048・新人開拓者

「うん、ちょっと硬いけどおいしい」


 紅葉、アルカナと別れた狩夜は、開拓者ギルドを目指してウルザブルンの大通りを歩いていた。頭上にはレイラ、手には十字の切れ込みの入った丸パンの姿がある。


 この丸パンは、道中で見つけたパン屋でつい先ほど購入したものだ。


 値段は10ラビスでけっこうお高め。平民では購入するのを躊躇する値段だろう。


 2ラビスで買える黒パンもあったのだが、久しぶりのパンということもあり、ちょっと奮発して白パンにしてみた。黒パンよりも格段に柔らかい白パンであるが、それでも現代日本人にはやや硬めに感じられる。だが、その堅いパンを噛みしめる度に、懐かしいパンの甘味と食感が口いっぱいに広がり、なんとも幸せな気分になれた。


 買ってよかった。パンってこんなに美味しかったんだな——と、狩夜はしみじみ思いながら、丸パンを齧る。


「しっかし、ほんとに異世界だね~」


 パンを片手に町の大通りを歩いただけで、様々な種族、見たことのない野菜や果物、色鮮やかな民族衣装にアクセサリー、魔物から採れた素材や謎の出土品などが引っ切りなしに目に飛び込んでくる。ウルザブルンに足を踏み入れてからというもの、狩夜の好奇心は常に刺激されっぱなしだ。


 目を輝かせながら大通りを歩く狩夜だったが——ほどなくしてあることに気づき、警戒レベルを引き上げる。


 周囲を歩く人々の質が、徐々にだが確実に変わってきたのだ。具体的に言うと、剣や槍などで武装したり、テイムされたと思しき魔物を連れた、その筋の人が増えてきたのである。


 彼らは皆開拓者。もしくは、開拓者志望の者たちだ。


 敵ではなく、むしろ味方といっていい存在であるが、無警戒でいられる相手でもない。魔物に支配された土地を開拓するという過酷な仕事柄、他の業種に比べてどうしても荒くれ者が多くなるのが現実だ。


 ティールの村には諸事情によりイルティナとメナド以外の開拓者がいなかったので、理由もなく因縁をつけられたり、ちょっかいを出されるようなこともなかったが、ここウルザブルンでも同じとは限らない。いざというときのために心の準備ぐらいはしておいたほうがいいだろう。


「……よし」


 丸パンを食べきると同時に小声で気合を入れ、気持ちを新たに歩き出す狩夜。新顔の狩夜を観察したり、狩夜の頭上にいるレイラを物珍しげに見つめたりする人々と何度もすれ違いながら、すぐそこにあるであろう開拓者ギルドを目指して大通りを進む。


 ほどなくして、何やら独特の雰囲気を醸し出す二階建ての大きな建物が見えてきた。その建物の二階には、世界樹を簡略化したと思しきシンボルマークが描かれた、大きな看板がかけられている。


 間違いない。開拓者ギルドだ。


「ん、あそこだね」


 小さく頷きながら呟き、狩夜が足を速めようとした、その時――


「皆、聞いてくれ! 俺はついに、魔物のテイムに成功した!」


 大通りの端で、木箱の上に立った若い光の民の男が大声で叫んだ。彼の周りには大勢の人だかりができている。


「見てくれ、こいつだ! 名前はラビリア!」


 右腕を高々と突き上げる男。彼の右手の上には、巨大な黄色い饅頭――ではなく、誇らしげな顔のラビスタの姿がある。


 そのラビスタは、今朝ザッツが見せてくれたのと同じように、男の手に身をゆだね大人しくしていた。野生の魔物ではありえない行動。どうやら男がラビスタをテイムしたのは本当らしい。


「どうだ、この勇敢な面構え! そこらのラビスタとは一味違うと思わないか!」


 男の声に答えるように人だかりから歓声が上がった。「まったくだ!」とか「かっこいい!」とか、とにかく色々な歓声が上がる。


 その歓声を浴びている男は、ご満悦といった表情で更に口を動かした。


「見ていた者も多いだろうが、俺はつい先ほど所属していたパーティから独立し、ギルドに新規登録! パーティメンバーとしてではない、魔物をテイムした正式な開拓者となった! そして、今後苦楽を共にする俺のパーティメンバーを、今ここで選びたいと思う! 人数は二人!」


『うおぉぉおおぉおぉお!!』


 人だかりは興奮の坩堝と化した。誰もが自分を選んでもらおうと、新人開拓者の男に自身をアピールし、頭を下げ、パーティに入れてくれと懇願している。


 中でも印象的だったのは、露出の多い薄い服を身に纏う踊り子らしき女性が「素敵! 私をユグドラシル大陸の外に連れてって!」と、男の足を抱きしめ、太ももに豊かな胸を押しつけている光景だった。新人開拓者の男は鼻の下を伸ばし、踊り子の胸を上からガン見している。


「あの人は、パーティ選びに失敗しそうだな」


 だらしない顔をしている新人開拓者を横目で見ながら、狩夜は「気持ちはわかるよ」と苦笑いを浮かべた。そして、同時にこう思う。やはり自分の目で見ると実感が湧くな——と。


「本当に、大勢の人が開拓者になりたいと思っているんだな……」


 今は大開拓時代。魔物に奪われた大地を人の手に取り戻すのだ! と、皆が声を張り上げ、開拓者になりたいと願い、ソウルポイントを求める時代。


 開拓者を目指す者にとって、先人のパーティに入ることはメリットだらけだ。魔物との遭遇回数が自然と増えるし、白い部屋でソウルポイントを使用することで、自身を強化できるようになる。


 魔物との遭遇回数が増えれば、単純にテイムの可能性が増えるし、白い部屋で自身を強化しておけば、あの新人開拓者のようにテイムに成功してパーティから独立するとき、この上ない財産となる。正式な開拓者になることに拘らなければ、そのままパーティに居ついたって構わない。


 ゆえに、この光景は必然だ。偶然にも人がいないときに開拓者になった狩夜は、幸か不幸か見ることができなかった光景。それが今、目の前にある。


 開拓者になった者は、なった瞬間にもう特別なのだ。多くの者が歓声を上げ、仲間にしてくれとこうべを垂れてくる。金、女、名声。そのどれもが現実味を帯びて、手の届く場所へとやって来る。その優越感と全能感は相当なものだろう。


「成り上がりの代名詞ってとこか」


 平民が今の生活から脱却し、上を目指すことができる数少ない手段の一つ、開拓者。未開の大陸でうまく立ち回れば、自分の領地を手に入れ、王を名乗ることすら可能な職業。


 そこには浪漫がある。夢がある。野望がある。欲望がある。そして、危険がある。命を落とすことだって珍しくないはずだ。開拓者が魔物に殺される瞬間を、狩夜は既に目撃している。


 魔物との命懸けの戦闘。未開の土地での探索。見知らぬ病や、過酷な自然環境。他の開拓者の恨みを知らず知らずのうちに買い、同業者から命を狙われることだってあるかもしれない。


 過酷な仕事だと思う。心の底からそう思う。そして、こうも思う。自分は無理だ。本当の意味で開拓者にはなれないだろう——と。


 浪漫、夢、野望、欲望。どれも結構なことだ。それらに正直に生きることができる人間を、狩夜は馬鹿にしないし、否定もしない。むしろ応援したいと思う。だが、自分がそうなりたいとは思わない。


 ハイリスクハイリターンよりも、安全安定。それが狩夜の基本方針だ。ここウルザブルンで精霊解放遠征の中核を担う何人もの英雄豪傑たちと出会い、言葉を交わしたが、その基本方針が揺らぐことはついぞなかった。


 衣食住の確保。それ以外に、狩夜には戦う理由などないのである。


「僕って、やっぱり小者なんだな……」


 狩夜は、今後もソロで活動することを覚悟した。もし誰かをパーティメンバーに加えたりしたら、その誰かはユグドラシル大陸から出ようとしない狩夜に軽蔑の目を向け、臆病者と罵るだろう。


 大勢の人に取り囲まれる新人開拓者の男をなんとなく見つめながら、一人立ち尽くす狩夜。しばらくそうしていると、頭上のレイラが「早くいこうよ~」と言いたげに、狩夜の頭をペシペシと叩いてくる。


 我に返った狩夜は、弱気な考えを振り払うように頭を振り、次いで口を開く。


「ごめんごめん。そろそろいくよ」


 狩夜は新人開拓者の男を取り囲む人混みを避け、すでに見えている大きな建物、開拓者ギルドに向けて足を動かした。


 十数秒ほどで開拓者ギルドに辿り着き、そのスイングドアに手をかける。そして――


「よし! 一人目のパーティメンバーは、踊り子のロベリアさんに決定! 俺と一緒に魔物から大地を取り戻そう!」


 こんな声が少し離れた場所で聞こえると同時に、狩夜は開拓者ギルドのドアを押し、その中へと足を踏み入れた。

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