023・奇病の元凶
「すみません、遅くなりました!」
ガエタノから奇病再発の知らせを聞いた直後、狩夜は全速力でティールの村へと向かい、たった今戻ってきた。その傍らにガエタノとザッツの姿はない。
ソウルポイントで人間の壁を突破した者と、そうでない者の間には、身体能力に覆し難い大きな差が生じる。狩夜が全力で走れば、二人が置き去りになるのは必然だ。ガエタノとザッツの両名は、今も大急ぎでティールへと向かっているところだろう。
「倒れた人はどこです!?」
村の入口に立っていた見張りの男に尋ねる狩夜。その男はすぐ横の開拓者ギルドを指差しながら「開拓者と開拓者志望の方々はギルドの中に、都からの使者の方々は、姫様のお屋敷です! まずはギルドの方に!」と早口で答えた。
狩夜は小さく頷き、開拓者ギルドの中へと駆け込む。直後、ギルドの床で横になり、苦悶の声を漏らす十二人の男女の姿が目に飛び込んできた。
装備を脱がされ横たわる彼らの体には、すでに夥しい数の発疹ができており、薄っすらとだが膿を溜め込み始めている。
発症したばかりでまだ症状が軽いが、間違いない。あの奇病だ。
「おお、カリヤ殿! 来てくれたか!」
狩夜のことを今か今かと待っていたらしいイルティナが、目に見えて安堵した様子で狩夜を出迎えた。すぐ後ろにはメナドもいて、狩夜に対して深く頭を下げてくる。そして、そんな二人の足元には——
「うう、来るんじゃなかった……来るんじゃなかった……奇病が治まったなんて嘘じゃないか……やっぱりこの村は呪われているんだ……死にたくない死にたくない……助けてママ……」
と、涙声でブツブツ呟くジルがいた。ジルの容体は他の者と比べて明らかに酷く、顔面がおたふく風邪のようにパンパンに腫れている。これではせっかくのイケメンが台無しだ。何かのアレルギーか、合併症かもしれない。彼には真っ先に治療が必要だろう。
「皆の者、もう大丈夫だ! このティールの救世主であるカリヤ殿と、木精霊ドリアード様の化身たるレイラ様が来てくれた! 皆を蝕む奇病は間もなく治療されるだろう! 辛いだろうが、あともう少しの辛抱だ! 頑張ってくれ!」
横たわる者たちを鼓舞するように、あえてレイラをドリアードの化身と呼びながら声を上げるイルティナ。すると、奇病に侵された者たちからは、弱々しくもそれに応じる声が上がり、甲斐甲斐しく病人の世話をしていたギルド職員たちからは、とても大きな歓声が上がる。
王女として、この村の代表として、上に立つ者の威厳を示したイルティナ。その姿をすぐ近くで見つめていた狩夜は、イルティナが王族であるということ再認識し、彼女が高貴な存在であるということを強く実感する。
「カリヤ殿、早速だが皆の治療を頼みたい。もちろん治療費は以前の礼とは別途に用意しよう。あ、それと、コレの治療は最後でいいぞ」
コレと言いながらイルティナが指差したのは、自身の足元で横になるジルであった。
高貴な存在であると実感した直後に飛び出したあんまりな言葉に、狩夜の体が横にずれる。危うくずっこけるところであったが、すんでのところで狩夜は踏みとどまった。次いで、呆れ顔で口を動かす。
「ちょ、イルティナ様。ジルさんとの間に色々あったのは聞きましたが、それはいくらなんでも酷いでしょう。ジルさん、顔がこんなに——」
「いえ、ジル様のお顔が腫れているのは、姫様の私的なリンチ——失礼、お仕置きが原因ですので、奇病とは無関係です。ジル様はサウザンドの開拓者で、体力は他の者よりずっとありますから、後にして大丈夫ですよ。むしろ後にしてください、お願いします」
狩夜の言葉を遮るように口を挟むメナド。お淑やかなメナドの口から出たとは思えないその内容に、狩夜は思わず表情を引きつらせる。どうやら村を見捨てて逃げたというジルに対して、メナドも少なからず怒っているようだ。
まあ、アレルギーでも合併症でもなく、ただの打ち身なら大丈夫だろう。サウザンドの開拓者なら確かに体力は高い。狩夜はレイラに指示を出し、まだソウルポイントでの強化がされていないであろう開拓者志望の者から治療を開始し、次に開拓者の二人組、その次にジルのパーティメンバーを治療。そして、イルティナとメナドに言われた通り、最後にジルを治療した。
すると——
「カリヤ君——だったね。治療ありがとう。君は私と、私のパーティメンバー全員の恩人だ。この恩はいつか必ず返そう」
奇病だけでなく、イルティナによってつけられた怪我まで全快し、顔も元通りとなったジルが、白い歯を光らせながら狩夜に感謝の言葉を述べてきた。
イケメンオーラ全開。純情な乙女なら一目で恋に落ちてしまいそうな笑顔である。奇病に侵されて横になっていたときとのあまりの変わりように、狩夜はあんぐりと口を開け、絶句してしまった。
「ティナ、君にも心配をかけてしまったね。だが、もう君が胸を痛める必要はないよ。見ての通り、私はもう大丈ぶふぉ!?」
狩夜から視線を外し、イルティナへと視線を向けた直後、ジルの体が横に吹き飛んだ。イルティナがジルの脇腹目掛け、渾身の肘鉄を叩き込んだからである。
「ああ、せっかくレイラが治療してくれたのに!?」
狩夜が声を上げる中、ギルドの壁に激突し、脇腹を抑えながら床をのたうち回るジル。そんなジルを冷たい視線で見下ろしながら、イルティナがこう言い放った。
「ジル……今日という今日は、お前という男に心底愛想が尽きた。艱難辛苦を乗り越えて、私が仲間と共に作り上げたこのティールが呪われているだと? よくも言ってくれたな貴様。病身のうわごとでは済まさぬぞ」
「ティ、ティナ? な、何をそんなに怒っているんだい? お、落ち着いておくれよ。ほら、皆の病気が治ったんだ、一緒に笑おう。私は大輪の花のような君の笑顔が大好きなんだ。み、皆だってそうだろ?」
イルティナのただならぬ様子に気圧され、助けを求めるようにパーティメンバーに話を振るジル。だが、援護の声は上がらない。ジルのパーティメンバーは、イルティナからの無言の圧力に委縮しており、全員が口を動かせないでいた。
「ティナ……か。父上が決めた婚約者なうえに、幼馴染だから今までそう呼ぶことを許していたが、それも今日限りだ。二度と私をそう呼ぶことは許さん」
「え……」
「ジル・ジャンルオン。貴様との婚約は解消だ。都の父上と、戦士長にも正式に話を通させてもらう」
「そ、そんな!? 待って、待っておくれティナ! それだけは許してくれ! そんなことになったら私は——」
「そう呼ぶなとたった今言ったばかりだぞ! 聞いていなかったのか貴様は!」
「ひ、姫様! 若も反省しておりますので、どうか! どうかそれだけはお許しください! そんなことになってしまっては、若だけでなく、我らまで戦士長のお叱りを受けてしまいます!」
「そ、そうです! それに、お二人が婚約解消となれば、国王陛下と戦士長の関係悪化につながりかねません!」
「なにとぞ! なにとぞー!!」
「あなた方は姫様の言に異を唱えるおつもりですか!? 無礼ですよ! 控えなさい!」
狩夜の目の前で展開される修羅場。それはいつしか当人同士だけではなく、メナドやジルのパーティメンバーにまで波及していく。
イルティナとジル。メナドとジルのパーティメンバーによる、総勢六人の激しい言い合いが始まった。
「えっと……皆さん落ち着いて……あの……」
モニター越しではないマジものの修羅場。生まれて初めて目にするその光景に、狩夜はどうしていいかわからず右往左往する。というか、そうすることしかできなかった。このような場に置いて、人生経験に乏しい子供という存在は、ただただ無力なだけである。
なんで僕がこんなめに——と、胸中で呟きながら、涙目で途方に暮れる狩夜。そんな狩夜を見かねたのか、ある人物が助け舟を出す。
「カリヤ様。イルティナ様のお屋敷に、奇病に侵された都からの使者の方々がいらっしゃいます。ここはもう大丈夫ですので、先にそちらの治療に向かわれたらいかがですか?」
タミーであった。タミーは、切れ長の瞳で「これを理由にこの場を離れてください」と伝えながら、狩夜に向かって口を動かす。
これ幸いにと大きく頷き「そうですね、そうします!」と早口で答える狩夜。次いで、イルティナたち六人によって構成された修羅場から、速やかに離脱した。
「……ありがとうございます、タミーさん。助かりました」
「お気になさらず。あの騒動はカリヤ様には無関係のもの。カリヤ様があの場にいるほうがおかしいのですから」
「それでもです。本当にありがとうございました……あの、新しく奇病に侵された人は、イルティナ様の家にいる四人で終わりですか? 村の住人で再発した人は?」
「いえ、そのような方はいらっしゃいません。奇病に倒れたのは、今日村にやってきた方たちだけですね」
タミーの言葉を聞きながら、狩夜はギルドの中をぐるりと見回してみた。確かにイルティナやメナド、ギルド職員たちには異常は見当たらない。先ほど声を掛けた見張りの男も健康そのものであった。タミーの言う通り、奇病に倒れた者は、今日村へとやってきた者たちだけであるらしい。
一度この奇病にかかった者にはすでに抗体ができているのか、それともまだレイラの力が体内に残っているのか。前者ならともかく、後者なら問題である。今日新たな感染者が出たところを見るに、奇病の原因となる何かが、まだこの村に存在していることは明らかだ。もし後者だった場合、ティールの村の住人は、レイラの力が消えたとたん、再びあの奇病に倒れてしまう可能性が高い。
どうにかして奇病の原因を突き止めなければならない。ならないのだが——正直、狩夜には見当もつかなかった。人を殺しかねない奇病の原因を突き止めるなど、中学二年生には荷が勝ちすぎる難題である。
「レイラ、君は何かわからない? あの奇病の原因」
なんとなく。本当になんとなくで、頭上を腹這いの体勢で占拠するレイラへと話を振る狩夜。すると、レイラは周囲に視線を巡らせ、ほどなくしてその視線を固定した。
レイラが見つめる先は——ギルドの天井。木の皮を何重にも重ねて造られた、旧日本家屋にも通じるものがある、木製の天井である。
目につくものは、木と、木の皮と、名も知らぬ植物の蔓、それだけだ。他には何も見当たらない。
レイラはいったい何を見ているのだろう? と、狩夜が僅かに首を傾げた瞬間、レイラが動いた。針のように鋭く、細い根を一本背中から出すと、高速で天井へと伸ばしたのである。
狩夜とタミーが目を見開く中、レイラの根は天井を構成する木の皮と皮との間に入り込み、すぐに戻ってきた。そしてレイラは「はいこれ~」とでも言いたげな顔で、狩夜の眼前へと根の先端を動かす。
レイラの根の先端。そこには——
「なに……これ? 蟲?」
そう、そこには一匹の、体長一センチほどの小さい蟲がいた。体の真ん中をレイラの根に貫かれたその蟲は、どうにかしてレイラの根から脱出しようと、必死にもがいている。
八本四対の太く短い足と、頭、胸、腹の部分が一つに融合した体。そして、鋭い牙を持ったこの蟲は——
「蜘蛛? いや、違う。これは——ダニ?」
そう、その蟲はダニであった。祖父と共に何度も野山を歩いた狩夜にとっては、それこそ数えきれないほど痛い目に合わされた憎い相手であり、蚊に次いで知名度の高い吸血生物である。
「失礼! 私にも見せてください!」
狩夜の横から前方へと回り込み、ダニを凝視するタミー。そして、タミーは恐る恐る手を動かし、噛まれないよう注意しながら、そのダニに右手の人差し指を振れされた。
瞬間、タミーの指が仄かに光る。〔鑑定〕スキルだ。
〔鑑定〕の光が消えると同時にタミーは目を見開き、次いで叫ぶ。
「これは……ただのダニじゃない! 名称ヴェノムマイト・スレイブ! 間違いありません! 新種、もしくは外来種の魔物です!」
タミーのこの言葉に、ギルドの中は静まり返った。大声で言い争いをしていたイルティナたちまでもがその口の動きを止め、タミーへと——いや、一匹の小さい蟲へと視線を集中させる。
誰もが動かず、声を発しないまま、質量を感じさせるかのような視線がヴェノムマイト・スレイブへと注がれる。すると、その視線の重圧に耐えかねたかのように、レイラの根に体を貫かれていた小さい魔物、ヴェノムマイト・スレイブが、その動きを鈍らせていき——ほどなくして、完全に動かなくなる。
ティールの村に奇病を蔓延させ、住民を恐怖と絶望の底へと叩き落とした元凶。その一部が、今、静かに事切れた。
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