066・聖域の死闘

「そう評価した理由を伺っても?」


「彼には欲がなさすぎる」


 狩夜を酷評した理由をアルカナが尋ねると、ランティスは間髪入れずこう断言した。


 ランティスが口にした理由に同調するかのように、カロンが大きく頷く。精霊解放軍の幹部二人が『叉鬼狩夜には欲がなさすぎる。だからダメ』という評価であるらしい。


「カリヤ君には、開拓者なら誰もが持っている欲――つまり、目標がないんだ。彼は、自分自身の器と、目の前に広がる現実に、既に見切りをつけてしまっている。それも、かなりシビアにね。昨日、私とカロンを前に彼が口にしたあの言葉には、正直驚かされたよ」


「わしがお前さんを呼びに行く前の話か? 興味あるのう。あやつ、いったいなんと言ったのじゃ?」


「『僕は遠征軍に参加するつもりはありません。僕は自分のことだけで……この過酷な世界で生きていくのに精一杯です。ユグドラシル大陸の外に目を向ける余裕なんてありません』だそうです」


「うわぁ、なにそれ信じらんない。あいつ、それでも開拓者なわけ? 目がキラキラしてないわけだ」


「あの若さで悟っとるのう……」


 ランティスの口から語られた狩夜の発言に対し、軽蔑の表情を浮かべるレアリエルと、苦笑いを浮かべるガリム。そんな二人を尻目に、ランティスはこう言葉を続けた。


「そんなことを平然と言ってのける、無欲で現実主義なカリヤ君が、開拓者を生業にしている理由は——そうだね、衣食住を手に入れるため。そんなところかな?」


 昨日、ほんの少し言葉を交わしただけであるはずなのに、狩夜の内面をズバリ言い当てるランティス。若くして精霊解放軍の司令官を務めるだけあり、彼は卓越した洞察力を有していた。


「他の職業ならそれで十分。むしろ、その無欲が美徳となることもあるだろうが、開拓者はそれじゃ駄目だ。そんな低い志では、絶対に大成はできない。私たち開拓者には必要だろう? 命を懸けるに値するほどの戦う理由欲しいものが」


 この言葉には、この場にいるすべての者が頷いた。そして、ランティスはこうも言う。


「私は欲しいよ、更なる力が。新たな勲章が。誰もが驚く偉業が。私の国が。私を王と崇める臣民が。精霊を解放した英雄という名声が——私は欲しい」


 強欲だなと、揶揄したくばするがいい。鋭い眼光でそう語りながら、自らの欲望の一端を開示するランティス。だが、そんな彼に対して軽蔑の表情を浮かべた者は、ここにはただの一人もいなかった。


 ランティスを見つめる皆の瞳に宿るものは、ただ一つ。


 共感。


 我ら開拓者はそれでいい。それでこそ開拓者だ——という、強い共感の光であった。


 ソレを求めれば死ぬかもしれない。いや、むしろ死ぬだろう。そんなことは百も承知で、命を質草にして死地に飛び込み、欲望のまま欲しいものに手を伸ばす。


 それができない者に、開拓者を名乗る資格はない。


「カリヤ君にはこれがない。彼は、本当の意味で開拓者じゃないんだ。主を倒したというのも、彼がテイムした、あの魔物の力が大きいのだと私は思う。昨日、一目見てわかった。あの子は凄いよ。並の魔物じゃない」


「確かに……あの魔物、マンドラゴラは凄いですわねぇ」


 ハンドレットサウザンドである紅葉と互角に渡り合って、なお余力を残していたレイラの姿を思い出すように、アルカナは言う。


「そんな凄い魔物をテイムしたのが、無欲な人間であったこと……私は、それが残念でならない。あの魔物と共に私の指揮下に入ってくれれば、その力を有効利用しつつ、彼を導いてあげられると思い、それとなく声をかけてはみたが——脈はなさそうだ。彼が絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアに足を踏み入れることはないだろう」


「司令官ランティスの言葉に、全面的に同意します。それがあの少年の器でしょう。アルカナ、人には向き不向きがあると知りなさい」


「そっそ。あのガキンチョに、ユグドラシル大陸を飛び出す度胸なんてありゃしませんて、アルカナお姉様」


 レアリエルは「だから、もっと将来性のある別の男にした方がいいと思います!」と、アルカナに視線で訴えた。そんなレアリエルの視線を、アルカナは笑顔で受け流す。


「この先、ユグドラシル大陸の中で慎ましく生きていくであろうカリヤ君の前に、彼がテイムした魔物――マンドラゴラよりも強い魔物が現れないことを、私は願う。もし、マンドラゴラの手にあまるほどの脅威に直面してしまえば、彼は、カリヤ・マタギは——」


 ランティスはここで口の動きを止め、空を見上げた。そして、次の言葉をもって、狩夜に対する評価を締めくくる。


「きっと、実にあっけなく、最後のときを迎えてしまうだろうから……」



   ○



 ―—まずい! まずい! まずい! まずい!


 怒涛の勢いで狩夜たちを攻め立てる、四匹の聖獣。尋常ならざるその連携攻撃を、必死に目で追いながら、狩夜は胸の中でこう叫び続けた。


「——っ!!」


 狩夜の背中では、レイラがあらゆる手段を講じて聖獣たちの攻撃を防いでいる。が、正直手が足りていない。その証拠に――


「くう!」


 レイラの防御を掻い潜り、狩夜の間近にまで迫る攻撃が増えてきた。


 右手のマタギ鉈で、自身の首目掛けて飛んできたドヴァリンの角を弾く狩夜。次いで、世界樹の根を蹴り、右に跳躍。


 つい先ほどまで立っていた場所を、紅蓮の業火――ドゥネイルの角が通過していくのを横目に、世界樹の根の上にどうにか着地。そして、息つく間もなく身構え、真正面から突撃してきたダーインの攻撃に備える。 


 聖獣が四匹揃ってからというもの、ずっとこんな調子だ。終始押されっぱなしで、逆転の糸口が見える気配すらない。


 もちろん、まったくの無抵抗というわけではない。今も突撃してきたダーインに対して、レイラが有線式のガトリングガンで攻撃を仕掛けている。


 発射された種子の大半は、ダーインの周囲を浮遊するドヴァリンの角に防がれたが、少なくない数の傷をダーインの巨体に刻みつけることに成功した。


 しかし——


「くそ、またか!!」


 ダーインの突撃をかわすために、危険を承知で再び跳躍した狩夜の視線の先で、つけたばかりの傷が消えていく。ドゥラスロールの治癒能力だ。


 戦場すべてを視界に収められる離れた場所から、涼しい顔で狩夜たちを見つめるドゥラスロール。あの治癒能力が敵にある限り、狩夜たちに勝ち目はない。


「——っ!!」


「あいつ、何度も何度も! 邪魔するな~!!」そう言いたげに、ダーインからドゥラスロールへと攻撃対象を変更するレイラ。ガトリングガンから発射された、おびただしい数の種子の弾丸が、ドゥラスロールへと殺到する。


 戦闘において、真っ先に潰すべきはヒーラーだ。そんなことは狩夜だってわかっている。わかっているが、それを実行しようとすると——


「ドヴァリンの奴! また!」


 ドヴァリンが、身を挺してドゥラスロールを守るのだ。


 万能の武器であるドヴァリンの角は、レイラの多彩な攻撃に対応するため、四匹の聖獣すべてに均等に割り当てられている。だが、四分割されている関係上、防御力と応用力は低下しており、ドヴァリンの角だけでは、レイラの攻撃を全て防ぐことは不可能だ。それは、先のダーインとの攻防でも証明されている。


 その不足分を補うために、ドヴァリンは我が身を犠牲にするのだ。聖獣一の巨体をドゥラスロールを守るために盾にして、角だけでは防ぎきれないレイラの種子を、甘んじて受け止める。そんなドヴァリンを、ドゥラスロールは傷ついた先から治癒していった。


 傷ついては回復の繰り返し。その苦行を、嫌な顔一つせずに、平然と受け入れるドヴァリン。敵じゃなければその姿に涙の一つも流したかもしれない狩夜であるが、別の意味で泣きそうだった。やられる側としては、ドヴァリンの自己犠牲精神は堪ったもんじゃない。


 ドヴァリンがいる限り、レイラの遠距離攻撃はドゥラスロールに届かない。かといって、ドゥラスロールに接近を試みると、ドヴァリンは元より、ダーインとドゥネイルが全力で妨害してくる。突破はほぼ不可能だ。


 前衛には物理特化のダーインと、レイラの弱点である炎を操るドゥネイル。中衛には安定性抜群のドヴァリンがいて。後衛には驚異の回復能力を持ったドゥラスロールが控えている。


 聖域に許可なく足を踏み入れた者を、確実に始末するために用意された、万全の布陣であった。隙なんてどこにもありゃしない。


 要するに、そう、認めたくないが——狩夜たちは、今まさに大ピンチであった。


 一瞬の判断ミスが、即死に繫がる。狩夜は、すぐ隣に死があることを強く感じていた。


「おかしい……」


 狩夜の胸の中で、スクルドが呟く。その声には、強い困惑と恐怖が込められていた。


「おかしい、こんなのおかしいです! 勇者様、本気を出してください! 勇者様の――世界樹の種の力は、この程度ではないはずです!!」


 こんなのおかしい。ありえない。そう悲痛に叫ぶスクルド。だが、彼女がいくら叫んだところで、今の絶望的な戦況は変わらない。


 女神の声にも、涙にも、戦況を激変させる力はないのだ。


「はぁ! はぁ!」


 スクルドの声が戦場に響く中、狩夜は肩で息をしていた。いかにサウザンドの開拓者とはいえ、体力が無限にあるわけではない。


 限界が近い。また一歩、狩夜は死へと近づいたことを実感する。


 負けるのか? ここで死ぬのか?


 そんな言葉が頭をかすめた。崩れかけた気持ちを整えるために、狩夜は目を閉じ、激しく頭を振る。


 そして、再び目を開けた狩夜の眼前に――


「——っ!?」


 狩夜を死へと誘う、漆黒の獣の姿があった。


 それなりにあったはずの間合いを、一秒にも満たない時間で詰めて見せたダーイン。瞬間移動ばりのスピードである。


 ―—こいつ、今まで本気じゃなかったのか!? 


 胸中でそう叫びながら、眼前で振り上げられた魔剣つのをかわすため、狩夜は全力でバックステップを踏む。


 レイラのハンマーすら切り裂くダーインの魔剣は、マタギ鉈では防げない。狩夜は全力で回避行動を取る。


 狩夜の体が世界樹の根から離れると同時に、レイラは背中から一本の蔓を出し、聖域に点在する根の陸橋、その一つ目掛けて高速で伸ばした。そして、蔓が陸橋に突き刺さるや否や、その蔓の収納を開始。狩夜の体を全力でつり上げる。


 狩夜の体がレイラの蔓をたどるように上昇をはじめた直後、ダーインが魔剣を振り下ろした。


 ダーインの魔剣は、新装備である胸当てに触れるか触れないかの場所、スクルドのすぐ手前を通過する。狩夜たちの必死の抵抗が実を結び、紙一重のところでダーインの攻撃をかわすことに成功したのだ。


 しかし——


「あ……」


 ダーインの魔剣は、狩夜の体に巻き付いていた蔓を——狩夜から決して離れないようにと、レイラが幾重にも巻き付けておいた、狩夜とレイラとの繋がりを切断していた。


 狩夜の背中からレイラのぬくもりが消え、体の上昇も止まる。直後、狩夜の体が重力に従って落下を始めた。


「————っ!!!!」


 狩夜とスクルドを残して、陸橋へと一人上昇するレイラ。この危機的状況を打開しようと、有線式のガトリングガンをダーインに向け、即座に発射するが——


「——っ!?」


 ドゥネイルのつのに邪魔される。


 発射された種子どころか、その大元であるガトリングガンごと炎で包み込むドゥネイル。炎が通過した後には、何も残ってはいない。レイラのガトリングガンは、灰も残さず焼失していた。


 そして、空中に投げ出されたことで身動きできない狩夜目掛けて、先ほど振り下ろした魔剣を、躊躇なく切り上げてくるダーイン。


 絶対に避けられない。


 自身を確殺するであろう攻撃が迫る中、狩夜が取った行動は——


「スクルド、逃げて!」


 空手であった左手でスクルドの体を掴み、ダーインの攻撃範囲外へと放り投げることだった。


「オマケ!? 何を——」


 驚愕の表情を浮かべながら、投げられた方向そのままに、狩夜から離れていくスクルド。そんなスクルドに対し、ダーインの前に一人取り残された狩夜は、苦笑いを浮かべながらこう口を動かす。


「まったく、こんな時ぐらい名前で呼んでよね……」


 この言葉を狩夜が紡ぎ終えた直後、ダーインの無慈悲な一撃が、狩夜の体を切り裂いた。


 速度を一切減じることなく振り抜かれる魔剣。世界樹の聖域に、舞ってならない血しぶきが舞う。


「オマケェエェエ!! 嫌! いやぁあぁ!!」


「————っ!!!!」


 狩夜から遠く離れた場所で、スクルドが悲鳴を、レイラが声なき絶叫を上げたのがわかった。だが、それに対して狩夜が何かしらの行動を取ることはない。


 狩夜の体は、もう動かなくなっていた。


 一瞬の激痛の後、全身の感覚が消失した。血と共にすべての力が、人間にとってとても大切な何かが流れ出ていく。


 ―—ああ、僕はここで死ぬんだ。


 薄れゆく意識の中で、狩夜は漠然とそう思った。そして、自分でも驚くほどに、あっさりとその事実を受け入れる。


 異世界・イスミンスール。この過酷な世界に、わけもわからず引きずり込まれたあのときから、いつかはこうなるだろうと予想はしていたのだ。いざ死に直面しても、やっぱりこうなったか――ぐらいの感慨しか湧かない。


 死ぬのはもちろん怖いけど、この世界で生きていくのも怖かった。そして、死ぬのはとても楽で、生きるのはとても辛かった。


 そうだ、狩夜はずっと怖かったのだ。夢の狩猟生活の幕開けだ―—とか、せっかくの異世界だ、楽しもう――だとか、そんな嘘で自分を誤魔化して、恐怖に押しつぶされないよう頑張ってきたけれど、見事に予想通りの結末を迎えてしまった。


 こうして無力に、何も残さず、無様に死んでいく。


 だが、この死には一つだけ救いがあった。それは、狩夜を殺した相手が鹿であったということ。叉鬼家の人間は、ずっと鹿に生かされてきたんだ。そんな鹿に殺されるというのであれば、まだましな死に方だろう。


 所詮、凡人の僕なんてこんなもんだ。むしろ頑張った方だろう——と、狩夜は生きることを諦めた。これでもう頑張らなくていいんだと、安堵すらした。


 これで終われる。楽になれる。狩夜は凡人らしく、楽な方、楽な方へと身を任す。


 そんな狩夜の脳裏に、イスミンスールで親しくなった人々の姿が、次々に浮かんでは消えていく。走馬灯だ。いよいよ死が近いらしい。


『これからは、ライバルだ!』


 ―—ごめんザッツ君。僕はどうやらここまでらしい。君のライバルには不相応だったみたいだ。


『またな、カリヤ殿』


 ―—すみません、イルティナ様。またはなくなってしまいました。とても良くしてもらったのに、申し訳ないです。


『なら、カリヤ様。私と約束をしましょう』


 ―—ごめんなさい、メナドさん。約束、守れませんでした。僕は最後まで弱くて、情けなくて、どうしようもないままでした。


 必ず守ると誓った約束。それを守れなかったことに対して、心の中で謝罪する狩夜。その後、あふれ出る罪悪感から目を背けるために、考えることすらやめた。


 考えるという人間最大の武器を放棄した狩夜は、死を受け入れる準備を整えつつ、走馬灯の続きを見る。


 尊敬する祖父。優しい両親。学校の友達。そういった親しい人々の姿が、狩夜の脳裏に浮かんでは消えていった。


 そして、ついに死が一瞬後に迫ったとき、狩夜が見た光景は——


『ごめんね、お兄ちゃん……』


 血を分けた妹が、両目から涙を流しつつ、謝罪の言葉を口にしているところであった。


 ズキリ!!!!


 胸が——痛む。

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