067・妹

 とある兄妹の話をしよう。


 ごく普通の両親の元に生まれた、ごく普通の愚かな兄と、そんな両親と兄を持ちながら、普通にすらなれなかった優しい妹の話をしよう。


 裕福とは言えないが、食べるのにも、学ぶのにも苦労しない家に生まれた兄妹は、優しい両親の庇護のもと、毎日を楽しく過ごしながら成長していく。


 後ろをついてくる妹を常に気にかける兄と、兄の背中を追い続ける妹。二人揃えば退屈はしない。そして、なんでもできた。辛いことや苦しいことは、妹にかっこいいところ見せるための兄の見せ場となり、悲しいことや怖いことは、兄に公然と甘えられる妹の憩いの場となる。


 楽しかった。無敵であった。世界のすべてがきらめいて見えた。兄妹は、こんな楽しい毎日が永遠に続くのだと信じて疑わなかった。


 最高の相棒が、血の繋がった兄妹であったこと。そのことを、二人は神に感謝した。


 数年の時がたつ。文字を学び、四則演算を覚え、自国の歴史と、世界のありようをある程度理解した兄妹は、変わらず仲が良く、元気であったが、ある共通の悩みを抱えるようになる。


 それは、遠い田舎で猟師をしている祖父と、両親との不仲であった。


 子供の特権を利用して、仲良くしない理由を尋ねた兄に、駆け落ち同然で結婚したから、顔を合わせづらいんだ——と、苦笑する父。駆け落ちとやらの意味はわからなかったが、家族が仲違いをしている現状が我慢ならず、兄は仲直りを画策する。


 祖父も、両親も、自分にはとても優しいのだ。だから、自分が間に立てばいい——そう決意して動き出した兄の背中を、妹は当然のように追いかけ、笑顔で協力を申し出た。


 その後兄妹は、あの手この手を利用して、祖父と両親との間を取り持った。絶対にうまくいく。そんな確信があった。兄妹が二人揃えば、いつだって無敵なのだ。


 そして、実際にうまくいった。祖父と両親が一堂に会する場を、兄は見事に設けてみせる。


 それは、妹の記念日に行われる特別な催し。そう、誕生日パーティーであった。


 前日の夜、これでお義父さんと仲直りできそうだよ、ありがとう――と、肩の荷が下りたような顔で父が言う。その言葉に、兄は誇らしげに胸を張った。そんな兄に向けて、妹と母が盛大な拍手を送る。明日の主役は妹であるが、その日の主役は兄だった。


 そして、夜が明けた。運命の日がやって来る。


 ついに迎えたパーティー当日。記念日となるはずだったその日の朝に、予期せぬ事件が起こった。


 パーティーの主役であった妹が風邪を引き、熱を出して倒れたのである。


 今日は日曜日で病院はやっていない。とりあえず一日様子を見ようということになり、両親は妹の看病を兄に任せて、電車でやって来る祖父を迎えに家を出た。


 兄は、ベッドに横になる妹を見つめながら両手を握り締める。次いで、胸中で呟いた。


 お前、なに邪魔してんだよ――と。


 頑張って準備したパーティー会場が色あせた気がした。お小遣いをはたいて買ったプレゼントが無価値になった気がした。今までの努力が全て無駄になった気がした。なにより、これが原因で祖父と両親との仲直りにケチがつく気がしてならなかった。


 兄は、生まれて初めて妹を邪魔に感じた。そして言う。言ってしまう。決して言ってはいけない呪いの言葉を。


「なんでお前なんかが僕の妹なんだよ! お前なんていなければよかったのに!」


 この言葉が部屋に響いた直後、妹の双眸から涙がこぼれた。そして、嗚咽交じりに紡がれた次の言葉が、兄の胸を貫く。


「ごめんね、お兄ちゃん……」


 この一言で、兄の頭は冷えた。そして、一時の怒りに身を任せた自分が、何をしてしまったのか理解する。


 泣いている妹が見ていられなくて、兄は咄嗟に踵を返した。胸が痛い。この場所に、一秒だっていたくない。


 兄は、部屋の出入り口へと無言で歩を進める。自分を必死に呼び止める声が聞こえたが、兄の足は止まらなかった。振り返りもしなかった。自分が傷つけ、泣いている妹を見たくなかったから。


 遠ざかる兄の姿に、妹が慌てて体を起こす。そして、いつものように兄の背中を追おうとして——失敗。その場に崩れるように倒れ込み、苦しそうに両手で胸を押さえながら、動かなくなる。


 妹の異変を察し、兄はようやくその足を止め、後ろへと振り返る。次いで、床に倒れた妹の姿に愕然とし、慌てて駆け寄った。


 そう、妹の体を蝕んでいたのは、ただの風邪ではなかったのだ。


 時が進む。とある病院、その集中治療室の前であった。


 妹の容体や、病名などの説明を聞き、両親と祖父の顔が青ざめていく中、兄は年若い医師の白衣を、縋るように引っ張っていた。そして、なんでもするから妹を助けてくれと懇願する。


 そんな兄に、年若い医師は真剣な顔で言う。お兄さんだね? 今から僕が言うことをよく聞くんだ。君の妹さんは、これから長い間病気と戦い続けることになる。お兄さんである君が、妹さんを支えてあげるんだよ――と。


 兄は、年若い医師に尋ねる。自分は何をすればいいのかと。


 年若い医師は答える。優しい言葉で妹さんを元気づけてあげるんだ。いいかい、言葉にはね、力があるんだ。君の励ましは、きっと妹さんの力になるよ――と。


 この言葉に、兄は大きく頷いた。


 また時が進む。とある病院の個室であった。そこで、大きなベッドで上半身を起こす妹と、学校帰りの兄とが談笑している。


 兄は、年若い医師の助言を早速実践したのだ。毎日病院に通い詰め、兄だからできる方法で妹を笑顔にし、励ましの言葉と優しい言葉の双方をかけ続ける。


 すると、確かに効果があった。妹の体調が日に日に良くなっていくのを、兄は実感する。


 年若い医師の言葉は真実だった。言葉には力がある。確かにある。兄はそう確信した。そして、自分にも妹のためにできることがあるのだと安堵し、そのことを教えてくれた年若い医師に、心の底から感謝した。


 だが、直後に兄は、吐き気を催すほどの酷い後悔と、足場が崩れていくかのような自己嫌悪に襲われる。


 事情を知らず、良かれと思って言ったであろう年若い医師のあの言葉は、無力な兄と病身の妹を救った。これ以上ないほどに救ってみせた。だが同時に、兄を追い詰めてもいたのだ。


 妹を病気にしたのは、自分なのだと。病気に負けまいと、すんでのところで堪えていた妹に、最後の一押しをしてしまったのは、心無いあの言葉なのだと。兄は、一片の疑いもなく信じてしまった。


 その夜、兄はベットの中で一人泣いた。時よ戻れと願いながら、涙が枯れるまで泣き続けた。


 だが、いくら願っても、どれだけ涙を流しても、世界は何も変わらなかった。


 時が不可逆であることを知り、兄は少しだけ大人へと近づく。


 ここで、また時が進む。長い入院生活を終えた妹が、ついに退院したのだ。兄はそれを、我がことのように喜んだ。


 その後、兄の生活は一変する。サナトリウムという名の療養所で生活することになった妹のために、空気の奇麗な田舎へと、家族皆で引っ越したのだ。


 生まれ育った町と、友人たち。そして、初恋の人との別れ。とても悲しかったが——妹のためだと我慢した。兄は、自分の感情を押し殺して、妹に優しい言葉をかけ続ける。


 そんな兄を申し訳なさそうに見つめながら、妹が言う。


「ごめんね、お兄ちゃん……」


 この言葉に、兄の胸がズキリと痛んだ。


 普段は療養所で生活して、体調の良いときだけ家に帰ってくる妹。そんな妹は、家に帰れば必ず兄に遊んでくれとせがんできた。激しい運動はできないので、こんなときは大抵ゲームをすることになる。過度な演出がなく、ファンタジー色の強いRPGを、兄妹は協力プレイで楽しんだ。


 ゲームがあまり得意ではない妹は、必死に兄についていく。そんな妹を、兄はすべての外敵から守り通した。二人揃えば無敵。もう現実世界ではできないことを、兄妹はゲームの中に求めたのだ。


 ゲームを進める途中、兄妹はあるクエストを受注する。それは、不治の病に侵された姫を救うため、万病を癒す薬の素材を取ってきてほしいというものであった。


 クエストの中盤、素材の一つを手に入れた時、妹が不意に呟く。


「万病を癒す薬か……こんな薬が、本当にあればいいのにね……」


 この言葉に、兄の胸がズキリと痛んだ。


 クエストを無事に終え、姫を助けた後、妹は療養所へと戻った。それを見届けてから、兄は万病を癒す薬について色々と調べ始める。


 そして、それはすぐに見つかった。それもたくさん。


 エリクシル。アムリタ。賢者の石。五石散。ソーマ。ハオマの酒。竜血。ユニコーンの角。人魚の肉。他にも、他にも。


 ネットでなら、空想の世界でなら、妹を救う方法はいくらでも見つかった。兄はいても立ってもいられなくなり、これらを求めて周辺の山々を駆け回った。それと並行して知識も貪る。学校の図書館で各種図鑑を読み漁り、薬の素材になりそうな生物を探した。


 妹を助ける方法は、本当にないのか? あの日、言葉には力があると知らなかったように、自分がまだ知らないだけじゃないのか?


 周辺の山にないのなら――と、兄は長期の休みのたびに、祖父の家を訪ねるようになる。そして、祖父を拝み倒して狩りに同行させてもらい、その道中で薬の素材を探した。


 病気と闘い続ける妹のために、万病を癒す薬が欲しかった。犯した罪の償いが、どうしてもしたかった。あの日から自分を責め続ける、胸の痛みを消したかった。


 だが、兄はいつしか理解する。


 万病を癒す薬はないのだと。妹の体を癒す術はないのだと。この胸の痛みを消す方法はないのだと。


 兄は、またベッドの中で一人泣いた。現実の厳しさを知り、兄は少しだけ大人へと近づく。


 時が進む。兄が机に向かい、勉学に励んでいた。


 万病を癒す薬はないと知った兄だが、妹への償いを諦めはしなかった。空想の世界からは決別し、現実の医学に可能性を求めたのだ。


 医者だ。医者になろう。妹を救えるような凄い医者に、自分自身がなればいいのだ。


 祖父と両親の不仲は、心労が一番良くないという医者の一言で、ぎこちなさを残しつつも一応の解決を見ている。妹の容体も安定していた。努力するなら今だ。


 目指すは県内一の進学校、それなりに名前の知れた私立中学。片道二時間かかるが、妹のためなら耐えられる。


 合格目指して兄はがむしゃらに勉強し——その道中で、何度も何度も壁にぶち当たった。難問という注意書きのある問題、それと向き合う度に手を止め、頭を悩ませた。


 こうして、また兄は理解する。どうやら自分は凡人であるらしい——と。そして、こうも理解した。恐らく、一生努力を続けても、自分に妹は救えない。


 兄は既に知っていた。妹を救えるのは、一握りの天才だけであると。それこそ、医学の歴史に名を刻み、世界の英雄として永久に語り継がれるような大天才だけだ。妹の病気は、それほどまでに難しいものなのだ。


 全国統一テストの順位に打ちのめされた。同じ塾に通う人間に、そんな問題も解けないのか? と笑われた。お前もっと頑張れよ――と、軽蔑されもした。兄を無敵にしてくれる妹は隣にいない。辛いことは普通に辛く、苦しいことは普通に苦しかった。兄は何度も何度も挫けそうになった。


 そんな人間が英雄になれるか? 誰だってわかる。無理だ。不可能だ。なれるわけがない。


 誰もがノーベル賞を取れるわけじゃない。誰もがオリンピックで金メダルを取れるわけじゃない。誰もがプロの世界で活躍できるわけじゃない。


 人は、残酷なまでに、平等じゃない。


 自分が世界の主役でないと知り、兄はまた一つ大人へと近づく。


 だが、兄は泣きながら勉強を続けた。才能と現実に見切りをつけた後も、必死に努力を続けた。


 自分に妹は救えない。ならせめて、妹を病魔から救う勇者が現れるその時まで、妹を守り抜ける男になろう。


 あの時、言葉だけで自分と妹を救ってくれた、年若い医師。あの人みたいなかっこいい男になりたい。兄は、祖父と共に過ごす中で抱いた猟師という夢も、学校で友人と遊ぶ時間も諦めた。妹と共に過ごす大切な時間。それ以外のすべてをなげうって、勉強に明け暮れた。


 現実にはすでに見切りをつけた。だからわかる。この世界は、日本という国は、凡人に優しくできている。凡人でも、本気で努力を続ければ、日本一の学校に合格できるようできている。


 これは凡人でも手が届く、ごくごく普通の目標であるはずだ。


 鬼気迫る様子で勉強を続ける兄。そんな兄を見て、お前、普通じゃないぞ、少しは休めよ――と、友人の一人が口にした。だが兄は、それを雑音の一つと切り捨て、勉強を続ける。その友人が、次第に自分と距離を置くようになるのも気づかずに。


 そうして努力を重ねに重ね、迎えた受験当日。兄は、絶対に遅刻しないよう、かなり余裕をもって家を出た。


 受かる自信があった。その自信を裏づける努力を、凡人なりにしてきたつもりだ。体調もいい。落ちる要素などどこにもない。


 来年から通うことになるであろう学校、目標のための通過点でしかない学校。その校門を、兄はくぐった。そして、受験会場に向かう途中、携帯電話の電源を切ろうとしたとき、不意に着信が鳴る。直後に受けた火急の報せに、兄の頭は真っ白になった。


 安定していた妹の容体が、急変したらしい。


 兄は、受験を放り出して妹の元に向かう。そして、息を切らせながら駆けつけた病室で、病に苦しむ妹は、兄に向かってこう言った。


「ごめんね、お兄ちゃん……」


 この言葉に、兄の胸がズキリと痛んだ。


「こんな妹でごめんね……いつも大事なときに邪魔しちゃって……本当にごめんね……こんな妹、いないほうがいいよね……もう、私のために頑張らなくていいから……だから……」


 目を見開き、時間が止まったように立ち尽くす兄を見つめながら、妹はこう言葉を続ける。


「私の好きな、いつものお兄ちゃんに戻って」


 この言葉で、兄はようやく自覚した。自分はいつの間にか、普通でなくなっていたのだと。そして、そんな兄の姿に、妹は心を痛めていたのだと。その心労が、病気を悪化させたのだと。


 これを境に、妹は兄を避けるようになった。家にも帰らなくなり、お見舞いにもこないでと、電話越しに懇願された。


 自分がいると兄の邪魔になる。兄が不幸になる。兄の周りに友達がいなくなる。頑張り過ぎて、いつか兄は疲れてしまう。


 優しい妹は、そう考えたに違いない。


 兄は泣いた。自分の愚かさを知り、兄はまた一つ大人へと近づく。


 これ以降、兄は情熱を失った。受験のない市立中学に進学し、これといった部活動に参加することもなく、ただ漫然と日々を過ごす。


 頑張らない。いや、頑張れない。自分が無理をすれば、妹の病気が悪化する。そう考えただけで足がすくんだ。兄はもう走れない。


 どこにでもいるさとり世代の誕生だ。大きな夢は抱かない。高望みはしない。唯一の楽しみは、長期休暇のたびに祖父の家に遊びにいくことだけという、実に慎ましい生活を兄は送っていた。


 情熱を失った兄は、せめて普通であろうとしたのだ。普通の生活を送れない妹の代わりに、自分が普通の生活を送ることを選んだ。


 病身の妹が視界から消えたことで手に入れた、普通の生活。優しい妹がくれた、。兄は、普通それを噛みしめ涙した。


 普通がどれほど尊いものか知り、兄はまた一つ大人へと近づく。


 そして、時間だけが過ぎていく。長らく会わないでいるうちに、兄はだんだんと妹のことを考えなくなった。普通の生活を送るには、普通じゃない妹が邪魔だったのだ。胸の痛みは、いつの間にか消えていた。


 決して癒えないと思っていた心の傷。それを、時間がゆっくり塞いでくれた。時間は残酷で——とてもとても優しかった。


 もう、涙はおろか声も出なかった。たいていのことは時間が解決してくれることを知り、兄はまた一つ大人へと近づく。


 また時が進む。情熱を失った兄が、とある理由で遠い異国の地に立っていた。病身の妹を母国に残して、兄は異国へと旅立ったのだ。


 妹の目の届かない場所。心配を掛けずになんだってできる場所。そんな異国の地で、兄は何もしようとはしなかった。ただ生きるためにお金を稼いで、なあなあに時を過ごすだけだった。


 偉い人に期待されても、英雄に声をかけられても、偶像に馬鹿にされても、兄は首を傾げるばかりで、走り出そうとはしない。失った情熱は、刺激されることはあっても、戻ってまではこなかった。


 そんな兄は、異国の中心であることを知る。いや、悟る。


 それは、何もかも諦めてしまえば楽になれるという、世界が万人のために用意した、完全無欠の真理であった。


 若くして真理を悟り、兄はついに大人になった。


 とてもつまらない、大人になった。


 そして、何一つ成し遂げぬまま、女神に看取られ死にました。何も残せぬまま、一人無様に消えました。


 さて、この後母国に残した病身の妹は、いったいどうなってしまうのでしょう? なにせ、兄の背中を追いかけるのが生きがいだった妹です。もしかしたら――


 もしか……したら……



   ○



 唐突に終わる走馬灯。もう、本当に何も見えなかった。辺りは一面の黒。黒一色である。夜の帳よりなお暗く、なお深い死の闇が、狩夜のすべてを覆いつくそうとしていた。


 何も見えない。何も聞こえない。だが、何も感じないわけじゃない。


 胸が——ひどく傷む。他に何もないからか、その痛みが際立った。


 ここで終わっていいのか? 何か欲しいものがあったはずだろう?


 そう、胸の痛みが語る。


 こんなものがお前の物語でいいのか? まだ、やり残したことがあるだろう?


 そう、狩夜の体が訴える。


 絶対に忘れるなと、鏡を見るたび思い出せと、呪いの言葉を口にしたあの日から、時を止めたかのように成長をやめた体。時間にすら抗い続けたその体が、すでに生きることを諦めている魂を殴りつける。時間が塞いでくれた心の傷を、力任せにこじ開ける。


 病身のメナドを前にして、駆け寄れなかったことをあんなにも悔やんだのはなぜだ?


 大切な人を失い、世界のすべてを呪っていたザッツ。そんな彼を助けたいと思ったのはなぜだ?


 命を懸ける戦いの中、楽勝を良しとしなかったのはなぜだ? 無力感に苛まれる辛さを、知っていたのはなぜだ?


 世界のすべてを内包した世界樹の種。それを前にして手を伸ばしかけたのはなぜだ?


 傷ついた姉を前にして、己が無力を嘆き、涙を流したスクルド。その涙を止めたいと願ったのはなぜだ?


 思い出せ。思い出せ! 思い出せ!! 思い出せ!!!


 あの日、不治の病に侵された姫に自身を重ねて、万病を癒す薬が欲しいと口にした妹に、愚かな兄はなんと答えた?


 ゲームの世界の中で、あの素材を——魔草・マンドラゴラを手に入れたとき、お前はなんと口にした?


 力があると知ったその言葉で、叉鬼狩夜は、何よりも大切な妹に、いったいなんと言ったんだ!?


「あったらいいな、そんな薬。もしあったら僕は、咲夜さくやのために命を懸けて取りにいくのに」



   ○



「■■■■■■■■■■■■!!!」


 狩夜、絶叫。


 それは、人の口から出たものとも、この世のものとも思えない、凄まじい絶叫だった。


 在りし日のレイラを彷彿させるその絶叫を、敗者が上げた断末魔だと勘違いしたのか、ダーインは頭上の魔剣を天高く掲げながら、勝利を確信したかのように鼻を鳴らす。


 そんな隙だらけの馬鹿目掛け、狩夜は右手を振り下ろす。


 マタギ鉈が、ダーインの左眼球を貫いた。

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