026・心弱き者の最後

「なんとか丸く収まった……かな?」


 ことの成り行きを見守っていた狩夜は、事態が収束に向かっていることを感じ、安堵の息を吐く。


 ガエタノの機転により、ザッツと村民との間に決定的な溝ができることは回避された。だが、事態が好転したわけではけしてない。ヴェノムマイト・スレイブとヴェノムティック・スレイブの元締めである主は依然として健在であるし、居場所すら特定できていない。ザッツの両親の遺体もヴェノムマイト・スレイブにまみれたままで、ティールの村は魔物に占拠されているも同然だ。問題は山積みである。


 真っ先に対処するべきはザッツの両親の遺体であろう。皆の精神安定のためにも、今すぐ対処するべきである。


「でもよ、燃やすのがだめならいったいどうする?」


「水……しかないだろ。マナを含んだ泉の水で、何度も何度も洗うんだ。体の中に巣くってる魔物が全滅するまで、何度でもよ」


「そうだな。それしかないか」


 ザッツの両親を真っ先に対処した方がいいと考えたのは狩夜だけではないらしい。遺体にまとわりつくヴェノムマイト・スレイブをどう処理するか、村民たちは真剣な顔で話し合いを始めた。


「うーん……ガルーノさんとメラドさんには申し訳ないけど、一度泉に沈めた方が手っ取り早いんじゃないか? そうすりゃさすがに全滅するだろ」


「馬鹿野郎。下流には都があるんだぞ。そんなことができるか」


「あ、そっか……」


「ひたすらに木桶で水をくむしかねえな。ちょっとばかし大変だがよ」


「二人には世話になったんだ。水をくむぐらいなんでもねぇだろ」


「違いない」


「ほんじゃまあ、水で奇麗に洗うって方向で」


『異議なし』


 どうやら水で洗うという方向で話が纏まったようだ。話し合いを切り上げ、村民たちが動き出す。


「おい、ザッツ。父ちゃんと母ちゃん洗うぞ。手伝え」


「……わかった」


 さすがにそれしかないと思ったのか、ザッツも意義を申し立てたりはせず、村民の言葉に素直に従った。木桶を取ってこようと踵を返して、両親の遺体に背中を向ける。


 その、次の瞬間——


「下がれ、ザッツ!」


 というガエタノの声が墓地の中に響き渡った。そして、ザッツの体が横に突き飛ばされ、地面を転がる。


「「え?」」


 意図せずに重なる狩夜とザッツの声。それとほぼ同時に、ガルーノの体から高速で何かが飛び出し、ザッツを突き飛ばしたことで無防備となっているガエタノの体へとへばりつく。


「くぅ!」


 何かがへばりついた直後、ガエタノの体から真紅の液体が噴き出し、宙を舞った。狩夜の視線の先で、激痛に歯を食いしばるガエタノが地面へと倒れていく。


「ガエタノさん!」


 踵を返し、叫ぶ狩夜。すると、ガエタノの体にへばりついていた何かが狩夜から距離を取るように跳躍し、地面の上に降り立った。


 動きを止めたことで鮮明になった、その何かの姿は——


「ヴェノムティック・スレイブ!? もう一匹いたのか!?」


 そう、ダニ型の魔物、ヴェノムティック・スレイブであった。ガエタノの血肉で赤く染まった鋭い顎をカチカチと鳴らし、狩夜を威嚇している。


 そんなヴェノムティック・スレイブを憎々しげに見つめながら、狩夜は後悔と共にこう独り言ちた。


「そう……だよね、もう一匹いるよね。繁殖してるんだから、つがいがいて当然か……くそ!」


 口を動かしながら態勢を低くし、狩夜はヴェノムティック・スレイブの死骸を地面に縫いつけているマタギ鉈へと手を伸ばした。こんなことなら止めを刺した後すぐに回収しておけばよかった——と、狩夜が胸中で後悔した、まさにその時——


「ギギィ!」


 ヴェノムティック・スレイブが動く。といっても狩夜に向かって襲いかかってきたわけじゃない。むしろその逆。狩夜に背中を向けて、森を目指して一目散に逃げ出したのだ。


「きゃあ! こっちにきた!」


「ひぃ、助けてぇ!」


 ヴェノムティック・スレイブの進行方向にいたティールの村民たちが、助けを求めて逃げ惑う。ヴェノムティック・スレイブは、そんな村民たちをついでとばかりに無差別に傷つけながら逃走。森の奥へと消えていった。


 ヴェノムティック・スレイブの後を追おうと、狩夜は駆け出そうとしたが——やめた。視界の端に血を流して倒れているガエタノの姿が映り、頭が冷えたからである。


 狩夜がヴェノムティック・スレイブの後を追えば、当然だがレイラも一緒にティールを離れてしまう。そうなっては、ガエタノや村民たちの治療ができない。ガエタノは素人目でも危険とわかる重傷だ。マナを含んだ水や聖水での治療では間に合わない可能性がある。村民の中にも深手を負った者が何人もおり、それらを放置してヴェノムティック・スレイブを追うことは、狩夜にはできなかった。


 今は逃がすしかない——そう胸中で呟きながら、狩夜はガエタノへと向き直る。すると——


「逃げるな! お前も父ちゃんの仇だぁぁあぁ!」


 と、怒声を上げながら走るザッツが、狩夜のすぐ横を駆け抜けていった。突然のことで反応が遅れ、狩夜は何もできずにザッツを見送ってしまう。


「ザッツ君!?」


 あわてて振り返り名前を呼ぶが、ザッツは止まらなかった。ヴェノムティック・スレイブの後を追って、森の中へと消えていく。


「ザッツ! 馬鹿、戻れ! お前ひとりで何ができる! 待て、待つんだ!」


 重傷であるにもかかわらず、懸命に声を上げるガエタノ。だが、ザッツは戻ってこなかった。ガエタノの声が、ただただ虚しく周囲に木霊する。


 狩夜は悩んだ。ザッツの後を追うか、追わないかで。


 今すぐザッツの後を追いたい気持ちはもちろんある。ソウルポイントで強化されていない一般人であるザッツでは、ヴェノムティック・スレイブに勝てるわけがない。すぐにでも保護しなければ、間違いなく返り討ちである。だからといって、今狩夜がティールを離れるわけにもいかない。レイラの治療を必要とする者が、ここには何人もいるのだ。


 苦悶の表情を浮かべながら、狩夜は悩み、体を震わせる。イルティナも、メナドも、ガエタノも、狩夜と同じような顔をしていた。


 そんな時である。場の空気を全く読まない高笑いが、墓地の中に響き渡った。


「はぁーはっは!! どうやら私の出番のようだね!」


 ジルであった。パートナーである怪鳥ガーガーの上にまたがりながら、ヴェノムティック・スレイブとザッツが消えた方向を見据えている。その傍らには、彼のパーティメンバーが勢ぞろいしていた。


「ジルさん!? いったい今までどこに——」


「そんなことはどうでもいいだろう狩夜君! ザッツ少年のことは私たち『虹色の栄光』に任せてくれたまえ、必ず無事に連れ戻す! 君はこの場に残り、傷ついた村民たちの治療を頼む!」


 ここで言葉を区切り、ジルは狩夜からイルティナの方へと顔を向けた。そして、イケメンスマイルを炸裂させながら、こう宣言する。


「ティナ! 私はこのティールを苦しめた悪しき魔物を必ずや討ち果たし、ザッツ少年を連れて君のもとに戻ってくる! 吉報を待っていてくれたまえ! いくぞ皆、私に続けぇ!」


 この言葉を最後にジルは口の動きを止め、真剣な表情でガーガーの腹を蹴った。ジルを乗せたガーガーを先頭に、パーティ『虹色の栄光』が森へと突撃していく。その様子を、狩夜は呆気にとられながら見送った。


「あの、イルティナ様……ジルさんたち行っちゃいましたけど……ザッツ君のこと、任せちゃって大丈夫ですかね? 正直、かなり不安なんですけど……」


 ジルたちが見えなくなった後、狩夜は困惑顔で口を動かした。一方、ジルの一連の行動に呆れ顔のまま閉口していたイルティナであったが、狩夜の問いかけで我に返り、こう口を動かす。


「まあ……大丈夫だろう。あれでジルもサウザンドの開拓者だ。そこらの魔物に遅れはとらんよ。それに、ジルは戦う相手の強弱に敏感でな。自分より強い相手にはすぐさま逃げ出すが、弱い相手にはめっぽう強い。そんなジルが率先して向かったんだ。ヴェノムティック・スレイブ相手なら高確率で勝てると踏んだのだろう。ザッツを助けたいという思いも——まあ、本心だ。下心はあるだろうがな」


「下心?」


「ああ、ジルは今すぐになにかしらの手柄が欲しいのだろう。ここで手柄を立てて、私に復縁を迫るという腹積もりに違いない。そんなことをしても無駄だというのにな……馬鹿な男だよ、まったく」


 イルティナはこう言った後「やれやれ」と言わんばかりに小さく溜息を吐いた。その溜息は、どこか嬉し気な溜息だったように狩夜は感じた。


「あの、イルティナ様……」


「なんだ、カリヤ殿?」


「本当は、ジルさんのこと好きだったり——」


「それはない!!」


 狩夜が最後まで言い終えるのを待たず、否定の言葉を口にするイルティナ。それが照れ隠しなのか、はたまた本心なのかは、人生経験及び、恋愛経験に乏しい狩夜にはわからなかった。


「ごほん……ではカリヤ殿、無駄話はここまでにして、村民たちの治療を頼む。不安だろうが、ザッツのことはジルに任せておけば大丈夫だ」


「あ、はい。わかりました。レイラ、お願い」


 イルティナが言うなら大丈夫だろうと自分を納得させ、狩夜は負傷者の治療を開始した。心の中ではザッツのことを心配しながらも、真剣な顔でレイラに指示を飛ばす。


 ——ジルさん。ザッツ君のこと、どうかお願いします。



   ○



「どこだ! 出てこい!」


 周囲を見回しながら大声で叫ぶザッツ。しかし、ヴェノムティック・スレイブは見当たらず、当然返事をしたりもしない。


 ヴェノムティック・スレイブの後を追って森の中に入ったものの、ザッツはその姿を完全に見失っていた。


 小柄で、敏捷性に優れるダニ型の魔物、ヴェノムティック・スレイブ。見通しの悪い森の中で一度でも見失ってしまえば、再発見は開拓者であろうと困難を極める。一般人であるザッツでは、もはや不可能といっても過言ではない。


「くそ! 父ちゃんの仇め! 絶対、絶対殺してやる!」


 だが、ザッツは諦めなかった。怒りを力に変えて体を動かし、憎しみに濁った目を周囲に巡らせる。父の形見である黒曜石のナイフを握り締め、必死になってヴェノムティック・スレイブの姿を探した。


 怒りと憎しみ。それらは人を最も強く、能動的にする感情である。ザッツはその恩恵をフル活用して、親の仇を探し続けた。しかし、だからこそ見つからない。気づかない。自分自身の姿を上から観察する、憎き仇の存在に。


「ギギィ」


 森の中に乱立する大木。ヴェノムティック・スレイブは、その大木たちを次々に飛び移り、上からザッツを見下ろしていた。そして、その体に跳びつき、一噛みで絶命させる絶好の機会を、今か今かと待っている。


 その邪悪な視線にザッツはまったく気づいていない。追う側と追われる側がいつの間にか入れ替わり、自身の頭上に親の仇がいるなどとは思いもしない。


 怒りと憎しみは、確かに人を最も強くする。だが、同時に人の思考を単調化させ、視野を著しく狭めもする。普段は難なくできることができなくなり、自身の足元が疎かになるほどに。


「あ!?」


 とある大木の根に足を取られ、転倒してしまうザッツ。地面の上にうつ伏せに転がり、無防備な背中をヴェノムティック・スレイブに晒してしまう。


 瞬間、ヴェノムティック・スレイブは大木の幹を蹴り、ザッツ目掛けて飛び掛かる。転倒しているザッツは、その奇襲を避けるどころか、気づいてさえいなかった。


 立ち上がろうと体を動かすザッツ。その首に食いつこうと、顎を大きく開くヴェノムティック・スレイブ。そして——


「っし!」


 そんなヴェノムティック・スレイブを横から狙撃する、木の民の女アーチャー。


「ギキィ!?」


 横からの突然の狙撃。羽を持たず、空中に身を躍らせたヴェノムティック・スレイブに、それを避ける術はない。飛来した矢に体を貫かれ、ザッツが足を取られた大木に磔にされた。


「ふう、危機一髪」


 ヴェノムティック・スレイブの奇襲を防ぎ、ザッツの危機を救ったアーチャーが安堵の息を吐いた。そして——


「でかしたぞ! とあぁ!」


 磔にされたヴェノムティック・スレイブ目掛け、木の民のファイターが突撃し、一切の躊躇なく石斧を振り下ろした。ヴェノムティック・スレイブは刺さった矢共々叩き潰され、右半身がグシャグシャとなる。


 満身創痍のヴェノムティック・スレイブであったが、それでも生きることを諦めずに動き回った。残った左半身を器用に動かして地面を這い、ファイターから逃げようと必死に距離を取る。しかし、それは無駄な抵抗であった。ヴェノムティック・スレイブが逃げた先には、鉄の剣を抜いたジルが待ち構えており——


「はぁ!」


 間合いに入るなり気合と共に一閃。ヴェノムティック・スレイブの体を、一刀のもとに両断する。


 熟練の開拓者パーティによる実に見事な連携。ジル率いるパーティ『虹色の栄光』は、危なげなくヴェノムティック・スレイブを撃破し、ザッツを助けることに成功した。


「あ……う……」


 あっという間のできごとであった。上半身を起こしたザッツは、体を両断され、半身を潰されたにもかかわらず、ピクピクと動き続けるヴェノムティック・スレイブを見つめながら、ただただ茫然としていた。


 そんなザッツに、剣を鞘に収めたジルが笑顔で声をかける。


「少年、大丈夫かい?」


「……」


 ザッツはその問いに答えなかった。ゆっくりと立ち上がると、黒曜石のナイフを握り締めながらヴェノムティック・スレイブに近づき——


「う、うわぁあぁぁぁあ!」


 絶叫と共に飛び掛かった。そして、黒曜石のナイフを両手で持ち、瀕死のヴェノムティック・スレイブをめった刺しにする。


「よくも! よくも俺の父ちゃんと母ちゃんを!」


 ヴェノムティック・スレイブが完全に動かなくなった後も、ひたすらに両腕を動かし、黒曜石のナイフで刺し続けるザッツ。女アーチャーが止めようとしたが、ファイターに諫められた。ジルもさすがに空気を呼んだのか、ザッツを止めようとはせず、自由にさせる。


「はぁ……はぁ……」


 ほどなくして、ザッツは両腕の動きを止め地面にへたり込んだ。すでにヴェノムティック・スレイブは原型を留めておらず、周囲にはその肉片と体液が散乱している。


「気はすんだかい?」


 頃合いを見計らい、ザッツに優しく声をかけるジル。ザッツは無言のまま首を左右に振り、ジルの言葉を否定した。


「そうか……だが、君の仇討ちはここまでだ。今は私と一緒にティールに帰ってもらうよ、皆心配している」


 ジルは両手でザッツの体を抱え上げ、パートナーであるガーガーの背中に乗せた。ガーガーの背中にはバックパックを背負ったサポーターがすでに乗っており、元気のないザッツに対して「水でも飲む?」と訊ねている。


「よし、ザッツ少年の保護は成功だ。すぐにティールに戻るぞ」


「了解です、若。これで姫様の機嫌が少しでも戻るといいですね」


「そうだな……ティナとの婚約が解消なんてことになったら、パパになんて言われるかわからないし、国王陛下にも合わせる顔がない。これを切っ掛けにして、もう一度ティナと話し合わないと……」


 そんなことを言いながら、パーティー『虹色の栄光』は、ジルを先頭にしてティールへの帰路につこうする。すると——


「失敗カ……」


 という片言の言葉がどこからともなく聞こえてきた。魔物が〔ユグドラシル言語〕スキルによって発声したものだと経験則から判断したジルは、即座に鉄の剣を抜き放ち、戦闘態勢を整える。他のパーティメンバーも、ジルと同じように身構えた。


 油断なく周囲を警戒しながら声の出どころを探るジル。一方、片言の言葉はその頻度と声量を増しながら、徐々にジルたちに近づいてきた。


「気づカレた……残念ダ……今回ノ実験は失敗ダ……だガ、まアいい。次、次だ。こノ失敗ヲ次に生かシ、新たナ狩場デ、もっとうまクやれバいい……」


「こ、この気配は……まさか!?」


 強大な気配がすぐ近くにまで迫っていることを持ち前の危機感知能力で察知し、ジルが顔を歪めながら呻く。そして、その直後——


「だガその前ニ、私の実験ニ、子供たちノ存在ニ気がついタ者どもト、私たちノ毒に犯さレタ者を癒す術を知ル者を、皆殺しニしなければなぁあァぁあぁ!!」


 体高おおよそ二メートル。体長にいたっては四メートルはありそうな巨大なダニ型の魔物が、森の木々を圧し折りつつ、ジルたちの前にその姿を現した。


 ジルたち『虹色の栄光』にとっては二度目の遭遇。かつて拠点としていたティールを襲い、強固な防護柵と民家二つを全壊させた、超大型の蟲の魔物。ヴェノムティック・スレイブと、ヴェノムマイト・スレイブの元締めにして生みの親。すなわち、ヴェノムティック・クイーンとでも言うべき、強大な主の登場である。


「ひぃ! ひぃいぃいい!!」


 強大かつ醜悪な主を前にして、引き攣った声で悲鳴をあげるジル。そんな彼が胸中で抱いた感想は、前回とまったく同じものであった。


 こんな化け物に勝てるわけがない。すぐに逃げよう。そうしよう。


「ぜ、全員、全速離脱! 水辺に向かって全力で——」


「見つ……けた……見つけた! 見つけたぞぉ!」


 ジルの「逃げろ」という言葉をかき消して、ザッツが叫んだ。次いでガーガーの背中から飛び降りようとして、それを止めようとしたサポーターに後ろから羽交い締めにされる。


「ちょ、ちょっと!? 君は何をする気だよ!?」


「離せ! 目の前に仇がいるんだ! あいつが俺の父ちゃんと母ちゃんを殺して、ティールの村をめちゃくちゃにしやがったんだ! 許さねぇ! 絶対に殺してやる!」


「落ち着けって! 君みたいな子供があんな化け物相手に何ができる! 暴れるな、こら!」


 拘束を振りほどこうとガーガーの上で暴れるザッツと、ザッツを宥めながら動きを封じるサポーター。そんな二人を尻目に、ジルはザッツの発言からとある考えに至り、こう口を動かした。


「……そうだ、こいつだ。こいつがティールに下位個体を送り込み、奇病を蔓延させたんだ。そして、こいつを倒しさえすれば下位個体は死滅し、ティールは救われるかもしれない……」


 本能が「逃げろ! 今すぐ逃げろ!」と警告しているにも拘らず、ジルは真っ直ぐにヴェノムティック・クイーンを見つめた。そして、鉄の剣を両手で握り締めながら、こう言葉を続ける。


「こいつを倒してティールを救えば、ティナは——いや、皆が私を見直すはずだ!」


 自身を鼓舞するかのように叫んだ後、ジルは視線を下に向けた。目に映るのは、尊敬する父から譲り受けた金属装備。多くの開拓者の憧れにして、強者の証。


 次にジルは、ウルズ王国戦士団・団長の息子として積み重ねてきた厳しい訓練を思い出す。それと同時に英雄である父の顔、そして、婚約者であったティナの顔を思い浮かべた。


「私は……私は逃げない! やってやる、やってやるぞ!」

 

 決死の覚悟と共に、ジルは叫んだ。


 ここで勝ちさえすれば、全てがうまくいく——と、生まれて初めて勇気を出し、格上の相手と逃げずに戦うことを選択するジル。そして、決意と共に左手を動かし、ガーガーの体を叩いた。そして、パートナーとサポーターにこう指示を飛ばす。


「お前たちは先にティールに戻れ! ザッツ少年を必ず無事に送り届けるんだぞ!」


 ガーガーとサポーターは、らしくないジルの様子に僅かに逡巡したが、ほどなくしてジルの指示通りティールに向かって駆け出した。ザッツは最後まで仇討ちに拘って「離せ、離せ」と喚いていたが、ソウルポイントで強化されたサポーターの拘束を振りほどくことができず、そのまま連行されていく。


「待テ! 人間ノ子供! 逃がサンゾ!」


 ガーガーの背に乗って離れていくザッツを見つめながら、怒声を上げるヴェノムティック・クイーン。八本ある足を一斉に動かして、即座にザッツたちの後を追う。


 そんなヴェノムティック・クイーンの前に、剣を構えたジルが飛び出した。


「お前の相手は私だ! ジル・ジャンルオン、参る!」


「若に続け! 主を倒して名を上げろ!」


「はい! 私だって、やってみせる!」


 ファイターはジルの後に続き、アーチャーは前衛二人を援護しようと矢をつがえて弓を引く。そんな中、ジルは鉄の剣を大上段に構え、最近習得したばかりの〔長剣〕スキルを発動させつつ、渾身の力でヴェノムティック・クイーン目掛けて振り下ろした。


「くらえぇえぇ!!」


 ジルが振り下ろした鉄の剣は、真っ直ぐにヴェノムティック・クイーンへと向かい、鎧のように分厚い外骨格を貫いて、体内へと埋没する。次の瞬間、ヴェノムティック・クイーンの体液が傷口から噴き出し、周囲へと飛び散った。


「や、やった!」


 確かな手ごたえを両手に感じ、喜びの声を上げるジル。金属装備と〔長剣〕スキルを用いたジルの攻撃は、けして小さくない傷をヴェノムティック・クイーンに刻むことに成功した。


 だが、その直後——


「邪魔ダァあァァァ!!」


 傷も、埋没したままの剣も無視して、ヴェノムティック・クイーンが右前足を振るい、ジルとファイターの胴体を横薙ぎにする。すると、両者の胴体は一瞬で引き裂かれ、上半身が宙を舞った。


 全身に纏ったプレートメイルなど、何の意味もなさなかった。ヴェノムティック・クイーンの前足は、鉄の鎧を紙のように引き裂き、サウザンドの開拓者だろうがなんだろうが、一撃で致命傷を与えるほどの力を秘めていたのである。


 主。その名に恥じない圧倒的な攻撃力であった。


「あ……」


 目の前で仲間の上半身が吹き飛ぶという光景を目の当たりにし、思わず硬直してしまうアーチャー。ヴェノムティック・クイーンは、そんなアーチャーをまるでいないかのように扱って直進し、そのまま跳ね飛ばす。


 ヴェノムティック・クイーンの突撃をまともに受けたアーチャーは、子供に放り投げられた人形のように後方に吹き飛び、どこぞへと消えていった。


 ジルとファイターの上半身が、ようやく地面へと落下し、二転三転してからその動きを止める。だが、ヴェノムティック・クイーンはそれらを一瞥すらせずに、ザッツの後を追って、森の中を驀進していった。


「……ティ……ナ……」


 消えゆく意識の中で、最後にこう呟くジル。そして、それっきり動かなくなった。生まれて初めて勇気を出し、本能に逆らった結果は、あまりにも無残なものとなり、彼の生涯は終わりを告げる。


 ウルズ王国戦士団・団長の息子にして、“七色の剣士”の二つ名を持つ開拓者、ジル・ジャンルオン。ヴェノムティック・クイーンの前に散る。

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