077・ドッグツインズ

「くそぉ! 今日は追いかけられてばっかりだ!」


 猫耳、牛角、虎毛、半人半馬、他にも他にも。日没と同時に始まった、多種多様な月の民との鬼ごっこを継続しつつ、狩夜は大声で叫ぶ。


 逃げ回る最中「話し合いましょう!」とか「皆さん、どうか落ち着いて!」と、何度も説得を試みてみたが、すべて無駄。馬の耳ならぬケモミミに念仏であり、こちらの声がまるで届いていない。誰もが目の色を変えて、狩夜を――否、偶然目についた男を追いかけ続けている。


 男と交わり快楽を得たい。次代のために子を成したい。帝都エーリヴァーガルは、そんな原初の衝動と、雌の欲望に支配されていた。


 狩夜も思春期の男の子。異性のことは気になるし、恋愛にも、その先にも興味津々である。結婚するまで清い体で――なんていう時代錯誤なお堅い考えは持っておらず、可愛い彼女をゲットして、素敵な恋愛を経験し、あわよくば同年代の友人に先んじて大人の階段を上りたいと、中学で勉学に励む傍ら、色々と妄想していたものである。


 だが、今は状況が違う。ここは異世界イスミンスールであり、狩夜は不治の病に侵された妹を救うため、救世の勇者であるレイラと交わした盟約を、なんとしても果たさなければならないのだ。


 異性との恋愛に現を抜かす暇などない。休憩と食事、それ以外の時間のすべてを目的達成のために費やす。狩夜はそう心に決めている。


 なにより、大人に成長する過程で誰もが抱くであろう、異性に対するごく普通の興味と、どこにでもいる中学生が持つごく普通の人生観で、現在進行形で後方に広がる女の荒波に飲まれたらどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。 


 沸き立つ鍋でドロドロになるまで煮詰められたかのような、雌の欲望。それは、男を誘惑するこの上なく甘い蜜であり、人生観を侵し破壊する猛毒だ。一度口にしたが最後、人として堕落するか、壊されるまで体を蹂躙されるかのどちらかだろう。


 興味本位で口にしてはいけない。触れてもいけない。あれは見るだけでも危険な代物だ。ゆえに、狩夜は逃げる。逃げ続ける。他でもない自分自身を守るために。


「レイラ、カタパルトフラ――」


 ウルザブルンでの一件と同じように、空を飛んで逃げようとレイラに指示を出す狩夜であったが、口の動きを慌てて止めた。後ろだけでなく、前からも月の民が押し寄せてきたからである。


 ――だめだ! スペースがない!


 カタパルトフラワーは、聖域での敗戦を受け、狩夜が考案し、レイラが完成させたの一つだ。飛行のための前準備だけでなく、突進するしか能がない魔物を足止めしたり、巨大な魔物の体勢を崩すといった、地雷的な用途でも使用される。


 開花する際の衝撃は凄まじいの一言。ソウルポイントで強化されていない一般人が巻き込まれれば、良くて大怪我、最悪死ぬ。この状況下では使えない。


 空には逃げられず、前後は挟まれ、もはや絶体絶命――とはならなかった。確かに空を飛ぶことは諦めた狩夜であったが、上にならいくらでも活路はある。狩夜はすぐ隣の民家の屋根めがけ跳躍し、迫りくる女の荒波を華麗にかわして見せた。


 人波同士が衝突し、先ほどまで狩夜がいた場所でもみくちゃになる中、狩夜は屋根から屋根へと跳躍を繰り返し、カタパルトフラワーが使えそうな場所を、開けた人気のない場所を探す。


 ほどなくして、それは見つかった。白塗りの塀に囲まれた立派な庭つき一戸建て。明かりも落ちているので、住人は留守か就寝中かのどちらかだと思われる。


 不法侵入で気が引けるが、今は緊急事態。あの庭を使わせてもらうとしよう。


 とある民家の屋根から、目的地である庭へと降り立つ狩夜。こんな町に長居は無用と、レイラに指示を出すべく口を動かそうとした、次の瞬間――


「「何者だー!」」


 と、少女のものと思しき甲高い声が、狩夜に向かって放たれる。


「ふえぇ!?」


 住人は留守、もしくは就寝中と思っていた狩夜は、批難と敵意を孕んだその声に両肩を跳ね上げ、すぐさまそちらに視線を向けた。すると、双子と思しき犬型の月の民二人組が、木刀片手に狩夜に駆け寄ってくる。


 柴犬を彷彿させる三角耳と、丸まった尻尾が特徴的な、赤毛の女の子で、白の剣道着と黒袴を纏っていた。


 身長は狩夜より少し低く、年齢は十歳前後だろう。一卵性双生児らしく、顔は瓜二つ。だが、髪型と尻尾の巻き方に差異があるので、見分けるのは容易であった。


 狩夜から向かって右側は、ストレートのショートボブで、尻尾が右巻き。


 狩夜から向かって左側は、ストレートのポニーテールで、尻尾が左巻き。


 そんな双子が、不審者を見つけた番犬のごとき見幕で、吠えたてるかのように狩夜を糾弾してきた。


「断りもなく塀を乗り越えてくるとは、さてはこそ泥だな!」


「ここを美月家が譜代の臣、狛犬こまいぬ家の屋敷と知っての狼藉か!」


「この狛犬右京こまいぬうきょうと!」


狛犬左京こまいぬさきょうが!」


「「成敗してくれる!」」


 言い終えるやいなや、手にしていた木刀を正眼に構え、狩夜に突きつけてくる右京と左京。そんな勇ましい双子を見下ろしながら、レイラが動く。


 どうやら『明確な敵意を持って狩夜に武器を向ける』という行為が、レイラの忌諱に触れたらしい。不穏な空気を全身から放ちつつ、二枚の葉っぱをゆっくりと動かし始めた。


 慌てて両手を動かし、頭上のレイラを抑えつける狩夜。次いで、こう口を動かす。


「やめろレイラ! どう考えてもこっちが悪い! すみません! ほんとすみません! 勝手に中に入っちゃってごめんなさい! でも、僕たちは物取りの類じゃありません! 理由はわからないのですが、夜になった途端なぜだか町の人達に追いかけ回されちゃって! それで仕方なくなんです! 逃げるのに必死だっただけなんです!」


 自らの非を素直に認め、狩夜は事情を話しつつ、何度も何度も頭を下げる。すると、双子は首を傾げ、同時に顔を見合わせた。次いで右京、左京の順に、交互に言葉を紡いでいく。


「理由がわからないって、今日が満月だからに決まってるよ」


「満月の日に男が外を出歩いてたら、追いかけられて当然だよ」


「満月の夜は、月の民にとって特別な時間なの」


「大人はみーんなおかしくなるの」


「ねー左京」


「ねー右京」


「「ねー」」


「満月だから? 大人は皆?」


 得られた情報を整理するかのように呟く狩夜。すると、またも右京、左京の順に、双子が言葉を紡ぎだす。


「君、ほんとに何も知らないの?」


「君、ほんとに困っているの?」


「どうする左京? このままじゃ、月の民が誤解されちゃうよ?」


「どうする右京? このままじゃ、月の民が嫌われちゃうよ?」


「これは、あれだね左京」


「うん、あれだね右京」


「「助けてあげなきゃだめだよね!」」


 双子は揃ってこう言うと、構えていた木刀を下ろした。次いで、こう言葉を続ける。


「困ってる人は、できる限り助けてあげないと」


「見捨てたら武士の名折れだね」


「袖すり合うのも多生縁」


「情けは人の為ならず」


「「日の出まで匿ってあげる。家の中に入って入って」」


 理由と過程は不鮮明だが、双子は『狩夜を助け、一晩匿う』という結論を出したらしい。小走りに玄関に向かうと、左右対称の動きで「おいで、おいで」と手招きしてきた。


「えっと……その……すみません、助かります」


 あれこれ考えた後、狩夜は双子の厚意に甘えることにした。怒りを鎮めたらしいレイラから両手を離し、玄関へと向かう。


 様子を見るに、右京と左京はまともな状態だ。会話はできるし、顔色と呼吸も普通。先ほど得た情報が正しいのなら『子供』だからだろう。そして、月の民の『大人』は、満月の夜におかしくなる。


 日没と同時に追い回された理由はなんとなくわかったが、まだ情報が足りない。今後のためにも、この二人から情報を手に入れる必要があるだろう。


 この恩義に釣り合う礼は必ずする。そう心に決めながら、狩夜は歩を前に進めた。


「母上、聞こえますかー!?」


「玄関まで足労願いまーす!」


 狩夜がある程度玄関に近づくと、双子は引き戸を開け、屋敷の中に入りながらこう声を上げた。狩夜はその声に体を震わせ、足を止める。


 ――母上? 二人のお母さんってことは――大人のひと!?


 胸中で恐怖の声を上げながら、視線を右往左往させる狩夜。そんな狩夜の耳に、玄関に向かって近づいてくる足音と、なんとも気だるげな声が届く。


「むぅ……いったいなんでござるか? せつは気分が悪いゆえ、静かにしてほしいでござるよ……」


 明かり一つない家の奥から現れたのは、双子と同じ赤毛と、柴犬を彷彿させる耳と尾を持つ、犬型の月の民であった。


 長身痩躯な女性で、年は二十代半ば。体調でも悪いのか、あまり顔色が良くない。身に纏う衣服も、紺の着流しだけというラフなものである。


 母親であるらしいその人に向けて、双子は言う。


「人助けだよ、母上!」


「お客さんだよ、母上!」


 この言葉に、双子の母は首を傾げた。次いで、こう口を開く。


「客? どこでござるか?」


「どこってそこに――あれ? いない?」


「さっきまでそこにいたのに」


 忽然と消えた狩夜の姿を探して、双子が玄関から飛び出した。すぐさま屋敷の庭を見渡すように首を動かして――


「「あ、いた」」


 庭木の影に体を隠しながら、顔だけ出して玄関の様子をうかがう狩夜の姿を、二人同時に見つける。


「なんでござるか、あのわっぱは?」


 双子の後を追って庭に出た母親が、木の影から出ようとしない狩夜を見つめながら言う。すると、双子は母親を見上げながら、こう言葉を紡いだ。


「あの子、何も知らないで帝都にきたみたいなの」


「あの子、外で大人に追い回されたみたいなの」


「匿ってあげたいの。ねー左京」


「月の民への誤解を解きたいの。ねー右京」


「「ねー」」


「ふむ、なるほど。あの様子からして、よほど怖い目に遭ったと見える……」


 小刻みに体を震わせながら、大人である自身の一挙手一投足を伺う狩夜に対し、盛大に苦笑いを浮かべる母親。次いで、狩夜にこう呼びかける。


「そこな童。気持ちはわかるが、そう警戒するでない。取って食いはせんから、家の中に入れ。拙の名は里見さとみ。狛犬家の現当主にござる。安心せい、拙の腹の中には赤子がいるでな。発情期はこんでござるよ」


「はつ……じょうき……?」


「本当に何も知らんでござるな。とにかく中に入れ、色々と説明しよう。同胞たちの名誉のためにも――な」


 双子の母親――里見は、そう言って踵を返し、狩夜を屋敷の中へといざなうのであった。

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