021・巣という名の城

「いやいやいや、無理無理。無理だってあんなの。死ぬ死ぬ、死んじゃう。つーか怖い、超怖い。ベアの百倍くらい怖いよあれ」


 かなりの距離を取りつつ視認した今回のターゲット。そのあまりの巨大さと物々しさに、狩夜は冷や汗を浮かべながら弱音を吐き、首を左右に振った。


 直径おおよそ八メートル。大木と大木との間、地面からほど近い場所に建造された球形の物体。色合いと独特の模様から、狩夜に木星を連想させたそれは、ある魔物が集団生活をおこなう場であった。


 グリーンビーの巣。


 巣というより、もはや城であった。その大きさで他者を威圧し、多数の兵隊に周囲を見張らせ外敵の接近を頑なに拒むそれは、中に居るであろう女王が、自身とその子供たちのために築き上げた、難攻不落の堅城に他ならない。


 その城だけでなく、城を守護する兵隊も精強である。


 蜂型の魔物・グリーンビー。姿形は狩夜もよく知る蜂と大差ないのだが、とにかくでかい。体長はおおよそ三十センチで、地球の蜂の優に十倍の大きさである。色合いはグリーンビーというだけあって、緑と黒が基調であった。今は腹部の中に隠れているが、あの大きさである。毒針もさぞ大きいことだろう。人間の体くらい容易に貫通するに違いない。


 そんなのが、あの巣の中には何十匹といる。正直、勝てるビジョンが思い浮かばない。今の狩夜では、為す術もなく体中めった刺しにされた後、肉団子になるのが関の山だろう。


「駆除しようとしたこっちが蜂の巣にされそうだよ。いや、冗談じゃなく……」


 そう口にしながら、ちょっと先走っちゃたかな? と、軽い気持ちで行動してしまったことを狩夜は後悔した。


 現在、開拓者ギルドに残っている唯一の中級クエスト【グリーンビーの巣の駆除】。


 3000ラビスという多額の報酬と、多量のソウルポイントが手に入るであろうこのクエスト。これを木の民の都からやってきた他の開拓者に取られてしまうのは惜しいと、勇んでここまでやってきた狩夜であったが、どうやら勇み足であったらしい。完全に場違いである。同じく中級クエストで、独力クリアできた【スライム捕獲】と同列に扱ったのがそもそもの失敗だった。タミーの言う通り、これは大変危険なクエストである。


「うん、諦めよう」


 狩夜は自らの間違いを素直に認め、思考を切り替えた。ここはすっぱり諦めるべきである。


 勇み足でここまできてしまったのは確かに失敗だが、まだまだ挽回できる失敗だ。グリーンビーの方はまだ狩夜に気付いてはいないのだから、今すぐこの場を離れればなんの問題もない。


 レイラの力を借りようかとも一瞬考えたが、やめた。つい先日レイラへの依存を打ち切り、強くなると決めたばかりである。


 狩夜は自身の考えを肯定し、踏ん切りをつけるように大きく頷いた。次いで、視線を上に向けながら口を動かす。


「レイラ、巣の駆除は無理。諦める。今すぐこの場を——」


 離れよう。そう言葉を続けようとして、狩夜は失敗した。上に向けた視線の先に、信じられない光景が広がっていたからである。


 頭から肉食花を出現させたレイラが、今まさに食事を始めようとしていたのだ。そして、いつの間にか伸ばされたレイラの蔓には、生きたまま捕獲され、蔓から脱出しようと必死にもがく、一匹のグリーンビーの姿がある。


「ちょ! レイラ! なにやってるんだよ!」


 目を見開きながら、大声でレイラを非難する狩夜。レイラは大きく体を震わせた後、慌てて視線を下に向けてくる。


 目が合った。そして次の瞬間「なんで? どうして狩夜は怒ってるの?」と言いたげに、レイラはキョロキョロと視線をさ迷わせる。どうやら、狩夜が怒っているということは理解したらしいが、何に対して怒っているのかわからないらしい。


 レイラはしばらく視線をさ迷わせた後、捕獲したグリーンビーのところで視線を固定した。ほどなくして「あ、そっか」と言いたげに手を打つと、そのグリーンビーに向けてもう一本蔓を伸ばす。そして——


 ブチブチ!


 グリーンビーの体を、真ん中から力任せに引き裂いた。そして、腹部を肉食花の中に放り込んだ後「はい、狩夜の分」と言いたげに、狩夜の眼前へとグリーンビーの頭部と胸部を運ぶ。


 口を大きく広げ、声にならない声で「あんたなんばしよっとー!!」と叫ぶ狩夜。そんな狩夜の眼前で、体を引き裂かれたグリーンビーが、カチカチとその顎を打ち鳴らし始める。


「——っ!」


 狩夜は咄嗟にマタギ鉈を抜き、グリーンビーの頭部へと突き立てた。この一撃で、半死半生だったグリーンビーが完全に事切れる。


「ま、間に合った……かな?」


 狩夜は、自身の警戒レベルを限界にまで引き上げながら、期待を込めてそう呟いた。だが、その期待は脆くも裏切られることとなる。グリーンビーの巣の方向から、凄まじい数の羽音が聞こえてきたからだ。


 そう、グリーンビーには自身が危機に陥ると、近くにいる仲間を呼び寄せる習性があるのだ。これには特に気をつけるようにと、以前ギルドでタミーから聞かされている。そして今、同胞の危機救うべく、すぐ近くにある巣から多数の援軍が駆けつけようとしていた。


 走って逃げても空を飛ぶグリーンビーの方が間違いなく速い。そして、ここは森のやや奥地で、水辺までは少々距離があった。水に飛び込んでやり過ごすという緊急回避も使えない。


 どうやら、グリーンビーの群れとの戦闘は、もはや避けられないようだ。


「ああ、もう! レイラ、君のせいだからね! 責任とってよ!」


 自分の力で——なんて言っている場合じゃない。レイラの力を借りなければ死ぬ。確実に死ぬ。


 もう腹を括るしかないとマタギ鉈を握り締め、迫りくるグリーンビーの群れを見据える狩夜。一方のレイラは「あれ、食べないの? それじゃあ私が食べる~」とでも言いたげな顔をした後、蔓を操作して、グリーンビーの頭部を肉食花の中へと放り込んでいた。


「レイラ! 攻撃は僕がするから、防御! 防御よろしく! あいつら毒持ってるから! くらうと洒落にならないから!」


 この言葉にコクコクと素直に頷くレイラ。狩夜はそれを確認した後、グリーンビーの群れ目掛け突撃する。


 レイラの防御を頼りに、数十のグリーンビーと対峙する狩夜。すべての防御をレイラに任せ、自身は攻撃に専念。切り裂き、断ち切り、ときに突き、次々にグリーンビーを屠っていく。


 そして、おおよそ一時間ほどの時が過ぎたころ——


「か……勝った……」


 戦いはひとまず終わった。周囲の地面に散乱したグリーンビーの死体と半死体を見回しながら、狩夜は蚊の鳴くような声で呟く。


 正直、戦闘中のことはあまりよく覚えていない。ただただ防衛本能に従って、マタギ鉈をがむしゃらに振り回していたような気がする。だが、そんな無茶苦茶な戦いをしたにもかかわらず、狩夜は無傷。どうやら、レイラがいい仕事をしたようだ。


 なんというか、とにかく怖かった。巨大な蟲というのは、どうしてああも人間の嫌悪感を刺激するのだろう?


 肩で息をしながら「あー怖かった。生きてるって素晴らしい」と、身震いする狩夜。そんな狩夜の頭上では、レイラが次々にグリーンビーの死体を回収し、ホクホク顔で肉食花の中へと放り込んでいる。


 まったく反省の色のないレイラに対し、盛大に溜息を吐く狩夜。次いで首を左右に振り「プラス思考プラス思考」と小さく呟く。


 過程はともかく結果オーライだ。あとは、あの巨大な巣と、中にいるであろう女王を処理すればクエストクリアである。


 ゆっくりと、慎重に巣へと近づく狩夜。大部分は既にレイラの腹の中だろうが、あれで打ち止めということはないだろう。兵隊より大きく、強いであろう女王が、打って出ないともかぎらない。


 ほどなくして、狩夜は巣に手が届く距離にまで近づいた。グリーンビーからの応戦は——ない。どうやら、女王と残りの兵隊は、籠城戦を選択したようである。


 左手で軽く巣に触れながら、狩夜は改めて思った。


 ——でかい。


 直径おおよそ八メートル。まさに見上げるような大きさだ。これを処理しようというのだから大仕事である。中に残っている兵隊と女王も厄介だ。巣に穴を開けた瞬間、そこから一斉に襲い掛かって来るかもしれないと思うと、どうにも踏ん切りがつかない。


「さて、どうしたもんかね……」


 難しい顔で呟く狩夜。すると、周囲に散乱していたグリーンビーたちを、たった今食い尽くしたレイラが動く。頭上の肉食花を更に巨大化させ、その中心を巣へと向けたのだ。そして——


「んな!?」


 狩夜の眼前で、肉食花がグリーンビーの巣を丸かじりする。


 女王も、兵隊も、幼虫も、全部まとめてお構いなしだ。レイラは巣ごとそれらを噛み砕き、磨り潰し、体内へと飲み込んでいく。


 ものの数秒でレイラの食事は終わった。グリーンビーの巣は奇麗に食べつくされ、つい先ほどまで巣を支えていた二本の大木だけが、何事もなかったかのようにその場に残っている。


 絶対的強者による搾取を目の前で見せ付けられた狩夜は、あんぐりと口を開けていた。すると、肉食花を引込めたレイラがペシペシと頭を叩いてくる。我に返った狩夜が視線を上に向けると「終わったよ。早く帰ろ~」と言いたげな顔をしたレイラと目が合った。


 狩夜は苦笑いを浮かべ「そうだね、帰ろっか……」と呟いた。そして思う。


 ―—やっぱり、こいつ怖い。


 叉鬼狩夜。クエスト【グリーンビーの巣の駆除】 をクリア。



     ●



「はぁ……」


 ティールの村への帰り道、狩夜は「またレイラに頼ってしまった」と、溜息を吐きながら歩いていた。


 日々のクエストをこなしながらソウルポイントを溜め、少しづつ強くなっている狩夜であったが、今日の狩りの内容を見るに、強すぎる相方の庇護から抜け出せる日はまだまだ遠いと実感せざるをえない。


「強く、かっこいい男への道は、中々に険しいな……」


 こう呟くと同時に狩夜の視界が開けた。森を抜け、小川の横にあるティールへと続く道に入ったのである。


 マナの豊富な水辺に到着したので、警戒レベルを一気に引き下げる狩夜。ここまでくればもう安全である。あとはのんびりとティールに戻るだけだ。


「あれから数時間か……イルティナ様の気が済んで、落ち着いてくれてるといいんだけど——って、あれ?」


 狩夜は言葉を途中で止め、同時に足の動きも止めた。自身の進行方向に、見覚えのある人物を発見したからである。


 木の民の子供——ザッツだ。


 ザッツは、小川の近くで一人、体育座りをしていた。暗い表情で、小川の水面をただ見つめている。


「……」


 狩夜は右手の人差し指で頬をかいた。次いで思う。どうしよう——と。


 しばらくその場に立ち尽くす狩夜であったが、ほどなくして動き出す。向かう先は——森。先ほど出てきたばかりの森に向けて、その足を動かした。


 狩夜は、先日決めた『ザッツとは今後かかわらないようにしよう』という方針に従って、ザッツとの接触を避けることを選んだのである。この場を大きく迂回して、ティールに向かおうと考えたのだ。


 ザッツに背を向けた瞬間、ズキリ! と、あの日と同じように胸が痛んだ。だが、狩夜はそれを無視して森へと足を進める。そして、狩夜が完全にザッツに背を向け、その姿を視界から追い出した、その瞬間——


「グス……父ちゃん……母ちゃん……」


 背後から、こんな声が聞こえてきた。


 ズキリ!!


 胸が——痛む。足の動きが、その場で止まる。


 次いで狩夜は右手を上げ、自身の頭をガリガリと激しく掻き回した。そんな狩夜を、レイラが迷惑そうに見下ろしている。


「ああ、もう!」


 狩夜はイラついたように声を出し、踵を返す。次いで、ザッツへと足早に近づいた。そして——


「こんなところに一人でいると、危ないよ?」


 ザッツのことを見下ろしつつ、こう声をかけた。僕って馬鹿だな——と、胸中で自分自身を罵倒しながら。

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