019・スライム活用法と負い目

「ただいま帰りました~」


 異世界生活五日目。今日も無事に狩りを終え、開拓者ギルドで報酬を受け取った狩夜は、少し疲れを感じさせる声で同居人に帰宅を知らせつつ、頭上のレイラと共にイルティナ邸の玄関を潜った。


 そのまま歩を進め、狩夜がリビングに足を踏み入れると、すでにテーブルにつき夕食を待っているイルティナと、その夕食を台所で調理をするメナドが、笑顔で声をかけてくる。


「戻ったか、カリヤ殿」


「おかえりなさいませ、カリヤ様」


 二人に軽く会釈しつつ椅子を引き、テーブルにつく狩夜。そんな狩夜の顔を向かいの席で見つめつつ、イルティナが口を開く。


「今日は少し遅かったな? 疲れてもいるようだし……狩りの最中に何かあったか?」


 イルティナの言う通り、今日の狩夜の帰宅はやや遅い。太陽は大きく傾き、すでに辺りは茜色に染まっている。あと小一時間もすれば、完全に夜となっていただろう。


 ソウルポイントで身体能力が強化された開拓者であっても、夜魔物を相手にするのは分が悪い。ゆえに〔暗視〕や〔気配察知〕といったスキル。もしくは、月の民や闇の民がパーティにいない限り、夜の狩りは自殺行為である——と、先輩開拓者のイルティナだけでなく、ギルド職員のタミーからも忠告を受けていた。


 狩夜は「心配させちゃったかな?」と胸中で呟きながら苦笑いを浮かべ、レイラを頭の上から降ろしつつ口を動かす。


「心配無用です、イルティナ様。【スライム捕獲】のクエストに、少し時間がかかっただけですから」


「ほう……開拓者になって三日目で、もう中級の【スライム捕獲】に挑戦したのか?」


「はい。何度も失敗しましたが、どうにか二匹捕まえました。いや、依頼カードにも書いてありましたけど、ほんと難しいですね。スライムの生け捕り。とにかく動きが速くて……」


 こう言いながら、狩夜は今日ひたすらに追いかけっこをした、ある魔物のことを思い起こした。


 スライム。半透明かつゼリー状の体を持つ、単細胞生物なのか、多細胞生物なのかもわからない、不思議な魔物。


 大きさはバレーボールほどで、見かけによらず敏捷に優れる。気性は非常に大人しく、臆病。ゆえに人間を——というか、他の生物を襲うことはまずない。スライムの主食は他生物の死骸や糞などであるため、畑や食糧庫を荒らすこともない。つまりは、魔物とは名ばかりの、基本的に無害な生き物である。別名、世界の掃除屋。


 そんな無害な魔物を、なぜギルドに依頼してまで生け捕りにしなければならないのか。その理由は——


「えっと、今日僕が捕まえた奴って、新しく建てられる家のトイレに使われるんですよね?」


「そうだ。ぬしに村を襲撃されたさい、家がまるまる二つ潰されている。そういったものも新調しなければならんからな」


 そう、生け捕りにしたスライムは、トイレとして利用されるのである。この世界のトイレは全てがスライム式。水洗式も、汲み取り式も存在しない。


 スライム式トイレの仕組みはこうだ。まず縦穴を掘り、その縦穴を粘土で固める。次に、生け捕りにしたスライムを縦穴に投下。最後に、陶磁器の便器で縦穴に蓋をし、完成。実にシンプルな構造である。


 狩夜もこの世界にきてから幾度となくスライム式トイレを利用したが、使い心地は悪くない。祖父の家の汲み取り式トイレよりも、よほど清潔な印象だった。スライムが消臭もしてくれているようで匂いも少ない。しかも、大抵の生ゴミはトイレに捨てることができるというおまけつき。実に見事な生活の知恵である。


 このスライム式トイレのおかげで、川や泉、湖や海に、人間の出した汚物が流されるということはまれだ。そして、人類の生命線である水を故意に汚す行為は、イスミンスールではかなりの重罪であるらしく、見つかれば厳罰は避けられないとのこと。というか、地球人以上に水に寄り添って生きてきたこの世界の人間は、水を汚すという行為が生理的に無理らしく、酷い忌避感を覚えるそうだ。


 ゆえに、イスミンスールの水は非常に奇麗。どこの水であっても、安心して使うことができる。


「お待たせしました」


 ここでメナドが夕食をトレイに乗せてリビングに入ってきた。狩夜とイルティナは会話を中断し、メナドに礼を述べる。


 夕食を優雅な手つきでテーブルに並べていくメナド。その最中、狩夜とメナドの視線が重なり、メナドが微笑みを浮かべる。


 まともな男なら誰もがときめくであろう美女の微笑み。その微笑みを受け、狩夜は——


「……」


 無言で視線をそらし、並べられた夕食へと目を向けてしまう。次いで「ごめんなさい」と胸中で呟いて、僅かだがその表情を曇らせた。


 昨日のザッツとの一件以来、狩夜はメナドと目を合わせることができなくなっている。


 すでに丸一日以上の時間が過ぎているにもかかわらず、狩夜は昨日の一件を忘れられずにいた。忘れよう忘れようと意識するほど、ザッツから向けられた負の感情と言葉が脳裏に浮かび上がり、本来抱く必要のない罪悪感が狩夜を悩ませている。


 そして、メナドだ。


 出会った時にしてしまった行動と、つい思ってしまったことが、男として——というか人として、あまりに情けなかったので、ただでさえメナドには負い目を感じていたというのに、そんな中で知らされた、メナドの姉と義兄あにを助けられなかったという事実。その事実が、メナドへの負い目を狩夜の中で決定的なものにしてしまった。以来、狩夜はメナドの顔をまともに見れないでいる。


「ん?」


 そんな狩夜を、夕食を並べ終えたメナドが小首を傾げながら見つめていた。狩夜を見つめながら二回ほど瞬きをした後で、メナドはその口を動かす。


「あの——」


「おい、メナド」


 が、そんなメナドの言葉を、主人であるイルティナが遮った。ほんの少しであるが棘のある口調に、メナドは慌ててイルティナに向き直り、姿勢を正す。


「はい。なんでしょう姫様」


「うむ。今日の夕食のメニューを言ってみろ」


「はい。大豆のスープとベア肉のステーキです」


 ちなみに、味付けは少量の塩のみ。


「そうか。なら、昼食のメニューを言ってみろ」


「はい。グリーンピースのスープと、ボア肉のステーキです」


 ちなみに、味付けは少量の塩のみ。


「そうだったな。では、朝食のメニューを言ってみろ」


「はい。空豆のスープと、焼きラビスタです」


 ちなみに、味付けは少量の塩のみ。


「うむ、ちゃんと覚えていたな。では最後に、昨日と一昨日の朝昼夜に用意した食事のメニューを言ってみろ」


「はい。今日とまったく同じメニューです。姫様」


 ちなみに、味付けは——以下略。


「……」


「……」


 僅かな沈黙の後、イルティナががっくりと肩を落とした。次いで、うんざりとした口調で呟く。


「さすがに飽きたぞ。どうにかならんか?」


「姫様、この非常時に贅沢を言わないでください。まあ、村の代表である姫様が贅沢を言うのは余裕が出てきた証拠でもありますね。喜ばしいことです」


「いや、すまん。贅沢を言っているのは重々承知なのだが、こうも連続で似た様なメニューだと……な。麦とは言わぬまでも、芋くらいは食べたいものだ」


「あと少しの辛抱ですよ。都に連絡してすでに三日。天候にも恵まれましたし、明日には物資を乗せた第一陣が到着するでしょう。そうすれば麦だけでなく、各種野菜や調味料も手に入ります。護衛として開拓者も同行しているでしょうから、村も活気づくでしょう」


「そう……だな。よし、それまでの辛抱だ。カリヤ殿も楽しみにしていてくれ、ユグドラシル大陸の水で育った麦は絶品だぞ。もちろん、野菜もな」


「他の開拓者がやってくればカリヤ様の負担も減りましょう。よかったですね、カリヤ様」


「え? ええ、そうですね」


 やはりメナドとは目を合わせることができず、イルティナの顔だけを見て口を動かす狩夜。次いで、申し訳なさげに顔を伏せ、おずおずと夕食に手を伸ばす。


 そんな狩夜を見つめながら、メナドは訝し気に首を傾げ、イルティナは特に気にした様子もなく夕食に手を付ける。


 程なくして夕食は終わり、日が沈む。


 こうして、狩夜の異世界活動五日目は終わりを告げた。

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