028・楽勝 or 辛勝

 狩夜の攻撃を阻むものは何もない。一直線の銀光となり、マタギ鉈はヴェノムティック・クイーンの体に直撃する。


 しかし——


 ガギィ!!


「~~っ!? か……かたぁ……」


 強固な外骨格に狩夜の攻撃は阻まれた。磨き抜かれた鋼の刃が、ヴェノムティック・クイーンの体にまったく入っていかない。


 全身を貫く衝撃に頭を冷やされた狩夜は、この無様な結果に対して思考を巡らせる。


 攻撃力的に劣るであろうイルティナの青銅の剣や、メナドの青銅の短剣が外骨格を貫き、ヴェノムティック・クイーンにダメージを与えたというのに、狩夜のマタギ鉈による攻撃は通らなかった。この結果から推測するに、原因は——


「僕の身体能力不足!?」


 それ以外に考えられない。ハンドレットの開拓者の身体能力では、いかに優れた武器を振るっても、ヴェノムティック・クイーンの外骨格を貫けないのである。


「グ……オのれぇぇエぇ!」


 我に返ったヴェノムティック・クイーンが、地面から離れた六本の足すべてを動かし、狩夜とレイラに襲いかかる。だが、レイラが即座に反応。左手からも蔓を出現させ、両手の蔓と二枚の葉っぱでヴェノムティック・クイーンの足を迎撃。その全てを弾き返した。


「グ……ぐグ……」


 今まであらゆる敵を屠ってきた攻撃が難なく防がれる。そんな状況にいら立ったのか、ヴェノムティック・クイーンが呻いた。そして、こう言葉を続ける。


「エエい、ナゼ邪魔ヲする!? 貴様も私ト同じ魔物でアロう!? ソレだけの力を持っテいながラ、なゼ人間に味方すル!?」


「……(ムカ)」


 ヴェノムティック・クイーンのこの発言に、レイラは少し怒ったようだ。「お前と一緒にするな~」と言いたげに二本の蔓と二枚の葉っぱを一斉に動かして、ヴェノムティック・クイーンの足を勢いよく弾き飛ばす。


「グぁ!?」


 弾かれたときの衝撃で、体のあちこちが可動域を越えて動いてしまったのか、苦悶の声を上げながら再度動きを止めるヴェノムティック・クイーン。その絶好のチャンスに、狩夜はマタギ鉈を振りかぶる。


「これならどうだ!」


 狙いは外骨格の防御が薄い関節部分。ここならいけるだろうと、狩夜はマタギ鉈を全力で振り抜いた。


 しかし——


 ガギィ!!


「くそ、ここもだめか!?」


 結果は同じ。狩夜の攻撃はヴェノムティック・クイーンにまったくダメージを与えられずに終わる。筋力も、敏捷も、全く足りていなかった。


 狩夜の攻撃は、ヴェノムティック・クイーンに通用しない。現状の狩夜では、ヴェノムティック・クイーンを倒せない。


 この世界にきて、すでに幾度も感じた無力感。その無力感が、狩夜の頭と心を埋め尽くしていった。マタギ鉈を握る右手から、徐々に力が抜けていく。


「おノレ……オノれ、オのれ! おノレえ!! この魔物ノ面汚しめガぁ!!」


 硬直状態から回復したヴェノムティック・クイーンが、激昂しながら再度狩夜とレイラを攻め立ててきた。レイラはまたそれを無言で迎撃する。


 防御のレイラと、攻撃のヴェノムティック・クイーン。両者の激しい攻防が狩夜の眼前で繰り広げられ、いくつもの火花が飛んだ。


「レイラ、頑張れ! 頑張ってくれ!」


 これはもう狩夜が介入できる次元の戦闘ではない。自身の力でヴェノムティック・クイーンを倒すことをすでに諦めた狩夜は、レイラがこの攻防に競り勝ち、独力でヴェノムティック・クイーンを打倒してくれることを心から願った。次いで、縋るような視線を上に向ける。


「え?」


 瞬間、狩夜の口からこの緊迫した状況にそぐわない、間の抜けた声が漏れた。


「レイラちゃん、すげぇ。あの主の攻撃を全部防いでるぜ……」


「ああ。でも、防御だけで精一杯って感じだ」


「カリヤ様の攻撃は主に効いてないみたいだし……」


「このままじゃ、いつか力尽きて……」


 泉の中から戦いを見つめるティールの村民たちが、口々に心配の声を上げる。


 傍から見ても互角の攻防、レイラと狩夜が苦戦しているように見えるらしい。まあ、実際苦戦しているし、狩夜もビビリまくって余裕がなかったときは、レイラは防御で精一杯、僕が頑張らなくちゃ——という、なんとも身のほど知らずなことを考えていたのだが、先ほどレイラの様子を窺ったときに考えを百八十度改めた。今はまったく別のことを考えている。


 その考えとは——


 ——レイラの奴、なんで攻撃をしないんだ?


 である。


 見間違いだったのかな? と、再び視線を上に向け、レイラの様子を窺う狩夜。だが、その様子は先ほどとまったく変わっていない。「余裕余裕。ばっちこ~い」とでも言いたげな顔で、ヴェノムティック・クイーンの攻撃をすべて叩き落としている。村民が言うように、防御に精一杯で攻撃の余裕がないとはとても思えなかった。それどころか、レイラが攻撃に転じれば、この戦いは一瞬で終わる可能性すらある。なにせレイラは、ヴェノムティック・クイーンと同等の存在である主化したベヒーボアを、一撃で葬っているのだから。


 だというのに、レイラはいつまでたっても攻撃をしようとしない。なにか理由があるはずだ——と、狩夜は思考を巡らせる。そして、半日ほど前に口にした、ある言葉に思い当たった。


『レイラ! 攻撃は僕がするから、防御! 防御よろしく! あいつら毒持ってるから! くらうと洒落にならないから!』


 ——これか!? レイラの奴、この言葉を今も律儀に守ってるのか!?


 だとしたら、この状況を打破するのは簡単である。専守防衛をやめ、攻撃するようレイラに命じればいい。そうすれば、この戦いは恐らく一瞬で終わる。ヴェノムティック・クイーンはレイラの攻撃の前にあっけなく倒れ、ティールには平和が訪れるだろう。


 善は急げ。狩夜はレイラに新たな指示を出そうと、その口を動かした。


「レイ——」


「くらえぇ! 化け物!」


「え?」


 突然聞こえた声にあっけにとられ、狩夜はレイラに出しかけた命令を途中で引込めてしまう。その直後、ヴェノムティック・クイーンの背後で何かが割れるような音がした。そして——


「グギ……ギャあぁァァあアァァア!!」


 ヴェノムティック・クイーンが突然身悶え、絶叫を上げた。尋常ではない苦しみようである。


「ザッツ!?」


「あいつ、いつの間においらの聖水を!?」


 ヴェノムティック・クイーンの後方から、ガエタノとサポーターの声が上がる。その声から察するに、サポーターが携帯していた聖水入りの瓢箪をザッツが奪い、ヴェノムティック・クイーンの体目掛け投げつけたようだ。


 すべての魔物の弱点であるマナ。そのマナが多量に溶けた聖水をまともに浴び、魂が浄化されるという地獄の苦しみが、ヴェノムティック・クイーンに襲いかかる。


「や、やった! うまくいった!」


 歓喜の声を上げるザッツ。すると、ヴェノムティック・クイーンが動いた。怒りの声を上げながら、背後にいるザッツへと向き直ろうとする。


「ヨクも……よくモやってクレたな! 人間ノ子供ぉオォォ!」


 激昂し、狩夜からザッツへと攻撃目標を変更するヴェノムティック・クイーン。その事実に狩夜は慌てた。とにかく敵の気を引こうと、聖水を浴びたことで黒い煙を上げ続けるヴェノムティック・クイーンの体を、無駄と知りつつ切り付ける。


 すると——


 ザシュ!!


「あれ?」


 狩夜のマタギ鉈は、ヴェノムティック・クイーンの外骨格をあっさりと貫き、奇麗に振り抜かれた。新たにできた傷口に聖水が入り込み、ヴェノムティック・クイーンが再度悶絶する。


「ぐゥあぁアァ!! き、貴様ァあ!」


 狩夜を無視してザッツを狙うのは無理と判断したのか、ターゲットを再び狩夜に戻すヴェノムティック・クイーン。そんな中、狩夜はガエタノに向けて声を発した。


「今のうちにザッツ君を!!」


「わかりました!」


 返事はすぐに返ってきた。そして、ヴェノムティック・クイーンの巨体の向こう側から、このような会話が聞こえてくる。


「カリヤ殿が時間を稼いでくれてるうちに逃げるぞザッツ! 私と一緒に泉に飛び込むんだ!」


「嫌だ! 俺は逃げないぞ! この手で父ちゃんと母ちゃんの仇を討つんだ!」


「無理を言ってカリヤ殿を困らせるんじゃない! お前のような子供にいったい何ができる!」


「できるできないの問題じゃない! やるかやらないかだ! 村の英雄はあいつでいいよ! でも、これだけは譲れないんだ! 父ちゃんと母ちゃんの仇をこの手で討たない限り、俺は後にも先にも進めない! そんなの死んでいるのと変わらないじゃないか!」


 戦場で互いの想いをぶつけ合うザッツとガエタノ。狩夜はそんな二人の言葉を聞きながらも、先ほどの現象を検証するため、腰に下げている聖水入りの瓢箪へと手を伸ばした。


 蓋を開け、目の前のヴェノムティック・クイーンに投げつける。次いで、聖水を浴びたことで黒い煙を上げる体目掛け、マタギ鉈を振り抜いた。


「グギぃい!」


 マタギ鉈は今回も外骨格を貫き、ヴェノムティック・クイーンの体を傷つけることに成功する。そして、かけたばかりの聖水が傷口に殺到し、化膿するかのごとく傷口を広げていった。


 ヴェノムティック・クイーンは、苦し紛れに狩夜に攻撃を仕掛けたが、レイラによって防がれる。そんな中、狩夜は水鉄砲を構え、次いで放水。そして、水で濡れた部分をマタギ鉈で切りつけた。


 結果は上々。聖水と違って傷口を広げるようなことはなかったが、狩夜の力でも外骨格を貫き、ダメージを与えることに成功した。


「水を使えば、僕でもダメージを与えられる?」


 検証結果を確かめるように狩夜は呟いた。そしてこれは、努力と工夫次第で、狩夜の力でもヴェノムティック・クイーンを打倒できるということに他ならない。


「……でも、今更だな」


 そう今更だ。今更こんなことがわかってなんになる。努力? 工夫? そんなものは必要ない。レイラがいるのだ。圧倒的力があるのだ。ただ一声かければすべてが終わる。


 楽勝だ。それの何がいけない。それでティールは救われる。皆が皆救われる。平和になるのだからそれでいいじゃないか。誰も狩夜を責めはしない。誰もが狩夜に感謝し、褒め称えてくれるに違いない。


 弱いんだから仕方ない。特別な力を頼ってもいいじゃないか。狩夜は普通の人間なんだ。凡人には凡人に相応しい生き方、処世術というものが——


『だから……だから俺は……開拓者を目指すのをやめたんだ……だって俺……何も持ってないもん……凡人だもん……お前みたいに……特別じゃない……何も持ってない奴が頑張っても……努力しても無駄なんだ……』


 ズキリ!!


 胸が——痛む。それと同時に、レイラの名前を呼びかけた口の動きが再び止まった。


『あの主が弟と義妹いもうとの仇だとわかった今、自らの無力をこれほど呪ったことはありません。あの主はザッツだけでなく、私の仇でもあるというのに……』


『くそ、やはりだめか……私の力では、このティールを救うことも、友の仇を討つこともできんのか……』


『姉さん……すみません。弱い私を、姫様の力になれない私を許してください……』


『絶対、父ちゃんと母ちゃんの仇を討ってやる!!』


 次々に思い起こされる、このティールで知り合った人々の言葉。そして、思い起こすたびに胸が痛んだ。まるで、安易に楽な道へ進もうとする狩夜を戒めるかのように。


 痛みに促され、狩夜は考えた。レイラの力に頼って、戦いが楽勝で終わって、皆が皆救われる。本当にそうだろうか——と。


 ほどなくして結論は出た。狩夜は顔を左右に振り、こう口を動かす。


「いや……ダメだ。これじゃ救われないものがある……」


 冷静に考えて気がついた。楽勝では救われないものが——ある。確かにある。


 レイラの力に頼って楽勝で終わったら、ガエタノも、イルティナも、メナドも、ザッツも救われない。家族の、友の仇を自ら討ちたいという彼らの願いは永遠にかなわず、死ぬまで無力感に苛まれるだろう。


 だからダメだ。この道は選べない。楽勝では、人の心と誇りまでは救えない。


 ゆえに、狩夜は別の道を選んだ。辛く、苦しくても、より多くを救えるかもしれない辛勝の道を。


「力を貸してください!」


 突然紡がれた狩夜の言葉に、ザッツが、ガエタノが、イルティナが、メナドが、ティールの村民全員が目をむいた。狩夜はなおも言葉を続け、この場にいるすべての人間に懇願し、訴える。


「レイラは防御で精一杯! 僕の攻撃も効きません! 僕たちだけの力じゃ、この主には絶対に勝てない! 皆さんの協力が必要です!」


 狩夜がこう言うと、頭上のレイラが「え? 私全然余裕だよ?」と言いたげな顔で狩夜を見下ろしてきた。だが、狩夜はそれを無視し、こう言葉を続ける。


「剣や槍を手に取り、共に戦えとは言いません! 主の間合いの外、安全なところから水鉄砲で僕たちを援護してください! それで主の防御は崩れます! 非力な僕でもダメージを与えられるんです!」


 この言葉に村民たちが息を飲み、ざわつき始めた。ここでもう一押しだと、狩夜は再度声を上げる。


「皆さんの援護があれば、僕は必ず勝ってみせます! だから……だからどうか、僕に力を貸してください! みんなの力で主を倒し、村の英雄の仇を共に討ちましょう!」


 ここで狩夜は口の動きを止めた。瞬間、ティールに静寂が訪れる。イルティナも、メナドも、ガエタノも、ザッツも、ヴェノムティック・クイーンすらも押し黙り、動きを止める。


 静寂がティールを支配する中、狩夜は胸中で「頼む、届いてくれ!」と必死になって願った。


 その、直後——


『うおおぉぉぉおおおおぉぉ!!』


 というティールの村民たちの雄叫びが上がる。そして、村民たちは水鉄砲を手にしながら泉から飛び出し、思い思いの声を上げて自身と仲間を鼓舞していった。


「やってやる! ここは俺たちの村だ! 俺たちの力で守るんだ!」


「カリヤ殿を助けるぞ!」

 

「ガルーノとメラドの仇討ちだ!」


「隊列は要らん! とにかく撃て! 撃って撃って撃ちまくれ!」


「恐れるな! カリヤ殿とレイラ様を信じろ! 主の攻撃が私たちに届くことはない!」


「男どもに遅れんじゃないよ! あたしたちも戦うんだ!」


「そうよ! 私たちだってぇ!」


 村民全員が戦う決意をしてくれた。英雄の仇を討つのだと、この村を守るのだと、水鉄砲という武器を手に強大な敵に立ち向かう。


 狩夜は泣きそうになりながら笑った。そして、こう決意を新たにする。この道を選んだ以上、もう誰一人死なせない。傷つけさせない——と。


 より多くを救いたいというのは狩夜のわがままだ。そんなわがままで誰かを死なせてしまったら、狩夜は自分を許せそうにない。永遠に後悔するに決まってる。


 だから、狩夜は誰よりも前に出る。レイラと共にヴェノムティック・クイーンの前に立ち、命を刈り取るその時まで、腕と足を動かし続けなければならない。


「ごめん、レイラ。馬鹿で身のほど知らずな僕につき合ってくれ……」


 相談ひとつせず、自らのわがままを押しつけることになってしまったレイラに、狩夜は謝罪すると同時に懇願した。すると、レイラはペシペシと狩夜の頭を叩き「気にしないでいいよ~」と言いたげな顔を向けてくる。そんな彼女の優しさに、狩夜は思わず泣きそうになってしまった。


「ありがとう……それじゃ、いこうかレイラ!」


 気合を入れ直すべく狩夜は叫ぶ。そして、ヴェノムティック・クイーン目掛け駆け出した。


 人の命だけでなく、心や誇りまでも救いたいなどという、凡人には分不相応な願いを叶えるために、狩夜はマタギ鉈を握り直した。

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