071・喧嘩

 いい奴だということは、すぐにわかった。


 相性が凄くいいことも、すぐにわかった。


 気遣ってくれるし、優しくしてくれる。色々と助けてくれるし、基本的には指示通り動いてくれる。


 名前を呼んだだけでこちらの意図を理解してくれた。何度も命を助けてくれた。


 何より、狩夜を異世界に引きずり込んだことに対して「申し訳ないことをしたな……」と、思ってくれていた。


 だから、こうして今までやってこれた。不平不満を心の奥底に押し込めて、一緒にいることができていた。


 なんとなくだがわかるのだ。レイラのことは。


 ゆえに、狩夜は知っている。女神であるウルドも、スクルドも知らないであろうレイラの秘密を、狩夜だけが知っている。


 レイラは、イスミンスールを救うこと以外にも、何か別の――【本当の目的】があって動いている。


 そして、イスミンスールを救うことは、その目的をレイラが達成するための手段でしかない。


 叉鬼狩夜という、どこにでもいる普通の中学生が必要になるのは本当の目的そっちの方だ。その目的を達成するためには、狩夜の存在が必要不可欠なのだ。


 だからレイラは、申し訳ないと思いつつも、狩夜を異世界に引きずり込んだ。


 だからレイラは、足手まといと知りつつも、狩夜と行動を共にし、体を張って守り続ける。


 別の目的があって、手段として世界を救済する。そのことに対して文句を言うつもりはない。むしろ共感するし、親しみが湧くくらいだ。「力を持つ者が世界を救うのは当然のこと! 報酬なんていらないさ!」とかのたまう奴を、狩夜は信用しないし、仲良くなれるとは思わない。


 世界を救うなんて理由じゃ戦えない。無償で命を張る道理はない。それは、狩夜もレイラもかわらない。


 本当の目的とやらの詳細までは流石にわからないが、それを目指してせいぜい頑張ればいいと思う。世界の救済が手段な時点で、さぞ壮大な目的なのだろう。理想を掲げて勝手に邁進してくれればいい。気の合う相手だ、応援ぐらいしよう。応援だけならタダだ。


 だから、そのことを責めるつもりはない。狩夜のせいで負けた今回の戦いについても、責めるつもりはない。


 だが、事前通達なしに狩夜を異世界に引きずり込んだことは別だ。大いに文句があるし、納得なんてできるわけがない。正直怒り心頭だ。


 レイラにも理由と目的があった? それはわかるが、狩夜には関係ない。


 狩夜じゃなきゃダメだった? それはわかるが、狩夜にも家族がいて、日々の生活がある。


  勝手に期待して、無理矢理連れてくるんじゃない。こっちの都合も考えろ。


 同意なんざしていない。事後承諾もしていない。異世界にいきたかったわけじゃない。


 叉鬼狩夜は、自身を異世界に引きずり込んだ化け物レイラのことを、微塵も、些かも、これっぽっちも、まるで、全く、全然、毛ほどにも——許してなんかいない。


 本当は、ずっと文句を言いたかったのだ。それこそ、両手で首を締め上げてやりたいほどに。だが、狩夜が異世界で生きていくには、レイラの力が必要だった。見捨てられたら生きていけないと思った。信仰する精霊に姿を重ねる木の民や、救世の希望と慕う女神の前で、感情のまま非難するのも気が引けた。


 いや、これすらも言い訳だ。今必要なのは本音である。叉鬼狩夜の本音を、本心をさらけ出せ。


 そう、狩夜は——怖かったのだ。


 マンドラゴラという、未知の生物が。その身に宿す、圧倒的な力が。機嫌を損ねた瞬間殺されるかもしれないという、最悪の結末が。どうしようもなく怖かった。


 傍から見たら対等の関係に見えたかもしれない。仲のいい友達に見えたかもしれない。狩夜の方が上に見えたかもしれない。


 だけど、違う。心の奥底には、常にレイラに対する恐怖があった。その圧倒的な力に、狩夜の魂が屈服してた。


 対等じゃなかった。友達じゃなかった。狩夜の方が下だった。


 一緒に戦った。頭を撫でた。ふざけ合った。一緒に眠った。額をぶつけ合った。一緒に馬鹿をした。小突いたりもした。頭ごなしに命令だってした。対等の関係に見えるよう振る舞った。


 全部、レイラが望んだからしたことだ。そうすれば喜んでくれることがわかるから、機嫌を損ねたくなかったからしただけだ。


 その関係を終わらせる。もうおべっかはたくさんだ。


「なんで僕をこんな世界に連れてきやがった! この奇形人参!」


 この言葉を皮切りに、狩夜の口から次々に本音が飛び出してくる。


 もう、すべてを出し切るまでは止まれない。


 レイラが泣きそうな顔をしているが知ったことか。泣きたいのはこっちなんだ。後のことなんて気にしない。どうにでもなれ。


 一度の喧嘩で終わるような関係なら、狩夜とレイラはそこまでなんだ。これ以上先になんて進めない。この世界と一緒に死ねばいい。


「人間一人いなくなっても、世界は何も変わらない――そう思ったのか!? どこにでもいる普通の人間なんだから、別にいいよね――とでも考えやがったのか!?」


「……」


「ああ、そうだよ! 僕は生まれてこの方、何一つ成し遂げちゃいない人間だ! 世界に惜しまれるような男じゃない! いなくなっても世界は何も変わらない!」


「……」


「努力はした! したんだ! やりたいことがあったから! 成し遂げたいことがあったから! 友達にドン引きされて、教室の中で孤立して、後ろ指刺されるくらい努力したんだ! いいかよく聞け、神様公認のチート野郎! 地球って世界には人間が溢れかえってて、何をするにも競争なんだ! そんな世界で、僕みたいな凡人が特別なことを成し遂げるためには、並大抵の努力じゃだめなんだよ!」


「……」


「努力ってのは辛いんだよ! 苦しいだよ! そんでもって報われるかどうかもわかりゃしないんだ! でも耐えられた! 目的のためならと頑張った! 僕にはこれしかないって必死に努力して、努力して、努力して、努力して、ようやく一区切りってところで待ったがかかった! 目的の方からもうやめろって、もう頑張るなって言われたよ! どうしてそうなったかわかるか!? 二束三文の規格外野菜!」


「……」


「僕の努力は泥臭かったんだよ! 水鳥みたいに優雅にはいかなかった! 見るに見兼ねるほどだった、本人よりも見ている方が辛かったんだ! だから取り上げられた! そんな人間だよ! 僕は努力を取り上げられた凡人さ! 上なんて狙えない! 先なんて見えてる! 夢も希望もありゃしねえ!」


「……」


「そんな僕が何になれるってんだ!? どうしろってんだ!? 楽しむのが目的で部活やれってか!? 野球やサッカーやれってか!? できるかそんなこと! 田舎の学校の野球部やサッカー部にだって、本気の奴はいるんだ! 必死に努力してプロを目指してる熱い奴がいるんだ! 僕みたいな半端者なんて、そいつらの邪魔になるだけだろうが!」


「……」


「だからって、そいつらに向かって『無駄なことしてるな』なんて言えなかった! 冷めた目でなんて見れなかった! 自分の努力が報われなかったからって、他人の努力を否定するような人間に僕はなれなかったんだ! 必死に頑張ってる時に言われる心無い一言が、どれほど人を傷つけ打ちのめすのかわかるか!? 言葉には力があるんだ! 僕は誰よりもそれを知っている!」


「……」


「上にも下にもいけないなら、残るのは真ん中さ! 普通になるしかないだろう!? 長所は短所がないところ、短所は長所がないところ、なりたい職業は正社員、趣味特技はありません! 見ろやこのプロフィール! これが叉鬼狩夜って人間だ! 誰かに期待されるような命じゃねぇ! そんな命を異世界で有効利用しようってか!? そんな君を私が変えてあげるってか!? 余計なお世話だ馬鹿にするな!」


「……」


「ふざけんじゃねぇぞ吸血牛蒡ごぼう! 僕は普通でよかったんだ! 部活で頑張ってる友達の掃除当番を代わって! 休日に近所のお爺さんの畑仕事を手伝って、ありがとうって言ってもらえれば僕は満足だったんだ! プロの世界で活躍している人や、オリンピック選手をなんとなく応援して、輝いている人のお裾分けで充実感に浸れればそれでよかったんだ!」


「……」


「他にいただろうが!? 過労死寸前リーマンとか! 世の中に絶望してるヒキニートとか! 嬉々として異世界にいってくれそうな、人生のやり直しを望んでる奴らがいくらでも! そいつらがお前を使って、使い潰して、理想の国だの、ハーレムだのを造ってくれるだろうさ!」


「……」


「要らねぇんだよそんなもん! 僕は普通でいたかったんだ! 普通を馬鹿にするな! それがどれだけ尊いものかわかってんのか!? 普通それを守ることが人生のすべてになっちゃう僕みたいな人間や、その普通にすらなれなかった妹みたいな人間が、世の中にはいるんだ!」


「……」


「それを奪い取りやがって! 掠め取りやがって! ぶち壊しにしやがって! お前が憎いぞ徘徊大根! お前が一方的に強奪しやがった普通はなぁ、妹が僕にくれた特別だったんだ!」


「……」


「お前がいつのまにか居座ってる場所だって、本当は妹の場所なんだ! 僕の相棒は妹なんだよ! 僕を無敵にするのは妹であってお前じゃねえ! 僕の背中は、お前みたいな化け物が、我が物顔で居座っていい場所じゃないんだ!」


「……」


「そんな風に思ってたんだよ! ついさっきまではなぁ!!」


「……?」


「妹がいる」


 嫌ってくれれば楽だった。


「体が弱い」


 お前のせいで私は死ぬのだと、そう罵ってくれれば、嫌うこともできたかもしれないのに。


「今は落ち着いてるけど、いつ何が起こっても不思議じゃない」


 でも無理だった。


「いい子なんだ……」


 嫌いになるなんてできなかった。


「自慢の妹なんだ……」


 守りたい。生きていてほしい。いつか現れるだろう素敵な誰かと一緒になって、幸せな家庭を築いてほしい。


「自分のことよりも、僕みたいなダメ兄貴を優先する、優しい妹なんだ……」


 特別なんて望んじゃいない。誰もが手にしてしかるべき、ごく普通の人生を、妹に送ってもらいたい。


「そんな優しい女の子が、幸せにならないなんて嘘だろう!?」


 そのためならなんでもできる。


「薬が欲しい……」


 どんな苦しいことでも耐えられる。


「万病を癒す……薬が欲しい……」


 命だって惜しくはない。


「大切な妹を、普通に戻す奇跡くすりが欲しい!」


 でも、叉鬼狩夜の命じゃ救えない。努力や医学じゃ助からない。


 だから、縋り付く。いつしかないと諦めた、科学を超越した神秘の力に。悲劇でしかなったはずの、化け物との出会いに。この不可思議で、滅びかけた世界に。


「なぁ、頼むよ勇者様……この世界を救うついででいい……本当の目的を達成した後でいい……妹を……咲夜を助けてくれ……」


「……」


「そしたら全部許す……なんだってする……こんな体、砕け散ったってかまわない……」


「……」


「だから……だから頼むよ……レイラ……」


 いつの間にか、狩夜から怒りは消えていた。憤怒の表情は崩れ去り、両目からは滂沱の如く涙が流れている。


 もう、怒声ではなく懇願だった。狩夜は、レイラのすべてを許すことと、叉鬼狩夜という存在のすべてと引き換えに、妹の救済を勇者に願う。あの日に犯した罪の償いを求める。


 それに対する、レイラの返答は——


「……(コクコク)」


 狩夜と同じように、両目から涙を流しながら、何度も頷くことだった。


「約束だぞ?」


「……(コクコク)」


「守れよ!?」


「……(コクコク!)」


「……僕なんかでいいのか? 本当に僕で? 特別なことなんてできないぞ? 他にも凄い人がいっぱいいただろ? 僕が君にできることなんて、名前をつけてあげることぐらいだぞ? こんな僕で……本当に?」


「……(コクコク! コクコク!)」


「ありがとう……酷いこと言って……ごめん……」


 こう言いながら、まともに動かない体をどうにか動かし、狩夜は左手をレイラへと伸ばす。レイラは、両手でそれを受け止めた。


「マンドラゴラのレイラさん、お願いがあります。僕と友達になっていっしょに戦ってくれますか?」


「……(コクコク! コクコク! コクコク!)」


 こうして契約は結ばれた。凡人叉鬼狩夜と、勇者レイラは、今この瞬間より正式なパートナーとなる。


 対等な関係となり、互いの手を取り歩きだす。


 今までは、衣食住のために、生きるためにと戦った。恩人への恩返しや、人は見殺しにしちゃいけない、できる限り助けたいという、強迫観念にも似た義理人情が戦う理由だった。


 でも、ここから先は違う。ここからは自分の意思で、自分の欲しいもののために戦う。


 誓いをここに――と、狩夜は声を張り上げた。言葉には力がある。そう信じて。


「なあなあでやるのはここまでだ! この滅びかけた世界に、凡人の意地を見せてやる!」


 もう一度走り出そう。目的に向かって手を伸ばそう。今はまだ弱いけど、これから絶対に強くなる。誰もが認める勇者レイラのパートナーになってやる。


 妹ではなく、レイラを相棒と認め、この背中を預けよう。二人揃えば無敵。そんな関係を、レイラと共に築いていこう。


 決意を新たにした狩夜。そんな狩夜が、今後取るべき行動は——


「レイラ。強くなるんだったら、やっぱり精霊解放遠征に参加するのが一番だと思う。ランティスさんに頭を下げて、僕らも遠征軍に入れてもらおう。開拓の本場絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアに、僕たちも殴りこむんだ」


 絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアの魔物と、ユグドラシル大陸の魔物とでは、倒した時に手に入るソウルポイントに雲泥の差があるという。開拓者が手っ取り早く強くなるには絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにいくのが一番だ。


 それに、光の精霊を【厄災】の呪いから解放することでも、当面の危機を回避することができるとウルドは言っていた。選択肢を増やすという意味からも、精霊解放遠征に参加するのが一番だと狩夜は思う


 この考えにレイラも異存はないらしく、狩夜の言葉にコクコクと頷いた。狩夜はそれに頷き返し、次いで口を動かす。


「よし。僕の体が動くようになり次第、ウルザブルンに戻って、ランティスさん達を追いかけよう。で、レイラ。そのために聞きたいことがあるんだけど——」


 狩夜はこう口にしながら、現在位置を確認するように周囲を見回した。その視界に移るのは、天に向かってその身を伸ばす、すぐ横に生えた大木の姿と——狩夜たちの周囲を覆いつくす、山に慣れた狩夜ですら経験したことのない、凄まじい濃霧の姿であった。


「ここ……どこ?」


 不安に満ち満ちた狩夜の問いに、レイラは「ごめん、わからない……」と言いたげな顔で首を左右に振った。


 迷いの森のどこかなのは間違いない。だが、狩夜の周囲には、正規ルートを通っていたときにはなかった、凄まじい濃霧が立ち込めている。ホワイトアウトとはまさにこのこと。視界は半径五メートルほどで、そこから先は白一色だ。


 恐らく、聖域から脱出するさい、狩夜たちは迷いの森の非正規ルートに突っ込んでしまったに違いない。そして、迷いの森の非正規ルートに足を踏み入れた者は、例外なくこうなってしまうのだろう。


 頼みの綱であるレイラも、ここがどこだかわからないという。そして、迷いの森をよく知る女神スクルドは、狩夜の中で眠りについた。


 これは、つまり、そう、あれだ。


 遭難である。


「やばい……迷った……」


 再び走り出そうとする狩夜の前に、暗雲ならぬ濃霧が立ち込める。正規ルートを外れた侵入者に、世界樹の防衛機構である迷いの森が、容赦なく牙をむいた。

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