第三章・フヴェルゲルミル帝国編
073・第三章プロローグ 月夜に怯える少女
「余は……余は大丈夫じゃ……」
広さ四畳半の小部屋に、少女の独白が響く。
その部屋の中には、彼女以外には何もない。本当に、本当に何もない木造の小部屋である。ただただ手狭で、人のぬくもりが一切感じられない冷たい場所だ。
監獄の一室にすら劣るであろう小部屋。ともすれば拷問を受けていると勘違いされてもおかしくない環境。にもかかわらず、彼女は日没の少し前に自らの意思でこの部屋へと足を運び、自らの手で内側から閂をかけた。
余人はおろか、光も、空気も外界から遮断して、少女は部屋の隅で縮こまる。次いで、両手で頭を——自身の長い両耳を力の限り抑え付け、その細い体を小刻みに震わせた。長い夜がまた始まる。朝よ、早くきてくれ――そう願いながら。
「余は大丈夫……大丈夫なのじゃ……」
自身に言い聞かせるように独白を続け、彼女は両手に更なる力を込める。しかし、彼女の良すぎる耳は、それでも壁の向こうの物音を拾い上げ、彼女の意思に反して忌むべき声を聞き分けてしまう。
実の母が、妹が、家中の武士たちが、城の奉公人が、壁の向こうで何をしているのかが、彼女にはわかってしまう。
そして、大切な幼馴染の声が、親友の弟が上げる苦悩の声が、彼女を何より追い詰め苦しめた。
『紅葉が留守の間、青葉のことを頼むでやがりますよ』
国の未来のため、自らの意思で死地へと旅立った親友の顔が脳裏に浮かび、彼女の両目はついに決壊した。大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。
「すまん……すまん紅葉……母上と姉上たちを……またも余は止められなかった……」
志を同じくしていた友が、今日ついに堕落した。先月には妹が、先々月には従妹が堕ちた。今頃は母と一緒になって、本能のまま青葉にお役目を強要していることだろう。
「余は大丈夫じゃ……あんな風に余はならぬ……なるわけにはいかぬ……大丈夫……大丈夫……」
そう自身に言い聞かせるが、彼女には予感があった。来月か、再来月には彼女の番だ。
止まることなく進み続ける時間。無情にも成長を続ける彼女の体。
手足はとうに伸び切った。必要以上に起伏もできた。にもかかわらず、彼女はいまだに少女のままだ。同年代で準備が整っていないのは、恐らく彼女だけだろう。
だが、いつまでも子供のままではいられない。むしろ、ここまで待ってくれたのが奇跡と言えた。
もし、このままその日を迎えてしまえば、彼女を彼女足らしめる意思も、誇りも、矜持も、すべてがどうでもよくなり、本能と衝動のままに行動する、一匹の獣になり果ててしまうかもしれない。
そうなってしまえば、彼女の歯牙が向かう先は自ずと二つ。親友の弟。頼むと任された青葉。もしくは――
「嫌じゃ……そんなのは嫌じゃ!」
もう、時間がない。彼女は意を決して立ち上がる。
それから数時間後。日の出を境に日常へと戻り始めた城内に、なんとも慌ただしい声が上がった。
「た、たたた大変ですぞー!
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