022・逆恨みの理由

「……なんだ、お前か」


 狩夜の声に顔を上げたザッツが、鬱陶しそうに口を動かした。次いで、こう言葉を続ける。


「俺になんの用だよ?」


「いや、別に用はないんだけど……ザッツ——君が一人だったからさ、少し気になってね。さっきも言ったけど、こんなところに一人でいると危ないよ。いくら水辺でも、魔物が絶対に出ないわけじゃないんだから」


「……大丈夫だよ。確かに水辺でも魔物が出てくることはあるけどさ、この辺りの魔物のあしらい方は知ってる。慣れてるから」


 ここで狩夜は、ガエタノから聞いた話を思い出す。ザッツは開拓者を目指しており、以前は一人で村を抜け出しては魔物のテイムに挑む、活発な子供だった——と。それならば、先ほどの言葉も頷けた。


「俺のことはどうでもいいだろ。お前の方こそ何を——って、村の外にいるんだから、クエストをこなしてきたに決まってるか」


「あ、うん。さっき【グリーンビーの巣の駆除】を終わらせてきたところだよ」


「……」


 この狩夜の言葉にザッツは目を見開く。次いで、レイラを指さしながらこう尋ねてきた。


「それ、お前と、頭の上のそいつだけでやったのかよ?」


「え? そうだけど……」


「まじかよ……【グリーンビーの巣の駆除】なんて、並の開拓者が十数人がかりでやるクエストだぞ? それをお前らだけでなんて……」


 感嘆混じりの声で言うザッツ。その声を聞いた狩夜は、複雑な心境で苦笑いを浮かべ、右手の人差し指で頬をかいた。


 数秒後、ザッツは何かを諦めたように小さく溜息を吐く。そして、蚊の鳴くような声でこう呟いた。


「やっぱり、お前は特別な人間なんだな……くそ」


 瞬間、ザッツの周囲に張られている対人バリアが強まっていくのを狩夜は肌で感じ取る。会話を途切れさせちゃいけない! と、狩夜はやや強引に話を振った。


「えっと、ザッツ君は、開拓者になりたくて、魔物をテイムしようとして、一人で村を出たのかい?」


「今日は……違う。というか、もう開拓者になりたいなんて思ってない」


「それじゃなんで?」


「ふん。都からの物資がきて活気づいた、あの村の中に居たくなかっただけさ。村の連中が、みんな楽しげに笑ってやがる。父ちゃんに助けてもらったくせに……そんな父ちゃんが死んだのに……みんな、みんな笑ってやがった。恩知らずどもめ、反吐が出る。もう父ちゃんのことなんか、誰も憶えちゃいないんだ」


「……」


 抱えた両足に爪を立てながら言葉を紡ぐザッツ。その言葉に込められた憎しみと悲しみに、狩夜は顔を曇らせ、ついに閉口してしまった。二人の会話が途切れ、沈黙が訪れる。


 ザッツに対して言いたいこと、伝えたいものが、狩夜にはあった。だが、それをうまく言葉にできない。ザッツの考えが間違っていること、そして、そんな考え方をしている現状がとても危ういこと、それは痛いほどにわかるのに、それをうまく表現して相手に伝える方法を、狩夜は有していなかった。


 それでも狩夜は諦めない。動かない口に代わって頭を使い、ない知恵使って考えた。この胸の中にうずまくモノをどうにかして言語化し、ザッツに伝えるべく、必死になって考えた。


 今まで見てきた漫画、アニメ、ドラマのセリフでも構わない。学校で勉強した、歴史的偉人たちの名言でも構わない。中学二年生という特別な時期に思わず口にしたくなる難解言語でもなんでもいい。この状況を打破し、憎しみで心を閉ざした少年の心に響く気の利いた言葉を、どうにかして絞り出せ!


「……もうどっか行けよ。無理して俺を気にかけなくていいからさ。お前がいい奴だってことぐらい、わかってるから。お前に当たるのが筋違いの逆恨みだってことも……わかってる」


 難しい顔で頭を抱える狩夜ではなく、ザッツの方が先に口を動かした。狩夜は表情を一転させ、意外そうな顔でザッツを見つめる。一方のザッツは、そんな狩夜に対してこう言葉を続けた。


「お前はいい奴だよ。凄い奴だよ。原因不明の奇病からティールの村を救った。なのに、全然偉ぶらないし、多額の報酬を求めたり、理不尽な要求をしてくるわけでもない。目の上のたん瘤だったワイズマンモンキーを簡単に撃退して、今日都からの物資が届くまでは、食べ物だってお前頼り。そのうえ、グリーンビーの巣の駆除までやっちゃってさ……認めるよ。お前はいい奴で、凄い奴だ。村の連中が頼りにして、ドリアード様の化身だのなんだの呼ばれるのもしかたないよ」


「あ……うん。だけど、それは僕じゃなくて——」


「でも、好き嫌いは別だ。俺はお前が嫌いだ」


 自分じゃなく、レイラの功績だと主張しようとした狩夜の言葉を遮り、ザッツは口を動かし続ける。


「お前は凄い奴だよ。俺の父ちゃんより——悔しいけど、無茶苦茶悔しいけど、お前の方が凄い。お前が村のためにしてくれたことは完璧で、俺の父ちゃんが村のためにしたことは、悪足掻きの時間稼ぎだった。そういうことだろ? お前がいれば父ちゃんは要らなくて、特別な何かを持ってない奴がでしゃばると、無駄どころか早死にすることになる。そういうことだろ?」


「そ、それは違——」


「違わないよ! だから俺はお前が嫌いなんだ! お前が村に来てから、皆が父ちゃんのことを忘れた! 感謝しなくなった! お前が俺の父ちゃんを、村の英雄を、馬鹿で愚かな凡人に変えたんだ!」


「——っ」


 ザッツはここで言葉を区切った。その両目からは、いつしか悔し涙が止めどなく溢れ出ている。


 服の袖で涙を拭うザッツ。そして、涙を拭いながらも、途切れ途切れにこう口を動かした。


「逆恨みなのは……わかってるよ……でも……でも俺くらい……俺くらいお前を嫌わなきゃ……父ちゃんが可哀想だろ……」


「ザッツ君……」


「だから……だから俺は……開拓者を目指すのをやめたんだ……だって俺……何も持ってないもん……凡人だもん……お前みたいに……特別じゃない……何も持ってない奴が頑張っても……努力しても無駄なんだ……」


 この言葉は、狩夜の胸に強く、深く突き刺さった。なぜならば、狩夜もまた、凡人だから。特別な何かなど持っていない、ごく普通の人間だから。


 でも、だからこそわかる。これだけはわかる。ザッツの父が、けして凡人じゃないということが。


 自分も病気なのに、他の誰かのために村を守り、食料を探す。そんなこと、狩夜にはとてもできない。本当にすごいと思う。尊敬する。そんなかっこいい男にいつかなりたいと、心の底から強く思う。


 ——目の前に倒れた女性がいたら、あなたならどうしますか?


 ザッツの父は、躊躇なく駆け寄り、抱き起すのだろう。たとえ相手が病身であろうと、汚物で汚れていようとも。


 拒絶されてもかまわない。信じてくれなくてもかまわない。でも、このことだけはザッツに伝えよう。君のお父さんは立派な人だと。僕なんかより、ずっとずっと凄い人だと。


「ザッツ君。君のお父さんは——」


「カリヤ殿ーーーー!」


 意を決して口にしようとしたザッツへの言葉は、不意に聞こえてきた大声にかき消された。そして、狩夜とザッツの顔が同時に動き、声がした方向へと向けられる。


 二人の瞳が捉えた大声の主。それは——


「ガエタノさん」


 そう、ティール防衛の要にして、ザッツの叔父であるガエタノであった。ガエタノは、全身に装備した水鉄砲を激しく揺らしながら、狩夜のもとに駆け寄ってくる。


「おお、カリヤ殿! ザッツも一緒か! 見つかってよかった、探しましたぞ!」


「どうしたんです、そんなに慌てて?」


「それが大変なんです! 今すぐティールの村にお戻りください! カリヤ殿とレイラ様のお力が必要です!」


「ガエタノさん、少し落ち着いてください。いったい何があったんですか?」


「あの奇病です! 先ほど村に到着した都からの使者、そして、ジル殿を含めた開拓者たち、それら全員があの奇病に侵され、倒れてしまったのです! どうかお願いいたします! ティールに戻り、急ぎ治療を!」


「——っ!?」


 ガエタノの言葉に狩夜は絶句し、目を見開いた。狩夜の足元では、ザッツも似た様な顔をしている。


 ティールを襲った悪夢は、終わってなどいなかったのだ。

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