第4章 突入

第10話 コンバット・スーツ

 アイリーンは暗い夜道を、合流場所の教会に向かって歩いていた。


 すれ違う人影は稀で、ビルの窓にも明かりは2割程しか灯っていない。


 僅かに見掛ける古本屋や喫茶店などの店舗も、全てシャッターを下ろしている。

 営業時間が書かれたプレートを見ると、申し合わせたかのように、19時が閉店時間だ。この街は夜が早いようだ。


 やがてアイリーンの目前には、今にも闇夜に溶け込みそうに教会の鐘楼らしい輪郭が現れた。


 その突き出した塔を目印にしながら石壁沿いに進み、十字路を折れると、すぐ左手に頑丈そうな、黒い鉄の門扉が目に入った。


『カトリック神田教会』と、浮彫にされた青銅のプレートがはめ込まれていた。


 アイリーンが立ち止るとすぐに、道路脇に止められたトレーラートラックのドアが開き、一人の男が下りてきた。


 夜間行動用の黒のコンバットスーツに、同じく黒のボディーアーマーと軽量プロテクターを身に着けている。


「お待ちしていました。車は?」

「すぐそこの『山の上ホテル』に置いてきたわ。路上駐車するには目立ちすぎる高級車なのでね」


「まずは後ろで着替えて下さい。ミニスカートでは突入できません」


 男はトレーラー横の扉を開け、小さな昇降梯子を引き下した。

 中の狭いスペースには、アイリーン用の装備一式が用意されていた。


        ※※※


 コンバットスーツに袖を通すのは、何年振りだろう?


 すっかり縁遠くなった特殊繊維の感触に、アイリーンは記憶を辿った。

 そうだ、最後に実戦に参加したのは、もう7年も前のエジプトだった。


 アイリーンは黒いブーツを履いて靴紐を固く結び、足首をベルクロのマジックテープで固定すると、次にアラミド繊維製のボディーアーマーを頭から被った。


 前後と両脇のプレートキャリアに、小銃弾から身を守るためのセラミックプレートが挿入されているため、それはずしりと重く、肩に食い込む。


 最後は強化プラスチック製のプロテクターで、肘と膝を守る。


 側面の留め具を一つずつ締めるたびに、アイリーンの心からは感傷的な思いが次第に消え去り、最後の一つを締めた瞬間に、彼女の目には強い決意が宿った。


 中扉をくぐってトレーラーの後部空間に移動すると、そこは武器類が壁を占めた広めの作戦室になっており、中央に据えられたミーティングテーブルを囲んで6人の兵士が待ち構えていた。


         ※


 全員の視線が自分に集まる中、アイリーンはリーダーと思われる、階級章の付いた兵士に視線を向け「状況報告を!」と告げた。


「目標の建物の名称は、L&Wビルディング。地上5階、地下1階。

 株式会社ライフ&ウェザーという民間の気象予報会社が入っています。

 建物、会社共に、ヘルムート・ベルゲマンというドイツ人がオーナーです」

 兵士の一人が概要を説明した。


「オーナーの素性は?」

「ただ今、照会中です」


「各フロアの見取図はある?」

「五年前の建築申請時の図面を入手してあります」


 テーブル上には6枚の図面が並んだ。5階は3部屋に分かれており、一般的な使い方をしているのであれば、社長室と応接室、会議室といったところだろう。


 2階から4階は各階1フロア。

 1階はエントランス。造りつけの受付と、ミーティングスペースがある。

 地下は大雑把な区割りしかされていない。


「地下には何が?」

「駐車場と配電盤、自家発電機です」


 アイリーンはフロアの配置を、しっかりと記憶していった。


「こちらからの監視体制はどうなっているの?」

「ビルの周辺に、生体センサーとカメラを仕込んだ電動スクーターを3台配置しました」


 兵士が目線で示す先には、ビル全体を3次元表示しているモニターがあった。


 人や動物、植物などが発する熱、心臓の鼓動や筋肉の収縮から生じる微弱な電気信号、移動の際に生じる床の振動などを総合的に計測した情報がそこに表示されている。


「各階にいる人数は?」

「生体センサーの反応では、現在5階に2人、3階に7人です。

 地下はスキャン自体が不可能ですが、間取りや用途から考えて、誰もいないでしょう」


「所長がいる階は?」

「断定はできませんが、状況から推察して、5階がミスター萩生田の監禁されているフロアと思われます」


「スマートフォンからの発信電波で特定できないの?」

「GPSの情報しかないので、高さ方向の特定ができません」


「突入前に、ビルの電源は落とせる?」

「このビルは自家発電機が完備していますので、外からの電源ケーブルを遮断しても、蓄電池と自家発電がすぐにバックアップします」


「壊せばいいじゃない」

「破壊して構わなければすぐに済みます。地下の配電盤を狙うのが妥当でしょう」


「ビルの入口は何か所?」

「3カ所です。まずは1階の正面入り口、ここは強化ガラスです。

 次に地下駐車場への進入口、ここはスチールパイプのグリルシャッターになっています。

 最後にビル裏側にある非常口、ここは通常の鉄製門扉です」

 兵士は図面を指差しながら言った。


「監視カメラはあるの?」

「設計図面には記載されていませんが、外から3台は目視できました」


「まずは地下の配電盤を破壊しましょう」

 アイリーンはリーダーの兵士に同意を求めた。


「了解、こちらの兵力は合計7名。

 地下の配電盤の工作に1人、その援護に1人。

 上の階は非常階段を登って3階に3人、5階に2人を配置。

 電源が落ちるのを合図に同時に突入。

 地下の二人は配電盤を破壊後、内階段を上って1階から順に制圧。

 この手順でどうでしょうか?」


「それで良いわ」

 アイリーンは頷いた。


「まだこの周囲には、僅かですが人通りがあります。市民の目に触れないように、60分だけ待って突入しましょう」

 リーダーの兵士が言った。


「それでは各自、突入に備えて装備品と武器の最終チェックを!」


 アイリーンは手際よく、身に着けたプロテクター類の緩みを確認すると、次に壁に掛かった短身の銃を手に取った。


『AR31』、米国アーマライト社が特殊部隊用に開発したレーザーライフルだ。


 バッテリーパックの充電残量を確認し、パワーケーブルに断線が無いか入念に調べる。

 後はグリップ下のコネクターにそれを繋げば、戦闘準備は完了だ。


 体が覚えているルーティーンを一つ一つこなしながら、アイリーンは集中力を高めていった。


        ※※※


 アイリーンがトレーラーに乗り込む様を、50mほど離れたビルの植込みの陰から、じっと見つめている男がいた。

 神田署の三田村だった。


 三田村は内ポケットから取り出したスマートフォンで、その光景を撮影すると、続けざまにコールボタンを押した。


「吉松か? 今お前どこにいる?」

「カップルを乗せた車を追っています。首都高から関越道に入って北上中です」


「ナンバープレートは照会したか?」

「もちろんです。車はIMLの社用車だと分かりました」


「IMLって、国際気象研究所のIMLか?」

「そうです」


「何で、IMLなんだ? 事件に関係あるのか?」

「僕が知るわけがないでしょう。あの車がIMLに向かっているのなら、坂戸西スマートインターチェンジで下りて、一般道に入るはずです」


「IMLの所在地はど田舎だろう。車通りなんてほとんどないはずだ。ずっとタクシーで尾行すると感づかれるぞ」


「大丈夫です。もう神田署を通じて埼玉県警に協力依頼を出しました。インターチェンジにパトカーを回してもらっています。

 行先さえ分かれば、パトロールを装って堂々とパトカーでIMLに行けばいいだけです」


「手回しがいいな」

「三田村さんの教育のお蔭です。ところでそちらは?」


「ああ、妙な動きがある。不審なトレーラーが『カトリック神田教会』の脇に停車していて、黒のコンバットスーツを来た外国人が乗り降りをしてる。

 先程はミニスカートの女が乗り込んだ」


「一体なんですか、それって?」

「知るか、映画のロケなんかじゃないのは確かだ。こっちにまで緊張感が伝わってくる」


「気を付けてくださいよ、もう歳なんだから」

「お前こそ気を付けろよ、若造」


 そこで三田村は電話を切った。


        ※※※


 L&Wビルディングの5階。


 明るい照明の下で、萩生田はゆっくりと目を開いた。


 まだ頭はぼうっとしており、自分の置かれた状況が把握できない。

 座っている狭い椅子に目を凝らすと、どうやら自分は車椅子に座らされているようである。


 立ち上がろうとするが、両手と両足がベルトで固定されていて動けないことに気が付く。


「お目覚めですか。無理をされず、もう少し休まれた方が良い」


 不意に背後から、聞きなれない男の声が聞こえ、長身の人物が視野に入ってきた。骨格がしっかりとしていて堀の深い顔、茶褐色の髪で肌が白い。


 瞳はブルーで、ゲルマン系のように見える。男の所作にはまるで無駄がなく、それが逆に不自然に感じられる程しなやかだ。


――豹みたいな奴だ――

 萩生田は頭の中に、ネコ科の動物をイメージした。


「ここは……?」

 萩生田は、まだ弛緩して感覚の戻らない口をかろうじて開いた。


「都内のとある場所、とだけお伝えしておきましょう」

 男が答えた。


「お前は誰だ……?」

「あなたをお招きした者です。名前はまだ申し上げられませんが」

 男はキャスター付の丸椅子を引き寄せて、萩生田の座る車椅子の前に腰かけた。


 萩生田の意識と記憶は、少しずつはっきりとしてきた。


 自分が気を失う前に聞いた言葉、氷村が最後に言っていた「確保しました」というあの言葉は、自分の事を指していたのだろう。


 恐らく、ペットボトルに睡眠導入剤が入っていたのだ。とすれば、氷村とこの男は仲間という事になる。


「何故私はここにいる?」

「あなたは今日、我々とって非常に迷惑な行為をなさろうとした。我々はどうしてもそれを止なければならなかった。

 だから不本意ながら、このように少々手荒な事をしてしまったのです」


「一体何を言っているのか、さっぱり分からん」

「ミスター萩生田、あなたは優秀な気象学者だ。これまで私たちの期待通りの成果を残してこられた。大変に感謝をしています。

 しかし、今あなたが行おうとしている、国連への問題提起や、小橋首相への直訴は、我々が全く期待してないものです」


 萩生田には男の言っている事が全く理解できなかった。この男は、一体自分に対して、何を期待していて、何を感謝しているというのだろうか? 


 しかもこの男は、小橋首相への直訴のことまで知っている。


 それは氷村にも話していなかった事。

 アニルとダグラスにだけ伝えた事だ。

 なぜ知っている? 


「お前が言う、“我々”というのはいったい何を指している?」

「今の段階では、国際的なある組織とだけお答えしておきましょう。

 あなたがこれから、我々への協力を約束してくださるのであれば、当然ながら組織の全貌を全てお伝えします」


「私に、何を協力しろというのだ?」

「難しい事ではありませんよ。IMLでのハリケーンの研究をやめていただくだけで構いません」


「馬鹿を言うな!」

「その代わりと言っては何ですが、あなたにはIMLよりも進んだ設備とスタッフをご用意します。

 加えて言うと、我々は気象衛星も、自前のものを打ち上げる計画です。あなたにとっては、最高の研究環境になるはずですよ」


「自前で気象衛星を打ち上げるだと?」

「そうです。我々は気象に関する技術を、全て最高のレベルで自分たちの手元に置きたいのです」


「何のためだ?」

「端的に言えば、我々は気象情報も気象予測の技術も自分達だけで独占したい。

 日本政府はもちろんの事、我々以外の組織や国には、気象衛星は持ってほしくないのです」

「そんな勝手な事が、許されるわけがない」

 

 男は萩生田が返す言葉に曖昧な笑みを浮かべると、別の話を始めた。


「ミスター萩生田、我々はあなたにお詫びしなければならない事があります。

 あなたがIMLで行っているハリケーンの進路予測は、現在精度が80%台と聞いています。しかし今年は恐らく80%台を切るのではないでしょうか?」


 男は萩生田の表情を伺いながら、尚も話を続けた。

「実は、あなたの業績に傷をつけているのは我々です」


「お前は一体何を言いたいんだ?」

 萩生田は声を荒げた。


「ミスター萩生田、あなたの研究は本当に素晴らしい。本来ならばあなたの予測の精度は、もう90%を大きく上回っているはずなのです。

 我々がハリケーンの誘導さえしなければ……」


「それはお前が、いやお前たちの組織がハリケーンを操作しているという意味なのか?」


「その通りです。しかし21世紀の前半までは、我々の手法はお粗末なものでした。初めてハリケーンの誘導らしきことに成功したのが、2012年にニューヨークに上陸させたサンディです。


 我々にとって、あれは記念碑的な成果でした。しかしその後は惨憺たるもので、恐らく誘導の精度は10%もあれば良い方だったと思います。


 そこにあなたの研究成果が発表された。我々にとってあなたの理論と手法は救世主でした。


 何しろ、あなたが発表された予測を活用するだけで、各段に我々の進路操作の精度が上がったのですから」


「私の研究成果を、ハリケーンの操作のために使ったというのか?」


「そうです。あなたの研究が進歩し、予想精度が上がれば上がるほど、我々の進路操作は正確になっていきました。

 しかしそれはあなたの側から見ると、予想精度の後退と見えた事でしょう」


「それが本当ならば、私とIMLは、お前たちのために研究をしていたようなものだな」


 萩生田は吐き捨てるように言った。

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