040・地の英傑

「あの、今度は僕から質問いいでしょうか?」


 値踏みという重圧から解放された狩夜は、今度はこちらから話を振ってみようと、右手を肩のあたりにまで上げ、恐る恐る声を発した。すると、ランティスもカロンもすぐさま首を縦に振り、こう言葉を返してくる。


「ああ。かまわないよ」


「知人が迷惑をかけましたからね。その質問とやらに答えます。遠慮なく言いなさい」


 笑顔のランティスと、口調こそ硬いものの口元には微笑を浮かべているカロン。そんな二人の笑みに安堵しつつ、狩夜は口を動かした。


「なら遠慮なく。カロンさんに質問なんですけど——」


「にょほほ。少年よ、その質問にはこのわしが答えよう。ズバリ、カロンのスリーサイズはB105・W58・H83じゃ。Tは159じゃから、Nカップということになるのう」


「いきなり横からしゃしゃり出て、人の身体情報を暴露するのはやめなさい!!」


 狩夜の質問を上書きするかのように、突然横から飛び出してきた声。その声が世に知らしめた驚愕の数値に、狩夜とランティスは頬を染めながら気まずそうに顔を横に向け、カロンは顔を真っ赤にしながら激昂した。


 己が得物である戟を両手で振りかぶり、声が聞こえてきた方向へと躊躇なく振り下ろすカロン。テンサウザンドの身体能力で振るわれたその一撃は、常人では視認することすらかなわない速度で声の主に迫る。


 まごうことなき必殺の一撃。その一撃を前にして、声の主は——


「ふん!」


 手にした戦斧を振るい、真正面から迎え撃った。


 一目で業物とわかる戟と斧とがぶつかり合い、大量の火花が飛ぶ。そして、甲高い轟音と共に、凄まじい衝撃波がウルザブルンの街並みを駆け抜けていった。


 音に聞こえた英雄豪傑を一目見ようと周囲に集まっていた住人たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていくなか、カロンが吠える。


「今度ハレンチな発言をしたら許さない――私は以前、あなたに対してそう忠告したはずです。言ったからには相応の覚悟は出来ているのでしょうね? ガリム!」


「にょほほ。わしも、この程度でうろたえていてはパーティリーダーは務まらない――そう助言したはずじゃぞ、カロンよ。乳は必要以上にでかくなったが、やはりまだまだ小娘じゃな」


 声の主――ガリムは、そう言葉を返しながら両手に更なる力を込め、カロンの戟を弾き飛ばした。力負けしたカロンは「っく!」と悔し気に呻きながら、後方に飛び退く。


「ガリム・アイアンハート。ユグドラシル大陸随一の鍛冶師にして、テンサウザンドの開拓者……彼も遠征軍に参加するのか」


 イルティナの独白を聞きながら、狩夜は視線をガリムへと向け、その容姿を観察する。


 鉄兜を被った厳つい顔と、腹部にまで届く立派な髭。筋骨隆々で、岩石のような体は五頭身。身長は童顔チビを自称する狩夜よりも低く、目算で百二十センチといったところだろう。


 だが――でかい。


 身長や体格ではなく、存在感がでかい。標高うん千メートルの大山を、無理矢理人の形に凝縮したかのような重さと厚さ。そんなでかさを、狩夜はガリムから感じとる。


 小さな巨人。それを体現したかのような『でかい男』がそこにいた。


「ドワーフ……じゃなくて、地の民か」


 地の民。小柄で、筋肉質。女性であっても髭が生える、地球で言うところのドワーフにとてもよく似た種族である。【厄災】によって弱体化した種族としての特徴は、腕力。普通の人間と大差ないものにまで弱体化したとのこと。


 だが、ガリムを見ていると、腕力が弱体化しているなどとはとても思えない。三十キロは下らないであろう巨大な戦斧を軽々と振り回している。基礎能力の向上は『筋力』を重視しているに違いない。


「というか、なぜあなたが私の身体情報を詳しく知っているのですか!? 遠征軍の武器防具の整備を統括する立場にあるとはいえ、そこまで詳細な数字がわかるわけがありません! なぜなら私は——」


「む、その口振り。やはり恥ずかしがって、本来の数値より小さく申告しておったな? 困るんじゃよ。正確な数字がわからんと、わしらの仕事に支障が——」


「急に真面目になるのはやめなさい! そして、早く私の質問に答えなさい!」


「わかったわかった、そう荒ぶるでない。なぜも何も、〔鑑定〕スキルの力じゃよ。この遠征のためにLv5まで鍛えてな。体のサイズぐらいなら、直接触らずとも一目でわかる」


「な……!?」


「どれ、木の民の姫様の発育具合はどんなものじゃ? ふむふむ、ほほう……これはまた……」


 カロンから視線を逸らし、イルティナの体を舐めるように見つめ始めるガリム。イルティナは両手で自身の体を抱き締めながら身を捩り、カロンは「私の友人にやらしい視線を向けるのをやめなさい!」と叫ぶ。


「あと、先ほど口にした『えぬかっぷ』とはどういう意味ですか!? 私の知らない恥ずかしい言葉で、私の尊厳を貶めるのはやめなさい!」


「ああ、それはわしにもよくわからん。胸のすぐ横に表示されておるから、胸に関わるものだとは思うのじゃが……」


「自分でもよくわからない言葉を使うのはやめなさい! 【厄災】以前の大昔に使われていた、口にするのもはばかれる卑猥な言葉とかだったらどうするのですか!?」


 二人の言葉から察するに、現在のイスミンスールには、胸の大きさの基準になるカップという単位は存在しないらしい。その言葉の意味を正しく理解し「Nカップとかまじぱねぇ!」と、心の中で雄叫びを上げることができるのは、どうやら狩夜だけのようだ。


 というか、カップなんて単位が何でイスミンスールに存在するのだろう? 以前この世界にやって来たという異世界人たちが持ち込み、広めたのだろうか?


「まあまあ、落ち着いてくれよカロン。ガリム殿も、あまりカロンをからかわないでください。これでは話が先に進まないじゃないですか。今は前途有望な新人の質問に答えるのが先です。さあ、カリヤ君。質問の続きを。まさかとは思うけど、カロンの体の数値が知りたかったわけではないだろう?」


「あ、はい。もちろんです。まあ、まったく無関係というわけでもありませんけど……」


 狩夜は「司令官のあなたがそう言うならしかたありませんね」と、不満げに戟を下ろすカロンと向き直った。そして、上目遣いにこう尋ねる。


「あの、カロンさん。失礼ですが、お洗濯……苦手ですか?」


 すごく遠回しに「なんでそんなサイズの合っていない服を着ているんですか?」と問われ、カロンの表情が引き攣った。だが、ガリムのときのように激昂することはなく、しどろもどろになりながらも、狩夜の質問に答えようと口を動かし始める。


「あ、いや、その……これは縮んだわけではなくてですね……かといって私の趣味というわけでもなく……言うに言われぬ事情がありまして……その……」


「にょっほっほ! なるほどなるほど! 確かに前途有望だわい! 小僧、カロンがぱっつんぱっつんなのは、服が縮んだからではない! カロンの胸がでかくなり過ぎただけのことじゃよ! 二年ほど前まではぴったりだったのじゃ!」


 いつまでたっても具体的な理由を口にしないカロンに代わり、ガリムが説明を引き継いだ。カロンも恥ずかしげに唇を噛むだけで反論しないところを見ると、嘘ではないようである。


 カロンからガリムの方に顔を向け、狩夜はこう口を動かした。


「でも、それなら服を買い替えれば――」


「それができんのじゃよ! カロンが着ている服は竜神衣りゅうじんいといって、竜髪りゅうはつを使って織られた特別なものじゃ。その防御力は折り紙付き。現存する魔法防具の中でも一、二を争う性能じゃ。ドラゴニュートの全能力を強化する伝説の防具に替わりなどありはせん。羞恥に耐えながらも着続ける価値がある!」


「仕立て直しは?」


「それもできん! 竜神衣の製法は既に失われておるからな。すべて解いて縫い直すなど、怖くて誰もできん! わしだって御免じゃ。責任とれんからな」


「はあ、なるほど。そういう理由があったんですね」


「……はい。けして趣味で着ているわけではないと理解なさい」


「でも、重ね着ぐらいはできるんじゃ……」


「この竜神衣は、火の民の王から下賜された国宝。隠すことなどできないと知りなさい」


「……大変ですね」


「ええ、大変です。ですが、この程度の辱めに私は負けません! 他者からどのような目で見られようと、私はこの竜神衣と共に戦い続け、いつの日か必ず、火の民の故郷であるムスペルヘイム大陸を、邪悪なる魔物から取り戻すのです! 見ていなさい!」


 使命感という炎を瞳の中で燃やしながら、己が決意を口にするカロン。狩夜はそんなカロンを見つめながら拍手をし、その決意を称えた。


 ここで話が終わっていれば、奇麗に終わっていたのだろうが——


「まあ、さっきも言ったように竜神衣の防御力は折り紙付きじゃ。戦闘中に縫い目が弾け飛んでポロリなんて展開はまずない。まったくもって残念じゃ。まあ、事情の知らない若いもんが、守りが薄いようで硬い上半身に視線を集中しとる隙に、わしは下半身を注視して、パンチラを独り占め――」


「だから! 卑猥な言葉を使って私を辱めるのを止めなさい!」


 横からガリムの茶々が入り、状況がややこしくなる。


「もう我慢なりません! 遠征軍の幹部の一人として、司令官のランティスに進言します! ガリム・アイアンハートの存在は、遠征軍の風紀を著しく乱しています! 今すぐに遠征軍から追放すべきかと!」


 ランティスに詰め寄りながら声を張り上げるカロン。そんなカロンを見つめながら、ガリムは鼻で笑った。そして、こう口を動かす。


「ふん、わしだって幹部の一人じゃ。それに、ふしだらな胸と装備で、一番風紀を乱しとる小娘に言われとうないのう」


 この言葉が紡がれた次の瞬間、カロンの頭部から “ブチィ!” という音がするのを、狩夜は確かに聞いた。どうやらガリムの発言は、カロンの逆鱗に触れてしまったらしい。


 全身から凄まじい怒気と熱気を周囲に向かって放出するカロン。失われたはずの竜のブレスが、今にも口から噴き出しそうだ。


「この私を本気で怒らせましたね、ガリム・アイアンハート! 心の中に火がつきました! もう消火できないと知りなさい!」


「ふん、装備に頼り切りのしょんべん臭い小娘が、いっちょ前に怒ったか! 消火できなければなんだというのじゃ!?」


「決まっています、決闘です! 私が勝ったら、卑猥な言葉の源である股間の逸物を切り落とさせてもらいます! 覚悟しなさい!」


「ほう! このわしに逸物を賭けて決闘しろと言うか! 面白い! じゃが、わしに逸物を賭けろと言うなら、貴様にも相応のものを賭けてもらうぞ! わしが勝ったら、遠征期間中貴様はわしの慰み者じゃ! 小娘の腹の中に、わしの子供を仕込んでくれる!」


 カロン、ガリムの双方が、武器を構えながら怒鳴り散らす。まさに一触即発といった様相であった。だが、狩夜としてはオロオロしながら右往左往するしかない。相手は両方ともテンサウザンドの開拓者。格下の狩夜が下手に介入すると、大怪我どころか命が危ない。


「二人とも、いい加減に――」


 見かねたランティスが、真剣な口調で静止を促そうとした、次の瞬間——


「なんだランティス。もめごとか?」


 という、抜身の日本刀のような鋭い声が、水面に走る波紋の如く周囲に響き渡った。


「「「「「——っ!?」」」」」


 その声が耳に届いた瞬間、狩夜の――そして、ランティス、カロン、ガリム、イルティナの肩が、一様に上へと跳ね上がる。次いで、彼らの視線が一斉に声がした方向へと注がれた。


 狩夜たちの視線の先、そこには——


「このウルザブルンの平穏を脅かすと言うのであれば、この俺が相手になるぞ」


 規格外の剣気と威圧感を放つ、カエル男が仁王立ちしていた。

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