018・救えなかったもの

「う~ん」


 狩りを終え、開拓者ギルドでクエストの報酬を受け取った狩夜は、考えごとをしながらギルドの出入り口を潜る。


 現在狩夜の頭の中は、とてもじゃないが成功とはいえない先程の狩りの内容と、その反省で埋め尽くされている。中でも、一番の反省点は——


「やっぱり……戦いに夢中になって、視野を狭めたのが失敗だったな」


 そう。ベアとの戦いに集中するあまりに、周囲への警戒がおろそかになり、ワイズマンモンキーの接近に気付けず、奇襲を許した。レイラがいなければ確実に死んでいたであろう大失敗である。


 魔物との戦いにおいて、正々堂々の一騎打ちなど成立する方が稀だ。常に別の魔物からの不意打ち、横撃、挟み撃ち等を警戒する必要がある。理解していたつもりではあったのだが——つもりでしかなかったようだ。未熟としか言いようがない。


「ギルドがパーティを組むことを推奨するわけだ……」


 人間一人の視野はあまりに狭く、不安定で、不確かだ。それを数で補うのは、実に理にかなった対処法である。


「僕もパーティを組んだ方がいいのかなぁ……」


 と、狩夜が不安げな顔で呟いた、その時——


「よし! 次の木材とってくれ!」


「おい! ここぐらついてるぞ! もっとしっかり結べ!」


「ゆっくり持ち上げろ、ゆっくりだ」


 村の出入り口の方から、なにやら威勢のいい声が聞こえてきた。狩夜がそちらに顔を向けると、防衛用の柵の設置作業に従事するティールの男衆の姿が目に映る。


 昨日レイラが切り倒し、切り分けた大径木。その木材を使い、早速柵の設置作業を始めたらしい。


 地面に対して垂直かつ等間隔に突き立てられた木材。それらが短く切り分けられた木材と、周囲の森で採取されたであろう太くて丈夫な蔓で手際よく連結されていく。作業する男衆の周囲にはガエタノ率いる護衛の姿があり、水鉄砲を構えながら周囲に鋭い視線をめぐらせていた。


 汗だくになって作業するティールの男衆。辛い重労働にもかかわらず、皆の表情は明るい。ティールをこの手で復興するのだと、使命感に燃えている。


 狩夜はしばらくその光景を見つめてから、漠然と呟いた。


「レイラ、僕たちも手伝おうか」


 ティールの復興を手伝いたい。そういった気持ちももちろんある。だが、沈んでいても仕方ない。狩り以外で体を動かして、気を紛らわしたい。そんな思惑もあっての言葉であった。


 この言葉にレイラは「いいよ~」と言いたげに、ペシペシと頭を叩いてきた。レイラの賛同を得た狩夜は、作業現場に向けて足を動かす。


 すると——


「魔物発見! ラビスタです! 数一!」


 護衛の一人が大声を上げ、周囲に警戒を促してきた。


 村全体に緊張が走ったが、それは一瞬のこと。ラビスタ一匹なら大丈夫だろうと、すぐに安堵の息がティールの至るところから聞こえてくる。


 だが、誰にでも苦手というものはあるらしく——


「うえぇえぇ!? ラビスタ!? どこ! どこだよ!?」


 柵の上部を担当していた男衆の一人が、目をむいて慌てふためき、顔を上下左右に動かした。そして、手にしていた木材を勢いよく放り出してしまう。


 その木材は放物線を描いて宙を舞い、とある少年に向かって飛んでいった。


 銀髪で褐色の肌。初代勇者の血筋であるブランの木の民である。年齢は十歳未満と思われ、身長は狩夜よりも更に低い。そんな少年が、顔を地面に向けつつ、村の中をとぼとぼと歩いていた。


 下を向いて歩いているせいか、少年は自身に向かって飛来する木材の存在に、まったく気づいていない。


「危ない!」


 狩夜は叫び、駆けだした。強化された敏捷をいかんなく発揮し、少年と木材との間に体を割り込ませる。そして——


「よっと」


 木材を右手でキャッチして、ほっと一息。それと同時に「ラビスタ逃走! 見失いました!」という護衛の声が聞こえてくる。


「馬鹿野郎! あぶないだろうが!」


「ラビスタ一匹にそんなに驚くなよ。カリヤさんがいなかったらどうなってたか」


「す、すまねぇ。俺、ラビスタだけはだめなんだ。子供の頃に耳を齧られて以来、どうも苦手でよぉ」


 そう言いながら、木材を放り投げた男衆の一人が狩夜へと視線を向け「どうもすみません」と頭を下げてきた。狩夜は左手を上げ「大丈夫です」と言葉を返す。


 受け止めた木材を近くの民家に立て掛けた後、狩夜は助けた少年へと向き直る。そして、笑顔を浮かべながらこう尋ねた。


「危なかったね。怪我はない?」


 この言葉を受けた少年は、しばし狩夜の顔を見つめた後——


「別に、助けてくれなんて言ってない……」


 こう告げると同時に、右足で狩夜の左足を蹴っ飛ばしてきた。


 少年の思いがけない行動に、狩夜は驚き——直後、戦慄した。自身の頭の上から、凄まじい怒気を感じたからである。


 狩夜が恐る恐る視線を上に向けると——


「——っ!?」


 メロンのようなしわを全身に浮き上がらせ、凄まじい形相で少年を睨む、今まで目にした中で、最も恐ろしい姿をしたレイラが、その目に飛び込んできた。


 怒ってる。すっごく怒っている。狩夜に一撃叩き込んだ目の前の少年に対して、レイラは怒り心頭中だ。間違いなく激おこである。


 狩夜は慌てて両手を頭上へと運び、レイラを上から抑え付けた。次いで、早口で言葉を紡ぐ。


「レイラ、落ち着いて。僕は大丈夫。全然痛くなかったから。怒らないであげて。小さな子供がしたことだから、ね。お願い」


 必死にレイラを宥める狩夜。そのかいあってか、レイラは少年に対して明確な行動をとってはいない。とりあえず、取り返しのつかない事態は避けられたようだ。


 だが、油断はできない。


 狩夜がレイラを宥めるのをやめたり、狩夜が少しでも苦痛を訴えれば、レイラはすぐさま少年に対してなんらかの動きを見せるだろう。なぜならば——


 ゲシゲシ。


 少年は、狩夜がレイラを宥めている最中にも、狩夜の足を何度も蹴ってきたからだ。今も無言で狩夜の足を蹴り続けている。もっとも、子供の脚力ではソウルポイントで強化された狩夜の体はびくともせず、痛みはまったく感じなかった。


 それでも足に衝撃が走るたび、反射的に口から出そうになる「痛い」という言葉。それを鋼の意思で噛み殺しながら、狩夜はこの状況をどうしたものかと途方に暮れる。すると——


「こらぁザッツ! カリヤ殿に何をしとるかぁ!!」


 護衛の指揮を他者に任せたらしいガエタノが、怒声を上げながら狩夜と少年——ザッツという名前らしい——のところへと駆け寄ってきた。


 ザッツは、狩夜の足を蹴るのをやめ、ガエタノの方へと視線を向ける。


「ガエタノ伯父さん……」


「カリヤ殿はこのティールの救世主だぞ! お前だって病気を治してもらっただろうが! 恩人の足を蹴るなどと、いったい何を考えている! 木の民全員の顔に泥を塗るつもりか!」


 ガエタノは、ザッツの前に立つなりその頭を右手で鷲掴みにし、狩夜に向かってむりやり頭を下げさせる。その後、自らも狩夜に向けて頭を下げ、こう口を動かした。


「ほら、ちゃんと言葉にして謝るんだ」


 ザッツは、ガエタノに頭を鷲掴みにされたまま再び狩夜を見つめ——


「誰が謝るか」


 先ほどの焼き増しのような動作で、狩夜の足を蹴ってきた。


 ガエタノの「ザッツ!!」という怒声がティールの村に響く中、狩夜は自身の頭の上で “ブチ” という音がするのを確かに聞いた。そして、不穏な気配と共に動き出したレイラの葉っぱを、即座に両手で握り締める。


「……なんでだよ」


 自らの頭上に居るレイラの葉っぱを両手で握り締めるという、端から見るとかなりシュールな状況にある狩夜。そんな狩夜を、ザッツは肩を震わせながら睨みつけ、口を動かす。


「なんで……なんでもう少し早く、この村に来てくれなかったんだよ……」


「え?」


「もう少し早くお前が来てれば、父ちゃんも、母ちゃんも、死なずにすんだのに!」


「——っ」


 この村に——いや、この世界イスミンスールに来て、初めて他者から向けられた負の感情。心を抉られるようなその感覚に、狩夜は思わず息を飲み、沈黙してしまう。そんな狩夜に対し、ザッツは更にまくしたてた。


「他の人は皆助かったのに、なんで俺の父ちゃんと母ちゃんだけ死ななきゃなんないんだよ! 答えろよ!」


「やめろザッツ! いい加減にしろ!」


 何も言えないでいる狩夜に代わり、ガエタノが声を張り上げた。それに続き、いつの間にか周囲に集まっていたティールの村の人々も、次々にザッツに向けて非難の声を上げる。


「おいザッツ、口を慎め。お前の両親が死んだのは病気のせいであって、カリヤさんのせいじゃないだろ」


「そうだぜ。そりゃあただの逆恨みだ」


 この他にも「そうだ、そうだ」とか「早く謝れ」といった声が上がる。だが、ザッツは一向に態度を改めようとはしない。それどころか——


「うるさーい!!」


 と、この場にいるすべての人間に向けて、怒りを爆発させた。


「どいつもこいつもよそ者の味方をしやがって! こいつより先にお前らを救ったのは父ちゃんだろ!? お前らが病気で動けない中、父ちゃんが皆のために食べ物や薬草を探して、魔物からこの村を守ったんだ! 父ちゃんだって病気だったのに……なのに、皆のために、このティールのためにって……命を削って頑張ったんだ!」


 ザッツのこの言葉に、村の住人は口の動きを止めた。そして、ばつが悪そうにそっぽを向いたり、頬をかいたりしている。


「その無理のせいで父ちゃんは死んだ! なんでだよ!? なんで村のために頑張った父ちゃんが死んで、そんな父ちゃんに甘えて、村で安静にしてたお前らが助かってんだよ! おかしいだろ! 父ちゃんは頑張ったんだ! 俺や、村のみんなを助けるんだって、命懸けで頑張ったんだ! 報われなきゃ嘘だろ! 誰よりも頑張った父ちゃんが、何で助かってないんだよ!? 死ぬべきだったのは父ちゃんじゃなくて、お前らの——」


「ザッツゥゥウゥウゥ!」


 ここにきて、ついにガエタノが爆発した。鷲掴みにしていたザッツの頭から右手を放し、握り拳を作る。そして、その拳をザッツの脳天目掛け垂直に振り下ろし、全力で殴りつけた。


 周囲に響き渡る鈍い音。さすがのザッツもこれには口の動きを止め、両手で頭を抱えながら蹲った。そんなザッツを、胸の前で右拳を震わせているガエタノが見下ろしている。そして、ガエタノは更に握り拳を強く握り締め、右手から赤い雫を垂らしながら、毅然とした態度でこう言葉を紡いだ。


「お前の父さんが死んで……他の村民が助かった。その理由は……理由はなぁ……」


 一度言葉を区切り、大きく息を吸い込むガエタノ。そして、このティールの村——いや、周囲の森の奥地にまで響いていきそうなほどの大声で、次の言葉を言い放つ。


「そんなの、お前の父さんがこの村で一番強く、勇敢で、立派な人間だったからに決まってるだろうが!!」


 この言葉を聞き、蹲っているザッツの体が大きく震えた。そんなザッツを見下ろしながら、ガエタノは更に言葉を続ける。


「確かにお前の言う通りだ、ザッツ。私や村のみんなが助かったのは、お前の父さんのおかげだ。お前の父さんがいなければ、カリヤ殿が村にくる前に、私たちは全滅していただろう。そしてお前は、そんな父さんが死んで、私たちが生きているのが許せないんだよな? 気持ちはわかるぞ。お前の父さんは、私にとっては弟だからな……」


「……」


「でもなザッツ! それは言っちゃダメなんだ! 言葉にしちゃダメなことなんだ! 言葉にした時点で、それはお前の父さんへの、命懸けでこの村を救った英雄への侮辱になる! 弟を侮辱することは、誰であっても私が許さん! たとえお前であってもだ、ザッツ!」


 ここで一旦口の動きを止めるガエタノ。そして、目の前で蹲るザッツの肩に右手を置き、今度は優しく語り掛けた。


「お前の父さんは、私の誇りだ。この村の英雄だ。村民全員がそう思っているよ。誰も忘れてなんかいない。だから、カリヤ殿にあたるな。他者を憎むな。いつの日か、お前にもわかるときが——」


「うるさい!」


 肩に乗せられたガエタノの手を払いのけながら、ザッツが叫ぶ。次いで勢いよく立ち上がり、ガエタノを睨みつつ口を動かした。


「俺は……俺は父ちゃんが立派でなくてよかった! 勇敢でも、英雄でもなくてよかった! ただ……ただ俺と、ずっと一緒にいてほしかった!」


「ザッツ……」


 力なくザッツの名を呼ぶガエタノ。そんなガエタノから視線を外し、ザッツは狩夜を睨む。


「お前が嫌いだ!」


 次いで周囲を見回し、言う。


「お前らも嫌いだ!」


 そして、肩を震わせながら天を仰ぎ、涙を流しながら大声で叫んだ。


「みんなみんな、大っ嫌いだ!」


 自身を取り巻くすべてのものに呪詛を吐いた後、ザッツは駆け出した。ガエタノの脇を通り抜け、周囲の村民の隙間を縫い、いずこかへと走り去る。


 そんなザッツを、狩夜は無言で見送った。両親を失って悲しみに暮れる少年にかけられる言葉など、狩夜は何一つ持ってはいない。


「……すみません。私の甥っ子が……とんだご無礼を……」


 狩夜と同じようにザッツを見送ったガエタノが、深く深く頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。狩夜は短く「いえ」と答えた後、こう言葉を続ける。


「やっぱり……助からなかった人もいたんですね……?」


 予感はあった。だが、今まで誰にも聞けなかったことを狩夜は問う。


 ガエタノは、ゆっくりと深く頷いた。そして、イルティナや、メナド。タミーや、他の村民も、狩夜に気をつかって言わずにいたであろうことを、重苦しい声で語り始める。


「ええ、あの奇病での死者は二人。ザッツの父である私の弟と、母である義理の妹です。義妹いもうとは誰よりも早くあの奇病にかかり、そして死にました。奇病が村全体に広がったのは、義妹いもうとの死後すぐです。弟が死んだのは、カリヤ殿が村を訪れる二日前になります」


「……そうですか」


「はい。ちなみに弟と義妹いもうとは、共にイルティナ様のパーティメンバーでありました。義妹いもうとは、メナドの姉になります」


「メナドさんの……」


 ということは、ザッツはメナドにとっても甥ということになる。


「ザッツも、両親が生きていたころは「俺も将来は開拓者になって、父ちゃんみたいになるんだ!」と、一人で村を抜け出しては魔物のテイムに挑む、とても活発な子だったのですが、義妹いもうとが死んで以来塞ぎがちになり、追い打ちをかけるように弟が死んで、今ではあの有様。まるでこの世の全てを憎んでいるかのように、誰彼かまわず当たり散らすしまつ」


 狩夜は、ガエタノの話を聞きながら目を閉じた。そして、ザッツの口から放たれた言葉の数々を心の中で思い起こす。


 どれもが勝手な言い分だったと思う。両親の死を狩夜にあたるのは間違いなく筋違いだ。


 僕は悪くない、あれは勝手な逆恨みだと結論づけて、犬にでも噛まれたと思ってさっさと忘れる。それが一番の解決法であろう。


 狩夜は「うん、そうしよう」と胸中で呟き、今日のことはすぐに忘れ、ザッツとは今後かかわらないようにしようと心に決めた。だが、そう決めた瞬間——


 ズキリ!


 と、なぜだか胸が痛んだ気がした。狩夜は驚いて目を見開き、次いで右手を胸へと運ぶ。


 特に異常は——見当たらない。


 なんだったんだ? と、首を傾げる狩夜。そんな狩夜に、ガエタノが再度話しかけてくる。


「この村に滞在する間、またザッツが粗相をするやもしれませんが……広い心で許していただけると、助かります」


「……え? あ、ええ。わかってますよ。ガエタノさん」


 狩夜は胸から手を離し、愛想笑いを浮かべながら頷いた。そして、まだ怒りが収まっていないらしいレイラの頭を撫でてから「僕にも何か手伝わせてくださ~い!」と、意識して明るい声を出し、作業現場に駆け寄る。


 その後狩夜は、狩夜を快く迎え入れてくれた男衆たちと共に、一心不乱に働いた。時間を忘れ、日が暮れるまで柵の設置作業に従事した。


 今は消えた胸の痛みと、一人の少年を忘れるために——

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