065・一方そのころ……

「ガリム! 木の民の女性開拓者が、あなたからセクハラを受けたと苦情を訴えています! いったいこれはどういうことなのか、今この場で簡潔に説明なさい!」


「なんと、たったあれしきのことでか!? まったく、これだからお堅い木の民はいかん。人間たるもの、もっとユーモアを持ってじゃな——」


「せ・つ・め・い・な・さ・い!」


「いや、なに。必要以上に力んでいるように見えての。今からそれでは身が持たんと思って、緊張をほぐしてやろうと、尻をこう――ペロンと」


「阿呆ですかあなたは! 遠征軍がウルザブルンを出て、まだ半日ですよ、半日! あなたはユーモアではなく、もう少し堪え性を持ちなさい!」


 次の主要都市に向かう道中、小休止を兼ねた昼食の只中にあった精霊解放軍に、カロンの怒声が響き渡った。


 予定調和ともいえる不仲な幹部同士の衝突。それを遠巻きに眺める遠征軍参加者たちの反応は、笑うもの、嘆息するもの、無視するものと様々である。


 カロンの怒りは収まるところを知らない。近くで食事をしていたアルカナを一瞥してから、ガリムに向かって追撃の怒声を放った。


「そういったセクハラは、アルカナ傘下の闇の民になさい! あなたのような者を満足させるために、彼女らを遠征軍に参加させているのですから!」


「カロンさんの言う通りですわよ、ガリムさん。軍内部でのいざこざは、極力減らすべきですわ。わたくしたちでよかったら、喜んでお相手いたしますわよ?」


「むう……わしとしては、自ら進んで抱かれにくる女よりも、他の男の手垢が付いていない、おぼこの方が燃えるというか……」


「あなたという人は~!!」


「あはは! ガリムのおじ様ってば、とっても狩人! でも、アイドルなボクは皆のものだから、触っちゃダメですからね♪」


「もし触ったらどうするでやがります?」


「股間を蹴り上げて、即去勢♪」


「それがアイドルのすることでやがりますか!?」


 紅葉とレアリエルの間で、なんとも緊張感のない会話がされる中、カロンとガリムの口喧嘩は続く。


 これ以上の放置はまずい。そう思ったのか、遠征軍の司令官たるランティスは、向き合っていた書類から顔を上げ、盛大に溜息を吐いてから、こう口を動かした。


「まったく、あの二人は……ギル殿、申し訳ありませんが、二人の仲裁をお願いしてよろしいでしょうか? 司令官である私の役目であると理解はしているのですが……見ての通り、私は次の町でおこなう演説の原稿を仕上げなくてはならないのです」


 真面目で、原稿の使い回しをよしとしないランティス。彼は、現在進行形で、次の町でおこなわれる演説の内容に頭を悩ませていた。締切は明日。喧嘩の仲裁に割く時間すら惜しいらしい。


 そんなランティスの嘆願に、ギルは——


「すみません。他をあたってください……」


 と、にべもなく断りの言葉を返した。


「え? おじ様?」


 このギルの対応に驚いたのは、断られたランティスではなく、そのやり取りを横から見ていたレアリエルであった。


 共にウルザブルンで生まれ、城に出入りするギルとレアリエル。遠征軍以前からの知り合いであるからか、ランティスの願いを袖にしたギルに対して、少なくない違和感を覚えたようだ。


 レアリエルは、その違和感に突き動かされるままに口を動かす。


「ギルのおじ様、体調でも悪いんですか? 演説の時も元気がなかったですし……」


 ボク、心配してます。そう顔に書かれたレアリエルの問いかけに、ギルは顔を深く俯かせ、視線を地面へと落とした。次いで、消え入りそうな声でこう告げる。


「ジルが……我が不肖の息子が……森の一部となり、木精霊ドリアード様の元に帰ったのです……」


「え!? ジル君が!?」


 この事実にレアリエルは悲痛な声を上げ、ランティスをはじめとした遠征軍の幹部たちが息を飲む。くだらない喧嘩ができる空気ではないとカロンとガリムも察し、態度を改めた。


「まあ……それはお気の毒に。心中お察しいたしますわ」


「ふん。あの七光りの小僧がのう……殺しても死にそうにない奴じゃったが……」


「ガリム、言葉を選びなさい!」


「言葉を選ぶ? そんな必要はないでやがりましょう。開拓者が死ぬのは日常茶飯事。いつでもどこでも起こり得る、ごくごく普通の出来事でやがります。問題は、その散り様が後世に残るものだったかどうか。ギル・ジャンルオン。あなたの息子、かの “七色の剣士” は、どのような散り様だったでやがりますか?」


「息子は……ティールの村で、強大な主から幼い子供を助けるために、名誉の戦死を遂げたそうです。立派な最後だった——と、イルティナ様は」


 顔を伏せたまま、実の息子の最後を口にするギル。名誉の戦死という言葉に、月下の武士は「うん、見事」と、最大限の賛辞を死者に贈った。


「そうですか……惜しい人を亡くしたものです。ギル殿、ご子息の危機感知能力は、非常に稀有な才能でしたね。ともすれば臆病者に見えてしまい、民衆には受けがよくありませんでしたが、私は彼を高く評価していましたよ。その才能を、この精霊解放軍でいかしてほしいと常々――っ、待てレア。どこにいくつもりだい?」


「どこって、そんなの決まってるよ! ジル君を殺した主のところさ! ジル君の――友達の敵はボクが討つ!」


 激しく気炎を吐きながら、この場を離れようとするレアリエル。だが、ランティスがそれを許さない。首を左右に振り、レアリエルを引き留めた。


「駄目だ、許可できない。明日の演説をどうするつもりなんだ。君は風の民の代表なんだぞ」


「大丈夫、ボクはアイドルだよ? ファンの期待を裏切ったりしない。ここからティールの村でしょ? 夜通し走れば、ボクの足なら――」


「駄目だ。精霊解放軍の司令官として命じる。レアリエル・ダーウィン。今、軍を離れることは許さん」


「——っ!」


 ジルの仇を討つべく、ティールに向けて走り出そうとするレアリエルを、司令官の権限で引き留めるランティス。納得のいかないレアリエルは、歯を食い縛りながらランティスを睨みつけた。


 一触即発。先ほどまでは和やかだった場の空気が、一気に張り詰める。


 出発初日に、幹部同士の乱闘が起こるのか――と、誰もが息を飲んだ、そのとき——


「ありがとう、レア。あなたにそんなにも思われていたなんて、息子は果報者ですね。ですが、あなたがティールに向かう必要はありませんよ。その主は、すでに倒されていますから」


 俯いていた顔を上げながら、ギルが言う。その顔には、レアリエルに向けられた笑顔があった。一目で作り笑いとわかるものであったが、一応の効果はあったようで、レアリエルはすぐに大人しくなり、ランティスに向けかけた矛を収め、ギルへと向き直る。


「そう……なの? もう退治されたの? 本当?」


「ええ」


「そっか……うん、なら、よかった」


 レアリエルはそう言うと「騒いでごめんなさい!」と、ランティスに向けて大きく頭を下げた。そして、周囲の幹部たちが安堵の息を吐く中、ギルの隣に腰を下ろし、上目遣いにこう尋ねる。


「おじ様、その主を倒した開拓者の名前、知っているなら教えてください。この遠征が終わったら、ボクからもお礼を言わないと」


「かまいませんよ。カリヤ・マタギという、光の民の開拓者です。ぜひお礼を言ってあげてください。きっと彼も喜びますから」


「え……」


 ギルの口から飛び出した予想外の名前に、レアリエルは非常に渋い顔をした。そして、視線を上下左右にさ迷わせながら「ふーん、へー、あのガキンチョがねー、ふーん」と口を動かす。


「おや? すでに彼と知り合いでしたか?」


「はい、まあ。昨日、お城でちょっと……」


 ギルから顔を逸らしながら言うレアリエル。そんな彼女と入れ替わるように、少し興奮した様子でアルカナが声を上げた。


「まあまあ! カリヤさんは、既にそれほどの功績を!? やはりわたくしの目に狂いはありませんでしたわ!」


「随分と嬉しそうですね、アルカナ? あなたもあの少年と面識が? 説明なさい」


「ええ、ええ。カリヤさんはわたくしの本命ですもの。彼の活躍は、自分のことのように嬉しいですわ。そういうカロンさんも、カリヤさんと?」


「はい。友人であるイルティナ様が、彼と私を引き会わせて――って、本命とはどういうことですか本命とは!? 相手の年齢を考えなさい!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るカロンと、それをさらりと受け流して笑うアルカナ。そんなアルカナを見つめながら「うぇ……アルカナお姉様、あんなのが好みなんだ。趣味わるーい」と、レアリエルが小声で呟く。


「にょほほ。そうか、あの小僧がのう……」


「むう、狩夜の活躍は、紅葉としては嬉しいでやがりますが……あまりに名前が売れて、他の有力者に目を付けられると困るでやがりますよ……やっぱり今すぐ……いやいや、紅葉は遠征軍から離れられないでやがります……国元に向かった矢萩を待つしか……」


 狩夜の名前を聞いたガリムは、感心したように右手で顎鬚を撫で、紅葉は複雑そうな顔で下を向き、小言でなにやら呟き始める。


「なるほどね。昨日イルティナが言っていた、カリヤ君が倒したという主は、そのことか」


「あら、ランティスさんまで狩夜さんと? まあまあ、どうやら今ここにいる全員が、既にカリヤさんと面識をお持ちのようですわねぇ。わたくし、運命を感じてしまいますわぁ。それで、いかがです? 皆さんから見て、わたくしの旦那様の将来性は?」


 場の空気を換えたかったのか、話題の変更をそれとなく周囲に促すアルカナ。その流れに逆らおうとするものはこの場にはおらず、全員がアルカナに同調。幹部たちの話題は、死者であるジルから、前途有望な開拓者かもしれない狩夜へと、自然な流れで移行する。


「旦那様という発言に物申したいところですが——まあ、聞かなかったことにしましょう。そうですね……アルカナには悪いですが、私はあの少年に対し、過度な期待はしていません。強者である我々が守るべき、弱者の一人である——というのが、私の評価であると知りなさい」


「ボクもカロンに同意かな。ジル君の仇を討ってくれたことには感謝するけど、あのガキンチョには期待するだけ無駄だと思う」


 カロンとレアリエルの口から紡がれた、狩夜への辛口な評価。それに気分を害した風もなく、アルカナは頬に右手を当てながら小首を傾げ、ランティスの方へと視線を向けた。


「あらあら。お二人のカリヤさんに対する評価は、随分と低いのですわねぇ。では、ランティスさんはどう思われます?」


「ん、私かい?」


「ええ。あなたの狩夜さんに対する、率直な感想をお聞かせくださいまし」


「そうだね、私は——」


 ランティスは、ここで一旦言葉を止めた。そして、昨日の狩夜とのやり取り思い出すかのように、ゆっくりと目をつぶる。


 数秒の間を空けた後、ランティスは——


「なんの期待もしていないな。カリヤ君は、ごく普通の――いや、それ以下の開拓者だね」


 カロンとレアリエルと同じ――否、それ以上に辛辣な、狩夜に対する評価を口にした。

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