068・欲しいもの

「わしは違う意見じゃな」


 ランティス、カロン、レアリエルの『叉鬼狩夜には期待するだけ無駄』という評価に反論する形で、真剣な顔で口を動かすガリム。そんな彼の言動が意外だったのか、カロンがややを身を乗り出し、こう尋ねる。


「ほう、私たちの少年に対する評価に異を唱えますか。では、ガリム。あなたの少年に対する評価を疾く述べなさい」


「わしら開拓者に欲しいものが必要というのは——なるほど、確かにその通りじゃろう。それがあるからこそ、わしらは魔物と戦えるし、日々走り続けることができる。じゃがわしは、今それがないからといって、あの小僧が期待できんとは思わんし、そう簡単に死ぬとも思わん」


「それはなぜ?」


「あの小僧がスケベだからじゃ! わしと一緒におるとき、あの小僧はカロンの胸だの太ももだのをチラチラと見て、鼻の下を伸ばしておった! スケベであるというのは生命力が強い証! あの小僧はきっと長生きする!」


 右手で握り拳を作りながら力説するガリム。直後、カロンの体が横にずれた。次いで「真面目に聞いた私が馬鹿でした……」と、両肩を深く落とす。


 そんなカロンを尻目に、ガリムはこう言葉を続けた。


「長生きすれば、欲しいものの一つや二つできようて。女に酒。喧嘩に博打。世界には楽しいことがいくらでもあるのじゃからな。さすれば小僧は走り出す。いつかはわしらと同じところにまでやってくる――というのが、わしの見立てじゃのう。アルカナはどうじゃ?」


「わたくしは、あの時に感じた運命を信じるだけですわ。運命は必ずや、カリヤさんを絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアへと導くことでしょう」


「ふむ、なるほど。二人の意見はわかった。それじゃあ、モミジはどうかな? 遠征軍の一番槍から見た、カリヤ君に対する評価を聞かせてほしい」


 反論に気分を害した風もなく、他意を感じさせない声色で、ランティスは紅葉に問いかけた。すると紅葉は不敵に笑い、自信満々にこう言い放つ。


「紅葉は、狩夜が凄い男だと確信してるでやがりますよ! 昨日紅葉は知ったでやがります! 狩夜の中には、紅葉と同じものが息づいてやがることを!」


「同じもの? なんだい、それは?」


「鹿角紅葉最大の武器にして誇り! 三代目勇者から今日に至るまで、絶えることなく受け継がれてきた力! 大和魂でやがりますよ!」



   ○



「——っ!?」


 狩夜からの思わぬ反撃を受け、甲高い悲鳴を上げるダーイン。それに意を介さず、狩夜は更に奥へとマタギ鉈を押し込んだ。


 眼球から続く太い神経を辿り、ダーインの脳内までマタギ鉈を押し込む。そして——


「くたばれ。クソッタレの馬鹿野郎」


 この言葉と共に躊躇なく手首を返し、脳内を掻き混ぜる。


 口から泡を吹き、世界樹の根の上に倒れゆくダーイン。そんなダーインから眼球ごとマタギ鉈を引き抜き、狩夜は両足で着地した。その際、ダーインの魔剣によって切り裂かれた青銅製の胸当てが、役目を終えたかのように狩夜の足元に落下する。


 ダーインの魔剣の前では、紙同然の防御であっただろう。だが、狩夜が今命を繋いでいるのは、まさに紙一重の奇跡といっていい。


 この胸当てがなければ、狩夜は——


「……ありがとう」


 一日足らずの共闘だった装備に、万感の思いを込めて謝辞を述べる狩夜。直後、全身の感覚が戻る。ダーインにつけられた傷が激痛を放った。


 左わき腹から右肩にかけて、真っ直ぐに切り裂かれた狩夜の体。出血が酷い。主要臓器もいくつかやられているはずだ。間違いなく致命傷。


 一度は跳ね除けたものの、死は依然として狩夜のすぐそばにある。


 だが、そんなものが気にならないくらい、自身の胸が、かつての古傷が痛かった。こんな大切なことを、今の今まで忘れていた、自分自身が憎かった。


 走馬灯の中で垣間見た、叉鬼狩夜の原風景。そこで思い出した初期衝動。見つけ出した力の源泉。


 そうだ。狩夜にはあったのだ。喉から手が出るほどに欲しいものが。なりたいと願った理想の自分が。償わなきゃならない罪が。


 ―—こんなところで、無様に死んでる場合じゃない!


 奇麗であろうとするな! 潔くあろうとするな! 無欲であろうとするな! 正しくあろうとするな! 罪ならとうの昔に犯しただろうが!


 手を伸ばせ! 前を見ろ! あの頃みたいに走り出せ!


 悟ってんじゃねーよ十四歳! 夢を見ろよ中二だろ! 馬鹿でいいんだ男の子!


「うぅぁああぁあぁあああ!!」


 狩夜は、衝動の赴くままに叫び、右手を振り上げる。そして、眼前で倒れている虫の息のダーインに止めを刺すべく、全力でマタギ鉈を振り下ろした。


「っ!?」


 だが、その攻撃は空を切ることとなる。ドヴァリンがダーインの周囲に配置していた角を操作し、ダーインの体を持ち上げ、移動させたからだ。


 最短距離でドゥラスロールの元へと運ばれるダーイン。そんなダーインにドゥラスロールの方からも駆け寄り、治療が開始された。そして、無防備なダーインとドゥラスロールを守るように、ドヴァリンとドゥネイルが、狩夜の前に立ち塞がる。


 聖獣が四匹揃って以降、連綿と続いてきた攻防がようやく途切れた。ダーインが倒れたことでできたその空白を利用して、狩夜は思考を巡らせる。


 ダーインを運んだ角で狩夜を攻撃していれば、ドヴァリンは狩夜を殺すことができただろう。だが、ドヴァリンはそれをせずに、ダーインをドゥラスロールの元に運ぶことを優先した。


 これらのことから、次の仮説が立てられる。


 一つ、ダーインは恐らく復活する。


 二つ、ドゥラスロールの力は、治療する対象との距離が近ければ近いほど、その効果を増す。


 三つ、さしものドゥラスロールでも、死者の蘇生はできない。


 脳を著しく傷つけられ、死を待つだけだったはずのダーイン。そんなダーインを治療できてしまうドゥラスロールの治癒能力は、多少の制限があるとはいえ、やはり驚異的だ。奇跡の力といっていいだろう。


 そんな奇跡の力が実際に行使されている光景を見つめながら、狩夜は——


「く……くく……」


 口から笑い声を漏らし、その表情を笑みへと変えた。


 自身の命と世界の命運を賭けた死闘、その只中にあるということはわかっている。旗色悪く、瀕死の重傷を負い、死がすぐ隣にあることも理解している。だが、それでも口角が上がるのを止められない。心が上げる歓喜の声が、口から漏れ出るのを止められない。


 死者同然の重傷者を、当然のように治癒する力がある。不治の病すら癒せるかもしれない力が、この世界には実在する。


 マンドラゴラであるレイラ。聖獣ドゥラスロール。人魚だっていた。探せばユニコーンや、ドラゴンだっているかもしれない。この世界は宝の山だ。


 ——治る。妹の病気は治る! 犯した罪への償いができる!


 欲しい。欲しい! 欲しい!!


 そのつのをよこせ!!


「くひ……きひひ……」


 凄絶な笑みを浮かべながら、瀕死の体を引きづるように、ドゥラスロールに向けて足を前へと動かす狩夜。すると、ドゥラスロールを守らなければならない立場であるはずのドヴァリンとドゥネイルが、一歩後退りする。


 両者の目には、圧倒的に優位だった自分たちが守勢に回っている現状への困惑と、狩夜に対する恐怖の色があった。そしてそれは、ダーインの治療をしているドゥラスロールも同様である。


 能力で圧倒的に勝っているはずの聖獣たちが、瀕死の狩夜に怯えていた。その姿を見て、狩夜は確信する。


 こいつら、実戦は初めてだな——と。


 少し考えればわかることだった。聖獣は世界樹の最終防衛ライン。そして、この聖域に足を踏み入れたのは、女神を除けば歴代の勇者たちのみ。【厄災】の後でなら、狩夜とレイラだけだと断言できる。


 本来、聖獣は世界樹を守護する存在であり、勇者と敵対する理由はない。ならば、この戦いが初陣で当然なのだ。


 だからダーインは、勝利が確定していないのに油断した。だから聖獣たちは、異様な言動をしている狩夜に――いや、経験したことのない未知に対して怯えている。そして、油断と怯えそれらふたつが、優位だった戦況を一瞬で覆す、致命的な隙に直結することを理解していない。


 ならば、次に狩夜が取るべき行動は——


「こいよ鹿ども! 全員まとめて食ってやる!」


 狩夜は、こう叫んでからマタギ鉈を眼前に運び、突き刺さったままになっていたダーインの眼球に食らいつく。そうして、純然たる殺意を、弱肉強食という野性の掟を、温室育ちの家畜どもに叩きつけた。


 突如出現した新たな未知。それを前にして、ドヴァリンとドゥネイルの体が強張り、僅かだが硬直。視線も狩夜に釘づけとなった。


 そして、その隙を見逃すレイラではない。


 上空から高速で振り下ろされた二本の蔓が、硬直しているドヴァリンとドゥネイルを、真上から強襲する。


 大径木をも両断するレイラの蔓による攻撃。それが二匹の胴体に直撃した。ドヴァリンとドゥネイルの体は豪快に抉れ、血しぶきを撒き散らしながら根の上を転がる。


 一時の別離を乗り越え、再び狩夜の背中へと戻るレイラ。そして、狩夜の体に蔓を巻きつけながら、先端に針のついた治療用の蔓を出現させる。


 レイラが狩夜の首筋に針を突き立てるのと、ドゥラスロールの角が今までにないほどの輝きを放ち、聖域全体を光で満たしたのは、ほぼ同時。


 瞬く間に傷を癒し、立ち上がるドヴァリンとドゥネイル。脳を掻き回されたダーインの目にも、光が戻ったように見えた。復活は近い。


 それに対し、狩夜の体は——


「——っ!?」


 治らない。驚愕に目を見開き、いっこうに変化のない狩夜の傷を凝視するレイラ。すると、そこにスクルドが合流。レイラと狩夜に向けてこう叫ぶ。


「駄目です、勇者様! ダーインの角によってつけられた傷は、ドゥラスロールと私たち女神にしか癒せません! そして、今の私にそんな力は——だから、気を強く持つのです、オマケ! 丹田に力を込めて、魂の尾を巻き戻すのです! 気を抜いたり、諦めたりしたら死にますよ! 死んではダメです! 生きるのです! あなたごとき未熟者では、死んでも戦死した勇者の魂エインヘルヤルとは認めませんよ! 私は絶対、ぜっっったいに認めませんからね!」


 この言葉を聞いた後、レイラの行動は早かった。狩夜の体に巻きつけていた蔓から無数の根を出し、その根を傷口へと殺到させる。


 傷口からの出血が止まった。傷口から流れ出る狩夜の血液を、レイラの根が一滴残らず吸い上げているのだ。


 それに並行して、レイラは狩夜の動脈に蔓を接続。ダーインの攻撃によって損傷した主要臓器の代わりに酸素を溶かし、不純物をろ過した上で、狩夜の体に新たな血液を送り込む。


 げに恐ろしき方法で、レイラは狩夜を延命させていた。


 ——ここまでか。


 主要臓器修復のため、傷口から自身の体の中に入り込んできた根だの蔓だのを漠然と見つめながら、狩夜は口を動かす。


「レイラ……スクルドを連れて……逃げるよ……」


 消え入りそうなこの言葉に、レイラとスクルドが息を飲む。


 反論は——ない。二人ともわかっているのだ。この状況では、逃げるのが最善だと。


 狩夜は瀕死の重傷で、レイラの力による急速な回復も望めない。レイラには目立った消耗はないが、狩夜の生命維持をしながらでは満足に戦えないだろう。スクルドは初めから戦力外だ。


 もう、狩夜たちに勝ち目はない。逃げるべき――いや、逃げるしかない状況である。


 だが、それでもレイラとスクルドの体は、動こうとしなかった。


 レイラには、勇者としての使命感と、狩夜を傷つけた聖獣たちへの怒りがある。スクルドには、戦乙女としての矜持と、姉であるウルドへの愛情がある。


 逃げたくない。戦いたい。勝ちたい。その気持ちは痛いほどにわかった。


 自身の葛藤に直面し、動けなくなった二人。逃げることと負けることに慣れていない選ばれた者たちに、狩夜は——凡人は言う。


「見つけたんだ……欲しいもの……戦う理由……」


 動かすのも辛い口を懸命に動かして、呼吸するだけで激痛の走る肺から空気を絞り出し。狩夜は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「強くなるから……」


「……」


 えぐり取られた眼球すら再生し、再び立ち上がるダーイン。ついにすべての聖獣が復活した。八個四対の瞳が、一斉に狩夜たちを睨みつける。


「あいつら倒せるくらい……強くなるから……」


「オマケ……」


 一斉に走り出す聖獣。四匹揃えば大丈夫だと、未知に対する恐怖を振り切り駆け出した。もう油断もしてくれそうにない。


 戦ったら――負ける。そして死ぬ。


 ―—僕は、叉鬼狩夜はまだ死ねない! 妹を、咲夜を残して死ぬわけにはいかない!


「だから頼む! 今このときは逃げてくれ!」


 狩夜がこう叫んだ直後、レイラが悔しさを堪えるように歯を食い縛る。次の瞬間、奥歯にスイッチでも仕込んでいたかのように、戦いの最中に自切して、破棄しておいた果実ハンマーが、轟音と共に爆発した。


 足を止めて防御態勢に入る聖獣たち。一方のレイラは、頭上にタンポポのような綿毛を出現させ、爆風をつかみ取り、狩夜と自身の体を空へと舞い上げる。


 見事に爆風に乗り、結界の外へと逃げ果せる狩夜たち。聖獣たちからの追撃がないことを確認して、狩夜はその意識を手放した。

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