025・上位個体

「メラド……ガルーノ……」


「姉さん……義兄にいさん……そんな……」


「なんということだ……」


 ザッツの悲痛な叫びが響くティールの墓地で、イルティナ、メナド、ガエタノが、痛ましく顔を歪めながら口を動かす。そんな中、狩夜は泣き叫ぶザッツのことをただただ見つめ続けていた。そして、ザッツに何かかけられる言葉はないかと、必死に思考を巡らせる。しかし、それで出てきた答えは、以前とまったく変わらない情けないものであった。


 魔物に両親を弄ばれた子供にかけられる言葉など、狩夜は何一つ持ってはいない。


 成長していない自分に狩夜は怒りすら感じた。唇を更にきつく噛みしめ、血が滲むほどに両の手を握り締める。そう、今がどんな状況なのかも忘れて。


「うわ!? なんだ!?」


「死体が動いてるぞ!?」


 村民たちから上がったこれらの言葉に反応し、狩夜はあわててザッツの両親へと顔を向ける。そして、即座に目を見開くこととなった。ザッツの母親——メラドの腹部が、不規則かつ不気味に蠢いていたからである。


 ——間違いない、腹の中に何かいる!?


 胸中で叫びながら、狩夜は腰のマタギ鉈へと右手を伸ばす。その、次の瞬間——


「ひい!?」


 メラドの腹を食い破り、何かが外へと飛び出した。メラドの体が地面に散乱し、ティールの村民たちが悲鳴を上げる。


 マタギ鉈に手を伸ばしつつ、飛び出した何かを目で追おうとした狩夜であったが、その何かは狩夜の眼球より速く動き、狩夜の視界から瞬時に離脱。死角へと消えていった。


「はや——!?」


 今まで相対した魔物の中で、間違いなく一番の動き。一方の狩夜は泣き崩れたザッツに気を取られていたせいで対応が遅れた。何かの動きにまったく反応できておらず、武器すら鞘に収まったままである。


「カリヤ様、危ない!!」


 狩夜の危機を見て取ったタミーが叫ぶ。その声を聞きながら狩夜は思った。ヴェノムマイト・スレイブの上位個体、つまりは魔物を探していたというのに、他のものに気を取られ警戒を疎かにしてしまった——と。


 近づいてくる濃密な死の気配を全身で感じながら、狩夜は自身の未熟さを恥じる。そして、その未熟さゆえに陥ったこの状況を打開するために、今日はとことん頼ると決めた者の名を、力強く口にした。


「レイラ!」


 狩夜の呼びかけに応じて、レイラが動く。


 二枚ある葉っぱの片方を操作し、硬質化させつつ狩夜の顔の右側へと配置するレイラ。その直後、鈍い衝突音がティールの墓地に響き渡る。狩夜に襲いかかった何かが、突然目の前に現れたレイラの葉っぱを避けることができず、移動の勢いそのままに正面衝突したのだ。


 衝突時の衝撃で昏倒し、地面の上に仰向けで転がる何か。その無防備な体めがけ、たった今抜き放ったマタギ鉈を、狩夜は渾身の力で垂直に突き立てる。


「ピギィ!」


 耳障りな悲鳴と共に、マタギ鉈によって地面に縫いつけられる何か。狩夜はマタギ鉈から手を離し、安全を考慮して十分な距離を取りつつ、いまだに動き続けるその姿をつぶさに観察する。


 頭と胸、そして腹が一つとなった体から、八本四対の足と鋭い牙を生やした蟲——メラドの腹から出てきた何かの正体は、やはりというかダニ型の魔物であった。体長三十センチの巨体、細く長い足など、相違点は幾つかあるが、全体的な雰囲気はヴェノムマイト・スレイブに酷似している。


「これがヴェノムマイト・スレイブの上位個体か……」


 状況から判断してまず間違いないだろう。これに止めを刺しさえすれば、下位個体であるヴェノムマイト・スレイブが死滅し、ティールの村は救われるかもしれない。


 狩夜は視線を上位個体から外し、ザッツへと顔を向けた。次いで、放心したような表情で姉の遺体を見上げるメナドと、メナドと似た様な表情で弟の遺体を見上げるガエタノへと視線を向ける。


 彼らの痛ましい姿に心を痛める狩夜。そして、それと同時にふつふつと怒りが込み上げてくる。


 ザッツが泣いているのも、メナドとガエタノがあんな顔をしているのも、ティールの民すべてが奇病に倒れたのも——


「全部……こいつが悪い」


 狩夜は、怒りで燃え上がった瞳を上位個体へと向けた。そして、右足をゆっくりと地面から離し、ソウルポイントで強化された脚力で、上位個体の頭を全力で踏み潰す。


 頭が潰されたというのに、ぴくぴくと小刻みに動き続ける上位個体。大きいだけあって生命力も強いようだ。だが、ほどなくして力尽き、完全に動かなくなる。それをしかと見届けた狩夜は、即座にザッツの両親へと視線を向けた。


 上位個体は死んだ。これで二人に纏わりつくヴェノムマイト・スレイブが死にさえすれば、すべてが終わる。


 目を背けたくなるほどに酷い状態のザッツの両親。そんな二人を、穴が開くほどに凝視する狩夜。しばらくそれを続けていたのだが——


「そんな……」


 変化は何も起こらない。ヴェノムマイト・スレイブはザッツの両親から吐き出され続けており、活発に動き回っていた。


 上位個体を倒してもダメだった。もうティールの村を救う術はないのかもしれない。


「カリヤ殿、無事か!?」


 こう口にしながら狩夜の元へと駆け寄ってくるイルティナ。狩夜はヴェノムマイト・スレイブの観察を中断し、そちらへと向き直る。


「イルティナ様……はい。僕は大丈夫です。でも……」


 狩夜はこう告げた後で視線をイルティナから外し、再度ザッツの両親へと視線を向けた。次いで、こう口を動かす。


「上位個体を倒したのに、ヴェノムマイト・スレイブは死にません。これじゃあティールの村が……」


 残酷な事実を暗い表情で口にしていく狩夜。だが、そんな狩夜にイルティナは首を左右に振り、こう告げる。


「まだ諦めるには早いぞ、カリヤ殿」


「え?」


「タミー。頼む」


 イルティナがこう声をかけると、タミーが「はい」と返事をしながら歩み出た。そして、動かなくなった上位個体へと手を伸ばし、〔鑑定〕スキルを発動させる。


「……姫様の予想通りですね。名称はヴェノムティック・スレイブ。こちらも未発見の魔物です」


「やはり、これもスレイブか……」


 二人の言葉に狩夜は目を丸くした。次いで叫ぶ。


「こいつもスレイブ!? ってことは、こいつの上にはまだ!?」


「ああ、更なる上位個体がいるはずだ。そして私は、その個体に既に見当がついている」


 口を動かしながらヴェノムティック・スレイブを忌々し気に見下ろすイルティナ。そして、こう言葉を続ける。


「ヴェノムマイト・スレイブではサイズが違い過ぎて確信が持てなかったが、こいつを見てはっきりした。こやつ等の元締めは、以前ティールを襲った主で間違いない」


「——っ!」


 主という単語に、狩夜は思わず息を飲む。


 ティールを襲った巨大な蟲の魔物の話は、イルティナとガエタノから聞いている。人的被害は少なかったものの、ティールを囲っていた防護柵が壊滅的な被害を受け、民家が二つ潰された——と。


「あの主がティールを襲ったとき、村民を守ろうと奮戦したメラドが深い手傷を負った。その傷自体は回復薬を飲ませてすぐに塞いだのだが——傷をつけられたときに何かされたのだろう。そのことに気づかず、放置した結果があれだ……」


 イルティナはゆっくりと視線を動かし、変わり果てたかつてのパーティメンバーへと視線を向けた。そして、その姿を見つめながら、悔し気に唇を噛む。


 恐らくその主は、メラドに傷をつけた際に寄生型の下位個体、もしくは卵を体内に植えつけたのだろう。だからメラドは村の誰よりも早く発病し、死亡した。そしてメラドの埋葬後、体内で成長、繁殖したヴェノムマイト・スレイブが体から這い出し、ティールの村で大繁殖。奇病を村にばら撒いたのである。その後、その奇病で死んだガルーノの遺体もまた利用され、更に繁殖。爆発的にその数を増やし、今に至る。


 これが、ティールの村を壊滅寸前にまで追い詰めた事件の真実。偶然だったとしたら悲劇だが、もしこれら一連の事件を、その主が意図的に起こしたのだとしたら、それは——


「……カリヤ殿、もういいだろう? 二人を下ろしてやってはくれないか? あのままでは、あまりに……その……な」


「あ、はい。レイラ」


 狩夜は思考を中断し、レイラの名前を呼ぶ。すると、レイラはコクコクと頷き、ザッツの両親の遺体をゆっくりと地面に横たえた。だが、近づく者は誰もいない。それは、両者の体がヴェノムマイト・スレイブだらけだからである。メナドとガエタノは、それでもふらふらとした足取りで遺体に近づこうとしたが、他の村民に諫められ、すぐに足を止めた。その間もザッツは一人延々と泣き続けている。


 狩夜は見てられないと言いたげにその光景がら目を背けると、イルティナに向けて声を発した。


「あの、この後どうしますか? 相手が主となると、無策で突撃というわけにはいかないでしょう?」


「無論だ。だが、まずはあの二人をもう一度弔ってやりたい。しかし、あのような状態では……どうしたものか……」


 困りきった顔で俯いてしまうイルティナ。そんなとき、村民の誰かからこんな声が上がる。


「残念だけど……二人の遺体は……もう燃やすしかないんじゃないか?」


 この声が響いた瞬間、狩夜以外のすべての人間が息を飲み——


「誰だぁ! 燃やすなんて言いやがった奴はぁぁあぁああ!!」


 ザッツの怒声が爆発した。涙でぐしゃぐしゃになった顔を怒りで更に歪めながら、声がした方向を睨みつけている。


「遺体を燃やしたりしたら、父ちゃんも、母ちゃんも、森に……ドリアード様のところに帰れなくなるだろうが!! よくも……よくもそんな酷いことが言えたなぁ!!」


「ど、どういうことです?」


 ザッツの怒りようは尋常じゃない。現代日本で生まれ育ち、火葬に慣れている狩夜には、なぜザッツがああも怒っているのか理解できなかった。


 そんな狩夜の疑問に、イルティナが答える。


「我々木の民の遺体は、森の中に造られた墓地、もしくは巨木の下に埋葬されるのが通例だ。遺体を木々の養分とすることで、木の民の魂は肉体から離れ、森に——木精霊ドリアード様の元へと帰ることができる」


「な、なるほど」


「遺体を燃やすのは、光の民と火の民の作法だ。つまり、死者の魂を光精霊ウィスプ、もしくは火精霊サラマンダーの元へと送る行為。もし遺体を燃やしてしまえば、メラドとガルーノの魂は、ドリアード様の元へ帰れなくなってしまう」


「そっか、だから……」


 だからザッツは、あんなにも怒っているのだ。


「やっぱりお前らなんか大っ嫌いだ! どいつもこいつも自分のことしか考えてねぇ! 人でなしどもめ! ぶっ殺してやる!」


 ザッツは叫び、駆けだした。拳を握り締めながら、声が聞こえた方へと邁進する。両親を守るために、暴言を吐いた大人に一矢報いるために。


 しかし——


「止まれ、ザッツ」


 伯父であるガエタノに、その邁進を阻まれた。後ろから羽交い締めにされ、軽々と持ち上げられてしまう。


「何するんだよ伯父さん! 離せ! 離せよくそぉ!」


 四肢をがむしゃらに振り回すザッツであったが、ガエタノの腕はびくともしない。体格の差があまりにもありすぎた。だが、それでもザッツは諦めない。必死に体を動かし、口ではガエタノを非難する。


「なんだよ! 伯父さんまで人でなしどもの味方かよ! ちくしょー!」


「……」


 ザッツの言葉にガエタノは何も答えなかった。そして、無言でザッツを抱え上げながら、ゆっくりと歩き出す。


 ガエタノが向かう先、それはヴェノムマイト・スレイブにまみれた、ザッツの両親のところであった。


 村民の何人かが、ガエタノに制止の言葉をかけようとしたが、ガエタノが浮かべるあまりに真剣な表情に言葉を詰まらせ、何も言えないまま身を引く。ガエタノの前にいた村民たちもすぐさま移動し、ガエタノに道を譲った。


 ほどなくして、ガエタノはザッツの両親のすぐ近くにまで歩を進め、そこで足を止めた。次いで、こう呟く。


「見ろ、ザッツ」


 ザッツに変わり果てた両親の姿を見るよう促すガエタノ。しかしザッツは「嫌だ!」と言って、顔を背けてしまう。だが、ガエタノはそれを許さなかった。ザッツを地面に下ろすと、その頭を鷲掴みにし、無理矢理両親へと向き直らせる。


「見ろ! ザッツ! 見るんだ!」


「う……うぅ……」


 ザッツは観念したように呻き、両親と向き合った。涙で真っ赤になった目で、変わり果てた両親を直視する。


「わかるだろザッツ!? これを見ればわかるだろ!? お前が本当に怒りを、恨みを向けるべき相手がなんなのか!」


「うぅ……うううぅぅ」


「お前の父さんと母さんを殺したのは、あの主だ! 村の仲間たちじゃない! あの魔物だ! わかるだろ!」


「うううぅうぅぅう!!」


「だから間違うなザッツ! 村の仲間に甘えるなザッツ! 本当の敵から目を背けるなザッツ!!」


 ザッツは泣いていた。ガエタノも泣いていた。イルティナも、メナドも、タミーも、村民たちも、皆が皆泣いていた。村の英雄の変わり果てた姿に、ティールのすべてが涙した。


「ザッツ……ガエタノさん……」


「くそ……くそぉ……」


「あの主の……あの主のせいで……」


「ガルーノさん……メラドさん……いい人だったのに……」


「ちくしょう! ちくしょう! 絶対に許さねぇ!」


 墓地の至るところから悲しみの声が上がる。以前ガエタノがザッツに言ったように、ガルーノとメラドを忘れた者など、ティールには誰一人としていなかったのだ。


 ガエタノは、ここでザッツから手を離す。解放され自由になったザッツであったが、もう同胞である村民に拳を、怒りを向けようとはしない。泣きながら両親を真っ直ぐに見つめている。


「……討ってやる」


 ザッツは両親から視線を外し、天を仰いだ。そして、狩夜と村民全員に見守られながら、決意の言葉を口にする。


「絶対、父ちゃんと母ちゃんの仇を討ってやる!!」

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