070・気がつけば二人きり

「……う」


 深い、深い眠り。白い部屋にもいけないほどの意識の喪失から、ようやく狩夜は目を覚ました。


 ゆっくりと目を開けると、そこは森の中だった。天に向かってその身を伸ばす、すぐ横に生えた大木の姿が目に飛び込んでくる。


 初めてイスミンスールにきたときを思い出しながら、狩夜は首を動かした。そして、近くにいるであろうレイラの姿を探す。


「レイラ……」


 なんとなくで左に動かした視線の先、そこに彼女の姿はあった。横たわる狩夜の体を葉っぱの敷布団で受け止めながら、レイラは狩夜の顔をすぐ近くで見つめている。


「……」


 目が合う。するとレイラは「大丈夫?」と、不安げな顔で首を傾げた。そんなレイラを安心させるため、狩夜は「大丈夫だよ」と小さく頷き、次いでもう一人の仲間の姿を探す。


「スクルド……」


 首を左右に動かし、眼球を上下させてその姿を探すが、見つからない。そして、名前を呼んだのに返事がない。なにより、周囲にレイラと狩夜以外の気配がない。


「スクルド!?」


 狩夜は葉っぱの敷布団から慌てて体を起こそうとして——失敗。なぜか思い通りに体を動かせない狩夜は、唯一自由に動かせる首を必死に伸ばしてレイラと向き直り、大声で尋ねる。


「レイラ! スクルドはどこだ!? あれからどれくらいの時間がたった!?」


 まさか、聖域に取り残してきたのか? と、狩夜が表情を歪め、次の言葉を口にしようとしたとき——


『気がつきましたか、オマケ』


 と、どこからともなくスクルドの声が聞こえた。ようやく聞くことのできた仲間の声に「よかった、無事だったんだ……」と、狩夜は安堵し、全身を弛緩させる。


 狩夜も、レイラも、スクルドも生きていた。狩夜たちは、全員無事に聖域から脱出し、絶体絶命の窮地を乗り切ることができたのだ。


 生きていれば、生きてさえいれば何とかなる。世界樹を——ウルドを助けることも、メナドとの約束を守ることだって、まだきっとできる。


 生きている喜びを仲間と分かち合おうと、再びスクルドの姿を探す狩夜だったが——やはり見つからない。


 声はすれども姿は見えず。現状をそう評価し、狩夜は首を傾げた。


「スクルド? どこにいるの? 隠れてないで出てきてよ?」


『私がいる場所はあなたの中ですよ、オマケ。そして、今出ることはできません。せっかく塞いだ傷が開いてしまいます』


「——っ!?」


 ここで狩夜は気がついた。聖獣との戦いで致命傷を負った自身の体から、痛みが消えているという事実に。


 傷があったはずの場所に意識を集中させてみたり、力んだりもしてみたが、痛みはまったく感じない。レイラでも癒すことができず、ドゥラスロールと女神にしか癒せないはずの傷が、完全に治癒していた。


『ダーインの角による致命傷を癒し、あなたの命を救うには、私があなたと同化して、内側から呪いを中和するしかなかったのです。傷は既に勇者様が塞いでいますが、まだ呪いは消えておらず、弱体化した今の私では、完全な解呪には時間がかかりそうです。お互いに不本意でしょうが、しばらくは一心同体の運命共同体ですね。それと、急激な回復に体がついていけてないようですから、無理をせずもう少し横になっていなさい』


「そっか……ありがとう、助かったよ。スクルドは命の恩人だね」


『礼は不要です。命の恩人はお互い様ですから。それと、これは先の戦いでの借りを返すために仕方なくしたことであり、他意はありません。くれぐれも勘違いしないように』


「あはは、テンプレをどうも。でも、ほんと無事でよかったよ。今回は負けちゃったけどさ、次。次頑張ろう。大丈夫、諦めない限り、心が折れない限りは、本当の負けじゃないんだ。何度も負けてる僕が言うんだから、間違いないよ」


 負け慣れてないであろうスクルドを元気づけようと、笑顔で明るく振る舞ってみせる狩夜。そんな狩夜の内側から、呆れと感心が同居したような声が返ってくる。


『惨敗して死にかけた直後だというのに、随分と前向きですね? 気でも触れましたか?』


「逃げるときに言ったでしょ? 見つけたんだよ、欲しいもの。負けてへこたれてる暇なんてないさ」


 本心からの言葉であった。勇者であるレイラすら上回る聖獣たちの力を見せつけられ、命からがら逃げ出し、スクルドの機転でどうにか命を繋いで、奇跡的に助かったというのに、狩夜の心は生まれ変わったかのように晴れやかだった。負けて良かったとすら思う。それほどまでに、あの敗戦で得たものは大きい。


 鹿に恨まれているのか、それとも感謝されているかなんて、もうどうでもいい。鹿に殺されるならましな死に方だとか、考えたのが馬鹿だった。


 ――見てろよ害獣ども。絶対に駆除してやる。その後で、全員まとめて食ってやる。


 そう胸中で呟きながら、狩夜は笑った。


 覚悟と狂気を孕んだその笑顔が、レイラが時折みせるにとてもよく似ていることに、本人は気づかない。


『オマケ。その、今回の敗北の件なのですが……なぜ勇者様が聖獣に負けたのか、その理由がわかりました』


「……聞かせて」


 勇者であるレイラさえいれば、無策でも——ただの力押しでまず間違いなく勝てる相手であったはずの聖獣。


 だが、結果は惨敗。狩夜たちは敗走を余儀なくされた。


 その敗北の理由がわかったというのなら、ぜひ聞きたい。狩夜は思考を切り替えて、スクルドに先を促した。


『あなたが意識を失ってから、一晩の時がたっています。その間に検分して判明したことなのですが……勇者様の中にある世界樹の種は、不完全です。本来の力を発揮できていません』


「不完全……」


『ウルド姉様の話を聞いたときに気づくべきでした。ウルド姉様が世界樹の種を異世界に転移させたのは、【厄災】の呪いによって能力を封印される直前。そんな土壇場に、完全な世界樹の種を都合よく用意できるはずがないんです。言わばあの種は、胎盤から無理矢理引きずり出された未熟児。出力は、完成品の十分の一以下でしょう』


「十分の一以下……」


 それであの強さか――と、狩夜は苦笑いを浮かべる。


 完全な世界樹の種を聖剣として使っていた歴代の勇者は、いったいどれほどの強さだったのだろう?


『一方の聖獣は、私の知るそれよりも格段に強くなっていました。数千年の長きに渡り世界樹を食べ続け、その力を体内に取り込み、自身を強化したのでしょう。私の知る【厄災】以前の聖獣ならば……今の勇者様でも、オマケとの連携で十分に勝てたと思われます』


 狩夜がサウザンドになった直後にスクルドと引き合わせたレイラであるが、その理由がこれのようだ。


 恐らくレイラは、世界樹の種から聖獣の情報を得ていたのだろう。そして、その情報から勝つのに必要な戦力を逆算。出した結論が、狩夜がサウザンドになることだったに違いない。


 そして、その見立ては間違いではなかったのだ。聖獣の強さが、【厄災】以前のままであったなら。


「勇者は弱くなっていて、聖獣は強くなってたわけだ……そりゃ負けるよね」


『敗北の責任は……すべて私にあります……勇者様を責めないであげてください……』


「どうしたの? 随分と眠そうだけど?」


 急に途切れ途切れになったスクルドの声に、狩夜は不安げな声を返した。するとスクルドは、徐々に小さくなっていく声でこう答える。


『そろそろ……限界のようです……マナを……力を使いすぎました……オマケ……私はあなたの中で……再び休眠状態に入ります……あなたの体から呪いが消えたとき……私は目を覚ますことでしょう……』


「スクルド……」


『私が目覚めたとき……今のままだったら許しませんからね……あなたは私に……女神である私に……強くなると言いました……聖獣を倒すとも言いました……必ず成し遂げてもらいますよ……私は嘘は嫌いです……』


「わかってる。絶対……絶対僕は強くなる!」


『その意気です……世界樹の種が完成するには……長い……とても長い時間が必要……勇者様の爆発的な強化は……期待できません……聖獣を倒すには……あなたが強くなるしかない……』


「スクルド、眠る前に教えて! 世界樹が枯れるまで――世界が滅びるまでには、あとどれくらいの時間があるんだ!?」


 聖域に向かう道中で、一度ははぐらかされた質問。それを再度問う狩夜。スクルドは、今にも消え入りそうな声でそれに答える。


『あと……一年……』


「一年……」


 それは、人間である狩夜からみても短く、星の寿命からすれば瞬きにも満たない時間だった。


 この言葉を最後に、スクルドの声は完全に途絶える。


 どこにでもいる普通の中学生の命を繋ぎ止め、世界の命運を託し、女神は再び眠りについた。


「……」


 スクルドが眠りについたことで、森の一角に静寂が訪れる。


 まだ体が動かない狩夜は首を動かし、レイラの顔を真正面から見つめた。次いで言う。


「……また、二人に戻ったね」


 コクコク。


 狩夜の言葉に素直に頷くレイラ。


 意識を失い、気がつけば二人きり。周囲には誰もおらず、ここが何処なのかすらわからない。


 目を覚ましたときにも思ったが、本当にイスミンスールにきた直後に戻ったかのようだ。この世界にいるのは、狩夜とレイラの二人だけ——そんな気さえする。


「負けちゃったね……」


 コクコク。


 狩夜の言葉に、悔しそうに頷くレイラ。


「怪我……直してくれてありがとう」


 ブンブン。


 今度は激しく首を左右に振るレイラ。「お礼なんて要らない」と、悔しそうに、申し訳なさそうに。


 どうやらレイラは、今回の敗戦を——狩夜を守り切れなかったことを悔いているようだ。


 あの敗北は自分のせいだ。自分が弱いせいで負けた。自分が弱かったから狩夜が死にかけた。自分にはこの世界を救えないかもしれない——そんな考えが、レイラの頭の中を埋め尽くしているのだろう。


 そんなレイラに、狩夜はとても腹が立った。なんで僕を責めないのだ——と。


 レイラは強かった。聖獣相手に立派に戦った。あのに、なぜ自分を責める? なぜ自分が悪いと考える?


 弱かったのは狩夜だ。力も、技も、知恵も、心も、何もかもが中途半端だった。足りないものが多すぎた。だから負けたのだ。


 責められるべきは狩夜だ。悪かったのも狩夜だ。その自覚はある。大いにある。レイラは狩夜に向かって「お前のせいで負けたんだ!」と、そう言えばいい。狩夜を負けの理由にして、自分を擁護すればいい。


 なのにレイラは自分を責める。敗戦の責任、その全てを一人で背負い込もうとしている。


 得たものの多い敗戦だった。その得たものを惜しみなく狩夜に与えて、それ以外の苦しいものを、全部自分が背負うつもりだ。


 そんなレイラに腹が立つ。そして、レイラ以上に、弱い自分に腹が立つ。


 結局、レイラにとっての叉鬼狩夜とは、どこまでいっても庇護の対象なのだろう。だから非難しないし、頼ろうともしない。


 相棒? パートナー? 勇者の御供? 違う、これじゃただの足手まといだ。


 ——このままじゃだめだ。守られてばかりじゃだめなんだ!


 胸中でそう叫び、狩夜はある決心をした。


 絶対に無理だと思って、ずっと先延ばしにしてきたを、今しよう。


 本当は、この世界にきた直後にしなければいけなかったを、あの日によく似た今しよう。


「レイラ、今後のために僕、君に言っておきたいことがあるんだけど——」


 狩夜のこの言葉に、レイラは「なに?」と、虚ろな表情で首を傾げた。そんなレイラに向けて、狩夜は言う。心の奥底にしまっていた、とある感情を解き放つ。


「なんで僕をこんな世界に連れてきやがった! この奇形人参!」


 狩夜の口から突如紡がれた冷たい言葉に、レイラの表情が凍りつく。そんなレイラを、狩夜は憤怒の形相で睨みつけた。


 ―—さあ、今まで先延ばしにしてきたことをはじめよう。利害の一致で続けていた、なあなあの関係を終わりにしよう。


 本音で語り合おう。


 喧嘩をしよう。


 対等な関係になるために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る