069・主人公気絶中

「三対三か、拮抗したね」


 ガリム、アルカナ、紅葉の三人が『叉鬼狩夜に期待している』と声を上げたことで、精霊解放軍幹部たちの狩夜に対する評価が同数となった。


 ここでランティスは、僅かに逡巡するような表情を浮かべ、隣に座るギルを見つめる。


 話の流れとしては「ギル殿はどう思われますか?」と、狩夜に対する評価を尋ねるのが自然だろう。しかし、少々強引でもここで「そろそろ出発しようか」と、司令官権限で話を打ち切り、同数で引き分けというのも、それはそれでいい終わり方だ。幹部たちの間で要らぬ荒波を立てずにすむ。解放軍の司令官として、ランティスはそのように考えているに違いない。


 そして、そう考えているのはランティスだけではないらしく、カロン、ガリム、アルカナが、微妙な表情でランティスとギルとを交互に見つめていた。


 ランティスは「よし、ここで話を終わらせよう」とでも言いたげな顔で小さく頷く。次いで、解放軍全体に休憩終了を宣言するべく、立ち上がろうとして——


「ギルのおじ様はどう思います?」


 レアリエルに出鼻をくじかれた。


 直後「空気読めよ!」と言いたげな視線がレアリエルに集中したが、当の本人はどこ吹く風。レアリエルはギルしか見ておらず、狩夜の評価がどちらに傾くかだけを気にしていた。


 そんなレアリエルに、ギルは苦笑いを浮かべ――


「すみません。今は冷静な判断ができそうにありませんので、彼に対する評価は保留にさせていただきます」


 と、言葉とは裏腹に、実に冷静で大人な対応を見せた。


 ギルの発言にほっとしながら、今度こそとランティスは立ち上がろうとして——


「それじゃあ、フローグはどう思うでやがりますか?」


 今度は紅葉に邪魔された。


 直後「だから空気読めよ!」という視線が紅葉に集中する。そんな中、少し離れた場所に生えた木の影から、紅葉の言葉に対する返答があった。


「興味がない」


 この言葉に、フローグに対して苦手意識を持つカロンが両肩を跳ね上げ、他六人の視線が、フローグがいるであろう木の影へと移動する。


 カエル嫌いのカロンを気遣って、幹部たちの輪に入ろうとしないフローグ。そして、精霊解放軍に参加している水の民は彼以外にはおらず、他種族からは基本敬遠される。


 共に食事を取る相手のいない訳ありの最強剣士は、早々に食事を終えた後、人目につかない木陰で一人身を休めていた。


 すべての水の民の期待を一身に背負いつつ、フローグは精霊解放軍の中で孤高を貫いている。


「それって、ガキンチョのことなんて眼中にないってことです?」


 他六人がフローグの発言の真意を測りかねている中、首を傾げながらレアリエルが問う。すると、木の影から呆れるような溜息が聞こえた。そして、否定と補足の言葉が返ってくる。


「違う。人の言葉を自分にとって都合のいいよう捉えるな。俺は、お前たちが議論している『昨日のカリヤ・マタギ』には興味がない。そう言ったんだ」


「昨日のって……昨日と今日で何か変わるんですか?」


「変わるさ。確かにあの坊主は軟弱で、開拓者には不向きだろう。昨日見た坊主からは、灼熱のような欲望も、鋼のような決意も感じられはしなかった。だが、奴はこの先もそのままか? 弱者は永遠に弱者のままなのか? つい数年前、お前は——いや、俺たち人類は、魔物に虐げられるだけの存在ではなかったか? それが変われたからこそ、こうして第三次精霊解放遠征が始まったのではないのか?」


「それは……そうですけど」


「刹那の時あらば人は変わる。そして、たとえ凡人であろうと、やり方次第で超人になれるのが俺たち開拓者だ。あの坊主の前には、無限の可能性が広がっている。変わるかもしれんし、そのままかもしれん。ゆえに俺は、昨日の坊主には興味がない」


「……」


 フローグの言葉に気圧されたのか、口を噤んで身を縮こませるレアリエル。そんな彼女を見ようともせず、フローグは、次の言葉で狩夜に対する評価を締めくくる。


「俺が興味あるのは『次に会う時のカリヤ・マタギ』だけだ」


「いやぁ含蓄のある言葉ですね。さすがはフローグ殿。では、我々のカリヤ君に対する評価は、三対三で引き分けということで!」


 意気消沈しているレアリエルを横目に、このままでは不味いと口を動かすランティス。次いで、ここで出発ではしこりが残る――と、強引に話題の変更を測った。


「ところでモミジ。カリヤ君に大和魂があるというのはどういう意味なんだい? 彼は私と同じ光の民じゃないのか?」


「え? あ、いや、それはその……」


「カリヤさんには月の民の血が混ざっているそうですわよ。名前も本来は性が先で、マタギ・カリヤの方が正しいそうですわ」


 しどろもどろになり視線をさ迷わせる紅葉。そんな彼女に代わり、アルカナがランティスの問いに答えた。すると、ランティスは興味深げな顔でこう口を動かす。


「へえ、珍しい名前と容姿だなと思ってはいたけれど、そういうことか。黒目黒髪の光の民はほとんどいないからね。でも、月の民の血が混じったのは、随分と昔のことだろう? だって月の民は——」


「あ、そうそう! 紅葉はフローグに聞きたいことがあったでやがりますよ! 紅葉たちの故郷、ヨトゥンヘイム大陸について、色々と聞かせてほしいでやがります!」


 この話題はまずい。そう判断したのか、ランティスよりも更に強引な手法で話題を変更する紅葉。そんな紅葉を不審に思ったのか、フローグは木の影から顔を出し、紅葉の顔を懐疑的な視線で見つめながら、こう言葉を返した。


「聞いてどうする? ヨトゥンヘイム大陸は【ディープライン】の向こう側だぞ? 〔水上歩行〕スキルがなければ、いくことは不可能だ」


「そ、それはわかってるでやがりますが……でも、やっぱり気になるでやがりますよぉ……」


「ディープライン。マナが含まれている海水と、一切含まれていない海水との境目ですわね。わたくし、実際に見たことがないのですけれど……いったいどうなっているのです?」


「ディープという言葉が示す通り、水の色が違う。その場にいけば一目瞭然だが、船でいこうなどとは決して思うな。まかり間違って船がディープラインを越えてしまえば、それで終わりだからな」


 紅葉の話題変更を援護するかのようなアルカナの問いに、フローグは丁寧に答えた。次いで、念を押すような口調でこう言葉を続ける。


「ディープラインの向こう側は、魔物の――奴の領域だ。故郷を思う気持ちはわかるが、今は聞くな。そしていくな。諦めろ」


 フローグが口にした『奴』という単語に、解放軍幹部全員の顔が曇った。そして、全員の胸中を代弁するかのように、ランティスが口を動かす。このイスミンスールで、最も有名な魔物の名前を口にする。


「奴……かの “世界蛇” ヨルムンガンドですね」


「ああ。イスミンスールの大海、そのほぼすべてを支配下に置く、海の【魔王】だ」


 魔王。


 大陸、もしくは大海を丸ごと支配し、莫大な量のソウルポイントを千年単位で独占してきた別次元の魔物に送られる称号にして、全人類からの畏怖の証。


 地獄の壺の底の底。そこに王の如く君臨する、蠱毒の儀式の集大成。人類最大の敵。それが魔王である。


 千年単位で強化を繰り返した魔物である魔王。その力は、歴代の勇者たちや、聖獣、かの【厄災】よりも強いのではないか? とさえ言われており、その名前だけで人類を恐怖させている。


 その魔王の一角にして、世界最強と目されている魔物こそが、“世界蛇” ヨルムンガンドなのだ。


「一度だけ……一度だけ奴を見たことがある。背筋が凍ったよ。立ち向かうどころか、逃げることすらできなかった。まさに、蛇に睨まれた蛙だな。見逃されたのはたぶん気まぐれ。奴から見れば、俺などいてもいなくてもいい、羽虫の如き存在ということだろう。まあ、あのとき俺を殺さなかったことを、いつの日か必ず後悔させてやるつもりだが……」


 鳴き袋を膨らませて、ケロケロと笑うフローグ。その鳴き声にカロンが顔を青くさせていると、フローグはこう言葉を続けた。


「おいカロン。さっきお前、カリヤのことを『強者である我々が守るべき、弱者の一人』とか言っていたな? 己惚れるなよ、ミズガルズ大陸の入口しか知らない小娘が。いいことを教えてやろう。俺たち人類に強者など一人もいない。人類すべてが弱者なんだ」


「ひゃい! 肝に銘じまひゅ!」


 フローグの叱責に、噛みながら言葉を返すカロン。顔色が青を通り越して土気色になっていた。


 蛙に睨まれたへび。これでは立場が逆である。

 

「まあ、さしもの奴もディープラインの内側にまでは入ってこない。だからモミジ、大人しく目の前の目標に――ミズガルズ大陸に集中しろ。光の精霊の解放、俺たちはそれだけを考えればいい」


「ディープラインの内側にある、唯一の他大陸。それがミズガルズ大陸の西端【希望峰】じゃからな」


 今回で三度目になる精霊解放遠征。その遠征先が、すべてミズガルズ大陸である唯一にして絶対の理由を口にするガリム。


 人類が安全に足を踏み入れることができる他大陸は、大地の一部がディープラインの内側にある、ミズガルズ大陸しかないのだ。


 ミズガルズ大陸以外の大陸の発見と上陸。それらが不可能とされていた理由も『ディープラインの外側だから』この一言に尽きる。


 船で目指したところで、ヨルムンガンドに食われて終わり。それが、幾千、幾万もの犠牲の末に出した、人類の結論だった。〔水上歩行〕スキルを有するフローグが、その頭角を現すまでは。


「光の精霊さえ解放すれば、世界樹がある程度力を取り戻し、放出するマナの量も増えると予想されます。そうすればディープラインは広がり、アルフヘイム大陸と、ヨトゥンヘイム大陸のどこかに到達する可能性は大いにある。もちろん、まだ未発見の他大陸に対しても、同様のことが言えますね」


 右手で眼鏡を上げながら、自身の目標を再確認するように言うギル。それに紅葉とアルカナが頷いた。


「急がば回れ――で、やがりますか。紅葉たちが故郷を取り戻すためには、まず光の精霊様を解放しやがるしかない」


「そういうことですわね」


「ぼ、ボクも頑張っちゃいますよ!」


「わ、私もです。此度の遠征で、必ずや光の精霊を解放してみせます!」


 フローグに気圧されていたレアリエルとカロンも決意を新たにするように声を上げた。ランティスはここしかないと立ち上がり、こう言い放つ。


「私たちの手で、必ずや光の精霊を解き放つ! 休憩は終わりだ、出発するぞ!」


 司令官の号令に、解放軍の至る所から「おう!」という声が上がった。弛緩していた空気が一瞬で引き締まり、解放軍全員がきびきびと動き出す。


 カロン達幹部も持ち場へと戻り、周囲が慌ただしくなる中、木陰から出てきたフローグがランティスへと近づく。そして、真剣な口調でこう尋ねた。


「ランティス。演説のときにも思ったのだが……お前、今回の遠征で光の精霊を解放することに拘り過ぎてないか? ミズガルズ大陸は光の民の故郷。入れ込むのもわかるが、退き際を誤るなよ。先人から伝え聞く『米』や『トウモロコシ』、『馬鈴薯』などの優秀な作物を持ち帰るだの、大量の鉄鉱石を採取するだの、それなりの結果を出せば、国民も、国王たちも納得する。第四次の精霊解放遠征に繫がる終わり方を目指せばいい。こんな時代だ、被害を少なく終わらせれば、次の遠征までの期間はさほどあかんだろうさ」


「……わかっています。ですが、どうにも嫌な予感がしてならないのです」


 口の動きを止めた後、彼方にそびえる世界樹へと目を向けるランティス。そんなランティスに、フローグは首を傾げながら再度尋ねる。


「嫌な予感?」


「はい。今回の遠征で光の精霊を解放しなければ、取り返しのつかないことになる……そんな気がしてならないのです」


「勘か?」


「はい」


「お前の勘はよく当たるからな」


 間髪入れずに頷いたランティスに、フローグは困ったように右手で後頭部をかいた。次いで言う。


「まあ、司令官はお前だ。遠征軍の舵取りは任せるし、俺はお前の指示に従おう。だが、あくまでも光の精霊の解放を目指すと言うのなら、魔王との戦いは避けられんぞ?」


 自らがおこなった、ミズガルズ大陸奥地への単独先行偵察。そのおりに発見した魔王を引き合いに出すフローグ。だが、その忌むべき言葉に、ランティスは眉ひとつ動かさなかった。


 世界樹から視線を戻したランティスは、フローグの顔を正面から見据える。そして、決意を感じさせる声色で言葉を紡ぐ。


「覚悟の上です。“邪龍” ファフニールを打倒し、私は光の精霊を解放してみせる」


 このやり取りを最後に、ランティスは踵を返して遠征軍の先頭へと向かった。その背中を、フローグは——世界で唯一魔王の力を知る者は、無言で見送る。


 こうして、英傑たちは歩き出した。彼らが向かう先は栄光か。それとも破滅か。それは、まだ誰にもわからない。

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