042・月の英傑
「えっと……開拓者ギルドは……こっちか」
イルティナと別れ、レイラを頭に乗せながらウルザブルンを探索する狩夜。要所要所に設置された簡易地図や、案内標識を頼りに、開拓者ギルドを目指す。
イスミンスールに来て初めての都会。多種多様な種族が道を歩き、異種族間で語らい、笑い、交渉している。価値観や文化の相違による衝突もそこかしこで見かけたが、ウルザブルンは基本的に平和であった。
両生類系の水の民も何度か見かけたが、目や口が大きいカエル顔というだけで、男女ともにきちんと人間の範疇に納まっていた。やはりフローグが特別なのだろう。
道行く人々の話題は、当然だが精霊解放遠征関連が多い。精霊の解放、もしくは人間の支配地域拡張への期待感に、多くの人が目を輝かせ、声を弾ませている。
周囲の明るい雰囲気と、魔物に襲われる心配のない水上都市の中という安心感から、狩夜の表情も自然と緩む。美味しそうな匂いを発する屋台や、食事処に目を向け「ちょっと無駄遣いしちゃおっかな~」と、表情だけでなく、財布の紐までも緩みそうになった、そのとき——
『おおぉおぉぉお!!』
という、大勢の歓声がウルザブルンに響く。何事かと思い、歓声の聞こえた方向へと狩夜が目を向けると、なにやら不自然な人混みが見えた。
「すげぇな。これで二十人抜きだぜ」
「ああ、聞きしに勝る強さだ」
人混みの一部。開拓者と思しき二人組がこう声を上げた。誰かが戦っているのかな? と、狩夜は首を傾げ、刺激された好奇心に逆らうことなく、その人混みの方へと歩を進める。
「相手にとって不足でやがります! もっと強い奴はいないでやがりますか!?」
人混みの中心から、勇ましいのか可愛らしいのか、敬語なのかそうじゃないのか、なんとも判断に迷う声が聞こえてきた。だが、人混みが邪魔をして声の主が見えない。狩夜はチビの哀愁を感じながら上半身を左右に振り、人混みの隙間から声の主の姿を探した。
「
この挑発とも取れる発言に「よし、俺が相手だ!」と、ちょうど狩夜の目の前にいた大柄な男が鼻息荒く歩み出た。これにより視界が開け、声の主の姿が狩夜の目にもようやく映る。
それは、満月のように輝く一本の長槍を担ぐ、若草色の髪をした女の子であった。
身長と年齢は狩夜と同じくらい。上半身には袖なしの
髪型は肩上のショートカット。発育はあまりよくないらしく、胸は見事なまでにぺったんこだ。だが、女性としての魅力が乏しいというわけでは決してない。特に両目。翠玉のように輝くどんぐり眼が実にチャーミングだ。身長が同じくらいで、遠い故郷である日本の匂いを、その名前、その服装、その言動で感じさせてくれるところも、狩夜としては好印象である。
「次はお兄さんが紅葉の相手でやがりますか? いいでやがりますよ。紅葉はいつ、何時、どんな相手からの挑戦も受けやがるです。いざ尋常に勝負でやがります!」
自身よりも一回りも二回り大きい相手を前に、嬉々として槍を振り回す女の子——紅葉。相手の大男が体をほぐし、武器を構えるのを楽しげに待つその姿を見つめながら、狩夜は一人首を捻った。次いで胸中で呟く。
―—あの子、種族はなんだ?
光の民かと思ったが、違う。紅葉が光の民でないという確固たる証拠が、狩夜の視界の中にある。
それは、二本の角。紅葉の額には、前髪の生え際あたりから顔を出す、丸みを帯びた短い角があるのだ。
光の民ではない。かといって火の民とも違う。あの角は、竜というよりもむしろ――
「鬼?」
狩夜が存在しないはずの種族の名を口にした瞬間、ニコニコ笑顔で槍を構えていた紅葉の雰囲気が変わった。そして「いくぞ!」と石斧を構えて走り出す大男目掛け、無造作に槍を振るう。
次の瞬間——
「ぐぼふぉおおぉおおぉ!?」
槍の柄に腹を殴られた大男が宙を舞った。そのまま狩夜の視界から消え、ウルズの泉の方へと飛んでいく。
どこか遠くで、何かが水に飛び込む音がした。
「だぁ~れぇ~でぇ~やぁ~がぁ~りぃ~まぁ~すぅ~かぁ~? 紅葉のことを鬼って呼びやがりました奴はぁ~?」
全身から凄まじい怒気を放ちつつ、狩夜の方へとゆっくり視線を向ける紅葉。その視線を受け「やばい地雷踏んだ!」と狩夜は体を硬直させ、人混みを形成していた他の者たちは、血相を変えて慌ただしく動き出した。
「うわぁ! 皆逃げろ! 紅葉さんがキレた!」
「紅葉様を鬼と呼んだ馬鹿がいるぞ!」
「テンサウザンド開拓者である紅葉さんのことを知らないなんて、どこの田舎者よ!」
「嫌だぁ死にたくねぇ! 巻き添えは御免だぁ!」
悲痛な声を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていく人々。ほどなくして誰も居なくなり、その場には狩夜とレイラ、そして、紅葉だけが残される。
紅葉は、どんぐり眼を限界まで見開きつつ狩夜を見据え、こう口を動かした。
「お前でやがりますか? 紅葉を鬼と呼びやがりました無礼者は?」
「あ、あの……その……」
「紅葉を鬼と呼んだ以上、覚悟はできてやがりますね? 紅葉は紅葉を鬼と呼んだ奴を、例外なくぶっ飛ばすことにしていやがるです」
「ふ、ふぇぇえぇ!? も、紅葉――さんは、鬼じゃないんですか!? 鬼じゃないなら、いったいなんなんですか!?」
「『鹿』でやがりますぅ! 鬼じゃなくて鹿でやがりますよ! まったくもう、皆して紅葉のことを “
「鹿!? あ、そうか、月の民か!」
月の民。体のどこかに人間以外の哺乳類の特徴を有する種族。つまりは獣人。【厄災】によって弱体化した種族としての特徴は、月の下での獣化能力。
紅葉は、どうやら鹿の特徴を有した月の民であるらしい。あの角は、鬼の角ではなく、鹿の角だったのだ。
だが、だとしたら一つ疑問が残る。
「あれ? でも雌鹿なのにどうして角が? 鹿の角は雄にしか生えないはず——」
「ああああぁぁあぁ!! また紅葉が気にしていることを言いやがりましたね!? お前も紅葉のことを『胸ぺったんこだし、角は生えてるし、ほんとは男なんじゃねぇの?』とか思ってやがりますか!? 紅葉に角が生えていて、お前の人生に何か迷惑かけやがりましたかぁ!?」
「ああ、すみません! ごめんなさい!」
地雷二つ目。どうやらコンプレックスだったらしい。紅葉は涙目で狩夜を糾弾してきた。口は禍の門とはこのことである。
「鬼と呼んでしまったことは何度でも謝罪しますし、先ほどの発言も撤回いたします! 賠償しろと仰るならしますから、どうか穏便に――」
「却下でやがります! 紅葉を鬼と呼んだ時点で許す気はまったくありませんでしたが、さっきので完全に堪忍袋の緒が切れやがりました! さあ、歯を食い縛るでやがりますぅ!」
紅葉はこう言いながら槍を振りかぶり、石突きを狩夜に向けて突き出してきた。刃の方で切りかかってこないのは、せめてもの慈悲なのだろう。もっとも、テンサウザンドの開拓者であるらしい紅葉の剛撃である。石突きだろうと、白刃だろうと、いまだハンドレットである狩夜にとっては致命的な一撃であることに違いはない。避けることも防ぐこともできないだろう。
一秒も待たずして襲い来る激痛と衝撃に備え、紅葉に言われた通りに歯を食い縛る狩夜。だが、その備えは徒労に終わる。
「……」
ウルザブルンに来てからずっと大人しかったレイラがここで動き、右側の葉っぱで狩夜を守ったのだ。
レイラの葉っぱと、紅葉の石突きが激突し、和太鼓を叩いたかのような音が周囲に響く。
「むむぅ!?」
防がれるとは思っていなかったのか、レイラの葉っぱに阻まれた石突きを見つめつつ目を見開く紅葉。そんな紅葉を前に、自身を守ってくれたレイラに対して胸中で何度も礼を述べながら、狩夜が安堵の息を吐こうとした、次の瞬間——
「うりゃーーでやがります!」
狩夜の視界から槍が消えた。いや、槍だけではない、紅葉の両腕も消えている。紅葉の腕、その動きが速すぎて、狩夜では視認できないのだ。そして、それはレイラの葉っぱも同様。どうやら、紅葉とレイラの攻防は、まだ終わっていないらしい。
狩夜の前方、半径二メートルほどの範囲で、無数の火花が飛んだ。その火花は巨大な線香花火の如く何度もきらめき、これまた線香花火の如く唐突に終わった。このままでは埒があかないと判断したのか、紅葉が後方に大きく飛び退き、必要以上に広く間合いを取ったのである
しばしの沈黙。狩夜とレイラ、そして紅葉しかいないウルザブルンの一角に、不自然な静寂が訪れる。
「すぅー……はぁー……」
気持ちを落ち着けるように、大きく深呼吸をする紅葉。対するレイラはいつもとなんら変わらない。頭上で揺れる大きな葉っぱ二枚を風に任せて揺らしている。狩夜は完全に蚊帳の外だ。
「紅葉を本気にさせやがりましたね」
紅葉はそう言うと、槍を頭上で二回転ほどさせてた後、満月のような光を放つ槍の穂先を狩夜とレイラに向け、足を大きく開き、腰を深く落とした。次いで、獣のような鋭い眼光で前を見据えつつ、戦国武将の如く高らかに名乗りを上げる。
「
直後、紅葉は全力で地面を蹴り、一陣の風となった。十メートルはあったであろう間合いを一瞬で詰め、己が得物の威力を最大限に発揮できる場所に軸足を叩きつける。
人工島であるウルザブルン。それ全体が揺らぐかのような踏み込み。そして、そこから繰り出される超神速の刺突。
レイラは二枚の葉っぱを交差して、槍の進行方向上に配置。真正面から紅葉の刺突を抑え込もうとした。しかし——
「「——っ!?」」
狩夜、そしてレイラの表情が驚愕に歪む。
貫かれた。
今の今まであらゆる攻撃を防ぎ、狩夜を守り続けたレイラの葉っぱ。絶対と思われていたその防御が破られ、月光の刃が一直線に狩夜へと迫る。
「
勝利を確信した紅葉が、槍を更に突き出しながら雄叫びを上げた。
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