053・月下の来訪者 下

「あの……使用人のかたを呼んでお茶でも用意してもらいますか?」


 月明かりに照らされたテーブル、その上に置かれたハンドベル型の呼び鈴を指さしながら、狩夜は恐る恐る口を動かした。すると、窓から客間に入ってきたフローグは、首を左右に振りつつ壁に寄りかかり、こう言葉を返してくる。


「気遣いは無用だ。むしろ、誰も呼ばないでくれるとありがたい。実は宴を無断で抜け出してきた身でな。見つかると面倒だ」


 右手で頬をかき、ばつが悪そうに顔を横に向けるフローグ。そんな人間味あふれる彼の仕草に親しみを感じ、狩夜は警戒の度合いを一段階下げた。次いで、当然の疑問を口にする。


「いいんですか? 遠征軍の中核、主賓の一人がそんなことして……」


「よくはない……が、ああいう席は苦手でな。交流の少ない開拓者からは敬遠されるし、カロンからは露骨に避けられる。まあ、それはいい。こんな顔だ、慣れている。我慢もしよう。だが……姫殿下だけはどうにもならん。対応に苦慮したあげく、こうして逃亡を余儀なくされた。我ながら情けない」


「姫? 宴に参加しているっていう、イルティナ様のお姉さんですか?」


「いや、フェステニア様ではない。ミーズ姫殿下……我ら水の民の姫だ」


 フェステニアとミーズ。それがイルティナの姉と、水の民の姫の名前らしい。


「なるほど。つまりフローグさんは、そのミーズ様に蛇蝎の如く嫌われていて、罵倒と嫌がらせに我慢ならず逃げ出した……と。そういうことですか?」


「はっは! そうだったら随分と気が楽なんだがな。逆だ、逆。なんと言うか……その……大変恐れ多いことなのだが……ミーズ様はどうやら俺に特別な感情を抱いているらしくてな。何かと理由をつけては俺に声をかけてくるのだ」


「あ、それは失礼。とんだ早とちりを」


 そう言いながら小さく頭を下げる狩夜。惚気話のようにも聞こえたが、フローグの表情は険しい。どうやら本当にミーズの扱いに困っているようだ。


「好意は素直に嬉しい。嬉しいのだが……ああも人目をはばからず『フローグ様、フローグ様』と連呼されると正直困る。身分が違いすぎるし、他国の開拓者の目もある。我が王にも申し訳が立たん。何より、俺ではどうあがいたところであのかたを幸せにはできん。かといって邪険にもできんのだ。逃げるしかないではないか……」


 ここでフローグは溜息を吐き、両肩を深く落とした。そして、こう言葉を続ける。


「俺は悪意には慣れているが、好意には不慣れでな。元来俺は日陰者。あのかたは、俺には眩しすぎる」


「ガルディアスさん……」


「俺のことはフローグでいいぞ。とまあそんな理由で、俺は今ここにいる。さっきも言ったが、しばらく匿ってほしい。もっとも、迷惑だと言うのならすぐにでも出ていくが?」


「いえ、僕は別にかまいませんけど……」


 狩夜はこう言った後、視線を上に向け「レイラもいいよね?」と尋ねる。するとレイラは「狩夜がいいならないいよ~」と言いたげにコクコクと頷いた。


 狩夜とレイラが了承の意を示すと、フローグは鳴き袋を大きく膨らませて笑い、次いでこう口にする。


「そうか、助かる。坊主とは話がしたいと思っていたしな」


「僕と……ですか?」


 町中では興味なさげだったが? と、狩夜は首を傾げる。


「ああ。宴の席で坊主のことを色々と聞いてな。ティールの村を救い、イルティナ様を助け、開拓者になって一週間足らずで主を倒し、金属装備を下賜されたとか。ウルズ王国国内の事件となれば、俺も無関係というわけではない。気になって詳細を確かめようと、マーノップ王に坊主のことや、ティールでの事件を尋ねたのだが……どうにも歯切れが悪くてな。他の重鎮たちも同様で、何やらはぐらかされている気がしてならない。坊主、ティールで何があったのか、詳しく教えてくれないか?」


「え? あ、はい。いいですけど……」


 狩夜はこの言葉に頷き、ティールの村での出来事をフローグに話し始めた。もちろん、狩夜が異世界人であることは秘密にし、ジルのことは名誉の戦死という扱いにして。


 初めのうちは狩夜の話に相槌を打ちつつ、狩夜とレイラの活躍を楽しげに聞いていたフローグであったが、ヴェノムマイト・スレイブ発見のあたりから徐々に表情が強張り、ヴェノムティック・クイーンがティールを強襲した辺りからは完全に無言。真剣な表情で狩夜の話に聞き入っていた。


 ほどなくして狩夜の話は佳境を迎え、結末へと向かう。


「——こうして、ティールの村民全員の力を結集し、僕たちはヴェノムティック・クイーンを撃退したわけです」


「……そうか、そういうことか」


 狩夜の話が終わると、フローグは真剣な顔のまま俯いてしまった。その尋常ならざる様子に、狩夜はただただ困惑する。


「あの、僕の話に何か気になることでも……」


 狩夜が困惑のままに口を開くと、フローグは迷いを振り払うように頭を振った。次いで、こう言葉を紡ぐ。


「ああ。どうしてマーノップ王が、俺にその話をしたがらなかったのか、理由がわかったよ」


「え? それはどういう――」


「坊主が倒した主……ヴェノムティック・クイーンだったな。ユグドラシル大陸では未発見のダニ型の魔物。そいつをユグドラシル大陸に持ち込んだのは、俺の可能性が高い」


「——っ!?」


 フローグの自己嫌悪交じりの独白に、狩夜は息を飲み、目を見開いた。


「俺が開拓者として主に活動している場所は、アルフヘイム大陸の北端。現状、〔水上歩行〕スキルを有する俺しか立ち入ることができない、完全未開拓区域だ。俺が他の開拓者に先んじてハンドレットサウザンドになれたのは、ここで得ることができるソウルポイントを独占しているからに他ならない」


「アルフヘイム大陸……」


「ああ。ユグドラシル大陸の真南に存在する大陸で、木の民の故郷でもある。大陸全土が密林に覆われた、植物の楽園だ。そこに生息する魔物は、植物系と昆虫系が大多数を占める。その中に、似たようなダニ型の魔物がいるよ。そいつがユグドラシル大陸で突然変異したのが、ヴェノムティック・クイーンだ。きっと、卵だか幼体だかが、俺の服についていたのだろう」


 フローグはここまで口にすると、右手で客間の壁を叩いた。そして、こう言葉を続ける。


「くそ! なんという失態だ! 俺は知らず知らずのうちに、とんでもない厄災をユグドラシル大陸に持ち込んでいたんだ! すぐにイルティナ様に許しを請い、ガルーノの遺族に補償を——いや無理だ! いま遠征軍を離れるわけにはいかん。なにより——」


「ちょ、ちょっとフローグさん。落ち着いてください」


「これが落ち着いていられるか! もし坊主たちがティールを訪れていなければ、いったい何人の無辜の民が俺のせいで――いや、そうだな……お前が正しい。一度落ち着こう」


 ここでフローグは言葉を区切り、大きく深呼吸をした。次いで右手を口元に運び、思考に没頭する。狩夜はそれを無言で見守った。


 一分ほどの時間がたった後、考えが纏まったのか、フローグは狩夜と向き直る。次いで、こう口にした。


「坊主……いや、カリヤ。頼みがある。先ほどの話、此度の遠征が終わるまでは口外しないでもらいたい」


「え?」


「ガルーノの遺族への補償は必ずする。イルティナ様にも、マーノップ王にも、ティールの村民にも、何度だって頭を下げる。必要ならばこの命で償おう。だが、それは今ではない。この不祥事は、今知られるわけにはいかないんだ。だからマーノップ王も、愛娘であるイルティナ様が命の危険にさらされたにもかかわらず、俺を責めようとはしないんだ」


「それはつまり——どういうことです?」


「俺には敵が多い」


 フローグのこの発言で、狩夜にもようやく合点がいった。そう、この不祥事は、フローグのことを好ましく思っていない連中にとって、かっこうの口撃材料になるのである。


「遠征軍の中には、俺の出自を不審に思い、魔物のスパイと疑う者もいれば、俺を魔物との混血だと白い目で見る者もいる。この不祥事が明るみに出れば、必ず遠征軍に不和を招く。だから頼む。お前に願う。遠征が終わるまでは口外しないでくれ!」


 フローグは、ただでさえ大きい目を限界まで見開き、狩夜の顔を真っ直ぐに見つめながら、そう懇願した。その目には、自らの保身の色も、罪から目を背ける逃避の色もない。そこにあるのは、使命に準じたいという剣士の矜持があった。


 先ほどの言葉に、嘘はない。狩夜はそう確信する。


「……わかりました。僕の口からは決して口外しないと誓います」


 狩夜も、フローグの目を真っ直ぐに見つめながらそう答える。


 ザッツやガエタノのことを思うと、えも言えぬ感情が心の中に渦巻く。だが、狩夜はフローグを非難することはできなかった。


 そもそも、フローグがヴェノムティック・クイーンの卵だか幼体だかをユグドラシル大陸に持ち込んだという確固たる証拠はない。その確率が高いというだけだ。卵は風の悪戯で運ばれたものかもしれないし、鳥が海を越えて持ち込んだものかもしれない。


 フローグの出自と同じだ。真実はわからない。なら、彼を責めるのは間違っていると狩夜は思った。


 狩夜はこの件に関して口を噤む。フローグをどうするかは、精霊解放遠征が終わった後、フローグの話を聞いたイルティナやガエタノ、ザッツが決めればいい。


「……借りができたな」


 フローグは安堵の息を吐いた後、こう呟く。その呟きに、狩夜は慌てて声を上げた。


「借りだなんて! 僕はただ——」


「いいや、借りだ。しかも、どでかい借りだ。いつの日か、必ず返す」


 狩夜の言葉を遮って、フローグはそう言った。そうして、この話を終わらせた。


 この借りが、後日どのような形で返されるかは、まだ誰にもわからない。

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