052・月下の来訪者 上

「……」


 客間のベッドに身を沈めながら、狩夜はただただ天井を見つめていた。


 城を訪れた貴賓の宿泊、及び長期滞在を想定してか、あてがわれた客間は狩夜なんぞが使うにはもったいないほどの豪奢な造りであった。椅子しかり、今寝そべっているベッドしかり。そのどれもが、職人たちが技術のすいを結集した作り上げた最高級品に違いない。


 ただ、それら豪奢な調度品の数々は、現在狩夜の目には映っていない。どれほど目を引く芸術的な飾り付けも、夜の帳に覆われてしまえば等しく無価値だ。


 すでに日は沈み、世界は闇に覆われている。星と月は出ているが、客間のカーテンはすべて閉め切られており、燭台に明かりもない。ゆえに、客間は完全に黒一色の世界だ。ともすれば目を開けていることすら忘れそうである。


「長い一日だったな……」


 暗黒の世界で狩夜は呟く。


 ザッツにライバル宣言され、イルティナと共にティールの村を後にし、レイラの舟でウルズ川を下り、イルティナと水浴びをした。


 半日かけてウルザブルンに到着した後は、怒涛の出会いラッシュ。綺羅星の如く輝く英雄豪傑たちと言葉を交わし、木の民の王と謁見。そして、多額の報酬と金属装備を手に入れた。


 うん。実に内容の濃い一日である。


 会う人、話す人、皆が皆凄かった。夢と目標を掲げ、それに向かって邁進し、誇り高く生きている人ばかりだった。


 眩しかった。かっこよかった。あんな風になりたい。そう思った。


 そう思った、だけだった。


 叉鬼狩夜は、なんだと再確認する一日だった。


 脇役にも劣る端役。開拓者として大成することはない。風の英傑に、いけ好かない女にそう言われた。侮蔑の視線と共に、そう断言された。


 正直腹が立った。同年代の女の子に、図星を突かれて頭にきた。


 だけど反論はできない。歩み去る背中を呼び止めて、売り言葉に買い言葉の口喧嘩すらできなかった。いや、そもそも狩夜とレアリエルでは、口喧嘩にすらならないだろう。


 なぜなら、喧嘩は対等な立場でなければ成立しないからだ。狩夜とレアリエルは対等じゃない。レアリエルが上で、狩夜は下だ。今見ているものも、今まで見てきたものもまるで違う。生きている場所が違いすぎる。見下されて当然だった。


 あんなお約束な出会い方をしたが、彼女との縁はこれっきりだろう。狩夜としても精神衛生上そのほうがいい。下であることは認めるが、腹が立つのは止められない。だって小者だから!


「はぁ……もう寝よう」


 狩夜は不貞腐れながら頭まで布団をかぶり、目を閉じる。すると、すぐさま眠気はやってきた。どうやら、自覚していた以上に疲れていたらしい。


 ―—うん、寝よう。嫌なことは眠って忘れてしまおう。眠って起きたら元通りだ。


 狩夜は全身から力を抜き、抗うことなく眠気に身をゆだねる。


 ここは、ウルズの泉に建設された人工島の上。ウルザブルンの中心にそびえるブレイザブリク城の客間である。イスミンスールにおいて、ここほど安全な場所は他にない。安心して、このまま――


 コンコン。


「……ん?」


 狩夜が眠りに落ち、夢の世界に――いや、レイラと共に白い部屋へと赴く直前、客間にノックの音が響いた。狩夜は目を開け、身を起こす。


 コンコン。


 再度、ノックの音がした。が、狩夜はそれと同時に首を傾げる。


 こんな時間に人が訪ねてきたからではない。ノックが聞こえてきた方向がおかしかったからだ。


 狩夜の聞き間違いでなければ、ノックの音は部屋のドアからではなく、ベットのすぐ近くの窓から聞こえてくる。しかも、ここは二階だ。普通に考えたら、まずありえない事態である。だが、ここは異世界。なにが起きても不思議じゃない。


 狩夜は手探りでマタギ鉈を探しながら、小声で彼女の名前を呼ぶ。


「レイラ」


 直後、慣れ親しんだ重さを頭上に感じた。レイラは、光一つない暗闇の中でも、即座に狩夜を探し出してくれる。


 頭上にレイラを乗せ、手にはマタギ鉈を持った。これで準備万端である。狩夜は音を立てて唾を飲み下した後、意を決してベッドから抜け出し、ノックが聞こえた窓へと向かった。


 閉じていたカーテンを左右に開く。月と星の光に照らされた外の景色が見えたが、来訪者の姿はない。


 今度は貴重なガラス張りの窓を開き、身を乗り出して左右を確認。やはり来訪者の姿はない。


 気のせいだったのかな? と、狩夜が首を傾げた瞬間——


「どこを見ている。こっちだ」


 と、上から落ち着いた声で呼びかけられた。狩夜は慌てて視線を上へと向ける。すると——


「よう、いい夜だな。坊主」


 垂直の壁にさも当然のように張りつく、カエル男の姿が目に飛び込んできた。


 狩夜は、驚愕と共にカエル男の名前を口にする。


「ふ、フローグ・ガルディアスさん!?」


 水の英傑にして “流水” の二つ名を持つ世界最強の剣士。予想もしていなかった大物の登場に、狩夜は目を見開き口を半開きにした。一方のフローグは、そんな狩夜を見下ろしつつ、こう口を動かす。


「突然で悪いが中に入れてくれ。しばらく匿ってほしい」

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