024・極小の悪意
ダニ。
節足動物門
地球には、約二万種にも及ぶダニ類が存在しており、形態・生態ともに非常に多様性に富む。いずれも小型の生物であり、体長一ミリ以下のものも多い。
ダニ類は種数・個体数ともに膨大であるため、人間の活動に関わりのある種は、ダニ類全体に対してはごく僅かな割合でしかないが、ハウスダストによるアレルギー疾患や、感染症の媒介など、保健衛生上及び、農業上有害な生物として、その影響は無視できない。
そして、人間が日常生活を送る家屋の中には、数億匹のダニが絶えず棲息していると言われている。
●
「探せ! 探すのだ! ウルズ王国第二王女、イルティナ・ブラン・ウルズの名のもとに命じる! 木の根、草の根を分けてでも探し出し、我らを苦しめ同胞を殺した憎き魔物どもを、全て駆逐せよ!」
鬼気迫る表情を浮かべながら言葉を紡ぐイルティナ。その言葉がティールの村全域に響いた直後、開拓者や男衆だけでなく、女子供まで借り出され、村に潜伏していると思しき新種の魔物、ヴェノムマイト・スレイブの懸命な捜索と駆除が始まった。
そして、開始早々——
「うわ、いた! おーい! ここにいたぞー!」
「って、ここにもいるぞ!」
「キャー! こんなところにも!?」
「どうなってんだよ!? よく見たらそこらじゅう魔物だらけじゃねぇか!」
「怯むな! 仲間の仇! くたばりやがれ!」
出るわ出るわ。部屋の隅、柱の陰、床下、天井。ティールの至る所からヴェノムマイト・スレイブが発見され、村民を驚かせた。そして、見敵必殺。村民たちは今までの恨みをぶつけるかのようにヴェノムマイト・スレイブを叩き潰したり、上からマナを含んだ水をかけたりして、次々に屠っていった。いかに魔物といえど、相手は豆粒ほどの大きさ。ソウルポイントで強化されていない一般人でも、容易に倒すことができる。
捜索開始からおおよそ一時間。村民たちは数えきれないほどのヴェノムマイト・スレイブ屠った。一方の村民たちに怪我人は零。数だけを見れば大勝利と言っていい戦果である。
だが、村民たちの表情は暗い。なぜならば——
「こいつら……いったい何匹いやがるんだ!?」
「これじゃ切りがないぞ……」
そう、殺しても、殺しても、ヴェノムマイト・スレイブ発見の声は上がり続けたのである。終わりの見えない作業に、村民たちの士気は徐々に落ち始めていた。
村民を辟易させた一番の要因は、ヴェノムマイト・スレイブの大きさである。最初の一匹、レイラが捕獲した個体の大きさはおおよそ一センチほどであったが、これでもかなり大きい個体であったのだ。
村民たちが駆除した個体の平均値は、おおよそ三ミリほど。そしてこの平均値は、肉眼で確認できた個体の平均値でしかない。ヴェノムマイト・スレイブ全体の大きさの平均値を算出した場合、一ミリを下回るのではないか? というのが狩夜の予想であった。
あの奇病も、ヴェノムマイト・スレイブに直接刺されたり、血を吸われたりしたのが原因ではないと狩夜は考えている。蟲に刺されて病気になったのなら、ティールの村民たちはもっと早くヴェノムマイト・スレイブの存在に気がついたはずだ。恐らく奇病の原因は、ヴェノムマイト・スレイブの死骸や糞を吸い込んだことによるダニアレルギー。要するにハウスダストである。
ヴェノム——そう名に冠しているからには、毒を有しているのはほぼ確実。そんなものの死骸を吸い込んでいるのだから、アレルギー反応もひとしおだ。魔物の毒とアレルギーのダブルパンチ。その結果が、全身に浮かび上がる膿を溜め込んだ発疹なのだろう。
「病弱な妹のために勉強したハウスダストの知識が、こんなところで役立つとは思わなかった」
陣頭指揮をするイルティナの背中を見つめながら独り言ちる狩夜。次いで、日本人としての知識から導き出したこの推測を、イルティナに話すべきかどうかを考える。
もし奇病の原因がこの推測通りだった場合、ティールの村はもう人間が住める状態ではない。ヴェノムマイト・スレイブをすべて駆除するのは、残念だが不可能だろう。現代日本ですら、家屋内に生息するダニを完全に駆除することなどできはしないのだ。
だからといって「この村はもう無理です。諦めましょう」などと、軽々しく口にすることもできない。ジルとの婚約解消の決め手となったのが村に対する暴言だったことから、イルティナがこのティールに大きな愛情と誇りを持っているのは間違いない。それを手放せなどと、よそ者の狩夜がどうして言えようか。
悩む狩夜。そんな狩夜の視線の先で、イルティナがイラつきを堪えるように爪を噛んでいる。すると——
「姫様、恐れながら申し上げます」
「メナドか、どうした?」
ヴェノムマイト・スレイブの駆除を中断したメナドが、真剣な表情でイルティナの前へと歩み出た。そして、イルティナの顔を真っ直ぐに見つめながら、次の言葉を口にする。
「ヴェノムマイト・スレイブは、既に夥しい数がこのティールの中に侵入しており、繁殖を開始しているのはもはや疑いようがありません。よって、すべて駆除するのは不可能だと思われます。御身の安全を第一に考え、聖水で身を入念に清めた後、都へ向かうべきだと進言いたします」
メナドがこう言い切った直後、狩夜だけでなく、メナドの言葉を聞いたすべての人間が体の動きを止め、息を飲んだ。その様子を見るに、この村はもうだめだ、逃げたほうがいいと考えていた人間は、どうやら狩夜だけではなかったようである。
メナドの進言にイルティナは目尻を吊り上げた。次いで、棘のある口調で問い質す。
「メナド……貴様はこの私に、ティールを見捨てろと申すのか?」
「そうではありません。一度都に戻り、体制を整えるべきだと申しているのです。国王陛下や国の重鎮たちの知恵も借り、ウルズ王国の総力を挙げてことに当たるべきです」
「ならん」
「何故です!? 今でこそレイラ様のお力でこのように動けていますが、我々はいつまた倒れるかわからないのですよ!? 御身のことを一番に考えれば——」
「私の体などもはやどうでもいい! 私は都と、そこに住まうすべての民のために、ならんと言っておるのだ!」
怒声一括。イルティナの言葉にメナドは体を震わせた後、口の動きを止めた。そんなメナドに対して、イルティナはこう言葉を続ける。
「ここで逃げてなんとする! それは事態の更なる悪化を招くぞ! 奇病の原因が極小の魔物とわかった以上、我々の移動はこの上ない悪手だ! 聖水で彼奴らが全滅しなければ、わざわざ魔物と病を都まで送り届けることとなるのだぞ! そのような真似ができるか!」
「し、しかし——」
「ならんと言ったらならん! 我々はこの小さき悪魔どもを根絶やしにするまで、この村から出ること叶わぬのだ! 都に逃げ帰ること、救助を求めること、まかりならぬ! そして、都にはこの村に誰も近づけないよう要請する! 皆も聞いていたな? 辛いだろうが耐えてくれ。私とて辛い、逃げ出したい。だが、都には父様や母様、姉兄たちがいるのだ。皆にも都に家族が、友がいるだろう。その者たちのために、耐えてくれ。そして、私と共に戦ってほしい」
「姫様……」
メナドはこれ以上何も言わなかった。そして、顔を俯かせながら肩を震わせる。イルティナの言葉を聞いていた他の村民も同様であった。
イルティナの言葉はこの上なく正しい。この状況下での人と物の移動は、事態の更なる悪化を招くだけだ。ティールの村を他の人里から隔離し、全ての交流を絶つのが正解である。
だが、それを理解する一方で、人はこうも考えるのだ。この戦い、勝算は限りなく薄い——と。
イルティナの言葉は「国のために、私と共に誇り高く死んでくれ」と言っているに等しい。にも拘らず、パニックになる者や離反者がいまだ出ていないのは、病気を治療できるレイラがこの場にいて、命がすぐにどうこうするわけではないからだろう。
木精霊ドリアードの化身と呼ばれるレイラ。その存在と力が、このティールをすんでのところで支えている。
「……カリヤ殿、そういうわけだ。まことに申し訳ないのだが——」
「わかってますよ。この状況で『僕には関係ありません、さようなら』とか言えるほど下種じゃありません。つき合いますよ、最後まで」
「すまない。私にできることならばなんでもしよう。だから、私に——いや、このティールに力を貸してほしい。この通りだ」
村民の前だというのに、狩夜とレイラに向かって深く深く頭を下げるイルティナ。だが、そんなイルティナの覚悟の現れである言動は、途中までしか狩夜の頭の中に入っていない。狩夜の脳内は今、イルティナが口にしたとある言葉で一杯になっている。
その言葉とは——
「え? なん……でも? え? 今、なんでもって……」
そう『なんでも』という言葉。それはすなわち白紙の小切手。口にした相手への絶対命令権。思春期の男子を一瞬で沸騰させる魔法の言葉であった。
——な、なんでも? イルティナ様が……なんでも!?
こう胸中で叫びながら、狩夜はイルティナの女神のように美しい顔を見つめた。次いで、彼女の豊満な胸、くびれた腰、安産型の臀部へと視線を動かし、ごくりと生唾を飲む。そして、その直後——
ブンブン!
と、自身の考えを振り払うように大きく首を左右に振った。
——いかんいかん! 思わずふしだらなことを考えてしまった! 煩悩退散、煩悩退散、色即是空、色即是空!
頭を上げた後、訝し気に首を傾げるイルティナの前で、きつく目を閉じて唸る狩夜。そして、意味もよく知らない四文字熟語を、心の中で何度も何度も復唱する。
「……ふう」
長い時間をかけ、どうにか気持ちを落ち着けた狩夜は、ゆっくりと目を開け、改めてイルティナを見つめた。そして、小さく咳払いをした後でこう口を動かす。
「コホン。イルティナ様、貴方みたいな人が軽々しく『なんでもする』とか言っちゃだめですって、僕がもう少し馬鹿だったら誤解しちゃってましたよ。とにかく、報酬うんぬんは置いておくとして、皆で知恵を絞って考えましょう。この状況を打開する方法を」
狩夜とレイラさえいれば、この村はまだ持つ。その間に、ヴェノムマイト・スレイブをすべて駆除する方法を考えなければならない。
「イルティナ様。発言よろしいでしょうか?」
皆が無言で下を向く中、一人顔を上げ、口を動かす者がいた。タミーである。タミーは先ほどのメナド同様、真剣な表情でイルティナの前へと歩を進め、正面で直立した。
「タミーか。許す、申せ」
「はい。確証はないのですが……この状況を打開できるやもしれぬ方法が、一つだけございます」
「なに! それはまことか!?」
目を見開いてタミーに詰め寄るイルティナ。他の村民も、縋るような視線をタミーへと注いでいる。そんな中、タミーは意を決して言葉を紡いでいった。
「姫様は、魔物の名前を……あの小さき蟲の名前を憶えておいででしょうか?」
「無論だ。ヴェノムマイト・スレイブであろう。そなたの〔鑑定〕によって判明したことではないか」
「はい。その名前の中に、この状況を打開する鍵があるのです。そもそもスレイブとは奴隷、すなわち従属する者を指す言葉。つまり、あの無数の蟲たちはただの従者、下位の個体で、それらを統括しているであろう上位個体が、どこかに存在しているということではないでしょうか?」
「「「——っ!!」」」
タミーの言わんとしていることを理解し、狩夜とイルティナ、そしてメナドが息を飲む。そして、三人を代表するように、イルティナが口を動かし、こう述べた。
「つまり、そなたはこう申したいのだな? その上位個体を打ち倒せば、下位個体はすべて死滅するのではないか——と」
このイルティナの言葉に、村の至るところから『おお!』と声が上がる。目の前に現れた希望の光に、村全体が沸き立った。
「そうです。先ほども申し上げましたが、確証はありません。上位個体が本当に存在するかどうかもわかりませんし、たとえ存在したとしても、それを打倒して下位個体が死滅するかどうかも不明です。ですが——」
「うむ。試してみる価値はある——というより、もはやその可能性にすがるしかあるまい。その上位個体とやらを見つけ出し、必ずや屠ってくれる。となると、その上位個体をどうやって見つけるか……だな」
「それはやはり、一番初めにヴェノムマイト・スレイブを発見、捕獲したお方に頼るのが一番かと……」
イルティナとタミーがほぼ同時に顔を動かし、狩夜とレイラに視線を集中させた。その二人だけでなく、メナドをはじめとしたティールの村民全員が、期待の視線を狩夜とレイラに向けている。
狩夜は皆の視線に答える様に小さく頷き、次いで上を見上げた。そして、今日はとことん頼ってやる——と胸中で呟きながら、頭上のレイラに懇願する。
「レイラ、お願い。もし居場所がわかるのなら、ヴェノムマイト・スレイブの上位個体のところに、僕たちを連れて行ってほしい」
やや緊張した面持ちでレイラにたずねる狩夜。一方のレイラはというと、普段とまったく変わらない様子で「いいよ~」と言いたげコクコクと頷き、両手で狩夜の髪の毛を掴んできた。そして「こっちこっち~」と言いたげに、狩夜の髪を引っ張る。
狩夜は異世界活動初日を思い出しながら足を前へと動かした。次いで「こっちだそうです」と村民たちに呼びかける。すると「おお、さすがレイラ様だ」「助かるぞ!」「俺たちの手で魔物の親玉を仕留めてやる」と村民たちが声を上げた。
村民たちを引き連れながら、レイラの誘導に従って歩を進める狩夜。そうしてしばらく進んでいくと、不意にイルティナが口を動かす。
「む、この方向は……」
「イルティナ様、どうかしましたか?」
「あ、いや……レイラが示す方向が少し……な」
「この先になにかあるんですか?」
レイラが狩夜を誘導する方向は、村の北側の外れ。家も建っておらず、特に用もなかったので、狩夜はまだ行ったことのない場所であった。
「ああ。この先には墓地がある」
「墓地……ですか」
「そうだ。まあ、このティールはできてから二年足らずの村だから、墓地と言えるほど多くの墓はまだないのだが……やはり、大勢で押しかけて、死者の眠りを妨げるようなまねは……な。良心が咎める」
「そうですね、私もです。病で死んだ私の姉と
「……」
イルティナとメナドの口から紡がれた言葉を聞いた瞬間、ものすごく嫌な予感が狩夜の全身を支配した。しかし、上位個体の探索を中断するわけにもいかず、狩夜はレイラの誘導に従って足を前へと動かし続ける。
ほどなくして、狩夜たちはティールの村の墓地へと足を踏み入れた。そして、今現在狩夜の視線は、自身の進行方向に存在する真新しい二つの木製の墓に釘付けである。
足を前に進めながら、狩夜は胸中で必死に祈っていた。これはただの偶然だ。上位個体がいる場所はこの先にある森の中で、そこへの最短ルートの上に、たまたま墓があるだけだ——と。
しかし、そんな狩夜の祈りは、天には届かなかった。
レイラが「ここで止まって~」と言いたげに、ペシペシと狩夜の頭を叩いたのである。その場所は、先ほどから狩夜が凝視していた真新しい墓のすぐ手前。そう、メナドの姉と義兄——つまりは、ザッツの両親。その墓の前である。
「……」
あまりの事態に言葉を発することのできない狩夜。それはイルティナやメナド、タミーや他の村民たちも同じなようで、皆が皆一様に、二つの墓を凝視しながら動きを止めていた。動き続けるのは、この場で唯一人間ではない存在、レイラだけである。
レイラは両手から蔓を出現させると、その蔓を墓へと伸ばし、地面へと突き立てた。その瞬間——
「やめろーーーー!!」
突然、狩夜の後方から怒声が上がる。ザッツであった。その傍らにはガエタノの姿もある。二人は、いつの間にか村へと戻ってきていたのだ。
「お前、父ちゃんと母ちゃんになにする気だよ! やめろ! やめろよぉ!」
「——っ!! レイラ、やめ——」
ザッツの声を聞き、我に返る狩夜。制止の指示を出そうと慌てて口を動かしたが——遅い。
レイラは狩夜の言葉よりも先に蔓を操作し、地面の下に眠っていた二人の木の民を、無理矢理地上へと引きずり出す。そして、その姿がこの場にいるすべての者に見えるよう、やや高い場所で宙吊りにした。
直後、耳をつんざくような悲鳴がティールの村中に響き渡る。
村民たちは見てしまったのだ。宙吊りにされたザッツの両親の遺体。その両者の瞳、口、鼻孔——全身の穴という穴から、夥しい数の蟲——ヴェノムマイト・スレイブが、絶え間なく吐きだされている光景を。
そう、ザッツの両親は奇病で死んだ後、人目につかない地面の下で、ヴェノムマイト・スレイブに利用されていたのである。極小の悪意を生み出し、はぐくむ、苗床として。
「父ちゃん!? 母ちゃん!? うわ……うわぁああぁぁぁああ!!」
変わり果てた姿を曝す両親の姿を見つめながら、ザッツが悲痛な叫びを上げて泣き崩れる。そんなザッツを見つめながら、狩夜は人知れず唇を噛み、次いで思った。
酷い。酷いよ神様。こんなのないよ——と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます