032・第一章エピローグ ウルズ王国へ

 異世界生活八日目。狩夜がイスミンスールに来て一週間が経過した。


 もっともこれは地球基準での一週間である。イスミンスールの基準ではこうはいかない。


 イスミンスールでの一週間は七日で一周期ではなく、九日で一周期。そして、九日のそれぞれには世界樹と精霊の名前が冠されている。


 順番に――


 ユグドラシルの日。


 ウィスプの日。


 ルナの日。


 サラマンダーの日。


 ウンディーネの日。


 ドリアードの日。


 シルフの日。


 ノームの日。


 シェイドの日。


 これがイスミンスールの一週間だ。


 これらはイスミンスールの創世記に由来しており、九日を一周期とする歴史は極めて古いらしい。【厄災】以前よりあるのは確実だとか。


 イスミンスールの創世記は、生き物のまったくいない闇の世界に、造物主たる世界樹、その種が天から落ちてくるところから始まる。これが創世記の一日目だ。


 二日目。世界樹は大地に根付くと同時に溢れんばかりの光を放ち、闇だけの世界に光を創った。


 三日目。発芽した世界樹は、自身の光で世界を包むために、光を反射させるための鏡(月のこと)を創る。これにより、世界はあますことなく光に包まれ、全ての闇が消え去った。


 四日目。世界樹は双葉へと成長し、それと同時に火の塊(太陽のこと)を創る。


 五日目。三葉になった世界樹は、水の塊(海のこと)を創る。


 六日目。世界樹の生長は続き、四つ葉になると同時に世界すべてに根を張り巡らせ、己の分身たる八本の木を世界各地に創った。


 七日目。分身たちと共にさらに生長した世界樹は、若木になると同時に大気を創った。


 八日目。世界樹は天を衝くかのような勢いで成長し、その余波で世界が大きく波打ち、大地が創られる。


 九日目。大樹となった世界樹は、ようやくその成長を止め、光を放つのをやめた。世界に闇が舞い戻り、昼と夜が創られる。


 以上がイスミンスールの創世記、一週間の由来となった第一章だ。この後、世界樹は花を咲かせたり、実をつけたりして、多種多様な生き物が創られていくのだが、その話はまた別の機会としよう。


 狩夜とレイラがティールを発ち、ウルズ王国の首都へと向かう今日は、ユグドラシルの日である。新たな一週間の始まりの日。旅立ちに相応しい日と言えるだろう。


「皆の者、早朝だというのに総出での見送り、大義である。私が留守の間も皆で力を合わせてこのティールを守り、発展させ、開拓を進めてほしい。私がこの村に戻るとき、この場にいる者が誰一人欠けることなく、新たなティールと共に私を出迎えてくれることを切に願うぞ」


 狩夜と共にティールを発つイルティナが、見送りのために村の出入り口に集まった村民たちに対してこう声を上げた。村民たちの前だからか、普段より偉ぶった様子で口調が硬い。


 イルティナの装備は腰に下げた青銅の剣と水鉄砲のみという軽装である。それは狩夜も同様であり、お互いにバックパックは背負っていない。食料等の荷物はすべてレイラの中なので、わざわざ持ち歩く必要がないのだ。


 アイテム保管系スキルを有する仲間を持った者の特権を、これでもかと享受する狩夜とイルティナ。そんな二人に対し『虹色の栄光』のサポーターが「おいらの存在価値っていったい……」と遠い目を向けている。


 見送りにきた村民たちが「姫様、お気をつけて!」「カリヤ君、またきてね!」「レイラ様、命を救っていただき本当にありがとうございました!」と、口々に声を上げる。そんな中、村民たちの先頭に立つメナドが一歩前に歩み出た。次いで、こう口を動かす。


「姫様、カリヤ様。道中お気をつけて。都までの道のりは常に川沿いですから大丈夫だとは思いますが、くれぐれも気を抜かぬようお願いいたします」


「ああ、わかっている。昨日も言ったが留守を頼むぞ。ガエタノもな。メナドの力になってやってくれ」


「はい! 我が身命を賭して、このティールを守り抜きます!」


 力強く宣言し、右手で胸を叩いてみせるガエタノ。そんな中、サポーターがおずおずといった様子でイルティナの前へと歩み出た。次いで、上目遣いでこう話を切り出してくる。


「姫様。若の件、どうかよろしくお願いします。おいらも一緒に行けたらよかったんですが、おいらはあいつの面倒を見ないといけないんで……」


 言い終えると同時に顔をすぐ横にある開拓者ギルドへと向けるサポーター。彼の視線の先には、ジルのパートナーであった怪鳥ガーガーの姿がある。


 ガーガーは、開拓者ギルドに隣接して作られた馬小屋のような建物の中にいた。そして、何をするでもなく、じっと前を見つめ続けている。ザッツをティールに送り届けろというジルからの最後の命令を成し遂げて以来、ずっとこんな調子だ。ほとんど動こうとしないその姿は、さながら獲物をじっと待ち続けるハシビロコウである。


 これは、主人を失った魔物に共通して見られる現象であるらしい。テイムされた魔物が主人と死別した場合、その魔物は野生に帰ることなく人里にとどまり続け、魂の波長の合う人間、すなわち、次の主人となる者を待ち続けるのだとか。


 この状態の魔物を『主人待ち』。もしくは『フリー』というらしい。


 ユグドラシル大陸でも指折りの戦闘力を持つ魔物、怪鳥ガーガー。そんな魔物が『主人待ち』ともなれば、目の色を変える者が出て当然である。開拓者志望の者たちが我先にと殺到し、ガーガーのテイムに挑んだのだが——どうやら御眼鏡に適う者がいなかったようで、ガーガーはいまだにフリーのままだ。サポーター自身もテイムに挑んだそうだが、駄目だったらしい。


 サポーターは、共に旅し、死線を潜り抜けたガーガーが、次にどんな人物をパートナーとするのか見届けたいそうだ。そして、叶うことならその人物のパーティメンバーにしてもらいたいらしい。


 申し訳なさそうに頭を下げるサポーターに、イルティナは小さく頷いた。そして、こう口を動かす。


「心配するな。大切な民を命懸けで救ってくれた村の英雄を……私の婚約者を、無碍に扱ったりはせんよ」


 イルティナのこの言葉に対し、サポーターは涙ぐみながら「はい」と答えた。


「うむ。それではカリヤ殿、そろそろ出発するとしよう。忘れ物はないか?」


「あ、はい。忘れ物は大丈夫です。ですが……その……」


 言い淀みながら首を左右に動かす狩夜。歯切れの悪いその様子に、イルティナが訝しげに首を傾げる。


「カリヤ殿? どうかしたのか?」


「いえ、昨日村の皆さんに別れの挨拶をして回ったのですが、ザッツ君だけが見つからなくて……今日挨拶すればいいかなって、昨日は諦めたんですけど……」


 狩夜はそう言って、そのザッツを探すために再度顔を左右に動かした。だが、ザッツの姿はどこにもない。


 両親の仇を討ち、気持ちの整理をつけ、奇麗な涙を流せるようになったザッツ。もう大丈夫だと思っていたのだが、見送りに来ていない、避けられているとなると話が変わる。こんな気持ちのままでは、とてもじゃないが気持ちよく旅立てそうにない。


「あの、ガエタノさん。ザッツ君は——」


「カリヤの兄ちゃん!!」


 狩夜が不安に突き動かされるままにガエタノに事情を聞こうとした瞬間、その声を掻き消すようにして、ザッツの声がティールに響き渡った。狩夜は慌ててその声が聞こえた方向、自身の背後へと振り返る。


「はぁ! はぁ! よかった……間に合った。気がついたら朝になってたから、もう出発しちゃったかと思ったよ」


「ザッツ君! 今までどこに――」


 狩夜は反射的に口から出かかった言葉を途中で止めた。振り返ったことで目に飛び込んできたザッツの姿に驚愕したからである。


 土に汚れ、所々破けた服。体の至る所に張り付いた葉っぱや枝。幾つもの擦り傷に、そこから流れ出る血潮。そんなザッツのボロボロな様子にも驚いたが、それらが一様に些細なことに思えるほどの驚きが、ザッツの両腕の中にあった。


 ザッツが、両腕の中に一匹のラビスタを抱えていたのである。


 そのラビスタは、まだ生きているにも関わらず、ザッツに身をゆだね大人しくしていた。野生の魔物では決してありえないことである。


 間違いない。このラビスタはテイムされている。ザッツは、魔物のテイムに成功したのだ。


「へへ、丸一日頑張って、ついさっきテイムに成功したんだ! ラビーダって名前にしたんだぜ! かっけーだろ!」


 両手でラビスタ――ラビーダを抱えながら、狩夜に向けて突きだしてくるザッツ。狩夜の視界をほぼ埋め尽くしたラビーダは、中々に精悍な顔つきをしたラビスタであった。顔の左側に大きな傷があり、左目が潰れているのが特徴である。


 突然の事態に気持ちの整理が追いつかず、目を丸くしてザッツとラビーダを見つめることしかできない狩夜。そんな狩夜に対し、ザッツはなおも口を動かし続ける。


「これで俺も開拓者になれる。このラビーダと一緒なら、どこまでだっていける気がするよ。そんでもって、父ちゃんよりも、カリヤの兄ちゃんよりも、すっげー開拓者になってみせる。俺、なんにも持ってない凡人だけど、諦めずに頑張るよ。カリヤの兄ちゃんが見せてくれたから。弱くても、力が足りなくても、頑張れば、努力すれば、道は開けるって」


「ザッツ君……」


 ほんの少しだが気持ちの整理がつき、狩夜は安堵すると同時に笑顔を浮かべた。すると、ザッツは顔を赤くし、口をもごもごさせながら、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。


「だから……その……ありが――じゃない。俺はもう大丈夫――でもない。意地悪してごめ――はもっと違う! えっと、だから、つまり、俺が何を言いたいかと言うと——!」


 ザッツはここで言葉を区切ると、左腕だけでラビーダを抱え、右手では握り拳をつくった。そして——


「こ……これからは、ライバルだ!」


 こう高らかに宣言しつつ、右手を狩夜に向けて突き出してきた。小柄な狩夜よりなお小さい、だが、とても力強い握り拳が、狩夜へと向けられている。


 狩夜は一瞬きょとんとした顔をした後、再び笑った。そして、自身も右手で握り拳をつくり、ザッツの拳とぶつけ合う。次いで短く、されど万感の思いを込めて、こう呟いた。


「おう!」



   ●



『お達者でーーーー!』


 出入り口を潜り、川に沿った道をレイラ、イルティナと共に歩く狩夜に向けて、ティールの村民たちが一斉に声を上げた。


 狩夜は振り返りながら手を振り、それに答える。レイラも狩夜に続いた。狩夜の頭上で右腕を上げ、その小さい腕を振っている。


 ほどなくしてティールの村は見えなくなり、村民たちの声は聞こえなくなった。狩夜は振り返るのを止め、前を向く。そして、隣を歩くイルティナに向けて、こう口を動かした。


「いきましょうイルティナ様! ウルズ王国に!」


 思い残すことはある。後悔もある。だがそれでも前を向く。優しい女性との約束と、小さいライバルとのやりとりを胸に、狩夜はまだ見ぬ世界へと歩みを進めた。


 こうして、叉鬼狩夜の始めての冒険は終わりを告げる。だが、狩夜とレイラの冒険はまだまだ始まったばかり。これからもまだまだ続く。


 次なる舞台は木の民の国、ウルズ王国だ。

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