074・時の人

 一年。それがこの世界、イスミンスールに残された時間である——と、女神スクルドは語った。


 イスミンスールの一年は、三百六十日で一周期となる。


 九日で一週間。四週間で一ヵ月。十ヵ月で一年。そして、十ヵ月のそれぞれには、世界樹の生長になぞらえた名前がある。


 順番に――


 種の月。


 双葉の月。


 三つ葉の月。


 四つ葉の月。


 若木の月。


 大樹の月。


 蕾の月。


 開花の月。


 散花の月。


 実りの月。


 これら十ヵ月で、イスミンスールの一年となる。


 閏年といったものはなく、周期は常に一定——と、地球のそれよりよほどかっちりとした暦だ。補足すると、月の満ち欠けすら一定であり、月初めに新月で月齢零。第三週のはじめに満月で月齢十九となる。


 ここまでくると、長い年月をかけ、試行錯誤の末にあの形に落ち着いた地球の暦に慣れ親しんだ者は、むしろ違和感を覚えるかもしれない。


 いくらなんでも無駄がなさすぎる。まるで、暦を先に用意しておいて、それに合わせて世界の環境を整えたかのようだ——と。


 この違和感は、あながち間違いとも言い切れない。なぜならイスミンスールは、海も、大地も、太陽や月すらも、神である世界樹が創ったとされている世界なのだ。


 一切の無駄を省いた、神が用意した暦。イスミンスールの人類は、日々それに従って生きている。


 ちなみに今日は『開化の月・第三週・ユグドラシルの日』だ。


 つまり、満月の日である。


 週の初めでしかも満月。そんな日に、人が特別を見出したくなるのは必然だ。今日は【厄災】以前から全種族共通で縁起が良いとされている日。つまりは吉日である。


 特に『愛』を確かめるならこの日だ——と、イスミンスールの誰もが口を揃えるという。


 仕事を休んで家族との団欒を楽しんだり、伴侶や恋人と愛を語らいながら、ゆっくりと時を過ごすのが良いとされている。特別な理由がない限り、結婚式はこの日に挙げるのが常だとか。


 月の魔力に当てられて、誰もがついつい開放的に。なんだか素敵な出会いの予感。気になるあの子に愛の告白を。大人の階段上っちゃう?


 そんな、多くの人が愛を確かめる特別な日に、どこにでもいる普通の中学生、叉鬼狩夜は——


「いくよ、レイラ!」


「……(コクコク)」


 相棒であるマンドラゴラのレイラと共に、早朝からとある森の奥地で主狩りに勤しんでいた。



   ●



「すみません。依頼を達成しましたので、確認をお願いします」


 この言葉と同時に、開拓者ギルドのカウンターに【素材採集】の依頼カードと、大玉スイカぐらいありそうな百足型の魔物の頭部を乗せる狩夜。


 直後、小柄な風の民の受付嬢が上げた「ひゃいぃ!?」という引き攣った声と、開拓者と開拓者志望の者たちが上げた「おお~!」という感嘆の声が、酒場然としたギルドの中に響く。


 レイラの力をだけ借りつつも、自分の力だけで主を打倒した狩夜は、次なる獲物の情報を求め、ウルズ王国の都・ウルザブルンの開拓者ギルドへとやってきていた。そして、ついでとばかりにこなしたクエストの報酬を受け取っているところである。


 今にも動き出しそうな主の首級に「か、確認いたしますのでぇ、少々お待ちくださいぃ……」と、恐る恐る手を伸ばす受付嬢。そして、人差し指が触れると同時に〔鑑定〕スキルを発動させ、即座に手を引込めながら口を動かした。


「えっとぉ、アーマー・センチピードで間違いないですぅ。カリヤ・マタギ様【素材採集】の依頼達成ですぅ」


 アーマー・センチピード。鉱物資源が非常に乏しいユグドラシル大陸において、防具や農具の素材として重宝される、百足型の魔物である。


 金属並みの硬度を誇る外骨格に全身が覆われた、ユグドラシル大陸において指折りの防御力を持つ魔物。その対処方法は、マナを含んだ水をかけて防御力を下げた後、弱点である頭部を叩き潰す――というのがセオリーだ。動きは鈍重なので、これさえ守れば一般人でも倒すのは難しくない。もっとも、これは平均的なサイズのアーマー・センチピードが相手の場合である。


 狩夜が仕留めたアーマー・センチピードは、主化した特別な個体。そのサイズは平均値のおおよそ十倍。素材を求めて森の奥地へと足を踏み入れた開拓者たちを幾人も返り討ちにしてきた、森の装甲戦車とでもいうべき存在である。この主に友人や家族を殺された者は少なくない。


 そんな憎っくき主を見事打倒した狩夜に、この数日で顔見知りになった開拓者たちが「カリヤ君、ありがとう!」「これであの辺りも安全になるよ!」と心からの謝辞を述べた。


 腕利きの開拓者がユグドラシル大陸から出払い、人手不足が懸念される中、颯爽と現れたニューヒーロー。木精霊ドリアードの化身と噂される魔物と共に、次々に主を屠っていく期待の新星。


 新たな英雄足りえる開拓者の登場に、人々は沸き立ち、もろ手を挙げて歓迎した。狩夜は一躍時の人。今やウルザブルンは、狩夜とレイラの話題でもちきりである。


 中には狩夜の成功と功績を妬み「っけ! いい気になんじゃねーぞ!」と、イラついた様子で唾を吐く者もいたが、今日もおおむね好印象。ギルド内にいる大多数の者が歓声を上げていた。


 お祭り騒ぎのギルド内を見回しながら、困ったように苦笑いを浮かべる狩夜。そんな狩夜に対し、受付嬢が申し訳なさげな口調で、こう話を切り出す。


「あのあのぉ、報酬が500ラビスになるのですがぁ……この額でよろしいですかぁ?」


「え? もちろんです。その報酬額で受注したんですから」


「でもでもぉ、主を倒してこの額というのはあまりにも少ないっていうかぁ、並のアーマー・センチピードよりずっとずっと大きいっていうかぁ、素材としても極上っていうかぁ……本当によろしいのですかぁ? あまり褒められた方法ではありませんがぁ、ギルドを通さずに依頼者と直接値段交渉することやぁ、複数の職人に声をかけてぇ、競り合いにすることだってできるのですよぉ?」


「構いません、その時間すら惜しいです。それよりも、次の主の情報をください」


「またですかぁ!?」


 狩夜の言葉に目を丸くする受付嬢。次いで、こう言葉を続けた。


「五日前に目撃情報を七件もお教えしたばかりじゃないですかぁ!」


「もう全部倒しましたよ」


「はうぁ!? カリヤ様、頑張り過ぎですよぉ! こんな短期間に主ばかり倒して、いったい何がしたいんですかぁ!?」


「えっと、今より強くなりたくて……」


「もう十分お強いですよぉ!」


「何言ってるんですか!? まだまだ全然足りませんよ!」


 狩夜が迷いの森を脱出し、ウルザブルンを拠点にして主狩りを開始してから、すでに半月ほどの時間が経過している。その間、一日に一体、多いときには二体の主を絶えず屠ってきた狩夜たち(なりかけや、主に相当する魔物の群れ等を含む)。そんな努力の甲斐あって、獲得したソウルポイントの総量は、すでに二万を超えていた。


 それにより、現在の狩夜の基礎能力向上回数は——


———————————————


叉鬼狩夜  残SP・299


  基礎能力向上回数・374回

   『筋力UP・100回』

   『敏捷UP・124回』

   『体力UP・100回』

   『精神UP・50回』


  習得スキル

   〔ユグドラシル言語〕


  加護

   〔女神スクルドの加護・Lv1〕

     全能力・微上昇。状態異常『呪』無効化。


獲得合計SP・71424


———————————————


 と、なっている。


 これは、開拓者になって一カ月あまりの新人が出せる数値ではない。周囲の者からすれば、驚異的な成長速度に見えることだろう。英雄だの、新星だの呼ばれるのも無理はない。


 だが、狩夜はまったく満足していなかった。目指す場所は遥か遠く、いまだに手が届く気配すらない。


 走り続けなければだめだ。休んでいる暇などない。足らないのだ、何もかも。


 ゆえに狩夜は、貪欲なまでに更なる力を——次に己の糧となる存在を、周囲に求め続ける。


「というわけで、主の情報をプリーズ」


「あうあうぅ。正直カリヤ様は、もう絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにいった方がいいと思いますぅ。ぜひぜひ、人類の版図拡大にご協力くださいませぇ」


「今いくのは現実的じゃないでしょう。精霊解放遠征の期間中は、ミズガルズ大陸にある人類唯一の拠点が、解放軍の人達の貸し切りになってるじゃないですか。僕に野垂れ死にしろとおっしゃいますか?」


「そんなにお強いのに、なんで精霊解放遠征に参加してくれなかったんですかぁ!?」


「募集期間中はハンドレットで、参加資格がなかったんですよ――って、このくだり、あなたと何度したと思ってるんですか。いいから、早く主の情報をくださいな」


「それがそのぅ……国内の主は既にあらかたぁ……」


「え? もういないんですか?」


「はいぃ、未発見の主はまだいるかもしれませんがぁ、現状当ギルドにぃ、カリヤ様にお渡しできる情報はありませぇん。この度はぁ、ウルズ王国国内の危険因子排除に多大なお力添えをしてくださりぃ、当ギルドは大変感謝しておりますぅ。本当に、ほんと~に、ありがとうございましたぁ」


「そう……ですか……そうなんだ……」


 小声でこう呟いた後、右手を口元に運ぶ狩夜。そして、今後のことについてあれこれ考えようとした、次の瞬間——


「あら? カリヤ様とレイラ様ではないですか! お久しぶりです!」


 狩夜の思考を遮るように、突然ギルドの入口から声が響いた。


 聞き覚えのある声に驚きながら、狩夜は後ろへと振り返る。すると、一人の女性の姿が目に飛び込んできた。


 金髪をアップにした、純血の木の民。彼女の名前は——


「え!? タミーさんですか!?」


 そう、そこにいたのはタミー・カールソン。ティールの村で、狩夜の開拓者登録手続きをしてくれたギルド職員であった。


 狩夜に名前を呼ばれると、タミーは嬉しげに微笑み、上品に頭を下げながらこう告げる。


「はい。覚えていてくれたのですね。光栄です」


「一カ月ぶりですね。でも、どうしてウルザブルンに? ティールでのお仕事はいいんですか?」


「ええ。以前にもお話ししたと思いますが、私はティールの村民ではなく、都からの出張扱いでしたから。その出張期間が終わり、たった今戻ってきたところです」


 タミーの懇切丁寧な説明に、狩夜は「ああ、なるほど」と頷いた。先ほどまで狩夜と話をしていた受付嬢も「わぁ! タミー先輩ですぅ! お帰りなさぁい!」と嬉し気に声を上げる。


 タミーは「うん、ただいま」と受付嬢に手を振りながら歩き出し、次いで、カウンターの上にある主の首級を視界に収めた。


 ほんの一瞬目を丸くするタミーであったが、すぐに納得したように頷き、こう口を動かす。


「カリヤ様とレイラ様は、都でも大活躍のようですね。その優れたお力を、今後とも人類の発展のためにお振るいくださいますよう、平にお願い申し上げます」


「……」


 深く頭を下げるタミーに対し、狩夜は沈黙をもって答えた。


 病魔に侵された妹を救いたい。そんな、酷く利己的な動機で動いている狩夜にとって、人類の発展は二の次三の次である。タミーの言葉に対し「はい」とは、とてもじゃないが答えられない。


 かと言って、馬鹿正直に「いいえ」と答えたら、開拓者としての今後の立場が危うい。狩夜は無言のまま苦笑いを浮かべ、タミーが頭を上げるのを待つことしかできなかった。


 ほどなくして頭を上げるタミー。何の返答もしてくれなかった狩夜に気を悪くした風もなく、こう言葉を続ける。


「それでカリヤ様。カリヤ様のパーティメンバーの方はどこですか?」


「え? パーティメンバー……ですか?」


「ええ。カリヤ様がティールを離れてすでに一月。もうお決めになられたでしょう? カリヤ様がどのような方とパーティを組んだのか、登録手続きをした者としてずっと気になっていたのです。もしよろしければ、ご紹介していただけませんでしょうか?」


「え、あ、いや、その……まだ……です」


「はい?」


 狩夜の言葉に「あなたが何を言っているのかわかりません」と言いたげに首を傾げるタミー。そんなタミーになぜか気圧されながらも、狩夜はこう言葉を紡いだ。


「いえ、ですから、まだ決まってません。僕はいまだにソロのままです」


 この言葉に、タミーは笑顔を顔に張り付けたまま、三秒ほど動きを止める。次いで、唐突に大きく息を吸い――


「そんな! いけませんよカリヤ様! ソロでの活動はとても危険です! 今すぐパーティをお組ください! レイラ様の限界パーティ人数は三人! まだ二人も空きがあるではございませんか!」


 と、ギルド全体に――いや、ギルドの外にまで聞こえそうな大声で、狩夜とレイラの個人情報を大暴露した。

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