第11話 独断、あるいは暴走


 萩生田は依然として、謎の男と対峙していた。


「ミスター萩生田、あなたは信じて下さらないでしょうが、実はそもそもIMLの設立をWMOに働きかけ、後押しをしたのは我々なのです。

 更にあなたをIMLの初代所長に推したのも我々です」


 男の放った言葉は、萩生田の意表を突いた。


「そんな馬鹿な」

「そう思われるのも当然です。我々の組織は、国連にもWMOにも大きな影響力を持っているのです。

 もちろん工作は巧妙に行っています。我々に協力した当人でさえ、自分が利用された事に気付いていないでしょう」


「お前たちは、IMLをどうしようというのだ?」

「我々にとってIMLは、これまで正確な気象情報を、リアルタイムで提供してくれる大変に役に立つ組織でした。しかしそれも今日までです」


「今日まで? どういう事だ?」


「我々は別の場所に、IMLよりも遥かに進んだ研究施設を用意しました。

 それこそが先程私がお話しした、ミスター萩生田にご提供したいと思っているものの正体です。

 私はあなたに、そこの指導者になっていただきたいと思っています」


「そんな話に乗れる訳がない。お前たちのお蔭で沢山の都市が破壊され、大勢の人達が犠牲になった。

 今日だって我々の大切な仲間が何人も命を落とした」


「犠牲者になった方々は本当にお気の毒だと思います。しかし我々にも目指すべき目的がある。決して無差別に力を行使している訳ではありません。

 例えばパラセル諸島。あそこで行われていた研究は、我々の計画を阻害しかねない迷惑なものでした。

 そこで作戦の一部として、不本意ながらホンファの通り道にさせていただいた」


「パラセル諸島……、あれは意図的にやったという事か?」

「その通りです。やむなく決行しました」


「お前が……、お前が張を殺したんだな」


 萩生田の声は怒りに震えた。もしも車椅子に拘束されていなければ、萩生田は男に掴みかかり、躊躇なくその首を絞めただろう。


 萩生田の視線は男の白い首筋に集中し、そしてきつく握りしめた両手にはびっしょりと汗がにじんだ。


「おお、怖いですね。まるでお前を今すぐ殺してやるというような目だ。

 あなたを益々好きになりましたよ。

 そんな強い感情を心に秘めた方こそが、世界を変える力を持つのです」 


 男の言葉は萩生田を揶揄するのではなく、心から萩生田に興味を懐いている風であった。


 その男の落ち着き払った態度は、増々萩生田の怒りを倍化させた。


 男は萩生田の表情を観察するように言葉を続けた。


「ミスター萩生田、これだけは信じていただきたい。我々はいつまでも、ハリケーンを兵器のように使おうとは考えていません。

 近い将来、ハリケーンの操作は平和利用されるようになる。例えば、ハリケーンを安全な海域に誘導して消し去ったり、その威力をエネルギーに変換する事などです」


「綺麗ごとなど聞きたくはない。一体お前たちの目的は何だ、まさか世界征服だなんて馬鹿な事は言わないだろうな?」


「世界征服ですか、夢のある話ですね。しかし我々はそんな荒唐無稽な事は考えてはいません。また、特定のイデオロギーとか、宗教を世界中に押付けるつもりもありません」


「では、何が狙いだ?」

「我々が目指しているのは、飽くまで世界の平和。それも恒久的な平和です」


 平和と言う言葉は、萩生田に強烈な違和感を与えた。

「有りえない」

 そう萩生田は言葉を絞り出した。


「真の平和を勝ち取るには、国家という独善的でいびつな仕組みは、ある程度変えていかなければならないと思っています。

 試練の時期が今なのです。哲学的に言えば、破壊と再生です」


「破壊と再生? ふざけた事を言うな」


「それではあなたは今の世の中が、このまま幸福になっていくと思いますか? 

 今や世界の金融商品生産高はGDPの5倍を超えた。

 2000年の時点で既に2.5倍にもなっていたのに、僅か50年で、更にその2倍以上も膨らんでいるのです。

 実体のないペーパーマネーが、現実を追い越して暴走している。

 それが今の世の中です」


「お前たちは、資本主義を破壊するつもりなのか?」


「破壊するつもりはありません。修正するのです」

「修正?」


「金本位制を放棄して以降の社会は、自由主義の本に金融資本主義に傾倒しすぎてしまった。今となっては金融を本来あるべき規模に縮小するのは不可能だ。

 このまま何もしなければ、アンバランスを解消する唯一の手段は戦争だ。

 我々は、世界が戦争に向かって行くしかなくことを阻止したいのです」


「どう修正し、どう阻止するつもりなんだ?」

「今の世界の仕組みの上に、エネルギー社会主義という考え方を導入するのです」


「それは一体、何だ?」

「エネルギーは全ての社会活動の源です。

 幾ら金融が暴走しようとしても、そこを統制さえしていれば、行き過ぎることは有りえない」


「統制などできるものか」

「いえ、出来ますね。具体的には世界中の全エネルギー供給を今の50%に絞り込み、更にその内の50%を我々が握れば良いのです。

 要は皆が豊かになろうとは考えず、公平に貧しくなれば良いだけの話です。不可能なことではありませんよ」


「お前たちがエネルギーの番人になって、世界の平和を守るという訳か?」

「そういう言い方もできます」


「立派な心がけだが、どんなに理由を繕ったとしても、人の命を奪う事は許されないぞ。お前たちがやっていることはテロリズムだ」


 萩生田には男の語る言葉が詭弁としか感じられなかった。人の命の上に立つ平和というのは、概念としては理解できる。


 しかし人命の犠牲を始めから織り込んで、それと引き換えに得られる平和など、許されるべきではないし有ってはならない。


「見解の微妙な相違――、今の段階ではそう理解しておきましょう。もう一つだけ大事な話を付け加えると、我々の理想を実現する為には、日本は欠かすことのできない国だと思っています」


「なぜ日本なんだ?」


「経済大国でありながら、金融資本主義の舞台から距離を置いている唯一の国。

 もしも世界の中に日本がいなければ、経済システムはもっと早くに崩壊していたことでしょう。

 これからの経済は、日本のような抑制の効いた国が主導すべきなのです」


「日本を利用するという事か?」


「利用ではありません。活用です。

 実はもう何名か、日本の有力な政治家や高級官僚の方々には、我々の構想をお伝えしており、皆さん、我々への協力を約束してくださっています。

 残念ながら、ご賛同いただけない数名には、口をつぐんでいただくしかありませんでしたが……」


 男がそう言ったところで、萩生田の背後で内線電話が鳴った。


 男はちらと音のする方向を向き、「ちょっと失礼します」と告げて、萩生田の目の前から消えた。


        ※


 受話器を持ち上げるカチリという音と共に、「確認したのか?」という男の声が部屋に響いた。


 男は電話の相手から、何か報告を受けている様子で、短い相槌を何度も繰り返した。

 時折「センサー?」、「コンテナ?」という、短い単語が聞こえてきた。


「氷村からの電話通りだな。予定通りに相手の出方を試してみよう」


 男の言葉と共に、受話器を置く音が聞こえた。


        ※


 男はもう一度、萩生田の視線の中に入ってきた。


「ミスター萩生田、我々の思想はそう簡単にご理解いただけるとは最初から思っていません。この議論はここまでにしましょう。

 我々は少しばかり油断をしていたようです。あなたのお仲間が、あなたを救い出しにこの近くまで来ているようです」


「仲間だって?」

「あなたはご自身で思っていらっしゃるよりも、強く守られているという事です」


 その時、廊下からは走る足音が聞こえ、アサルトライフルを肩から下げた2人が部屋に入って来た。


 目つきが鋭く、身のこなしに無駄が無いところを見ると、兵士としての訓練を相当に積んでいるに違いない。男の部下のようだ。


「戦闘経験の少ない5人は、一階に行かせました」

 一方の部下が男に状況を伝えた。

「過度な反撃はしないように言ってあるな?」

「はい、なるべく相手を引きつけて、後は投降するように言い聞かせました」

「それで良い」


 もう一人の部下が、一丁の軍用拳銃を男に手渡した。


 男は慣れた手つきでグリップから弾倉を取り出し、フル充填を確認してから、遊底をスライドさせて初弾を装填した。


       ※※※


「ビルの中に動きがあります」

 モニター画面を注視していた兵士が叫んだ。


「何が起きたの?」

 アイリーンが聞きかえした。


「人が移動を始めました」

「急に動き始めたの?」

「そうです、たった今です」

「状況報告を!」


「3階にいた7名の内、5名が1階に移動しました。残り2名は5階に移動し、現在合計4名です。

 それと先程から、相手の監視カメラが、こちらが設置した電動スクーターに、真っ直ぐに向いています」


「感づかれた!」

 アイリーンは直感した。


 ビルを監視するセンサー類は、ありふれた電動スクーターの荷台に仕込んであった。

 しかし突如見慣れない電動スクーターが、3台も周囲に現れたとすれば、相手が不審に思ったとしても不思議はない。


「計画変更、今すぐ突入します!」


 アイリーンが叫ぶのと同時に、トレーラーはターゲットのL&Wビルディングに向けて動き始めた。


 わずか2ブロック程の移動であるが、物々しいコンバットスーツの兵士たちを、不用意に市民の目に晒すことはできない。


 短い移動時間の間に、アイリーンと兵士たちは慌ただしくヘルメット被り、暗視機能の付いたゴーグルとフェイスマスクを身に着けた。


「1階の正面入口から3名、裏の非常口から3名が突入。

 1階フロアから順に制圧します。

 残った1名は直接非常階段を登り、5階の非常口を見張って!」

「了解」


「レーザーライフルの出力レベルは3に設定。最優先は萩生田所長の生還です!」

「分かりました」


 コンテナがL&Wビルディングに横付けされるやいなや、後部の両開きの扉が開き、アイリーンを含めた7名の兵士が一斉に散っていった。


       ※※※


 アイリーンは、裏手の非常口に回った。


 兵士の1人が、ドアのロックとヒンジの部分に、テルミット爆薬をセットし、信管を繋ぐ。この爆薬の特長は化学反応で瞬時に数千度の高熱を発する事だ。


 プラスチック爆薬などと違い、爆発音が小さく、周囲への衝撃波も少ない。正面入り口でも同じ作業をしているはずだ。


 高熱の真っ白な光が瞬くと、ドアは瞬時に焼き切られた。


 同時に室内からは、タタタタッという軽い音と共に、弾幕が張られる。背後のブロック塀には銃弾が食い込み、擦過熱の焦げ臭い匂いが漂った。


 爆薬が生じさせた白い煙が薄れてくると、うっすらと5人の人影が見えた。テーブルでバリケードを作り、短機関銃を構えているようだ。


 中階段の登り口を塞ぐようにして、廊下の前後を守っているような陣形に見える。


 アイリーンは小石を拾って扉の中に投げ込んでみた。


 コツという固い音がした途端に、タタタタッという音が複数聞こえ、銃弾を撃ち尽くしてマガジンを交換する金属音が聞こえてくる。


「大丈夫、こいつらは素人だ――」

 相手の闇雲な行動から、アイリーンはそう悟った。

 そうであるならば、この場所には時間を掛けるべきではない。


 アイリーンがインカムで兵士たちに指示を送ると、前後の扉から、全員が一斉に銃口を入口に差し込んだ。


 チンダル現象により、アイリーンたちが構えたレーザーライフルの銃口からは、真っ直ぐな緑色のビームが照射されていることが分かった。


 そして放たれたビームの先は、男たちの体の上に小さな緑色のポイントを映した。


 アイリーン達が引き金に掛けた指先に、ほんの少し力を込めるだけで、瞬時にビームは出力を増し、確実に男たちの体を焼くだろう。


 レーザーライフルには発射の反動が無い。照準を合わせる事が、即ち命中を意味しているのだ。


「あなたたち、自分の体に緑色の明るいポイントが浮かんでいるのが見えるでしょう」

 アイリーンが男たちに話しかけた。


 その瞬間に男たちは、自分の体にちらと視線を移した。


 アイリーンは更に畳み掛けた。

「もう勝負がついているのは分かるわね。おとなしく銃を捨てれば、引き金は引きません」


 男たちはアイリーンの言葉に、負けを悟ったようだった。

 腰をかがめて銃を床に置くと、抵抗の意思が無い事を示して、ゆっくりと両手を上げた。


 その動きを確認するや否や、アイリーンはバリケードを飛び越え、男たちを押しのけて、一人階段を駆け上がっていった。


「アイリーン、危険です!」


 後ろから、兵士の声だけが追いかけてきた。


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