056・勇者

 勇者。


 世界樹の声に導かれてこの世界、イスミンスールに召喚される、救済の使命を帯びた異世界人。その総称である。


 異世界人だけが触れることを許される、幼生固定された世界樹の種が埋め込まれた史上最強の武器、聖剣。その無尽蔵といっても過言ではない力を自在に操り、勇者たちは過去四度、イスミンスールを滅亡の危機から救ってきた。


 救世の希望。


 英雄の中の英雄。


 それが——


「これ?」


 狩夜は、ものすごく胡散臭そうな顔をしながら、足元で妖精と手を取り合っているレイラを——三頭身でチンチクリン。もの凄く強いくせに、理由がなければ日がな一日ぼーっとしたり、蝶々を追いかけたりしている。威光はおろか威厳もない。不思議植物を指さした。


 瞬間、妖精は目をむいて狩夜に食ってかかる。


「これとは何ですか、これとは!? 休眠状態にあった私を目覚めさせることができるのは、世界樹の力をおいて他にない! 世界樹の種から力を引き出し、それを操った以上、この方は立派な勇者様です!」


「いや、だから、その世界樹の種――つまり聖剣? そんなものどこにもないよ。何かの勘違いじゃない?」


 狩夜が窘めるようにこう言うと、妖精は「はん!」と鼻を鳴らし、こう言葉を続けた。


「これだから人間は! 物事の外面しか見ようとしないからダメなんですよ! もっと内面を見るよう心掛けなさい! ですがまあ、私も実際にこの目で確かめた方がより安心できますし……勇者様、もしよろしければ、貴方様がその身に宿す世界樹の種を、わたくしめに見せてはいただけませんでしょうか?」


 レイラに対しうやうやしく頭を下げ、勇者である証を見せてくれと懇願する妖精。すると、レイラはコクコクと頷き、回れ右。狩夜を見上げながらほんの少し胸を張った。そして、その小さい胸を、文字通り上下左右に開いて見せる。


 そこには——


「これは……!?」


「ああ、この輝き! この力! これぞまさしく世界樹の種!」


 木の幹から新芽が出たかのように開いたレイラの胸。その中に、レイラの中心に、はあった。


 美しい。ただただ美しい、一つの宝玉。


 天上、至高、究極、奇跡――そんな言葉を無限に連ねても無駄な気がした。どれほどの文献を読み漁り、知識を貪っても、この美しさを十全に表現することなど、矮小な人の身では不可能に思えた。


 だが、わかる。一目見ただけで、それがなんであるかわかってしまう。


 あれは、不純物なしの、純然たる生命の結晶だ。


 星の縮図がそこにある。世界のすべてがそこにある。


「あ……」


 無意識に、右手が上がる。そして、狩夜がレイラの胸の中に手を伸ばしかけた瞬間——


「……」


 唐突に、何の前触れもなく、レイラは胸を閉じてしまった。世界樹の種は再び外界から隔絶され、何事もなかったかのようにレイラの胸の内に納まる。


 世界樹の種が見えなくなり、我に返る狩夜。だが、すぐには動くことができず、ただただレイラのことを見つめ続けてしまう。


 そんな狩夜に対し、レイラは「あんまり見つめないで~」と言いたげに両手で顔を覆いながら身を捩り、妖精は得意顔で口を開いた。


「どうです人間。これでもまだ疑いますか?」


「勇者って……人間じゃないじゃん……聖剣もないし……」


 上がっていた右手を、わざわざ左手を使って下ろしながら、狩夜は言う。すると、妖精はこう反論した。


「あなたがた人間が、勇者に対してどのような認識を持っているのかは知りません。ですが、私たちにとっての勇者とは、世界樹の力を振るうことを許された世界の代行者のこと。別に人間である必要はありません。要は、世界樹の力を預けるに足る、異世界の知的生命体ならばよいのです。その身一つで種から力を引き出せるのならば、聖剣を持つ必要もありません」


「マンドラゴラな勇者様か……」


 どうりで強いはずだ——と、狩夜は再度レイラを見つめる。


 レイラを勇者と認める発言を狩夜がしたからか、妖精は「浅慮なるその身を恥じなさい」と腕を組み、レイラは「えっへん! すごいでしょ~」と言いたげに両手を腰に当てて胸を張った。


 そんな様子の二人に、少し腹が立った狩夜は――


「てい」


 右足の爪先で、レイラの体を軽く小突いてやった。


 突然体を押され、バランスを崩したレイラは「あわあわ」と両手を振り回しながら後ろに倒れ込み、背中から地面に転がる。


「蹴った!? 勇者様を蹴った!?」


 信じられないものを見た。そう顔で語りながら妖精が叫ぶ。だが、狩夜の動きは止まらない。今度はその右足で——


「うりゃ」


 レイラの小さい体を、軽めに、親しみを込めて、踏みつけてやった。


「ああぁあぁぁあぁ!? 踏んだ!? 踏みましたね! 勇者様を! 救世の希望を! もう許しません!!」


 ついに堪忍袋の緒が切れたのか、怒りの形相で妖精が狩夜に飛び掛かってきた。渾身の力で正拳突きをみまった後、狩夜の周囲を飛び回り、ぽかぽかと殴りつけてくる。普通の人間ならばそれなりに痛いのだろうが、サウザンドにまで強化された狩夜の体は、妖精の力ではびくともしない。


 そんな妖精を無視し、右足の下で「やめてよ~」と言いたげに身を捩りつつも、どこか楽しそうなレイラに向けて、狩夜はこう問いかけた。


「なんで今まで教えなかったんだよ?」


 当然の疑問。これほどまでに重要なことを、なぜレイラは、今の今まで狩夜に黙っていたのだろうか?


 この問いに、レイラはきょとんとした顔を返す。そして——


「聞かれなかったから~」


 そう言いたげな顔で、小首を傾げた。


 いつもとなんら変わらないその様子に、狩夜は盛大に溜息を吐く。次いで「そうだな、お前はそういう奴だ」と小声で呟いた。


 レイラは、自身が勇者であったことを意図的に隠していたわけじゃない。聞かれなかったから答えなかった。理由がなかったから教えなかった。それだけである。


 相手が狩夜であるならば、レイラはどんなことでも答えてくれる。仮に「あなたは勇者ですか?」と尋ねていたら、迷わず首を縦に振っていたに違いない。


「僕をここまで案内したのは、僕をこの子に合わせるため?」


 コクコク。


「それが今日だったのは……僕がサウザンドになったから?」


 コクコク。


「そう、わかった」


 聞きたいことを聞き終えた狩夜は足を上げ、レイラの体を解放した。


 自由になったレイラはゆっくりと体を起こした後、先ほどまで踏まれていた右足に躊躇なく飛びつき、定位置の頭上目指して狩夜の体をよじ登り始める。妖精もレイラが解放されたからか、狩夜を攻撃するのを止め、肩で息をしながらこう言った。


「きょ、今日のところは、これくらいにしておいてあげます……」


「そりゃどうも」


 何かと偉そうな妖精に対し、狩夜は素っ気無く言葉を返す。そして、わざわざ勇者様が引きあわせてくれたその妖精に向けて、こう尋ねた。


「それで、訳知り顔の妖精さん。あなたはどこの誰ですか? 随分と世界樹と勇者について詳しいみたいですけど?」


 狩夜のこの言葉に、妖精は姿勢を正そうとして——失敗した。右手を口元に当てながら激しくせき込み「ちょっと待って。お願い休ませて」と左手を突き出してくる。


 本気で苦し気な様子の妖精。少し心配になった狩夜は、腰から瓢箪型の水筒を外し「水です。よかったらどうぞ」と、栓を開けながらすぐ近くの地面に置いて上げた。


「あ、ありがと……」


 恥ずかしげに礼を述べながらも、すぐさま水筒に飛びつく妖精。そして、ちびちびと、だが懸命に水を飲み始めた。その様子は、ケージの中で水を飲む小動物を連想させる。


「しかし勇者か。イルティナ様とメナドさんに嘘を——吐いてないよね。僕じゃないもん」


 勇者はレイラであって、狩夜ではない。恩人たちに嘘は吐いていないはずだ——と、水を飲む妖精を見つめながら、狩夜は自問自答する。


 ほどなくして「ぷはー」と、中年オヤジみたいな声と共に、妖精が瓢箪から顔を外す。そして、両手で瓢箪を抱えながら飛び上がり、笑顔でこう述べた。


「世界樹の恵み、堪能しました! 数千年ぶりに口から飲む水は格別ですね! 感謝しますよ、人間! これからも私を敬いなさい!」


「はいはい。元気になってくれたのならよかったよ」


 妖精から瓢箪を受け取りつつ、狩夜は素っ気なくも安堵の返事を返した。すると、妖精は上機嫌で口を動かし続け、驚愕の言葉を口にする。


「水のお礼に、先ほどの質問に答えましょう。私は、世界樹の三女神が一人、スクルド! 人間、そして勇者様。以後、良しなに!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る