043・闇の英傑

 レイラの葉っぱを貫きはしたものの、紅葉のほうも相応の代償を支払ったらしい。


 紅葉が突き出す槍の速度は目に見えて――というか、狩夜の動体視力でも、どうにか視認できるくらいの速度にまでは落ちていた。


 つい先ほどまでは、まったく見ることができなかった月光の槍。その穂先が自身の胸に近づいていく光景を、狩夜は他人事のように眺める。爆発的に膨張するレイラの存在感と質量、その双方を頭皮で感じながら。


 レイラは、全身から枝、蔓、根を無数に出現させ、狩夜に迫る槍をなんとしても止めるべく、あらゆる手を尽くしていた。その動きにいつもの余裕は一切なく「油断した!」「本気になるのが遅かった!」という後悔の声が聞こえてきそうである。そんなレイラを睨み付け、紅葉はなおも槍を前へと突き出してきた。


 正面から迫る槍。その動きは狩夜の胸に近づくにつれ、徐々に遅くなっていくように見えた。


 ―—ああ、これが死ぬ直前の、時間が圧縮された世界ってやつか。


 一瞬が永遠に引き延ばされていくような感覚に浸かりながら、狩夜は自身の胸へと近づいてくる槍の穂先を見つめ続ける。そして、視界の端にレイラの枝や蔓が映ったとき、狩夜の世界は完全に停止した。


 槍の穂先も、レイラの体の一部も、完全に動きを止めている。死を目前にして、内に秘められた何かがついに覚醒したのか――と、凡人にありがちな勘違いをしかけたところで、狩夜はあることに気づき、間の抜けた声を漏らす。


「あれ? これ、レイラも紅葉さんも……ほんとに止まってない? っていうか、僕の体も動かないんですけど!?」


 狩夜は突然動かなくなった体をどうにかして動かそうと、必死になって力を込めるが、体は小刻みに震えるだけでまったく動こうとしなかった。レイラ、紅葉の両名も、何事かと困惑した顔で体を小刻みに震わせている。狩夜同様、まともに動けないらしい。


「いったい、何が——」


「はーい、そこまでですわ。その勝負、このわたくしが預かります」


 狩夜の言葉を遮るように、微熱を孕んだ艶っぽい声が周囲に響く。その瞬間、狩夜の男の子の部分に血が集まり、鎌首をもたげ、声の主を探すようにズボンの中で蠢いた。


 自身の体の反応に、狩夜は恥じると同時に慌てふためく。いくら思春期真っ只中の十四歳とはいえ、この体の反応は異常だ。さすがに節操がなさすぎる。


 媚薬を鼓膜から注入されたかのような感覚に囚われながら、狩夜は声が聞こえた方向に顔を向けようとして——失敗。全身が動かないのだから、顔の向きを変えられるはずもない。眼球だけは動かせたので、限界まで横に動かしてはみたが、魅惑の声の主は視界の外のままだった。


「この声……アルカナ! アルカナ・ジャガーノートでやがりますね!? ということは、体が動かない原因は、お前の影縫いでやがりますか!」


 影縫い。漫画やアニメでよく聞く単語に反応し、狩夜は眼球を下に向けた。すると、自身と紅葉の影に深々と突き刺さる、紫色の宝石が付いた太くて長い針が見えた。にわかには信じがたいが、魅惑の声の主――アルカナは、この針で狩夜たちの動きを封じているらしい


「……!!」


 レイラが「こんなもの~!」とでも言いたげに、全身に血管のようなしわを浮き上がらせながら力を込める。すると、緩慢な動きではあったが、葉っぱや蔓が一斉に動き出した。直後、アルカナが感心したような声で次の言葉を紡ぎ出す。


「あらあら、とんでもない力ですわね。でも、そんなことをすると、あなたはともかく、あなたのご主人様が大変なことになりますわよ?」


「痛たた! 痛い! レイラ止まって! 動かないで! 体が千切れる! 痛い痛い!」


「……!?」


 影が繋がっているせいか、レイラが無理に動こうとすると、狩夜の体に激痛が走った。レイラはすぐさま体から力を抜き「大丈夫!? ねぇ大丈夫!?」と言いたげな視線を狩夜に向けてくる。


「皆さんに危害を加えるつもりはありませんので、無理に動こうとしないでくださいまし。この影縫いは、力尽くで外そうとすると——」


「うがーーでやがります!」


 アルカナの制止を無視して、大声を上げながら両腕を真上に突きあげる紅葉。すると、紅葉の影から音を立てて針が弾け飛び、地面を転がった。


 槍の穂先が天に向いたことに安堵しつつも、ポカンとした顔で紅葉を見つめる狩夜。一方の紅葉は狩夜の視線などまるで気にすることなく体を動かし、異常がないかどうか調べている。そして、あらかた確認が終わった後、ぶりっ子のポーズをしながらこう言った。


「うん、外れたでやがりますね♪」


「……大変危険で最悪死んでしまいますから、絶対にやめてください――そう忠告するところでしたのに、力尽くで外さないでくださいまし。しかも無傷だなんて、相も変らず化け物じみた方ですわね」


 アルカナは溜息まじりにそう言うと、地面に転がった針を拾うべく歩き出した。女性物の靴、その硬いヒールが地面を叩く音が徐々に近づき、アルカナの容姿がようやく狩夜の視界にも移る。


「っぶ!?」


 アルカナの姿を見た瞬間、狩夜の口から驚愕の声が漏れた。聞く媚薬とも表現できそうな声から推測し、アルカナは色っぽくて美人なお姉さんなんだろうな——と想像していた狩夜であったが、その想像のはるか上をいく姿に絶句してしまった。


 歳は二十代前半で、顔の造形は思わずぞっとしてしまうほどに整っていた。大人の女性らしくアップにまとめられた髪は夜天のような優しい闇色で、プルンと柔らかそうな唇には鮮血の如きべにが引かれている。


 スタイルはやらしいの一言。胸は大きすぎず、小さすぎずの、万人受けするサイズで、とにかく形が素晴らしい。ウエストはきゅっと引き締まっており、くびれが凄い。腰から下はムッチリとした安産型で、初心で女性経験のない狩夜ですら、思わず穢したくなるほどに蠱惑的な魅力に溢れていた。


 なぜこれほどまでにアルカナの体を詳しく描写できるのか? と問われれば、答えは一つ。アルカナは、男の大多数が求めてやまない魅力的なその肢体を、ほとんど隠していないのである。


 アルカナが身に着けている衣服は、スリングショットの黒水着のような服だけで、比喩でも大袈裟でもなく、局部と乳首しか隠れていない。そして、大事なところしか隠していないので、彼女の種族としての特徴、小さすぎてどうやっても飛べないであろうコウモリのような羽と、先端にハート型の突起が付いた細長い尻尾が背中越しに見えた。


「闇の民……か」


 闇の民。地球で言うところの、悪魔や魔族にとてもよく似た種族である。【厄災】によって弱体化した種族としての特徴は、性別すら自在に操作したというメタモルフォーゼ。


「見たければ好きに見てください。むしろ見てくれた方が嬉しいです」そう言わんばかりのアルカナの肢体に視線向けたり外したりしながら「サキュバスだ……リアルサキュバスがいる……」と狩夜は独り言ちた。一方のアルカナは、狩夜の視線や独り言などまるで意に介さず、身を屈めて手を伸ばし、地面に転がった針を拾い上げる。


 針についた汚れを落とし、アップにされた髪に髪飾りのように刺し込んだ後、アルカナは狩夜と向き直った。次いで、妖艶に微笑みながらこう言う。


「坊や、もう少し辛抱してくださいましね。すぐに抜いて楽にして差し上げますから。ふふ」


「は、はひ!」


 思わず声を裏返しながら返事をする狩夜。そんな狩夜を見つめつつ、アルカナは右手を口元に運びながら笑みを濃くし、舌なめずりと共に「あら、初心な反応ですわね。かわいい♡」と呟いた。


 狩夜がゴクリと生唾を飲む中、アルカナは歩いて狩夜に近づき、狩夜の影に突き刺さった針を抜くべく身を屈める。


「っぶ!?」


 ここで、つい先ほどと同じように驚愕の声を漏らす狩夜。アルカナがすぐ横で身を屈めたことで彼女の背中が見えたのだが、どうやらあのスリングショットは、首と、腰のあたりにある尻尾の付け根で両端を固定しているらしく、背後から見ると首紐と腰までのアイバックしか見えない。つまりはほぼ全裸に見えるのだ。正直言ってエロすぎる服である。狩夜は「見ちゃだめだ!」と胸中で叫び、理性を総動員して眼球を上に向け、アルカナの姿を視界から消す。


「ふふ」


 針を抜いて身を起こした後、眼球を上に向けていた狩夜を見下ろし、視線を重ねながら楽し気に笑うアルカナ。男に自分がどのように見られているか理解し、その上で、相手の反応を心から楽しんでいる様子である。


 アルカナ・ジャガーノート。存在自体が限りなくエロい女であった。


「……! ……!」


 影縫いが外れるや否や、頭上からレイラが飛び降りてきた。そして、狩夜の胸元に縋り付く。その後、狩夜の顔を上目遣いに見つめながら「痛くしてごめんね。油断してごめんね。治療する?」と涙目で訴えてきた。


 狩夜はそんなレイラに微笑み返し「大丈夫だよ」と言いながら額と額をくっつけてやった。するとレイラは満面の笑みを浮かべ、狩夜の顔に頬擦りを開始する。


「あらあら。仲睦まじいですわね」


 狩夜とレイラのやり取りをすぐ近くで見つめていたアルカナが、穏やかな声色でそう呟き——


「っで、いったい何の用でやがりますか? アルカナ。紅葉の戦いに横槍を入れた以上、相応の理由と覚悟はありやがるのでしょうね?」


 紅葉が、やや剣呑な声色でそう告げた。


 紅葉の立ち位置は、狩夜とレイラ、そしてアルカナから四メートルほど離れた場所である。己が獲物である槍、その威力を誰に対しても最大限に発揮できる場所を陣取っていた。つまりは、まだまだやる気満々なのである。


 アルカナは「やれやれ」と呟きながら踵を返し、紅葉と正面から相対した。そして狩夜は、踵を返したことで再び目に飛び込んできたアルカナの背中から、慌てて視線をそらす。


 ―—アルカナさん。お願いですから背中をこちらに向けないでください。理性が焼き切れてしまいそうです。


 狩夜は、体の内側で荒れ狂うリビドーを抑え込むために、レイラを両手で強く抱きしめた。

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