029・辛勝の果てに
「グギャあぁァァあアァァア!!」
ティールの村にヴェノムティック・クイーンの絶叫が響く。とある村民の水鉄砲から放たれた水が、見事に命中したのだ。
もがき、苦しむヴェノムティック・クイーン。だが、その巨体への放水が止むことはない。泉から飛び出した村民たちは、一定の距離を保ちながらヴェノムティック・クイーンの周囲を取り囲み、四方八方から放水を続けた。
水を浴び、ヴェノムティック・クイーンの全身から黒い煙が上がる。外骨格という名の強固な鎧が、マナによって剥ぎ取られる。
「ここだ!」
右手のマタギ鉈を握り直し、狩夜は走った。注意を自分に向けさせるため、あえて真正面から突撃し、ヴェノムティック・クイーンの体を全力で切りつける。
狩夜の右手は奇麗に振り抜かれ、マタギ鉈が通過した場所には鋭利な切り口が残されていた。その切り口に水が入り込み、ヴェノムティック・クイーンに更なる苦痛を与え、体力を奪っていく。
「グウぅ! お、おのレぇえぇ!」
痛みをこらえながら右前足を振り上げ、上から狩夜を攻撃しようとするヴェノムティック・クイーン。その攻撃を防ぐべく、レイラは葉っぱを盾にしようと動かした。その時——
「させるか!」
と、狩夜の後方からこのような声が響き、瓢箪が投げ込まれる。
瓢箪は右前足の関節部に直撃し、破砕。内容物を盛大に撒き散らした。ヴェノムティック・クイーンの右前足から大量の黒煙が上がる。
「カリヤ殿!」
イルティナであった。重傷をおして狩夜の援護に駆けつけてくれたらしい。そして、瓢箪の内容物は聖水だろう。振り上げられたヴェノムティック・クイーン右前足から力が抜け、動きが鈍る。
名前を呼ばれただけですべてを察した狩夜は、マタギ鉈を大きく振りかぶりながら顔を上に向ける。見据えるのはただ一点。聖水によって脆くなっている、右前足の関節部分。
「はぁ!」
気合の掛け声と共にマタギ鉈を一閃。遠心力を限界まで乗せたその一撃は、三日月のような残光を残しつつ、関節部分に吸い込まれるように命中。そのまま振り抜かれた。
次の瞬間、右前足が力なく地面に落ちる。切断面に聖水が殺到し、ヴェノムティック・クイーンは再度絶叫。その動きを止めた。
「まだまだぁ!」
だが、狩夜の動きは止まらない。雨のように降り注ぐ援護射撃のなか、狩夜はマタギ鉈を振り続けた。前足を失って手薄になったヴェノムティック・クイーンの右側面に回り込み、呼吸を止めての乱撃を繰り出す。
野生の獣のように闘争本能をむき出しにして、切る、切る、切る。攻めて攻めて攻め続ける。ヴェノムティック・クイーンの命を削り取り、その攻撃を自分だけに向けさせるため、狩夜は歯を食い縛って攻撃を断行した。
激しい無呼吸運動。一撃で自分を殺しうる相手との接近戦。自身に向けられる主からの凄まじい殺気と、ティールの村民からの期待。それらの要素が重なり合って、狩夜の体力はみるみる消耗していった。
ソウルポイントで強化されているにもかかわらず、すでに肺は悲鳴を上げており、マタギ鉈を振るう度に重くなる腕は鉛のよう。援護射撃でずぶ濡れににもかかわらず、全身が焼けるように熱い。
なんで僕はこんな辛いことをしているのだろう? あまりの苦痛にそんな言葉が頭を過る。そのとたん、怖い、辛い、苦しいといった感情が顔を出し、狩夜の中でうねりを上げた。何もかも投げ出して、レイラにすべてを任せてしまいたくなる。
だけど、それでも――
「やめるわけには……いかないんだぁあぁぁあ!!」
守りたいモノがある。救いたいモノがある。男の子には意地がある。
狩夜は、このティールで知り合ったすべての人の顔を思い浮かべながら、マタギ鉈を振るい続けた。
「ガアぁあ! 離レろ、人間!」
失った右前足の代わりに、左前足を地面に対して水平に振るい、ほとんど一回転しながら狩夜を攻撃するヴェノムティック・クイーン。だが、この攻撃も狩夜には届かない。「狩夜の邪魔をするな~」とでも言いたげに振るわれたレイラの蔓が左前足を迎え撃ち、地面へと叩き落としたのだ。
「好機! カリヤ様、こちらの足も!」
地面にめり込んだ左前足に向けて、今度はメナドが瓢箪を投げつけた。破砕した瓢箪から聖水が散乱し、左前足の防御力を低下させる。
「おぉ――らあっ!」
メナドの声を聞き乱撃を中断した狩夜は、酸素を求めて荒れ狂う体に更なる鞭を打ち、マタギ鉈を一閃。左前足を切りつける。関節部分ではなかったため切断とまではいかなかったが、七割がた切り裂いた。もう思い通りに動かすことはできないだろう。
「アあぁアァあァ! 足ガぁ! 私ノ足がぁあぁあぁ!」
「はぁ! はぁ! はぁ!」
最強の武器である両前足をほぼ失い、狼狽するヴェノムティック・クイーン。そんな敵の姿を鋭い眼光で見据えながら、狩夜はなるべく多くの酸素を取り込むべく激しく呼吸した。そして、攻撃の手を一旦止めて考える。この化け物にどうやって止めを刺そうかと。
先の乱撃で狩夜は痛感していた。マタギ鉈、これでは足りない。鋭利ではあるが、小さいのだ。刃渡りが不足している。蟲の魔物であり、小山のような巨体を持つヴェノムティック・クイーンが相手では、小さい刃で無計画に体を傷つけても効果が薄い。
心臓や脳といった急所を狙えばどうにかなるかもしれないが、狩夜はダニの心臓がどこにあるか――いや、そもそもダニの体に心臓や脳といえる器官が存在しているのかどうかさえ知らなかった。
あるのかどうかさえ定かではない急所。そこを狙うのは合理的とはいえない。やはり別の武器が必要だ。
何かないかと、狩夜は視線を周囲に巡らせて――
「あれだ!」
見つけた。ヴェノムティック・クイーン、その命に届きうる、長大な武器の姿を。
「ぐ、グウぅ……口惜シいが、ここハ一旦引クべきか……」
狩夜がこの戦いを終わらせる方法を見い出したのとほぼ同時に、ヴェノムティック・クイーンが動く。狩夜ではなく、自身を包囲しながら水鉄砲での援護射撃を続けるティールの村民へと頭を向けたのだ。
どうやら自身の不利を認め、包囲の薄い場所から強行突破し、森の中に逃げ込むつもりらしい。狩夜は「させるものかよ!」と叫びながら、疲労を訴える体を無理矢理動かして攻撃を再開。マタギ鉈でヴェノムティック・クイーンを切りつけ、こう口を動かした。
「お前の相手は僕とレイラだろう!? 浮気すんなよ、悲しいなぁ!!」
「でぇイ! 邪魔ヲするナ人間!」
「するに決まってるだろ! ここがお前の死に場所だ!」
再度ぶつかり合う狩夜とヴェノムティック・クイーン。森への逃走と村民への攻撃を阻止するべく、狩夜はひたすらにマタギ鉈を振るう。
必死の挑発と攻撃により、ヴェノムティック・クイーンはひとまず逃走を諦め、狩夜と向き直った。先ほどと変わらないこの状況に、狩夜は安堵すると同時に舌打ちする。せっかく見つけた戦いを終わらせる武器。その武器を容易に取りに行けないこの状況が歯痒かった。
―—焦るな。ゆっくり。慎重に。武器を無理して取りに向かえば、こいつは僕じゃなく、周りのみんなに牙をむく。それだけは絶対に駄目だ!
胸中でこう呟きながら、ヴェノムティック・クイーンの注意を引きつつ徐々に武器へと近づいて行く狩夜。攻撃する場所を変えたり、レイラが防御したときの衝撃で後退したふりなどして、あの手この手で移動する。なけなしの体力と精神力を振り絞っての慎重作業であった。
そして、狩夜はついにその武器のすぐ近くにまで移動した。目的の武器は、狩夜のすぐ後ろで山積みとなっている。
「クハはハ! 先程まデの勢イはどうシた人間! 後がなイゾ!!」
「カリヤ殿が危ない! 撃て撃て!」
ここでヴェノムティック・クイーンが高笑いをし、村民たちの援護射撃が勢いを増す。どうやら両者共々狩夜が追い詰められていると勘違いしているらしい。
好都合だと小さく笑みを浮かべる狩夜。これでヴェノムティック・クイーン打倒の準備は整った。後は最後の攻勢にでる切っ掛けである。
——もう一度こいつの動きを止めさえすれば、この戦いは終わる。
狩夜が胸中でそう呟いた時、まるでその呟きに答えるかのごとく、雄々しい叫びがティールの村に響き渡った。
「うぉおおぉぉお! 弟よ! このティールを守るため、ウルズ王国随一と謳われたその剛力、今だけ私に貸してくれ!」
ガエタノである。巨大な水瓶を両手で抱えながら、ヴェノムティック・クイーンを見据えていた。
「あ、あれって!」
間違いない。ガエタノが抱えている水瓶は、狩夜が数日前に立ち寄った道具屋のものだ。その証拠に、水瓶の表面には『聖水』という文字がでかでかと書き込まれている。
幅、高さ、共に六十センチはありそうな巨大な水瓶。なみなみと聖水を湛えたその総重量は、三百キロは下るまい。ガエタノは、その水瓶を両手で抱えつつ、あろうことか走り出した。
目は血走り、全身に血管が浮き出ている。筋肉の断裂する音が狩夜にまで聞こえてきそうな光景であった。火事場の馬鹿力。精神が肉体を凌駕するところを、狩夜は確かにその目で見た。
「すげぇぜ、ガエタノさん!」
「ガルーノさんそっくりだ……」
「俺らも負けちゃいられねぇ!」
「撃て! 撃って撃って撃ちまくれ! 狩夜殿を、この村を守るんだ!」
「いっけぇえぇえぇ! ガエタノ伯父さぁん!」
「うおおおぉおぉおぉお!!」
少しでも力になれと、ザッツが村民と共に水鉄砲で援護射撃をしながら声を上げ、ガエタノは咆哮した。そして、五メートルほど離れた場所からヴェノムティック・クイーン目掛け水瓶を投げつける。
ヴェノムティック・クイーンは、咄嗟に身を翻し、水瓶を避けようとしたのだが——
「レイラ、足ぃい!」
七本の足全てをレイラの蔓に払われ、その場で転倒する。倒れ、無防備となった巨体に、ガエタノが放った水瓶が直撃した。
「—————ッ!!」
もはや叫び声すら上がらなかった。体に直撃した水瓶の衝撃と、多量の聖水による波状攻撃で、ヴェノムティック・クイーンの体は甚大な被害をこうむる。
今までで一番の黒煙を噴き出しながら、傷つき、脱力したその巨体を地面に沈めるヴェノムティック・クイーン。七本の足すべてを投げ出し、金縛りにあったかのように硬直。そのまま動かなくなった。
「ガエタノさん! ありがとうございます!」
動かなくなったヴェノムティック・クイーンの眼前で狩夜が動く。すぐ後ろで山積みとなっていた武器に手を伸ばし、その先端を倒すべき敵へと向けた。
狩夜が手に取ったもの。それは、数日前にレイラによって切り分けられた大径木である。村の防護柵を造るための材料。地面に突き立てるために先端を尖らせ、一ヵ所にまとめておいた木材だ。
だが、地面ではなく倒すべき敵に向けられた瞬間、木材はその有り様を一瞬で変化させた。狩夜が握るそれは、敵の命を奪うための木製の槍。凶悪な武器に他ならない。
「おおぉおぉ!!」
狩夜は、一切の躊躇も慈悲もなく、真っ直ぐに槍を前へと突き出した。木製の槍は、先程の聖水と度重なる放水によって防御力を失った外骨格をあっさり貫き、ヴェノムティック・クイーンの体に埋没。そのまま一直線に貫通する。
「ガ……」
体液を盛大に口から吐き出すヴェノムティック・クイーン。どう見ても致命傷だが、狩夜は攻め手を緩めなかった。背後の槍を次々に手に取り、あらゆる角度から突き刺し、ヴェノムティック・クイーンの体を地面に縫いつけていく。
積み上げられていた槍が残り一本となり、狩夜がようやく手を止めたころ、ヴェノムティック・クイーンの体は穴だらけとなっていた。すべての足と体の至る所から槍を生やすその姿は、巨大なウニ、もしくは毬栗のようである。
「グ……が……おの……レ……ニん……ゲン……」
「はぁ……はぁ……呆れた。この状態でまだ息があるのかよ。どうゆう生命力だ。つくづくとんでもない化け物だな……」
乱れた呼吸を整えつつ、狩夜はヴェノムティック・クイーンの頭を見据え、真剣に観察した。
狩夜の目にはヴェノムティック・クイーンは瀕死に見えた。半死半生。生きているというよりは、死んでないといったほうが正しい。そんな状態である。最後に残しておいた奥の手、切り札もなさそうだ。余力零。あと一押しで事切れるのは間違いない。と言うか、放っておいても死ぬだろう。魔法でも使わぬ限り、どのような治療をほどこしてもあと数分の命だ。そして当然、その数分すら生かしておく理由はない。
「最後の一本。これで終わるな」
狩夜は、ヴェノムティック・クイーンに止めを刺すべく、疲労でふらつく体で槍を構えた。そして、ある違和感に気づく。ヴェノムティック・クイーンから視線を外し、槍を辿るように後ろへと振り返る。
狩夜の背後には、いつの間にかザッツがいた。狩夜が握る槍を自らも掴み、訴えるような視線を狩夜に向けている。
そんなザッツを真顔で見下ろしながら、狩夜は言う。
「一緒にやるかい?」
無言で頷くザッツ。狩夜もまた頷いた。ザッツと共に槍を構え、その切っ先をヴェノムティック・クイーンの頭へと向ける。
援護射撃はすでに終わり、村民全員が無言かつ直立不動で見守る中、狩夜はヴェノムティック・クイーンの頭を真っ直ぐに見据えた。
そして——
「「おおお!!」」
狩夜とザッツの声は自然と重なり、二人同時に木製の槍を前へと突き出した。確かな手応えと共に、槍がヴェノムティック・クイーンの頭に突き刺り、奥へ奥へと埋没していく。
「ガぁあぁァアぁ!! 無念ダぁあァあァァ!!」
最後の力で断末魔の叫びを上げた後、完全に動かなくヴェノムティック・クイーン。ティールの村を壊滅寸前にまで追い込んだ強大な主の命が、たった今消えた。
「「「「…………」」」」
だが、誰一人として歓声を上げる者はいない。まだ問題は解決していないことを、この場にいるすべての人間が理解しているからだ。
ティールを占拠する極小の魔物、ヴェノムマイト・スレイブ。それらが上位個体であるヴェノムティック・クイーンの死と連動して死に絶えない限り、ティールに平和は訪れない。先ほどまでの激闘、そのすべて徒労に終わる可能性すらあるのだ。
村民全員が口を噤み、無言でなんらかの結果を待っている。
「大変! 大変ですみなさん! 聞いてくださーい!」
期待と不安に静まり返るティールの村に、突然タミーの声が響いた。村民全員の視線が彼女に集中し、次の言葉を待つ。
村民全員に直視される中、タミーは泣き笑いのような表情を浮かべた。そして、この場にいる全員が待ち望んだ言葉を、大声で口にする。
「死んでます! どんどん死んでいきます! 上位個体の撃破によるヴェノムマイト・スレイブの連動死を確かに確認しました! 私たちの勝利です!」
一瞬の沈黙の後、大歓声が爆発した。誰もが隣人と手を取り合い、みんなの手でつかみ取った勝利に酔いしれる。
狩夜は「終わったね、レイラ」と小さく呟き、大活躍した彼女の頭を右手で撫でてやった。レイラはペシペシと嬉しげに狩夜の頭を叩き、それに答える。
レイラとの心温まるやり取りもそこそこに、狩夜は体ごと後ろに振り返った。そこには、共にヴェノムティック・クイーンに止めを刺したザッツが立っている。
ザッツは心ここにあらずと言った様子で、動かなくなったヴェノムティック・クイーンを見つめていた。いまだに気持ちの整理がつかないのか、まったく動こうとしない。
狩夜は、そんなザッツの肩に手を置き、この戦いを締めくくる言葉を、優しい嘘を、笑顔と共に口にする。
「君が攻略法を見つけてくれたおかげで勝てたよ。ありがとう」
瞬間、ザッツの両目から大粒の涙が溢れた。そのまま倒れるように狩夜の胸に顔を埋め、盛大に泣き始める。
自身の無力を嘆く悔し涙ではない。家族を失った悲しみの涙でもない。これは——奇麗な涙だ。流してもいい涙だ。負の感情を洗い流し、明日への活力となる涙だ。
こんな涙を流せるのなら、ザッツはもう大丈夫だろう。
今度はザッツの背中に手を置く狩夜。次いで、辛勝の果てに守ることができたものを確かめるように、その背中をポンポンと優しく叩く。そして、胸中でこう呟いた。
僕、少しはかっこいい男になれたかな——と。
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