031・旅立ちは突然に

「これでよしと」


 こう言いながら小さく頷き、目の前のタッチパネルに表示されている『YES』をタッチする狩夜。次の瞬間『叉鬼狩夜の精神が向上しました』というお馴染みの声が白い部屋に響き渡る。


 激動の一日を終え、イルティナ邸で泥のように眠りついた狩夜は、白い部屋での基礎能力向上を進めていた。そして、つい先ほどそれを終えたところである。


 最終的にはこうなった。


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叉鬼狩夜  残SP・62


  基礎能力向上回数・98回

   『筋力UP・25回』

   『敏捷UP・40回』

   『体力UP・25回』

   『精神UP・8回』


  習得スキル

   〔ユグドラシル言語〕


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「しっかし、一気に上がったな……」


 激増した各種数値を見つめながら、狩夜は感慨と共に呟く。


 グリーンビーの巣の駆除。ヴェノムティック・クイーンに、ヴェノムティック・キング。それら強大な相手との連戦、そして撃破は、多量のソウルポイントという形で狩夜の中に蓄積されていた。


 タッチパネルを覗き込み、目に飛び込んできた五千近い数値。突然のサプライズに、狩夜は口を開けながら数秒間沈黙したほどである。


「あと二回で僕もサウザンド、『一人前』の開拓者か……地道にコツコツ溜めるはずだったのに、どうしてこうなったんだろ?」


 こう言いながら右手で頬をかき、狩夜は数日前まで想像すらしていなかった現状に苦笑いを浮かべた。


 あと二回で基礎能力向上回数が百を超える。そうなれば基礎能力向上に必要なソウルポイントが、百以上、千未満となり、狩夜はハンドレットを卒業。サウザンドとなり『駆け出し』の開拓者から『一人前』の開拓者となる。


 開拓者になってまだ間もないというのに『一人前』というのも変な話だが、これは開拓者としての一つの区切りだ。サウザンドの開拓者になった暁には、なんらかの達成感を得られるに違いない。


 狩夜は記念すべき百回目の基礎能力向上シーンを想像しながら「これからも、強く、かっこいい男目指して頑張ろう」と呟き、閉じるボタンをタッチ。白い部屋を後にした。



   ○



 異世界生活七日目。昨日のお祭り騒ぎから一転、ティールの村は朝から厳かな雰囲気に包まれていた。ガルーノとメラドの再埋葬。そして、森の中で発見されたジルたち『虹色の栄光』と『双頭の蜥蜴』のリーダーの葬儀が執り行われたからである。


 ガルーノたちの遺体は木の民の正しい作法にのっとり、ティールの村の墓地に埋葬された。葬儀はつつがなく終わり、村民たちはガルーノたちとの別れを惜しみながらも仕事という日常に戻っていく。


 葬儀の後も墓地に残ったのは、いつものようにレイラを頭の上に乗せた狩夜、イルティナ、メナド、ザッツ、ガエタノ、そして『虹色の栄光』で唯一生き残ったサポーターの六人であった。


 新しく用意されたガルーノとメラドの墓の前には、メナド、ザッツ、ガエタノがおり、両手を複雑な形に組みつつ頭を下げている。そして、ジルの墓の前にはイルティナとサポーターがおり、イルティナは無表情で墓を見つめ、サポーターの方は激しく泣きじゃくっていた。


「イルティナ様……あの、大丈夫ですか?」


 ジルの墓の前から動こうとしないイルティナに、躊躇いがちに声をかける狩夜。そんな狩夜に対し、イルティナはジルの墓を見つめながら言葉を返してくる。


「ん……どうだろうな。あまり大丈夫ではないかもしれん。騒がしい奴ほどいなくなると……な」


「やっぱり好きだったんですか? ジルさんのこと」


「ふむ。昨日までの私なら即座に否定しただろうが……よくわからないというのが偽らざる私の本心だよ。ジルのことを異性として好きだったのかどうかは、正直自分でもわからない」


「そうですか……」


「ただ。ウルズ王国の王女としてなら、ジルと結婚するのは悪くないと思ってはいた」


 イルティナのこの発言に、狩夜は「え?」と困惑顔で首を傾げる。


「ジルは卓越した危機感知能力の持ち主だ。臆病で小者と揶揄されてはいるが、言いかえれば慎重で計算高いということ。今は大開拓時代。皆の気持ちが外へ外へと向かう時代だ。そんな時代だからこそ、私はジルのような慎重な男に王族の一員になってほしかった」


「国のためなら相手への感情は二の次だと?」


「そこまでは言わん。ジルのことは好きかどうかはわからないが、嫌いではなかったのだ。それは間違いない。幼馴染でもあるしな。なのに、一時の感情に囚われ婚約解消などと言ってしまった。それがジルを追い詰め、このような結果を招いてしまった。後悔しているよ。時間が戻せればとこれほど強く思ったことは過去にない」


 イルティナはここで言葉を区切ると、ゆっくりと目を閉じ、小さく溜息を吐いた。そして、こう言葉を続ける。


「明日、私はティールをち、都へと向かう。今回の顛末は、父上と戦士長に私の口から直接報告しなければならないだろう。ジルが所持していた金属装備も、戦士長に返還しなければならないしな」


「待ってください!」


 イルティナの言葉にすぐ隣で泣いていたサポーターが激しく反応した。服の袖で涙をぬぐいながらイルティナと向き直り、口を動かす。


「あの、姫様! 若との婚約解消の件は、なかったことにしてはいただけませんでしょうか!」


「む? それはできん。ジルの死はその婚約解消が招いたことだ。それを秘匿するなど許されることではない。安心しろ、そなたに責が及ばないよう、戦士長には私が——」


「違います! おいらが戦士長に怒られるのが嫌だとか、そういう話じゃないんです! 若を! ジル・ジャンルオンを、姫様の婚約者のまま死なせてやってくださいと言っているんです!」


「——っ」


 サポーターの必死の訴えにイルティナの口が止まった。サポーターは畳みかけるようにこう言葉を続ける。


「姫様との婚約解消が原因で功を焦り、魔物に殺されたなんて、あまりに情けないじゃないですか! そんなのが公表されたら、世間での若の評価は落ちるとこまで落ちちまいます! イルティナ・ブラン・ウルズの婚約者ジル・ジャンルオンは、幼い子供を助けて名誉の戦死を遂げたと、立派な最後だったと、国王にはそう報告してください! 死んだ若もそれを望んでいるはずです!」


「しかし——」


「お願いします! 若はおいらの恩人なんです! 若がいなかったら、おいら今頃……おいらの恩人を、貴方の婚約者として、この村の英雄として死なせてやってください!」


「……」


 何度も頭を下げるサポーターに、イルティナは右手を口元に運び、考えるそぶりを見せた。すると、別の人物がサポーターを援護するように声を上げる。


「私もその意見に賛成です」


 メナドであった。姉と義兄あにとの最後の別れを終えた彼女は、イルティナとサポーターの顔を交互に見据え、こう言葉を続ける。


「世間体を考えればそれが一番です。それに、姫様が真実を報告したとしても、国王陛下と戦士長はその真実を隠蔽し、別の形で公表することでしょう。わざわざ姫様が恥をかく必要はありません。幸いなことに、現在このティールは他の人里との交流が絶たれております。今ならば、ジル様の名誉を守ることは容易かと」


「そうは言うが——」


「姫様」


 反論をしようとしたイルティナの言葉を遮り、メナドは真っ直ぐにイルティナを見つめた。次いで言う。


「真実が、必ずしも人を幸せにするとは限りませんよ」


「む……」


「狩夜様もそう思いますよね?」


 同意を求めるように狩夜に話を振るメナド。なんでそんなことをしたのか心当たりありまくりの狩夜は「はい! 僕もそう思います!」と即座に返答した。


「カリヤ殿まで……はぁ、わかった。ジルのパーティメンバーであったそなたの意思を尊重しよう。ジルは私の婚約者。そして、ザッツの命を救った村の英雄だ。これでよいな?」


「はい! ありがとうございます!」


「メナド、お前は——」


「村民や新しく来た開拓者志望の方々との口裏合わせですね。お任せを」


「ああ、頼む。カリヤ殿も同意した以上は協力してもらうぞ。このことは他言無用だ。いいな?」


 狩夜はイルティナの言葉に間を空けず頷き「はい。わかりました」と答えた。これでサポーターの気が済み、ジルの名誉が守られるというのなら、なんの文句もない。


「助かる。だが、私が都に行くのは決定事項だ。メナド、ガエタノと共に留守を頼むぞ。都についたらラタトクスにて連絡する」


「はい、そちらも万事お任せください。では、私は出立の準備を整えてまいりますので、これで」


 そう言いながら優雅に頭を下げ、墓地を後にするメナド。サポーターも「若、おいらやりやしたぜ」と小声で呟き、やりきった顔で開拓者ギルドの方へと歩いていった。いつの間にかガエタノとザッツの姿もない。もう墓地の中にいるのは狩夜とレイラ、そしてイルティナだけである。


「さて、カリヤ殿にはまだ少し話があるのだが、いいだろうか?」


「え? 僕にですか? かまいませんよ、どうぞ」


 狩夜と正面から向き直り、話を切り出してくるイルティナ。狩夜も慌てて体の向きを変え、その話とやらを待つ。


「うむ。先ほど話した通り、私は明日、都に――ウルズ王国の首都に向かう。そこで提案なのだが、カリヤ殿もそれに同行してはくれまいか?」


「え、僕がウルズ王国の首都に……ですか? イルティナ様と一緒に?」


「そうだ。実は我らウルズ王家の統治下で運営されているすべての開拓者ギルドには、【主の討伐】という私の父上が依頼したクエストが発注されているのだが——」


「ああ、そのクエストなら知ってますよ。前にタミーさんに見せてもらいましたから」


「ん、そうか。知っているなら話は早い。このクエストに設定された報酬50000ラビスと、魔法の道具袋をカリヤ殿に受け取ってほしいのだ」


 このイルティナの言葉に狩夜は目を丸くした。だが、イルティナはかまわず続ける。


「主化した魔物を打倒したカリヤ殿には、この報酬を受け取る資格がある。だが、魔法の道具袋が王宮の宝物庫に保管されている関係上、このクエストの報酬は都の王宮でなければ受け取れないのだ。よければ一緒に来てほしい」


「で、でも……ヴェノムティック・クイーンを倒したのは皆の力で……ティールの村は今が大事な時期でお金が必要で……だから皆で分け合ったほうが……」


「これは村民全員の総意なのだ。どうか私たちティールの村民に、恩義に報いる機会を与えてほしい」


 ひざを折り、目の高さを合わせながら狩夜と向き合うイルティナ。その真剣な表情を前に、狩夜は何も言えなくなってしまう。


 ―—ここで断るのは、かえって失礼だ。


「……わかりました。ありがたく受け取ります。僕、イルティナ様と一緒に都にいきます」


 狩夜のこの言葉に、イルティナはほっとしたように笑顔を浮かべた。


 こうして、狩夜とレイラのウルズ王国の首都行きが決定。狩夜は期待と不安の双方を感じながら、さっそくその準備に取り掛かった。



   ○



 開拓者ギルドや道具屋に顔を出し、共に働き、共に戦ったティールの村民たち一人一人に別れを告げていく狩夜。そして、そんな狩夜の姿を物陰から見つめるとある子供がいた。


「カリヤの兄ちゃん、イルティナ様と一緒に都にいくんだ……」


 そう、ザッツである。


 ザッツはあいさつ回りをする狩夜の姿を目で追いながら「よし!」という決意を感じさせる声と共に力強く頷くと、踵を返し駆け出した。そのまま村を飛び出し、小川に沿った道をひた走る。


 父の形見である黒曜石のナイフを握り締め、水鉄砲を腰に下げながら向かうのは、両親が健在だったころ毎日のように訪れていた秘密の場所。ラビスタがよく出る森の中の草原である。


「カリヤの兄ちゃんを安心させてやるんだ!」


 自分はもう大丈夫。そう恩人に証明するために。ザッツは単身森の中に入っていった。

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