034・ウルズ川

「これがユグドラシル大陸三大河川の一つ、ウルズ川か」


 ティールの村の中心にある泉、そこから流れ出る小川に沿ってできた道を進むこと数十分。狩夜はレイラ、イルティナと共に、丸い石が敷き詰められた川原の上にいた。


 狩夜たちの目の前には、幅広く、水量豊富な川が存在している。狩夜が異世界にきて真っ先に探し、見つけた、あの川だ。


 ユグドラシル大陸には世界樹を水源とし、大陸を三等分するかの如く流れる三本の大河が存在する。


 世界樹からほぼ真東に流れるミーミル川。世界樹から北北西に流れるフヴェルゲルミル川。そして、世界樹から南南西に流れるウルズ川。これら三本の大河が、ユグドラシル大陸三大河川である。


 三大河川はユグドラシル大陸に点在する水源を束ね、徐々にその水量を増しながら、同じ名前を持つユグドラシル大陸三大泉、ミーミルの泉、フヴェルゲルミルの泉、ウルズの泉に流れ込む。そこで一気に水量を増し、海へと流れていくそうだ。


 狩夜たちの目的地であるウルズ王国の首都は、ウルズの泉の真上に建造された水上都市らしい。つまり、目の前のウルズ川に沿って下山していけば、決して迷うことなく、安全圏である水辺を一度も離れずに、そこまでたどり着けるということだ。


「ここから徒歩で二日くらいの距離でしたっけ?」


 すぐ隣で川を眺めているイルティナに向けて声を発する狩夜。ティールの村に物資が届くのに要した時間。そこから推測した日数だったのだが——どうやら違ったらしい。イルティナは小さく首を左右に振り、こう口を動かした。


「いや、今日の昼過ぎには着くだろう。確かに、徒歩ならばそれくらいかかるだろうが、下山時かつ軽装の場合にのみ使用できる高速移動手段があるのだ」


 二度ほど周囲を見回し、次いで歩き始めるイルティナ。そして、腰に下げた青銅の剣を抜きつつ、直径三十センチ、高さ十二メートルほどの、杉によく似た針葉樹の前で足を止める。


 その、次の瞬間——


「はあ!」


 イルティナは、気合の掛け声と共に青銅の剣を一閃した。


 蒼白い軌跡を地面に対して水平に残しつつ、見事に振り抜かれる青銅の剣。それに一瞬遅れて、奇麗な断面の切り株をその場に残しつつ、針葉樹が地面に向けて倒れ始める。


 倒れ行く針葉樹を余裕のある動作でかわしたイルティナは、青銅の剣を更に二度振った。それにより針葉樹は三等分され、長さ四メートルほどの丸太となり、地面を転がる。


「お見事」


 イルティナの見事な剣の冴えに、狩夜は賞賛の言葉を送りつつ胸の前で手を打った。一方、青銅の剣を鞘に収めたイルティナは、先端部分の細い丸太をその場に放置し、二本の丸太を左小脇に抱えながら狩夜の元へと戻ってくる。


 ファッション雑誌の表紙すら飾れるだろう絶世の美女が、百キロを優に超える丸太を軽々と抱えているその光景に、狩夜は思わず苦笑いを浮かべてしまった。ソウルポイントで身体能力が強化されていると頭では理解しており、自身も小学生並の体格で同じことができるにもかかわらず、いまだに違和感を覚えてしまう。


「レイラ。出発する前に保管してもらった竹の槍を出してくれ」


 狩夜の前に立ったイルティナが、狩夜の頭上を占拠するレイラを見つめながら言う。その言葉にコクコクと頷いたレイラは、口を大きく開き “ポン” という小気味の良い音と共に竹の槍を吐き出した。この竹の槍は「後で役に立つから」と、出発前日にイルティナが用意したものである。


 イルティナは「ありがとう」と短く礼を告げた後、右手で竹の槍をキャッチし、再び歩き出した。そして、川のすぐ手前で足を止めると、小脇に抱えていた二本の丸太を放り出し、片方を川の上に浮かべ、その丸太の上に躊躇なく飛び乗った。


 川の上に浮かぶ一本の丸太。そんなバランスの悪い場所に立っているというのに、イルティナの体はこゆるぎもしない。地面の上と大差ない動作で狩夜の方へと振り返ったイルティナは、どこか得意げな顔でこう告げる。


「これで一気に川を下る。そうすれば都まですぐだ」


「おお、なるほど!」


 イルティナの一連の行動にようやく合点がいった狩夜は、感心するように声を上げ、いつだったかテレビで見た、日本のとある伝統技能を思い浮かべた。


 木頭杉一本乗きとうすぎいっぽんのりである。


 日本のとある地域で木頭杉の搬出手段として使われていた伝統技能。川に浮かべた杉の丸太に立ち、竹竿一本で丸太を制御して川を下る。確か保存会があり、スポーツとしてその技術が受け継がれていて、年に一度大会があるとか。


 イルティナが今やっているのはまさにそれだ。異世界で日本の伝統技能が見れるとは驚きである。


 これならば徒歩よりもずっと早いし、水の上を進むので魔物に襲われることもまずない。移動に使った丸太は売ってお金にもできるはずだ。一石が二鳥にも三鳥にもなる、すばらしい知恵、そして技術である。


「さ、カリヤ殿も早く。そちらの丸太を使ってくれ」


「はい、わかりました。レイラ、僕の分の竹の槍を出して」


 狩夜がこう言うと、レイラはすぐに竹の槍を出してくれた。狩夜はそれを手に、勇んで川へと向かう。


 イルティナが用意してくれた丸太を川の浅瀬に浮かべて、準備完了。


「よし、行くぞ!」


 気合を入れるようにこう叫び、狩夜は丸太に飛び乗った。


 が——


「ぶぼはぁ!?」


 即座に川へと落下してしまう。狩夜が上に乗った瞬間丸太が回転し、為す術なく投げ出されてしまったのだ。


 川の浅瀬で尻餅を突きながら、目を見開いて丸太を凝視する狩夜。そんな狩夜を見つめながら、悪戯が成功した子供のような顔でイルティナが笑っている。狩夜と共に川へと落下したレイラは、水を払うように首を左右に振った後「何やってるんだよ~」と言いたげな顔で狩夜の頭を叩いてきた。


「カリヤ殿、丸太の中央に直立してはダメだ。丸太が回転してしまう。中央のやや後ろで横向きに立つんだ。足を前後に半歩ほどずらして回転を抑えるといい」


「わ、わかりました」


 狩夜はそう言って立ち上がると、再び丸太と向き合った。今度はゆっくり、慎重に丸太の上に乗る。そして、先ほどのイルティナの助言に従って両足を配置し、丸太の回転を抑えた。すると——


「や、やった! 乗れた!」


 今度は丸太の上に乗ることに成功する。しかし、それは僅か数秒のこと。すぐにバランスが崩れ、上半身が大きく揺れる。


「わ! わわわ!」


 結局丸太の上に立っていることができず、川の浅瀬に足をついてしまった。また失敗である。


「む、難しい……」


 額に張り付いた前髪を払いのけながら呟く狩夜。すると、イルティナからの助言が再度飛ぶ。


「腰が高い。丸太の上でバランスを取るためには、軽く腰を落とし、両足の力を抜くことが肝要だ」


「はい……」


 短く答え、再チャレンジする狩夜。が、今回も失敗。十秒と持たず足をついてしまう。


 何が悪いんだろう? と、首を捻る狩夜。そんな狩夜の耳に、三度目となるイルティナの声が届く。しかし、今度の言葉は優しい助言などではなく――


「これでは前途多難だな。さて、私は先にいくぞ。もう教えられることは何もないからな。カリヤ殿は諦めずに頑張ってくれ」


 という、なんとも厳しいお言葉であった。狩夜は慌てふためき、イルティナの方へと顔を向け、早口で言葉を紡ぐ。


「うぇぇえぇ!? イルティナ様、僕を置いて先に行っちゃうんですかぁ!? ついさっき村を出たばかりですよ!? 見捨てるにしてもちょっと早くありません!?」


「そんな声を出すな。まるで私が悪いことをしているみたいではないか。恨むならこうやって技術を伝承してきた先人たちを恨んでくれ。私も幼少の頃、こうして置き去りにされたものだぞ? 半泣きになりながら必死に頑張って、この技術を習得したのだ。このやり方しか私は知らん」


「スパルタァ! とても王族とは思えない!」


「この技術はユグドラシル大陸では重宝するぞ。今のうちに覚えてしまった方がいい。では、健闘を祈る」


「あ、ちょっと! 待ってください! イルティナ様ぁあぁぁあ!!」


 縋るような視線と言葉で懸命に訴える狩夜であったが、イルティナは竹の槍で川底を突き、岸から離れてしまった。流れの急な川の中央にまで丸太を動かし、すぐさま急加速。あっという間に見えなくなってしまう。


「ホントに行っちゃった……」


 イルティナが消えていった方向を見つめながら、蚊の鳴くような声でこう呟く狩夜。次いで、すぐ隣で川の浅瀬に浮いている自分用の丸太を見下ろす。


「やるっきゃない……よね?」


 ティールの村を出ておおよそ三十分。そこらの魔物よりよっぽど手強い、一本の丸太との戦いが始まった。

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