027・ヴェノムティック・クイーン

「大丈夫ですか? ガエタノさん」


「私は最後でかまいません」という本人の意思を尊重し、最後に治療したガエタノ。その体についた傷が綺麗に消えたことを見届けた後、狩夜は不安げな顔で口を動かした。すると、ガエタノは小さく頷き、こう答えながら立ち上がる。


「ええ、大丈夫です。要らぬ心配をおかけして申し訳ありません。いやはや、レイラ様のお力はやはり素晴らしいですな。あれほどの傷を瞬く間に治療してしまうのですから。まるで、厄災以前にあったという治癒魔法のようです」


 体に異常がないか確かめながら、狩夜に対して笑って見せるガエタノ。だが、その笑顔はどこかぎこちなく、体の動きは不自然だ。前者はザッツが心配だからで、後者は血が足りないからだろう。いかにレイラといえど、失った血液までは元に戻せないのだ。


「ザッツ君、心配ですよね……」


 変に言い回したりはせず、ストレートにたずねる狩夜。すると、ガエタノの顔からは笑顔が消え、視線が徐々に下がっていく。ほどなくして、ガエタノは震える声でこう言葉を紡いだ。


「はい……心配です……」


 ガエタノも言葉を飾ったりはしなかった。率直な言葉を狩夜に向けてくる。


「弟と義妹いもうとが死んで、ザッツを引き取ってからというもの、毎日が心配と不安の連続です……少し帰りが遅くなれば戻ってくるのかと心配になり……夜眠ったかと思えば悪夢に魘されるのではと不安になり……まったく、気楽な独り身だったころが懐かしいですよ」


 小さく自嘲気味に笑うガエタノ。次いで、こう言葉を続けた。


「やはり私のような無骨者には、ザッツの親代わりは務まらないのです。私は子供の育て方など知りません。いつもいつも、上から怒鳴りつけることしかできず……きっとザッツは、そんな私に失望していることでしょう」


「そんなことは——」


「ありますよ。なぜなら私は、ザッツが一番に望んでいることを叶えてやることができない」


 ここでガエタノは悔し気に両手を握り締め、体を震わせた。だが、口の動きは止めず、その胸中を吐露する。


「ザッツの一番の望みは、あの主を倒し、両親の仇を討つことです。私ごときの力では、到底かなわぬこと……開拓者でない私では、あの主と戦う親の背中をザッツに見せるどころか、ザッツを追って一人森に入ることすらできないのです……」


「ガエタノさん……」


「あの主が弟と義妹いもうとの仇だとわかった今、自らの無力をこれほど呪ったことはありません。あの主はザッツだけでなく、私の仇でもあるというのに……」


 ここでガエタノは顔を上げ、ヴェノムティック・スレイブとザッツ。そして、それらを追ったジルたちが消えていった方向を見つめた。ガエタノの動きに釣られ、狩夜もその方向に顔を向ける。


 同じ方向を見つめる狩夜とガエタノ。そして、狩夜は顔の向きをそのままに、こう口を動かした。


「大丈夫ですよ、ガエタノさん。ザッツくんはきっと無事です。今にジルさんと一緒に帰ってきますよ」


 ガエタノを励ますと当時に、自らの望みを言葉にする狩夜。その言葉に答えようと、ガエタノが口を動かし始めた、まさにそのとき——


「み、みんな~!!」


 と、狩夜とガエタノの視線の先から、パーティ『虹色の栄光』に所属するサポーターの声が聞こえてきた。直後、ガーガーに跨るサポーター本人と、同じくガーガーに跨るザッツが森から飛び出してくる。


「ザッツ! よかった……」


 無事に戻ってきたザッツ。目立った怪我のないその姿に、ガエタノが安堵の声を上げた。それに続き、狩夜も口を動かす。


「噂をすれば影……か。よかったですね、ガエタノさん。でも、ジルさんたちがいませんね? どうしたんだろ? 先にザッツ君だけティールに帰したのかな?」


 言い終えると同時に首を傾げ、ジルたちの姿を探すべく、ガーガーの後方に広がる森に視線を向ける狩夜。直後、有らん限りの声でサポーターが叫ぶ。


「今すぐ泉に飛び込めー!!」


 この叫びに、ティールの村民たち——いや、イスミンスール人たちは即座に反応した。我先にと泉へと殺到し、躊躇なく飛び込んでいく。


 魔物に襲われたら水に飛び込め。幼いころからそう教え込まれ、何度も訓練をしている彼らは、サポーターの叫びを聞いただけで状況をある程度把握し、すぐに体を動かすことができたのである。


 逃げ遅れ、その場に取り残されたのは、やはりそういった訓練をまったくしていない地球人。つまりは狩夜だけであった。


 もっとも、取り残されたのではなく、自らの意思で逃げずにその場にとどまった者ならば他にもいる。狩夜の隣でザッツを守るべく水鉄砲へと手を伸ばすガエタノ。ティールとそこに住まう村民を守るべく、武器を手に取るイルティナとメナド。そして、今朝がたジルたち『虹色の栄光』と共にティールへとやってきた開拓者の二人組。それら計五人が、真剣な表情で森を見据えていた。 


 理由は人それぞれだが、サポーターが警戒を促した相手に対して、逃げることなくその場で待ち構える狩夜たち六人。それらに感謝の視線を送りつつ、村民たちは次々に泉へと飛び込み、安全地帯である水の中で身を寄せ合い始めた。


 そんな中、ついにその時は訪れる。


「待ぁァテぇぇえぇ!! 人間のォ、子供ぉオぉ!!」


 鼓膜を掻き毟るかのような悍ましい声がティールの村全域にあますことなく響き、ティールと森の境界線で爆発が起きた。地響きと共に大量の砂埃が舞い上がり、数本の大木が根元からへし折られ、どこぞへと吹き飛んでいく。


「——っ!!」


 声すら出すことができず、全身の体毛を逆立てながら両肩を跳ね上げる狩夜。そんな狩夜の視線の先で、舞い上がる大量の砂埃をものともせず直進し、その怪物はティールの村へと踏み込んでくる。


 見上げるほどに巨大なダニ型の魔物であった。悪夢のような体躯をしているが、その体を構成するパーツはヴェノムティック・スレイブに酷似している。それに加え、いくつもの特徴が事前情報と合致した。あれがヴェノムティック・スレイブと、ヴェノムマイト・スレイブの元締めであるという主で間違いない。


「クイーン……」


 二人組の開拓者、その片割れの女性が漠然と呟く。かすかに聞こえた言葉に、狩夜は胸中で同意した。あれはまさしく女王。ヴェノムティック・クイーンと呼ばれるに相応しい存在である——と。


「やハリ、こノ子もやらレたか……」


 ヴェノムティック・クイーンは、ティールに踏み込んだ直後に歩みを止めた。そして、地面に転がるヴェノムティック・スレイブの死骸をじっと見つめながら口を動かす。


「あそコでも……アソこデも……私ノ子供が、孫タチが死んでイル。あの死にかたハ、偶然とは思えナい。やハりあの子の報告通り、こノ村の人間ドモが、我々ノ存在に気がつイたのは確実か……」


 ヴェノムティック・スレイブの死骸だけでなく、ティールの至るところに目を向けながら口を動かすヴェノムティック・クイーン。孫というのはヴェノムマイト・スレイブのことだろう。極小の死骸であるにもかかわらず、ヴェノムティック・クイーンは、その存在と死を知覚することができるらしい。


 片言ではあるものの、ヴェノムティック・クイーンが発する言葉からは、明確な意思と知恵を感じ取ることができた。この主は、今まで狩夜が目にしてきた魔物たちとは、明らかに別物である。


「こうナってハしかたナイ。実験ついでニ内側カラ切リ崩シ、今後のタメに村ごト苗床にシて眷属ヲ増やス計画だったガ、もウ止めダ。私たちノ存在を隠蔽し、毒の治療法ヲ闇に葬ルためにも、今こノ場で、村の人間どもヲ皆殺しニしてくレる」


 この発言に狩夜は戦慄する。ティールを襲った一連の事件は偶然ではなく、ヴェノムティック・クイーンが意図的に起こしたものだったのだ。


 しかも「実験」「今後のため」とまで口にした。つまりティールの壊滅、占領は、ヴェノムティック・クイーンが思い描く計画、その足掛かりにしかすぎないということである。ゆくゆくはあの奇病を大陸全土に撒き散らし、人間すべてを根絶やしにするつもりなのかもしれない。


 ヴェノムティック・クイーン。こいつは危険だ。突然変異、もしくは〔ユグドラシル言語〕スキルの副次効果かもしれないが、なんにせよ頭が良すぎる。放置すればティールどころか、ユグドラシル大陸全土を脅かす存在になりかねない。


「おい! あれはジルの剣だろう!? 奴はどうした!?」


 青銅の剣を両手で構えながら声を張り上げるイルティナ。この言葉に反応し、狩夜は再度ヴェノムティック・クイーンを観察する。


 よく見ると、ヴェノムティック・クイーンは顔のすぐ左横に小さくない傷を負っていた。そして、その傷をつけたと思しき鉄の剣が、ヴェノムティック・クイーンの体に残されている。


 狩夜にも見覚えがあった。あの鉄の剣は、ジルが所持していたもので間違いない。


「若は……若は……」


 イルティナの言葉に顔を伏せ、悔し気に言葉を詰まらせるサポーター。その仕草だけで、狩夜はジルが今どうなっているか察することができた。どうやら、臆病風に吹かれて逃げ出したからこの場にいないというわけではないらしい。


「そうか……あいつがな……ザッツが無事ということは、最後の最後で男を見せたか……驚いたよ……」


 こう言って、それっきり口を閉ざすイルティナ。そんなイルティナが今どんな顔をしているのか狩夜が確認しようとしたとき、事態が動く。


「へ……へへ! こいつはついてるぜ! 主が出ると聞いてこんな田舎まで出向いてみたら、その主が金属装備まで持ってきてくれるとはなぁ!」


 二人組の開拓者、その片割れの男が欲望に目をぎらつかせながら叫んだ。次いで、尖った骨を先端に括り付けた槍を構えて、ヴェノムティック・クイーン目掛け突撃していく。


「こいつを仕留めれば、報酬・50000ラビスと《魔法の道具袋》だけじゃなく、あの金属装備も俺のもんだぁ! そうなれば、ミズガルズ大陸にだって手が届く! やってやる! やってやるぞおらぁあぁ!」


「ば、馬鹿! そんな事言ってる場合!? 一目見れば、今の私たちに勝てる相手じゃないって分るでしょうが!?」


 慌てて片割れの女性が声を上げるが、男は止まろうとはしなかった。欲望に突き動かされるままに主を目指し、足と口を動かしている。


「いいか、他の連中は手を出すなよ! こいつは、パーティ『双頭の蜥蜴』のリーダーである、この——」


 自身の名前を口にしようとした瞬間、唐突に男の声が途切れた。男が口の動きを止めたわけではない。消し飛んだのだ、上半身が。ヴェノムティック・クイーンの前足、ただその一振りで。


「——っひ」


 目の前で人が惨殺された。その事実に狩夜は目をむき、息を飲む。込み上げてくる吐き気そのままに、胃の中身をすべてぶちまけたい衝動に駆られるが、状況の変化が狩夜にそれを許さなかった。


 イルティナとメナドが、ヴェノムティック・クイーンに攻撃を仕掛けたのである。


 開拓者の男がヴェノムティック・クイーンに向かって走り出したときには、すでにイルティナもメナドも動き出していた。真正面から突撃した男とは正反対の方向。つまりはヴェノムティック・クイーンの背中に回り、背後から強襲したのである。


 あの男はもう助からない。そう考えたイルティナは、男を見捨てて囮にすることを選んだのだろう。ティールを守るために、パーティの仇を討つために。そして、男の死を無駄にしないために。


 心を鬼にしたイルティナとメナドは、ヴェノムティック・クイーンに肉薄することに成功した。そして、男に気を取られ無防備となっている胴体めがけ、手にした武器を振り下ろす。


「おお!!」


「はぁぁ!!」


 イルティナの青銅の剣と、メナドの青銅の短剣が、人間の壁を越えた速度で振るわれる。その攻撃は、ヴェノムティック・クイーンの外骨格を貫き、その体に傷をつけることに成功した。


「グ、いつノまに!?」


 瞬間、ヴェノムティック・クイーンは二人の存在に気づき、すぐさま反撃しようとしたが——できなかった。それは、ダニの体の構造上当然のことである。


 丸く大きな体を持つダニにとって、背後は絶対の死角だ。背後に回られたら最後、体ごと向き直って仕切り直すことぐらいしか、ヴェノムティック・クイーンには打つ手がないのである。


 だが、イルティナとメナドは仕切り直しを許さない。ヴェノムティック・クイーンの動きに合わせて機敏に動き、常に体を死角の中に置いた。そして、その間も休まずに武器を振るい、ヴェノムティック・クイーンの体に無数の傷を刻んでいく。


「グ……おノれ人間!」


「まだまだぁ! 我らの怒りを思い知れ、化け物め!」


「姉、そして義兄あにの仇! 何もできぬまま朽ち果てなさい!」


 もうチャンスはここしかない。そう言いたげに武器を振るう二人の猛攻に、狩夜は思わず目を奪われ、込み上げた吐き気も忘れて食い入るように見つめた。


 このまま押し切れるんじゃないか? と、狩夜が淡い期待を抱いた、その瞬間——


「調子ニ……乗ルなァァあァ!!」


 ヴェノムティック・クイーンが叫んだ。次いで、八本の足で地面を掴み、その場で高速回転する。


「これは——下がれメナド!」


「姫様、あぶな——きゃあ!」


 高速回転するヴェノムティック・クイーンを中心に、瞬く間に形成されるつむじ風。そして、イルティナとメナドは離脱が間に合わず、そのつむじ風に飲まれてしまった。


「あ……」


 狩夜の口から小さく声が漏れ、それとほぼ同時にイルティナとメナドがつむじ風から吐き出される。この間、時間にして一秒弱。だが、狩夜にとっては永遠のように長く感じる時間であった。


 高々と宙を舞うイルティナとメナドの全身には、夥しい数の傷が刻まれている。ヴェノムティック・クイーンの体から無数にとび出す鋭い突起。それによってつけられた傷だろう。


「イルティナ様! メナドさん!」


 咄嗟に二人の名前を呼ぶ狩夜。すると、その声に答えるように二人が動く。空中で身を翻し、見事両足から着地した。しかし——


「ぐ……」


「つぅ……」


 険しい表情で痛みを訴え、すぐに膝をついてしまった。素人目にも重傷——というか、生きているのが奇跡のように思える。サウザンドの開拓者でなければ、原型も留めぬほどにグシャグシャなっていただろう。


「姫様、大丈夫ですか!? 私、回復薬を持っております! お使いください! 御付きの方も!」


 相方を失った女開拓者がイルティナとメナドに駆け寄り、回復薬が入っていると思しき瓢箪を手渡した。イルティナは「すまない」と消え入りそうな声で礼を述べると、蓋を開けて少量口に含み、残りは頭から体にぶちまけた。メナドもイルティナと同じようにしている。


 回復薬の効果で徐々に塞がっていく二人の傷。しかし、それでもまだまだ重傷だ。もう戦えはしないだろう。


「くそ、やはりだめか……私の力では、このティールを救うことも、友の仇を討つこともできんのか……」


「姉さん……すみません。弱い私を、姫様の力になれない私を許してください……」


 悔し気に唇を噛むイルティナとメナド。だが、それはほんの僅かな時間であった。イルティナは小さく頭を振ると、凛とした声で叫ぶ。


「やむを得ん! この場での主討伐は諦める! 全員泉の中に飛び込め! 生きてさえいれば希望はある!」


 この言葉に女開拓者とメナドは頷いた。イルティナとメナドは女開拓者の肩を借りて立ち上がると、今できる全速力で安全地帯である泉を目指す。


 しかし——


「逃がスと思うカ! 人間!」


 回転するのをやめたヴェノムティック・クイーンが、三人目掛けて突撃していく。どうやらイルティナたちを泉の中に逃がすつもりなど、まったくもってないらしい。


 このままいけば、三人が泉の中に入るよりも早くヴェノムティック・クイーンが攻撃態勢に移るのは明白。そうなったら、今度こそイルティナたちに命はない。先ほどの男開拓者のように無残に殺されるだろう。


 死ぬ。イルティナと、メナドが——死ぬ。狩夜の目の前で。


「う……うぁあぁ!」


 狩夜はいつの間にか走り出していた。本能でヴェノムティック・クイーンから逃げようとする体を意思で制御し、自身の体を盾にするかのようにイルティナたちの前に躍り出る。


「無茶だ! 逃げろカリヤ殿! ハンドレットの開拓者がどうこうできる相手じゃない!」


「カリヤ様! いけません!」


 イルティナとメナドが悲痛な声を上げる中、狩夜は真正面からヴェノムティック・クイーンと相対した。そして、失禁しそうなほどにビビリながらも、マタギ鉈を鞘から抜き放ち、構える。


 そんな狩夜を見据えながら、ヴェノムティック・クイーンが叫んだ。


「我ガ子かラ聞いているゾ、人間! 私たちの毒ノ治療法を知るのハ貴様だナ!? 貴様ハ確実ニ始末すル!」


 走る速度を一切落とさぬまま顎を限界まで開き、狩夜の体に食いつこうと驀進するヴェノムティック・クイーン。その光景を見ていたすべての人間が、数瞬後の狩夜の死を幻視しただろう。しかし、その幻視が現実になることはない。なぜならば——


「……」


 狩夜の頭の上には、マンドラゴラという名の規格外の化け物が、腹這いの体勢で寝そべっているからである。


「レイラァ!!」


 狩夜がやけくそ気味に名前を呼んだ瞬間、レイラは右手から蔓を伸ばした。次いで、その蔓でヴェノムティック・クイーンの頭を下から上にかち上げる。


 止まるはずのないヴェノムティック・クイーンの驀進が——止まった。ヴェノムティック・クイーンの体は、後ろ足二本を残して地面から離れており、ほぼ二足歩行の状態で直立し、静止している。


「……ナん……ダと……?」


 自らに何が起こったのか理解できておらず、困惑の声を漏らすヴェノムティック・クイーン。一方の狩夜は、レイラが頭をかち上げたことで眼前に現れた、ヴェノムティック・クイーンの体。その裏側目掛け——


「おらぁ!」


 裂帛の気合と共にマタギ鉈を水平に振るう。


 叉鬼狩夜の全身全霊を込めた一撃が、ヴェノムティック・クイーンの体に直撃した。

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