044・マンドラゴラの真骨頂

「別にモミジさんにご用があるわけではありませんわよ。わたくしは、こちらの坊やにお話があって来たのですわ」


「え? 僕に?」


 アルカナの言葉に首を傾げる狩夜。そんな狩夜にアルカナは「ええ」と答え、こう言葉を続ける。


「ですので、今モミジさんに坊やを殺されてしまいますと、わたくしとてもとても困ってしまいますの。お話の結果いかんでは、わたくしはすぐにでも立ち去ります。ですので、私闘は後回しにしていただけませんこと? もし耳を貸さないと言うのであれば、わたくし、アルカナ・ジャガーノートは、この坊やに加勢させていただきますわよ?」


「む……」


 狩夜に加勢するというアルカナの言葉に、紅葉の顔つきが変わった。レイラとアルカナを敵に回した二対一(狩夜は数に入らない)では、さすがに不利と考えたのだろう。


 ほどなくして、紅葉は諦めた様に小さく溜息を吐いた。次いで槍を担ぎ直し、近くに偶然あった木箱の上に腰かける。


「わかったでやがりますよ。同郷のよしみで一旦引いてやりやがります。でも、紅葉を鬼と呼びやがりました以上、一回ぶっ飛ばすまでは矛を収める気はねーでやがります。待っててやがりますから、なるべく早くすませやがるですよ」


「助かりますわ」


 アルカナが小さく会釈し、二人の会話は終わった。そして、アルカナは再度体の向きを変え、狩夜を正面から見下ろしてくる。


「坊や、お名前は?」


「えっと……カリヤ。カリヤ・マタギです」


 狩夜が名乗るとアルカナが目を丸くした。少し離れた木箱の上で、紅葉も驚いたような顔をしている。


「カリヤ・マタギ……いえ、マタギ・カリヤの方がしっくりきますわね。ひょっとして、そちらの方が正しいのではありませんこと?」


「え? あ、はい。そうです」


「光の民なのに、月の民の名前なのですわね。珍しい。ひょっとして、あなたには月の民の血が混じっておりますの?」


「そ、そんな感じです」


「おい、お前。お前の名前、漢字だとどう書きやがりますか?」


 狩夜のことを興味深げに見つめながら、紅葉が口を開いた。故郷である日本でも何度かされた質問。狩夜は懐かしさを感じながらも、こう即答する。


「中に点がある叉。頭に角の生えた鬼。狩人の狩りに、夜空の夜で、叉鬼狩夜です。これでわかりますか?」


「わかるでやがりますよ。ふーん……なるほど……漢字だとそう書くでやがりますか……」


「はい。紅葉さんは、鹿の角で鹿角かづの紅葉こうようと書いてもみじと読む――であってますか?」


「あってるでやがりますよ。漢字に詳しいのでやがりますね」


 紅葉はこう言いながら小さく笑った。狩夜は「ようやく笑ってくれたよ」と胸中で呟き、紅葉に笑い返す。


「なるほど。カリヤとは、夜の狩人という意味なのですわね……素敵なお名前です。わたくし、とてもとても気に入りましたわ。ふふ……」


 カリヤの名前を舌の上で舐め転がすように呟くアルカナ。狩夜は背筋をゾクゾクと震わせ、紅葉に向けていた視線をすぐさまアルカナに戻す。


「ではカリヤさん。わたくし、カリヤさんがお連れしているその魔物について、少々お尋ねしたいことがあるのですが——よろしいですか?」


「レイラがどうかしました?」


「レイラさんというお名前ですのね。そのレイラさんなのですが……もしかして、サキュバス・キャロットではございませんこと?」


「サキュバス・キャロット?」


 聞いたことのない名称に狩夜は首を傾げた。その狩夜の反応に、アルカナが落胆の声を漏らす。


「その反応からして、どうやら違うようですわね……ウルズの泉で泳いでいる時に遠目からお見掛けして、もしやと思い後を追ってきましたが、無駄足でございましたか……」


 どうやらアルカナのスリングショットは、私服ではなく水着であったらしい。私服はもう少し露出が少なければいいなと思いつつ、狩夜は次の言葉を返した。


「そのサキュバス・キャロットって、どんな魔物なんですか?」


「わたくしたち闇の民の故郷である、ヘルヘイム大陸に生息する固有種です。二足歩行する根野菜のような魔物で、精力剤や媚薬の材料として重宝されていたと伝え聞いておりますわ」


「せ、精力剤や媚薬……ですか」


「はい。仕事柄よくお世話になるのです。レイラさんがもしサキュバス・キャロットならば、素材を少し提供していただければ――と考えていたのですが……」


「すみません。レイラはマンドラゴラという魔物です。サキュバス・キャロットではありません」


「そうですか……残念ですわ。本当に残念ですわぁ」


 心底残念そうに言うアルカナ。そして、美人がそんな顔をしていると、助けてあげたくなるのが男のさがである。気がつけば狩夜は、こう口を動かしていた。


「あ、あの、諦めるのは早いです! 精力剤や媚薬なら、マンドラゴラからでも作れるはずですから!」


 というか、それこそがマンドラゴラの真骨頂のはずだ。狩夜は「そうだよね?」と胸の中のレイラに視線を向ける。


 狩夜の視線に気が付いたレイラは、今まで見せたことのないとても渋い顔を狩夜に向けてくる。どうやらアルカナに協力するのが気乗りしないらしい。


「え? この私に媚薬を出せっての? やだ」と言いたげな雰囲気を全身から放つレイラ。狩夜はそんなレイラに顔を寄せ「危ないところ助けてもらっただろ」と小声で言い聞かせる。痛い所を突かれたレイラは、葛藤のすえ――折れた。渋い顔のままアルカナに向けて右腕を突き出す。


 次の瞬間、レイラの右腕から百合のような白い花が咲いた。レイラはその花を、あたかもティーポットのように傾ける。


 レイラの意図を察し、慌てて右の掌を差し出すアルカナ。ほどなくして、その掌の上に一滴の蜜が落ちる。己の掌の上に広がる薄いピンク色の蜜を、アルカナはまじまじと見つめた。


「この蜜が精力剤と媚薬の素材ですの?」


 アルカナの問いに、レイラは渋い顔を継続したままコクコクと頷く。


「ふむ……嗅ぐだけで体が火照るこの甘い香り……これは極上の素材になりそうですわね……では、早速検分を……」


 こう言うと、アルカナは右手をおもむろに動かし、口元へと運んだ。どうやらあの蜜を舐めてみるつもりらしい。そんなアルカナを、狩夜は慌てて制止する。


「ちょ、アルカナさん! いきなり口に入れるのはさすがに……」


「ふふ、大丈夫ですわよ。わたくしの二つ名は“百薬ひゃくやく”。テンサウザンドの開拓者にして、此度の遠征軍では医薬品の管理製造の責任者をしております。〔耐異常〕スキルもすでにLv5。何の心配もいりませんわ」


 狩夜を安心させるように優しく微笑んだ後、アルカナは自身の掌に舌を這わせ、レイラの蜜を奇麗に舐めとった。その仕草が妙に淫靡で、狩夜は目を見開いて凝視してしまう。


 狩夜の視線の先で、アルカナの喉が少し大きめに動いた。どうやら蜜を飲み込んだらしい。


「……」


「アルカナさん?」


「……」


「アルカナさーん?」


 レイラの蜜を飲み込んだ直後、アルカナが動かなくなった。いや、それだけじゃない。瞳は虚ろになり、両手は力なくだらりと下げ、無言で立ち尽くしている。


「アルカナさん!? ちょっ、大丈夫ですか!? 返事をしてください!」


 狩夜は慌ててアルカナに駆け寄り、その体を前後に揺さぶった。だが、アルカナからはなんの反応も返ってこない。


 いよいよ不安になった狩夜が、遠巻きにこちらを眺めている紅葉に助けを求めようとしたとき——


「……ます」


 アルカナの口がようやく動き、虚ろだった瞳が光を帯びた。その瞳が狩夜の顔を捉え、そこで固定される。


 狩夜は強く安堵しながらアルカナと視線を重ね、再度呼びかける。


「アルカナさん! 大丈夫ですか!? 意識はありますか!?」


「あな……を……い……て……ます」


「なんですか!? 聞こえません!? もっと大きな声でお願いします!?」


「あなたを……カリヤさんを……私は……」


「僕? 僕がどうしました? 僕にしてできること、してほしいことがあったら遠慮なく――」


「愛しています……」


「へ?」


「愛しています。愛しています! 愛しています!! カリヤさん好き! 好き好き大好き!! ああん我慢できない!!」


 次の瞬間、狩夜は瞳の中にハートマークを浮かべたアルカナに地面に組み伏せられていた。抵抗はおろか反応すらできない。やはりテンサウザンドの開拓者の身体能力は——


「って感心してる場合じゃない! ちょ、何これ!? 何これぇ!? アルカナさん、お願いですから落ち着いて——」


「今すぐ口づけをくださいませ♡ 今ここで抱いてくださいませ♡ 結婚してくれなどと分不相応なことは申しません♡ わたくしはカリヤさんの奴隷です♡ 時たまお情けをいただければこれ以上の幸せはありません♡ カリヤさん好き好きぃん♡」


「聞こえてないぃいぃ!? レイラ、アルカナさんに何を渡した!? これ媚薬なんてもんじゃないだろ!? もう惚れ薬だろこれ!?」


 口を高速で動かしながら、自身の胸とアルカナの胸にプレスされているレイラに視線を向ける狩夜。そんな狩夜の視線の先では「だから嫌だったんだよ……」と言いたげな顔をしているレイラがいる。


 いまだに狩夜が五体満足でいられているのも、このレイラのおかげに他ならない。狩夜の服を脱がさんとするアルカナの手を、二枚の葉っぱで逐一はたき落とし、狩夜の貞操を守っていた。


 だが、敵もさる者。葉っぱの動きに慣れたのか、アルカナは両手で一枚づつ葉っぱを掴みその動きを止めた。次いで、顔を躊躇なく狩夜の股間に埋めてくる。


「おふう!?」


 思わず変な声を漏らす狩夜に「両手が使えなければ口を使えばいいじゃない」と妖艶な瞳を向けつつ、アルカナはトレッキングパンツのファスナーを顔の触覚だけで探し当て、それを唇にくわえた。


 ―—もはや一刻の猶予もない!!


「レイラ! 治療! 今すぐアルカナさんを治療して! 早くぅ!」


 自分の薬で暴走した相手を自分で治療する。不本意極まりないだろうが、レイラは「やれやれ」と言いたげな顔で狩夜の指示に従った。右腕から先端に針の付いた蔓を出現させ、アルカナの首筋目掛けて高速で伸ばす。


 普段のアルカナならばかわせたのかもしれないが、今のアルカナは狩夜のことしか見ていない。レイラの蔓は容易くアルカナの首筋に辿り着き、そのまま一突き。


 効果はいつも通り劇的だった。一度体を大きく震わせた後、アルカナは動きを止め――


「あら? あらあら? わたくしはいったい何を?」


 狩夜の股間に顔を埋めながら、両目をパチクリさせた。その両目には、すでにハートマークはない。


「あ、アルカナさん! よかった! 正気に戻ったんですね!」


 こう声をかけるも、アルカナは狩夜の言葉を無視。視線を左右に巡らせ、油断なく現状を確認する。そして、自身が狩夜の股間に顔を埋めていることを理解すると——


「ふふ♡」


 男を求める雌の顔と、得物を狩る肉食獣の顔。それらを見事に両立させた表情を浮かべ、淫靡に微笑んだ。次いで、再び顔の触覚だけでファスナーを見つけ出し、躊躇なくパクリ。そして―—


「じーーー♡」


 ゆっくりとじらすように、ファスナーを下ろし始めた。


「にゃぁぁあぁぁああぁあぁぁ!?」


 たまらず絶叫する狩夜。忘れていた。アルカナ・ジャガーノートは、たとえ薬の影響下になくとも、この上なくエロい女であったのだ。


 今度こそ終わりだ——と、狩夜が星になる覚悟を決めたとき——


「まったく……いつまで盛ってるつもりでやがりますか!」


 と、いつの間にか近くにきていた紅葉が、文字通り横槍を入れてきた。

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