特別な時間。愛する者と肌を重ね、愛を確かめる、月に一度の機会。新円を描く月の下、獣化した月の民の男女は、まさに獣の如く互いを求め合い、次代を生きる子をなすという。


 そうやって歴史を積み重ねてきた月の民であるが――ある時、種全体を巻き込む大事件が起こった。


 そう、かの【厄災】である。


 “レベル” と “スキル” を失い、母国を魔物に攻め滅ぼされ、月の民は、故郷であるヨトゥンヘイム大陸を放棄し、逃げ出すことを余儀なくされた。


 海を渡り、ユグドラシル大陸へと命からがらやってきた月の民は、マナと水産資源が豊富なフヴェルゲルミルの泉を、他種族に先んじて占拠。フヴェルゲルミル水系と、その周辺を月の民の領土とした。


 そうして、新たな安住の地を手に入れたまでは良かったのだが――ここで、月の民は途方に暮れる。


 夜。月の光を浴びても獣化できない。


 【厄災】の呪いによって、イスミンスールで生きる全人類は、多大な影響を受けた。種族として弱体化し、木の民からは膨大な寿命を。水の民からはエラ呼吸を。風の民からは飛翔能力を。月の民からは月の下での獣化能力を奪い取った。


 そして、獣化能力の喪失は、月の民の男性全員が、生殖能力を失ったことを意味する。


 獣化していない平時の嗅覚では、月の民の男性はフェロモンを感知できない。満月の夜、女性が発情期を迎えて子供をなす準備を整えても、男が不能ではどうしようもないのだ。


 他種族から男を貸してもらうか? いやだめだ。【厄災】直後でどの民も余裕がなく、殺気立っている。弱みを見せるわけにも、下手に出るわけにもいかない。


 ならば、戦をして無理矢理男を奪い取るか? いや、もっとだめだ。そんな余裕はどこにもなく、この状況下で戦争を仕掛ければ、月の民に――いや、全人類に未来はない。


 このまま滅びの時を待つしかないのか――と、当時の帝が諦めかけたとき、予想もしなかったところから、協力したいと声が上がった。


 その声を上げた者たちこそ、同じ理由で故郷を追われ、似たような理由で滅亡の危機に瀕していた、闇の民の一団である。


 闇の民。


 コウモリのような羽と、先端に突起のついた尻尾を持つ、闇の住人たち。


 刹那的で自堕落な者が多く、淫靡かつ多感。それが、他種族の多くが闇の民に対して抱く印象なのだという。


 かなり不名誉な印象だが、それも仕方のないこと。闇の民の生態は、全種族中もっとも奇抜であり、はた迷惑だ。


 まず、性別すら操作できるメタモルフォーゼ能力を持つ闇の民は、基本的に王以外はすべて女性となる。そして、優れた能力や容姿を王に見初められ、王宮入りした者を除き、年頃の闇の民は、すべて他国へと出稼ぎに出るのだ。


 略奪愛こそ我が本懐。嫉妬に狂った女に背中を刺されるならば本望。そう豪語する彼女らは、許可なく他国に潜伏し、他種族の男を誘惑。その性と財貨を体一つで搾り取り、ただただ淫蕩に耽る。そして、妊娠すれば転移魔法で帰国し、出産。引退した年配の同族が運営する施設に子供を預け、また出稼ぎに出る――を、自身が体力の限界を感じるまで、延々繰り返すらしい。


 闇の民が原因で破綻した恋愛、夫婦、家庭は数知れず。他国の財貨と、それ以上の宝である子供が生まれる機会を掠め取り、自国の利益へと転化するその所業から、他種族の王族と女性たちから蛇蝎の如く嫌われる存在。それが闇の民である。


 そんな闇の民もまた【厄災】によって故郷であるヘルヘイム大陸を追われ、逃げた先であるユグドラシル大陸で、滅亡の危機に瀕していた。


 【厄災】の呪いによってメタモルフォーゼを失い、ユグドラシル大陸へと逃げる最中、王が魔物に殺され、男性の闇の民が一人もいない。闇の民だけでは、もはや次代を作ることすら叶わなくなっていた。そして、嫌われ者であるがゆえに、ミーミルの泉を占拠していた光の民にも、ウルズの泉を占拠していた木の民にも、彼女たちは拒絶された。


 ゆえに闇の民は、今まで最も疎遠であった月の民に泣きついた。他種族の女に興味を示さないがゆえに、唯一闇の民からの被害を免れ、興味もないが悪感情もないであろう相手に。


 闇の民は、帝の前で平伏し、地面に額を擦りつけながら懇願した。


 なんでもします。我ら闇の民を、どうか麾下にお加えください。


 そして、闇の民はこうも言った。我ら闇の民は、薬の扱いに長けております。必ずや、月の民の危機を救って御覧に入れましょう。その暁には、どうか我らにお情けを、闇の民に未来をください。


 その言葉通り、闇の民は見事月の民の窮地を救って見せた。薬の力を借り、月の民の男性たちは、生殖能力を取り戻したのである。


 当時の帝は、その功績と、今後も闇の民の協力が必要不可欠であることを認め、彼女らを庇護することを決めた。その関係は、厄災から数千年たった今も続いている。


「こうして、拙ら月の民と闇の民は、互いに協力しあい、今日まで子々孫々を残してきたでござるよ」


「なるほど。ありがとうございます、里見さん。大変勉強になりました」


 月の民と闇の民。その生態と関係について懇切丁寧に説明してくれた里見に対し、狩夜は頭を下げながら礼を述べる。


 狩夜は、案内された狛犬家の客間で胡坐をかきながら、木製のテーブル――もとい、長方形の座卓を挟んで、ピンと背筋を立てて正座する里見と向かい合っていた。そんな里見の隣、狩夜から見て右側には右京が、左側には左京が座っている。


 客間の広さは八畳ほどだが、畳はない。木製の床の上に藁で作られた座布団をしき、狩夜たちはその上に座っていた。


「なに、礼には及ばんよ。拙は一般常識を話しただけにござる」


「そうそう。常識だよね、左京?」


「誰でも知ってるよね、右京?」


「「ねー」」


「こらこら二人とも、客に対して失礼でござろう。他種族の中には、教育に悪いから――と、エーリヴァーガルについて子供に話したがらない親もいると聞く。童は、きっとそういう家庭に生まれたのでござろう」


「あはは……確かに、闇の民の話はちょっと衝撃でしたね。【厄災】以前の話とはいえ、他国に潜伏してあれやこれやというのは……」


 里見のフォローに苦笑いを浮かべながら、狩夜は口を動かす。


「で、でも、何で皆女性になるんですかね? 他国に潜伏して、その……い、色々するなら、男の姿でも出来るでしょうに……」


「ん? それは、おのこの姿で他種族の女を口説き、しとねを共にしたところで、できる赤子は相手の種族になってしまうからでござろう? 他種族の人口を積極的に増やしてやることもあるまい」


「え?」


「なぜそこで不思議そうな顔をする? まさかとは思うが、母体優位のことまで知らぬとは言わぬであろうな?」


「赤ちゃんは、お母さんと絶対同じ種族になるんだよ」


「お父さんが、どの種族でも関係ないの」


「ねー左京」


「ねー右京」


「「ねー」」


「そ、そうですよね! それじゃ闇の民の数が増えませんよね! ちょっと考えればわかることでした! 僕、まだ混乱しているみたいです!」


 こう慌てて取り繕いながら「イスミンスールって母体優位なんだ。ハーフは生まれないんだ。知らなかった」と、胸中で呟く狩夜。次いで、自身にこの世界の一般常識を教えてくれた人物のことを――イルティナとメナドのことを思い出す。


 ――二人とも、恥ずかしくて言うに言えなかったんだろうなぁ……


 お堅い木の民に一般常識を教わったがゆえの、思わぬ弊害であった。


「なんにせよ、満月の夜が発情期――月の民にとって、とても大切な時間だということはよくわかりました。でも、何で僕が――他種族の男が追いかけ回されなくちゃならないんです? 生殖能力は、薬頼りとはいえ取り戻したんですよね? だったら、月の民同士でいくらでもできる……で……しょう……に……」


 話の途中、急に歯切れが悪くなり、徐々に声を小さくしていく狩夜。『月の民同士で』と口にした瞬間、里見の表情が急に曇ったからである。


 気まずい雰囲気が客間を支配する中、里見が右手の人差し指で頬をかき、こう口を動かした。


「童は、本当に何も知らぬでござるなぁ……」


「す、すみません。あ、あの……僕、何かお気に障るようなことを言ってしまったでしょうか?」


「そうさのう……月の民同士で子作りに励めという童の意見は……なるほど、至極もっともだ。誰もがその言葉に賛同し、そうするべきだと思うだろう。だがな童、よく聞け。月の民の男はな……」


「はい」


「もう、二人しか残っておらぬのだ」


「え゛?」

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