045・どっちが好み? 上
「あん。いいところでしたのに……」
アルカナはファスナーから口を放しつつそう呟き、名残惜し気に身を起こして狩夜から離れた。直後、先ほどまでアルカナの頭があった場所を、紅葉が繰り出した槍が通過していく。
槍の穂先が自らの股間の上を通過していくその光景を、狩夜は息を飲みながら見つめ、無言のまま見送った。
「男と女の睦事に横槍を入れるなどと……無粋ですわねぇ。闇の民の情事を邪魔したらどうなるか、知らないとは言わせませんわよ?」
「それを言うなら、先に横槍を入れてきやがりましたのはそっちでやがりましょう? これでお相子でやがります。それに、お天道様がまだこんなに高いでやがりますのに、天下の往来で何をおっぱじめる気でやがりますか。時と場所をわきまえるでやがりますよ」
紅葉は半眼でアルカナを睨み付けると、小さく溜息を吐いた。次いで、こう言葉を続ける。
「それで、話は終わりやがりましたか? なら、アルカナは何処へなりといくでやがりますよ。紅葉はそろそろ戦いの続きがしたいでやがります」
狩夜――ではなく、レイラを鋭い眼光で見下ろしながら言う紅葉。その視線と言葉を受け、狩夜は慌ててファスナーを上げ体を起こした。一方のアルカナは、紅葉の視線から狩夜を庇うように立ち、首を左右に振る。
紅葉の右側の眉毛が、不機嫌そうに吊り上がった。
「アルカナ……なんのつもりでやがりますか? 話が終わったら、すぐに立ち去ると言っていやがったはず……」
「お話の結果いかんで……とも申しましたでしょう? このわたくしをあれほどまで狂わせる極上の素材。みすみす紅葉さんに殺させはしませんわ」
「先のアルカナの様子を見るに、あの薬は人の手にあまるものだと紅葉は思うのでやがりますが……どうするつもりでやがります?」
「もちろん、わたくしのお店で扱うに決まっています。そして、わたくし自身も使うのですわぁ。ああ……ああ♡ あの極上の素材から精製された薬は、どのような世界をわたくしに見せてくれるのか……そして、どれほどの快楽をわたくしに与えてくれるのか……想像するだけで火照ってしまいますわぁ……高ぶってしまいますわぁ……」
「……むぅ」
これは引きそうにないと思ったのか、困った顔で槍から手を離す紅葉。そして、その手で頭をかきながら、こう口を動かす。
「今更ながら疑問でやがります。なんでこんな色狂いが、名誉ある精霊解放軍に参加していやがるのか……」
「必要だからに決まっているではありませんの。戦いで傷つき、疲れた殿方が求めるもの……それは酒と女でしてよ。そんな荒ぶる殿方と、紅葉さんやカロンさんといったお堅い女性開拓者との間に要らぬ軋轢を生まないためにも、どんな殿方が相手でも笑顔で酒を注ぎ、喜んで媚びを売る、わたくしたちのような女が必要なのですわ」
一理ある。アルカナの物言いにそう思ってしまったのか、紅葉は頭をかく手の動きを激しくさせた。すると、髪によって隠されていた紅葉の鹿耳があらわになり「あ、やっぱり鹿の獣人なんだな」と、紅葉の出自を狩夜に再認識させた。
「はぁ……不本意ながら、アルカナたち闇の民が解放軍に必要なことは認めてやりやがります。でも、男漁りはほどほどにしやがるですよ」
「なぜですの? 殿方も気持ち良くて、わたくしたちも気持ちいい。そして、殿方の精を吸ったわたくしたち闇の民は、更なる力を手に入れ、解放軍に貢献できる。いいことずくめではありませんの。なぜ遠慮をしなければならないのです?」
「品位の問題でやがりますよ。同じ国で暮らすお前たち闇の民がそんなだと、国元であるフヴェルゲルミルと、紅葉たち月の民の品位まで疑われるのでやがります」
「疑われるも何も、フヴェルゲルミルはそういう国ではありませんの。フヴェルゲルミルは、欲望と快楽の国ですわ」
「違うでやがります! フヴェルゲルミルは、
「何年前の話を……その月下の武士とやらも、今じゃ――」
「それ以上言うなでやがります!!」
紅葉の本気の怒声がアルカナの声を遮った。アルカナは「やれやれ」と肩を竦め、こう告げる。
「そんなに声を荒げないでくださいまし、はしたない。そんなことじゃ、嫁の貰い手がいませんわよ?」
「鹿角の大将である紅葉が嫁にいくわけないでやがりますよ! 結婚するなら婿を取りやがります!」
「いえ、そういう意味ではなく、殿方に相手にされないと言っているのですわ。ただでさえ紅葉さんは、女性としての魅力に乏しいですのに」
「う……」
アルカナの言葉に紅葉が怯んだ。そして、ほとんどまったいらな自分の胸を見下ろしながら、自信なさげに口を動かす。
「チ、チビでぺたんこでも、紅葉のことを可愛いと言ってくれる男が、どこかにいやがりますよ……たぶん……きっと……そ、それに、男なら誰でもいいアルカナよりも、紅葉のほうが……その……」
「あらあら」
意気消沈してしまった紅葉を見下ろしながら、アルカナが勝ち誇ったように笑う。そして、弱った小鹿に止めを刺そうとでも思ったのか、視線を背後の狩夜に向けながら、こう言ってのけた。
「では、この場で白黒はっきりさせましょう。わたくしと紅葉さん、どちらがより女性として魅力的か、実際に殿方に決めてもらおうじゃありませんか」
「え゛……」
思いがけない展開に、狩夜の口から動揺の声が漏れた。そして、紅葉の口からも弱々しい声が漏れる。
「そ、それは……その……」
「なんですの? 逃げますの? まあ、わたくしはそれでもかまいませんが——」
「——っ! も、紅葉の懐紙に逃げの二文字はないのでやがります! いいでやがりますよ! やってやりやがります!」
「なら、異存はありませんわね。さあ、狩夜さん。わたくしと紅葉さん、どちらがより女性として魅力的か、今ここで選んでくださいまし」
紅葉を追い詰め、狩夜に選択を迫るアルカナの楽し気な声が、ウルザブルンの一角に響き渡った。
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