035・船って基本、中盤ぐらいで手に入るものだよね?

「まだまだぁ!」


「ネバーギブアップ!」


「僕は諦めましぇん!」


 ―—と、掛け声だけは立派にウルズ川の浅瀬に浮かぶ丸太と延々格闘する狩夜であったが、その結果はあまり芳しいものではない。


 イルティナが狩夜をこの場に置き去りにしてからおおよそ一時間が経過したが、狩夜はいまだに丸太の一本乗りを習得できていなかった。それどころか、なんど失敗を繰り返しても上達の兆しすら見えてこず「僕、才能ないのかなぁ……」と、涙目で途方に暮れかけているというのが、今まさに狩夜が直面している現実である。


「くそぉ……ソウルポイントで身体能力は強化されているはずなのに……」


 悔し気に丸太を睨みつけながら独り言ちる狩夜。だが、頭の中では真逆のことを考えていた。一向に一本乗りが上達しない原因は、その強化された身体能力にあるのではないか? と。


 ヴェノムティック・クイーンを筆頭にした主、そして、それに準じた魔物との連戦。それにより獲得した多量のソウルポイントは、『筋力』『敏捷』といった狩夜の基礎能力を、開拓者として『一人前』扱いされるサウザンドの一歩手前にまで押し上げた。


 一晩で激増した身体能力。その超人的な力を狩夜は制御しきれていない。昨日一日で随分と慣れたつもりだが、まだまだ持てあましている。


 普通に歩いたりする分には問題ない。全力を出すことも——まあできる。だが、咄嗟の反射行動や、細かい力の調整には不安があった。今バランス系テーブルゲームをやったら、幼稚園児にも惨敗するだろう。箸をうまく扱う自信すら今はない。


 そんな状態の人間に、丸太の一本乗りができるだろうか? 否、できない。神に愛された天才ならば可能かもしれないが、生憎狩夜は凡人だ。今の状態で一本乗りを習得するのはまず不可能だろう。


「僕が一本乗りをすぐに習得して後を追ってくると思っているなら、イルティナ様は僕を過大評価しすぎだよ……」


 イルティナが消えていった川下を涙目で見つめつつ、蚊の鳴くような声で不満を漏らす狩夜。次いで小さく溜息を吐く。


 ティールの村民は何かと狩夜を英雄視し、なんでもできる超人のように扱うが、イルティナとメナドだけは別だと思っていた。だが、それはただの勘違いだったのかもしれない。


「とにかく、これじゃあイルティナ様から離れる一方だ。どうにかしないと……」


 狩夜は丸太を見つめながら考える。川を下るだけなら一本乗りに拘る必要はないはずだ——と。


 安全圏である水辺を手軽に高速移動する手段として、一本乗りは確かに重宝する技術だろう。だが、それに拘って別の考えを放棄するのは愚か者のすることだ。方法は他にもあるはずである。


「……そうだ、もう一本丸太を用意して、木の蔓で繋げばいいんだ。そうすればぐんと安定性が増す」

 

 ほどなくして、狩夜は現状を打破する方法を一つ思いついた。その方法を確認するかのように小声で呟く。


 要するに、二本の丸太で簡易いかだを作るのだ。そうすれば丸太は水面で回転しなくなり、安定性は一本のときの比ではない。乗り手に要求される技術は目に見えて低くなるだろう。


 ただ、移動の度にいかだを用意するのは少々手間だ。丸太が二本だけの簡易いかだでも、組むのにはそれなりの時間がかかる。


 これは川を下る時にだけに使う移動手段で、基本使い捨てなのだから、やはり手軽な一本乗りの方が色々と優れているように思えた。今日のところはいかだを組むしかないだろうが、一本乗りはまた後日、強化された体の扱いに慣れたころに練習したほうがいいかもしれない。


 もしくは――


「舟……カヌーでもあれば理想だな。使わない時はレイラに保管してもらえばいいわけだし。木をくり抜いて自作――いや、これから向かうウルズ王国の首都は水上都市なんだから、カヌーくらい売ってるかな? 値段次第で買ってもいいかも」


 こう締めくくって考えを纏めた狩夜は、陸に上げていかだを組むべく、浅瀬に浮いている丸太へと手を伸ばした。


 すると——


「あれ? レイラ?」


 レイラが突然狩夜の頭上から飛び降りた。川原の上に降り立ったレイラは、たどたどしい足取りで川のすぐ手前にまで歩を進める。


 狩夜が「レイラ、どうかしたの?」と声をかけようとした瞬間、レイラが動いた。二枚ある葉っぱの片方を巨大化させ、川の浅瀬に浮かべたのである。


 次いでレイラは、その水に浮かべた葉っぱの外周を、風船のように大きく膨らませ始めた。それにより水の侵入を阻む壁を作りつつ葉っぱの浮力を高め、全体の形を整えていく。


 そして、数秒後。


「すっご……」


 自身の目の前で完成した、実に立派な葉っぱの舟を凝視しつつ、狩夜は驚嘆の声を漏らした。一方、製作者である当のレイラは、その舟を見つめながら「うん。こんなもんかな~」と言いたげな顔でコクコクと頷いている。 


 葉っぱの舟。その言葉だけを聞くと、幼いころに作った笹舟や、池や沼に浮かぶ蓮の葉を思い浮かべる者が多いだろうが、そんなちゃちなものでは決してない。その見た目は機能美に溢れており、迷彩色の軍用ゴムボートを連想させた。


 多量の空気を内包した舟体の安定性と不沈性は、木製カヌーの比ではない。万が一浸水したり、転覆したとしても、決して沈みはしないだろう。狩夜が作ろうとした二本組みのいかだなど、比べるのもおこがましいできばえだ。現代日本でも通用するであろう、立派な舟である。


 言葉をなくして立ち尽くす狩夜を尻目に、レイラは河原を蹴って船尾へと飛び乗った。そして、もう一方の葉っぱをかいのように水の中に沈めると「準備完了、狩夜も乗って乗って~」と言いたげに、葉っぱの舟を両手で叩き、狩夜に乗るよう促してくる。


「レイラ……君ってほんとになんでもできるよね……」


 レイラの万能性を再確認した狩夜は、苦笑いと共に葉っぱの舟に飛び乗った。葉っぱの舟はほとんど傾くことなく狩夜の体重を受け止め、川の浅瀬に浮かび続けている。


 葉っぱの舟の上を少し歩いたり、小さく飛び跳ねたりして、乗り心地と安全性を確かめる狩夜。ほどなくして、これなら大丈夫だろうと腰を下ろす。


「ふ……お前との勝負はお預けだな……」


 つい先ほどまで死闘を演じていた好敵手まるたに向けて、ハードボイルドな台詞を投げた後、狩夜は丸太の回収をレイラに頼む。そして、レイラの口の中に丸太が消えたことを見届けてから、笑顔と共にこう告げた。


「それじゃ、すぐに出発しよう。先に行ったイルティナ様に追いつかないとね」


 一時間ほど前に出発したイルティナであるが、相手はただの丸太である。出せる速度には限度があるはずだ。この葉っぱの舟ならば追いつけるかもしれない。


 舟頭であるレイラは狩夜の言葉にコクコクと頷き、葉っぱの櫂で川底を突いた。実にスムーズな動きで、葉っぱの舟を流れの急な川の中央にまで運ぶ。


 その、次の瞬間——


「うわわわ!? な、なに!? いったいなにぃ!?」


 狩夜は身を低くし、舟から振り落とされないよう全力で踏ん張る運びとなった。川の中央にくるや否や、葉っぱの舟が信じられない速度で急加速したからである。


 狩夜は「いったい何が起きた!?」と胸中で叫びつつ、急加速の原因を探るべく、踏ん張りながら後ろを振り返る。すると、葉っぱの舟の後方に聳える巨大な水柱が視界に飛び込んできた。川の中に沈めている葉っぱの櫂を、レイラが凄まじい速度で動かし続けているのだ。


 もう櫂というかスクリュープロペラである。レイラを動力とした葉っぱの舟は、スピードボート並みの速度でウルズ川の上をかっ飛んでいく。


 狩夜は引き攣った笑顔を浮かべ「い、いいぞレイラ! 飛ばせ飛ばせ!」とやけくそ気味に叫んだ。そして、全身を使って葉っぱの舟にしがみつき、必死になって体を支える。一方のレイラは涼しい顔で葉っぱの舟を操作し、舟体を前へ前へと押し進めていく。


 こうして、狩夜とレイラを乗せた葉っぱの舟は、ウルズ川を驀進していった。

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