054・スクリーム・フロンティア

「さて、どうなる?」


 目の前に存在するタッチパネル。狩夜はそこに表示された最終確認を見つめながら、ゴクリと喉を鳴らす。


『ソウルポイントを100ポイント使用し、叉鬼狩夜の精神を向上させます。よろしいですか? YES NO』


 フローグが「借りができたな」と言い残して客間を去った後、狩夜は今度こそ眠りにつき、レイラと共に白い部屋を訪れていた。


 イルティナとの水浴びの最中、レイラが自主的に仕留めたあの大蛇は、やはり主クラスの魔物であったらしい。狩夜の見立て通り、千を超えるソウルポイントを提供してくれた。


 何の労力も支払わずに手に入れた、棚ぼたソウルポイント。レイラとのWin-Winな関係はまだまだ遠い——と、多少思うところもあるが、狩夜は遠慮なく使わせてもらうことにした。そして、いよいよ百度目の基礎能力向上である。叉鬼狩夜という一個人が、開拓者として一人前扱いされる、サウザンドの領域に足を踏み入れる瞬間だ。


 大きな期待と少しの不安と共に、狩夜は『YES』をタッチする。


 次の瞬間『叉鬼狩夜の精神が向上しました』というお馴染みの声が白い部屋に響き渡り――


「おお!?」


 部屋の中央で直立する、ローポリで半透明な狩夜。その姿形が変化した。


 すべての基礎能力項目を一度ずつ強化したときと同じである。ポリゴン数が一気に増加し、造形が複雑になったのだ。


 八角だった手足は十二角に。体の輪郭も滑らかになり、凹凸も表現されている。なにより顔だ。鼻も、口も、耳も、ちゃんとポリゴンで作りこまれている。先ほどまでのヒラメ顔とはえらい違いだ。


 これは叉鬼狩夜である。誰の目にも明らかな、叉鬼狩夜の現身がそこにある。これをローポリと断ずることは、もはや誰にもできないだろう。


「また一つ、人間の壁を破ったってことなのかな?」


 そう呟いて、狩夜は自身の体を見下ろす。だが、例によってさしたる変化は見受けられなかった。そのせいか、開拓者として一つの区切りを迎えたにもかかわらず、期待していた達成感や充足感は、今のところあまり感じられない。


「まあ、目を覚ました後、体を動かしてみればわかるか。始めて壁を破ったときもそうだったし」


 そう言って気を取り直し、狩夜はタッチパネルと向き直った。そして、残ったソウルポイントで基礎能力を強化していく。


 ほどなくして自身の強化を終えた狩夜は、慣れた手つきで閉じるボタンをタッチ。そして、タッチパネルが自身の現身の中に消えていくのを見届けながら、頭上のレイラに対し、こう声をかけた。


「レイラ、目を覚ましたら第三次精霊解放遠征の出立式——ランティスさんの演説を見にいくからね。騒ぎを起こしたら大問題だから、大人しくしててよ?」


 明日の予定と共にランティスの名前を口にした瞬間、別れ際に彼が発した、サウザンドの開拓者になり、気が変わったら声をかけてくれという言葉が、狩夜の脳内に思い起こされる。だが、狩夜はすぐさま「僕には関係ない。僕には関係ない」と胸中で呟き、ランティスの言葉を封殺する。


 そんな狩夜の頭上で「うん、大人しくしてる~」と言いたげにレイラがコクコクと頷き、それとほぼ同時に、狩夜たちは白い部屋を後にした。



   ○



「うわぁ……凄い人」


 客間の外、半円状のバルコニーで手すりから身を乗り出しながら、狩夜は気圧されたように言う。


 狩夜の眼下には、ブレイザブリク城の中庭が広がっていた。そして、今やその中庭は、ウルザブルンの民によってほぼ埋め尽くされている。


 全人類の期待を背負ってミズガルズ大陸へと向かう開拓者たち。その雄姿を一目見ようと、ウルザブルンの民たちが我先にと城に押し寄せた結果であった。


 ウルザブルンすべての民が集まっているのではないかと思えるその群衆は、当然城の中庭に納まりきるものではない。群衆は城門を超え、その先の大通りまで埋め尽くしているほどだ。


 もしあの中に自分がいたら――そう考えるだけで息がつまり、嫌な汗が流れてくる。


「ここは確かに特等席ですね……」


「ふふ、そうだろう?」


 先ほど朝食を一緒したイルティナが、微笑を浮かべながら言葉を返した。客間のバルコニーには狩夜とイルティナ、そしてレイラしかいない。正直、眼下の群衆が気の毒になるほどの快適さである。


 この場所を提供してくれたマーノップ王と、狩夜が肩身の狭い思いをしないよう隣に立っていてくれるイルティナに心から感謝しつつ、狩夜は出立式の開始を待った。


 そして——


「これより、第三次精霊解放遠征、出立式を開始いたします!!」


 という着飾った兵士の号令と共に、大きな太鼓が鳴らされ、吹き抜けになっている大広間、その二階部分へと繋がる扉が開かれた。そして、司令官であるランティスを先頭にして、遠征軍の中核をなす幹部たち八人が、バルコニーに姿を現す。


 同じ二階のバルコニーではあるが、狩夜がいる客間のそれと、大広間のそれとでは規模が違う。中庭と同じ横幅のあるバルコニーを、八人の英傑は胸を張り、群衆たちの視線を当然のように受け止めながら、誇らしげな顔で歩いていた。


 あらかじめ立つ場所が決まっていたのだろう。八人は迷うことなくその歩みを進める。そして右端、狩夜と最も近い場所に立ったのは――アルカナであった。


 アルカナの服装は、昨日見たきわどすぎる水着ではなく、肩と胸元が大きく露出し、スカートに深いスリットの入ったナイトドレスであった。あの水着と比べれば、遥かにまともな格好ではあったが——目に毒なことに変わりはない。


 ふと、目が合う。イルティナの隣に立つ狩夜に一瞬驚いた顔をしたアルカナであったが、直後に妖艶さと品格を同居させた笑みを狩夜に向けた。艶めかしい舌の感触が耳に蘇り、思わず胸が高鳴ってしまう。


 ——そう言えば、本命宣言されたんだっけ? あれって本気なのかな?


「ん? アルカナ・ジャガーノートとはそれほど親しくないのだがな?」


 狩夜の隣でイルティナが首を傾げる。どうやらあの笑みを、自分に向けられたものだと勘違いしたらしい。


 アルカナの笑みに狩夜がドギマギしている間に、八人全員が所定の位置につく。七人が等間隔にバルコニーに立ち、ランティスが一人前、中庭へと続く階段のある半円状に突き出た場所に立っていた。


 ランティスは、タンクトップとズボンだけというラフな格好から打って変わり、陽光を反射して煌びやかに輝く白銀の甲冑を身に着けている。腰には幅広な両手剣。どちらも間違いなく一級品。現状のユグドラシル大陸に置いて、最高位の装備であることは間違いない。


 そんな、開拓者であれば――いや、男であれば誰もが憧れる戦化粧をほどこした “極光” の剣士は、眼下の民たちを見据えながら、高らかに声を張り上げ、演説を開始する。


「ウルザブルンの民たちよ! 同じ無念を共有する同胞たちよ! 時はきた! 我ら人類が、心の拠り所である精霊を、かつて失った大地を取り戻す時がついにきたのだ!」


 ランティスの声がウルザブルン全域に響き渡る。その声は、大通りにひしめく民、そして、足がないためこの場にくることができない水の民の一人一人にいたるまで、あますことなく届いたに違いない。


「精霊解放遠征と聞き、不安を抱く者もいるだろう! 伝え聞く【返礼】を恐れる者もいるだろう! だが安心してほしい! 知っての通り、我ら人類はソウルポイントという新たな武器を手にし、他大陸の屈強な魔物に対抗する術を手に入れた!」


 ソウルポイントで強化された肉体を誇示するかのように、胸の前で握り拳をつくるランティス。次いで、こう言葉を続ける。


「そして、ソウルポイントがもたらした恩恵は、身体能力の飛躍的向上だけではない! 厄災以前に建築された建造物——三女神が残したとされる遺跡のことは皆も知っていよう! 遅々として進まなかったその遺跡の調査が、〔鑑定〕スキルと〔精霊言語〕スキルの恩恵により、加速度的に進んでいる! そして我々は、魔物に支配された大地を人の手に取り戻す方法を、ついに突き止めたのだ!」


 群衆がどよめく。どうやらこの情報は、今の今まで秘匿されていたものらしい。無論、狩夜もその方法とやらには興味津々であった。真剣にランティスの言葉に耳を傾ける。


「それは、奇しくも精霊解放遠征の至上命題と同じであった! その方法とは、厄災によって封印された精霊を解放することである! 我々は今まで、精霊の解放と、魔物に支配された大地の奪還を別々に考えていたが、それは間違いなのだ! 精霊の解放こそが、大地の奪還に直結するのである!」


 ―—精霊の解放が大地の奪還に直結する? いったいなぜ?


 狩夜は首を傾げながら、ランティスの次の言葉を待った。


「我らの心の拠り所である精霊とは、創世記の六日目に登場する世界樹の分身たる八本の木、それが姿を変えたものなのだ! 厄災以前、世界樹は己が分身たる精霊を通して、マナを世界各地の大陸へと届けていたのである! これはつまり、精霊さえ解放することができれば、その精霊の管轄である大陸はマナによって浄化され、そこに生息する魔物たちは弱体化するということに他ならない!」


『おお!』


 群衆から「なるほど」「合点がいった!」と言った声が次々に上がる。


 マナによって弱体化した魔物は、ソウルポイントで強化されていない人間でも、創意工夫次第で十分に打倒できるレベルにまで弱体化する。精霊を解放してすぐに――というわけにはいかないだろうが、先ほどの言葉が真実ならば、確かに精霊の解放は、大地の奪還に直結すると言えるだろう。


「我ら遠征軍は、此度の遠征で、必ずや光の精霊の解放する! 同胞たちよ、もう一度言おう! 我ら人類が、心の拠り所である精霊を、かつて失った大地を取り戻す時がついにきたのだ!」


 爆発する大歓声。ウルザブルンの民がランティスの演説に熱狂し、思い思いの声を上げた。


 長い長い雌伏の時が、今終わる。誰もがそれを信じ、人類の繁栄を思い描いた。ランティスの言葉に夢を見た。


「では、栄えある遠征軍の主要メンバーを紹介しよう! 火の民より! “爆炎” のカロン!」


「竜の誇りにかけて、最後まで戦い抜く覚悟です!」


「地の民より! “鉄腕” のガリム・アイアンハート!」


「腕が鳴るわい!」


「木の民より! “年輪” のギル・ジャンルオン!」


「微力を尽くします」


「水の民より! “流水” のフローグ・ガルディアス!」


「勝利を、我が王に!」


「風の民より! “歌姫” レアリエル・ダーウィン!」


「可愛いボクに、お任せです!」


「月の民より! “戦鬼” モミジ・カヅノ!」


「魔物ども、全員まとめて殺ってやがります!」


「闇の民より! “百薬” のアルカナ・ジャガーノート!」


「この体を、全人類の繁栄のために捧げます」


「そしてこの私! “極光” のランティス・クラウザー!」


 再度爆発する大歓声。そんな中、その大歓声を上回る声量で、ランティスは言葉を続ける。


「一つ、遠征軍司令官として約束しよう! 必ずや遠征軍に勝利と栄光を! 二つ、二代目勇者の末裔として約束しよう! 必ずや全人類に繫栄と安寧を! 三つ、ランティス・クラウザーとして約束しよう! 必ずや同胞たちを、新天地へと導こう!」


 ここでランティスは、腰の鞘から剣を抜いた。そして、その剣を高らかに掲げながら、演説最後の言葉を紡ぎ出す。


「共にいこう【絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア】へ!!」

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