062・猿の楽園

「あそこで左に曲がった!? 奴ら、また正しいルートを!」


 レイラと協力して迷いの森の中を駆ける狩夜の胸の中で、驚きと困惑が同居した声を上げるスクルド。彼女と狩夜の視線の先には、黒い体毛に覆われた猿型の魔物、ワイズマンモンキーの姿がある。


 先の戦闘で撃退したワイズマンモンキーの群れ。逃走する彼らへの追撃を開始してからある程度の時間が経過したが、追う側である狩夜たちは、いまだにワイズマンモンキーの背中を捕らえることができずにいた。


 木から木へと飛び移り「食われてたまるか!」と、必死の逃走を続けるワイズマンモンキー。単純な身体能力ならサウザンドの開拓者である狩夜の方が上なのだが、猿型の魔物だけあって、木の上での高速移動は相手に一日の長がある。狩夜が木の上での移動に不慣れなこともあり、徐々にしか距離が詰らないのだ。


 距離が詰らない理由は他にもある。それは、逃げるワイズマンモンキーの撃破を、狩夜たちがさほど重要視していなかったことだ。


 ワイズマンモンキーの逃げた方向が、出口へと続くルートと同じであったため、他の仲間との合流、待ち伏せを警戒し、狩夜たちは追撃を選択した。だが、追っているうちに相手は出口へのルートから外れ、そこで追撃は打ち切られるだろうと考えていたのである。


 わざわざ倒すこともない。そんな考えと、逃げる相手を追い立てる後ろめたさが、狩夜の足を鈍らせた。


 だが、その考えは見事に裏切られることとなる。


 今ここにいたるまで、ワイズマンモンキーへの追撃は続いていた。ワイズマンモンキーの逃走経路が、迷いの森を抜けるための正しいルートと、ぴったり一致したのである。


 決して少なくない回数、分岐点があったにもかかわらず——だ。


「スクルド、これはもう偶然じゃないよ。あいつら、出口へのルートを知ってるんだ」


「同意見です! あの迷いのない動き、もはや疑いようもありません! 奴ら、間違いなく迷いの森の出口へと向かっています!」


 どうやら、追いつけない理由がもう一つあったようだ。


 土地勘である。


 ワイズマンモンキーは、このルートを使い慣れているのだ。初見の狩夜たちと違い、最短ルートをすでに知っている。


 相手が出口へのルートから外れ、追撃が終わるのを期待していたのは、むしろワイズマンモンキーの方だったようだ。


「でも、どうして!? この難攻不落の迷宮を、どうやって攻略したというのです!?」


「頭数に物を言わせた、トライアンドエラーの繰り返しじゃない? 正直、それくらいしか思いつかないけど……」


 獣道どころか目印もない。延々と木々が乱立するだけの迷いの森を、ノーヒントで攻略する方法は、それくらいしかないように思われた。


 ワイズマンモンキーは、ユグドラシル大陸ではかなり強い魔物である。木の上でなら最強と言っても過言ではない。彼らが縄張りの木を傷つけられることを嫌う理由は、自らが最強でいられる場所を守ろうとしているからだ。

 

 森の中でなら、ワイズマンモンキーの天敵になる魔物はいない。そして、人類が初めて魔物をテイムして、彼らの敵になったのが、大体五年前でつい最近。


 時間は山ほどあったのだ。そして、迷いの森を攻略しようとした彼らを邪魔する者は、誰もいなかった。


「何が切っ掛けになったかはわからないけど、ワイズマンモンキーは迷いの森の特性に気がついて、攻略を開始した。まあ、挑戦する価値はあるよね。一度でも攻略して、正しいルートを割り出せば、迷いの森はワイズマンモンキーにとって、この上なく安全な縄張りになる。人間も、他の魔物も、迷いの森に阻まれて、出口に辿り着けないんだからさ」


 そして、実際に攻略してのけた。今日、狩夜たちが入ってくるそのときまで、迷いの森の奥地は、ワイズマンモンキーの楽園だったに違いない。


「あいつら、やっぱ頭いいな」


「お~の~れ~! 私が【厄災】の呪いで休眠状態になっていなければ、そのようなことはさせなかったものを!」


 狩夜の仮説を聞き、怒りの声を漏らすスクルド。世界樹の防衛担当である彼女としては、世界樹の第一次防衛ラインである迷いの森をワイズマンモンキーに攻略されたことは、由々しき事態であるらしい。


「もうすぐ迷いの森を抜けます! 備えなさい、オマケ! あなたの仮説通りだとすれば、この先は——!」


「わかってる! いくよレイラ!」


 コクコク!


 レイラの力強い頷きを背中で感じながら、狩夜は最後の横枝を蹴る。結局追いつくことのできなかったワイズマンモンキーの後を追う形で、迷いの森を飛び出した。


 間を空けるわけにはいかない。相手が迎撃態勢を整える前に先制攻撃。そのまま乱戦に持ち込む!


 そう意気込んで、森を抜けた狩夜たちを出迎えたのは——


「へ?」


 視界を覆いつくす、進行方向から投擲されたと思しき巨大な岩。


「って、岩ぁあ!?」


 森を抜けた瞬間、外敵のいない楽園の中で生を謳歌し、その数を増やしに増やしたワイズマンモンキーの大群から熱烈な歓迎があるとは思っていたが、正直これは予想外であった。楽園への予期せぬ乱入者、くるはずのない外敵であるはずの狩夜たちへの対応が、あまりにも早すぎる。


 狩夜たちに先んじて森を抜けたワイズマンモンキーたちが、逃走中に何かしらの方法で情報を伝達していた――わけではなさそうだ。その証拠に、狩夜たちより先に森を抜けたそのワイズマンモンキーたちが、真っ先に岩の餌食となり、岩の一部となって狩夜たちに向かってきている。


 助けを求めて楽園に逃げ込んだはずの彼らは、本人も知らないうちに、外敵を罠に誘い込むための餌にされていたようだ。


 大を生かすために小として切り捨てられたのだろうか? もしくは、スクルドの存在を知らぬ群れのリーダーに、命惜しさに外敵を楽園まで案内した裏切り者として処断されたのだろうか?


 彼らを切り捨てたリーダーの真意はわからない。群れの仲間に切り捨てられた彼らの気持ちもわからない。狩夜にわかるのは、自分たちは岩に潰されて息絶えるわけにはいかないということだけである。


「レイラ!」


 狩夜の呼びかけに答え、レイラが動く。二枚ある葉っぱを狩夜の背中から伸ばし、迫りくる岩を難なく弾き飛ばした。


 眼前から岩が消えたことで、今度こそ視界が開ける。迷いの森を抜けた先の光景が、【厄災】以降初めてに人の目に触れたであろう場所が、狩夜の視界に飛び込んできた。


 そして——


「なんだ、あれ?」


 眼下に広がる不可思議なその光景に、狩夜は思わず首を傾げた。


 まず狩夜の視界に飛び込んできたのは、険しい急斜面の岩山。世界樹を円形に取り囲む山脈である。まあ、これはいい。事前に知っていた情報通りの、ある程度予想できた光景だ。


 次に目についたのは、夥しい数のワイズマンモンキー。先ほど森の中で交戦した前衛、後衛に加え、非戦闘員と思しき子供を抱えた雌や、成長途中の年若い個体の姿がある。まあ、これもいい。あまりの数に辟易したが、予想通りの光景であった。


 狩夜が困惑したのは、次の二つ。


 倒木をくり抜いて作られたと思しき、巨大な半円状の貯水槽。そして、日向に干された数多くの果物と、木の実の姿である。


「あの貯水槽と果物は——なんだろ? 猿酒でも作ってるのかな?」


「あれは……そうか! 雨水です、オマケ! 奴ら、あの貯水槽に雨水を溜め込んでるんですよ! マナが多量に溶けた川の水を、極力口にしないようにしているんです! 弱体化を避けるために!」


「——っ!? それじゃ、あの果物は!」


「同じ理由でしょう! 食べる前に陽に干すことで、果実に含まれるマナを揮発させているのです!」


「そういうことか!」


 こいつら、やっぱり頭がいい! そう胸中で叫びながら、狩夜は着地に備えて体制を整えた。


 水と食べ物。それらによるマナの間接摂取を避けることができれば、体内へと入り込んでくるマナは、河川や泉から揮発した空気中を漂うものだけとなり、弱体化を最小限にすることができる。


 マナによる弱体化がなくなれば、魔物はソウルポイントで際限なく強くなっていく。ティールで交戦したときから疑問ではあったのだ。ワイズマンモンキー。この魔物は、ユグドラシル大陸に生息する魔物にしては強すぎる――と。


 その疑問が、今解けた。ワイズマンモンキーは、人目に触れぬ場所に自分たちの楽園を築いており、マナによる弱体化を防ぐ術を、完璧ではないにせよ、すでに確立させていたのである。


 狩夜の脳裏に、ティールで暮らす人々の姿が浮かび上がった。ここから一番近い人里は、間違いなくティールの村である。


 この楽園を放置するのは危険だ。ティールの――いや、人類の存続にかかわるやもしれない。


 冷や汗をかきながら生唾を飲み、地面へと無事着地する狩夜。それと同時に――


「ギャッ!! キャァアァ!!」


 は、現れた。


「楽園の主のお出ましか……」


 身の丈、おおよそ五メートル。筋骨隆々のその巨体は、もはや猿というよりゴリラであった。


 楽園の恩恵を一番に享受する、千を優に超える群れのトップ。世界樹のすぐそばに身を置きながらも、マナによる弱体化から解放された主が、側近と思しき四匹の巨猿を従えて、狩夜たちの前にその姿を現した。


 主を含めたその五匹は、右手には岩を削って作った石剣を持ち、左手には投擲用の岩を抱えている。そして、その肩の上には一匹の栗鼠の姿があった。


「ラタトクス!」


 そう、その栗鼠の名はラタトクス。別命 “森のメッセンジャー”


 ラタトクスには、遠く離れた同族と、額の宝石を使って声のやり取りができるという特殊能力がある。


「なるほど。手懐けたラタトクスの通信能力を使って、侵入者である僕たちのことを知ったってわけか……」


 それが先ほどの奇襲の真相であるらしい。ワイズマンモンキーは、貯水槽やドライフルーツだけでなく、武器で己を武装し、ラタトクスを利用した連絡網を構築する、高度な知能を有している。


「キャ! キャ!」


 狩夜の言葉を肯定するかのように、楽園の主は笑った。その笑みは、勝利を確信した者の笑みでもあった。


「キャァアァァアァ!!」


 右手の石剣を真上に掲げながら、主が吠える。すると、千を超えるワイズマンモンキーが、一斉に腕を振り上げた。その全ての手に、投石用の石が握られている。


 どうやら、狩夜たちを出迎える準備は万端整っていたらしい。まあ、今となってはそれも当然だ。狩夜たちの動きは、ラタトクスの通信能力によって、主に筒抜けだったのだから。


「きゃきゃ!」


「キキキキィィ!」


 背後からもワイズマンモンキーの鳴き声が聞こえる。どうやら退路も絶たれたようだ。乱戦を狙って迷いの森から飛び出したことが、完全に裏目となっている。


 逃げ場は——ない。


「やるしかないか……」


 狩夜はそう言って、主の一挙手一投足を注視しながら、腰のマタギ鉈へと右手を伸ばした。


 きっとレイラなら、レイラなら何とかしてくれる。絶体絶命の状況の中、そう胸中で呟くことで、狩夜はなんとか心の平静を保つことに成功していた。


 主の石剣が振り下ろされた瞬間が投石の合図であり、開戦の合図だ。狩夜はマタギ鉈の柄に手をかけながら、そのときを待つ。


 そして、主が石剣を振り下ろし、それに合わせて狩夜がマタギ鉈を鞘から引き抜こうとした、次の瞬間——


「ほえ?」


 狩夜の口から、なんとも場違いな声が漏れた。理由は、自身の両肩と、腰の左右から、円筒形の物体が突き出てきたからである。


 狩夜が、その突き出てきたものの形状から、とある近代兵器の名前を思い浮かべたとき——


「……(ニタァ)」


 勝負は決した。


 狩夜の両肩と、腰の左右——つまりは、レイラの体から突き出た四本の円筒形の物体が突如回転し、そこから圧倒的な破壊がばら撒かれたのである。


『キキャァァアァァアアッァ!?』


 猿の楽園にけたたましい連射音と悲鳴が響き、周囲に死が溢れていく。そんな中、狩夜は先ほど思い浮かべた、とある近代兵器の名前を口にした。


「ガトリングガン……」


 そう、千を超えるワイズマンモンキーの群れと、強大な主を前にして、レイラが用意した武器は、なんと木製のガトリングガンであった。見えているわけではないが、銃身から発射されているのは恐らく種。レイラは、自身の種子を弾丸に変えて、ワイズマンモンキーの群れを虐殺していく。


 圧倒的火力を前にして、為す術もなく倒れていくワイズマンモンキーたち。やることのなくなった狩夜は、マタギ鉈から手を離して、破壊の暴風が過ぎ去るのをただ待つことにした。


 ほどなくして——


「……(はふぅ)」


「か・い・か・ん♡」そう言いたげな吐息と共に、レイラがその動きを止めた。木製のガトリングガンを体内に収納し、次いで肉食花と蔓を出現させ、周囲に倒れているワイズマンモンキーの捕食を開始する。


「圧倒的! ひたすらに圧倒的! さすがは勇者様です! 見ましたかオマケ! これが世界樹の種をその身に宿した、勇者様の力ですよ!」


 興奮した様子でレイラを褒め称えるスクルドの声を聞きながら、狩夜は周囲を見回した。見えるのは、近くの屍と、遠くの屍。


 狩夜の周囲には、ひたすらに死が満ちていた。主も、側近も、前衛も、後衛も、非戦闘員も、すべてのワイズマンモンキーが、ぼろ雑巾のような有様で絶命している。貯水槽とドライフルーツも粉々だ。


 長い年月をかけて作られたであろう猿の楽園は、ここに滅びた。圧倒的強者の前に、儚く散った。


 迷いの森の攻略も、マナによる弱体化からの解放も、十重二十重に練られた多くの策も、本物の強者の前では無意味であったのだ。


 人知れず迫っていた人類存続の危機は、勇者の手によって未然に防がれたのである。


「これじゃ、確かに僕はオマケだな……」


 何もしていない自信の体たらくを恥じながら、狩夜はそう独り言ちた。


 狩夜がイスミンスールにいるのは、ひとえにレイラの意思だとウルドは言った。レイラが狩夜と行動を共にしているのは、そこには何かしらの意思と、意味があるはずだ——とも。


 それは恐らく間違っていない。他でもない狩夜自身が、レイラの中にある「狩夜が必要!」という強い意思と、とある目的を感じていた。


 だが――


「このめちゃくちゃ強い勇者様は、なんで僕みたいな半端者と一緒にいるんだろう?」


 レイラはいったい狩夜の何に期待して、何をさせたいのだろう? それがまったくわからない。


「聖獣が相手のときも、この調子でお願いします! 勇者様!」


 コクコク。


 レイラを褒め続けるスクルドと、自身が殺した命を一つたりとも無駄にせぬよう捕食を続けるレイラに前後を挟まれながら、狩夜は首を傾げるのであった。

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