第25話 ミニットマン

 萩生田は、アイリーンがひまわりのデータを伝送とすぐに、アニルに電話を掛けた。


「アニル、萩生田だ。そちらには行けなくなったが、今アイリーンが君にひまわり13号のデータを送信した。

 大至急そのデータで、30分後のホンファの位置を計算してくれ」


「データはもう届いています。これからすぐに予測プログラムに掛けます。

 ホンファの目の位置を割り出して、後は反復計算に掛けるだけなので、結果は1分も掛かりません。このまま電話を切らずに待って下さい」


 MTSAT―5の形式は、データ内に緯度経度の座標も重畳されている。


 コンピュータ画面内のホンファの画像から、アニルが目の周辺部をマウスのポインターで数か所クリックすると、その座標は瞬時に得られた。


 進路予想プログラムを起動させると、最初の内は画面内のあらゆる場所に散発的に、30分後の予想位置が赤い円で表示された。


 計算が進むとそれは収束し始め、一つのポイントで止まった。


「計算が終わりました」

「緯度、経度を読み上げてくれ」

「北緯は29.952477、東経が123.046875です」


「復唱する。北緯29.952477、東経が123.046875。間違いないな」

「はい、間違いありません」

「アイリーン、今言った緯度と経度をNSAに伝えてくれ」


       ※※※


 カリフォルニアのヴァンデンバーグ空軍基地では、既にICBMミニットマン4の発射準備が終わっていた。


 地下深くの管制室では、二人の管制官が、NSAから伝えられた目標地点の緯度と経度、そして着弾時間をそれぞれ別の制御卓で入力した。


 誤操作を避けるために、テンキーは使わず、一つずつ個別に、ドラム式の入力キーで数字を合わせていく。


 二人が入力した内容に相違が無い事が確認されると、ミニットマン4本体内の慣性誘導装置に数値が書き込まれ、準備完了を知らせるランプが点灯する。


 それぞれの装置に異常が無い事を再度確認し、管制官二人はアイコンタクトで同時に発射キーを回した。


 地上ではサイロの蓋が油圧シリンダーの力で跳ね上がり、その下からミニットマン4が姿を現す。


 コールドローンチ方式によって、圧縮ガスで一旦サイロの上空に打ち出されてから、固体ロケットに点火する仕組みだ。


 ミニットマン4は長い炎の尾を引き、空気を裂く轟音を上げながら、宇宙空間に突き進んでいった。


       ※※※


 上海は現地時間で、朝の4時を過ぎたところ。


 深夜から降り始めた雨は、既に横殴りに変わっていた。もう1時間もすればホンファの暴風域に入ることになる。


 当初発令されていた避難勧告は、ほとんどの市民がまだ眠りの中にいる内に撤回され、それに代わって外出禁止令が出された。


 中国政府の公式見解としては、過去に大型ハリケーンに襲われたことの無い上海は、災害に対する備えが不足しており、避難民による予想外の混乱を避けるためだと説明された。

 しかし真相はホンファに対する核兵器の使用が、外出禁止令の一番大きな理由だった。


 アメリカからは、核による被爆量は人体に影響が出る程ではないとの説明をうけていたが、それでも放射線濃度が一番高まる核爆発直後には、直接風雨に晒される事は、避けるに越したことは無い。


 中国政府にとっては、自国が支配する海域に、かつての仇敵が核弾頭を発射するという行為は許し難く、またそれを知りながら黙認することは、メンツを重視する国柄から、耐え難い屈辱であった。


 当初中国側は、自国のICBMを発射すると強く主張した。

 しかし宇宙ロケットならまだしも、ミサイルに関しては、その技術がアメリカとロシアに大きく立ち遅れていることは自明であり、着弾精度が保証できないことから断念せざるを得なかった。


 結局、中国政府指導部はトップダウンで、着弾が国際法上の領海および、接続水域の外側である事を条件として、他国によるICBM発射を容認した。


       ※


 この日早起きをした上海市民は、突然の嵐に驚き、すぐにTVのスイッチを入れた。


 ニュースはカテゴリー5に近い強烈なハリケーン、ホンファが、上海に近づいている事と、本日は全ての公共交通機関が運休する事、政府が緊急の外出禁止令を出した事を繰り返し伝えていた。


 外は皮膚感覚で恐怖を感じる程の嵐で、とても食料を買い出しに行けるような状態では無いし、そもそも店自体が開いていないだろう。


 市民たちは固唾をのんで、事の推移を見守るしかなかった。


 早朝のニュースで事態を知った市民たちはまだましな方だ。


 もう間もなく通信網の寸断や、停電が起きるのは間違いない。


 これから目覚めるだろうほとんどの上海市民は、窓の外の嵐の正体が何なのか知る事も出来ず、また外出禁止令が出ている事にも気が付かず、翻弄されることになるだろう。


       ※


 上海沖では、建設中の浮プラントに対して、深夜の内に招集された作業員と、人民解放軍の工兵隊によって、防水処理が行われた。


 限られた時間内で出来る事と言えば、まだ防水扉やハッチが取りつけられていない開口部に、鉄板を溶接して塞ぐことくらいしかできなかったが、それでも、何もしないよりは随分と効果があるはずだ。


 急場しのぎの防水加工を終えた浮プラントは、ドックとの衝突を避けるため、波が高くなる前にタグボートで2㎞程沖に曳航され、そこで打ち込み式のアンカーヘッドを投錨して、海底との間を重いアンカーチェーンで繋いだ。


 そしてバラストタンクに注水して、現状で許される限界の喫水レベルまで、海面下に躯体を沈めた


       ※※※


 発射されたミニットマン4は、加速のためのブーストフェイズを終え、3段目の固体ロケットを切り離して、最終段のPBV(Post-Boost Vehicle)と呼ばれる液体燃料ロケットだけを残して慣性飛行に入っていた。


 PBVは日本上空に達した段階で、最後にエンジンを短く点火して軌道の微調整を行った後、搭載している10個の再突入体の内の5個を切り離して自由落下させるようにプログラムされていた。


       ※※※


「大変だ!」

 気象図の変化を監視していたアニルが叫んだ。


 それまで安定していた長江気団が、偏西風の影響を受けて急に大きくうねり始めたのだ。


 アニルの目の前で、気圧配置の等高線の形が見る見る変わっていった。


 アニルは即座に、電話機に手を伸ばした。


「所長、緊急事態です。長江気団が急激に変動しています」

「どうしたんだ一体?」


「偏西風の蛇行が急に大きくなり、長江気団がその影響を受けています」

「ホンファへの影響は?」


「かなり影響が有るはずです。具体的には進行速度の極端な低下が起きると思われます」

「大至急、目の移動位置を再計算しろ!」


「もうやっています。すぐに結果はでます」

「どうだ!?」

「結果が出ました。先程の予測と較べて約50㎞南東です。北緯28.632747、東経124.167480」


――駄目だ!――


 萩生田は瞬時に現在の状況を理解した。

 このままではICBMの着弾は確実に目の外になる。


「アイリーン、マイヤーズ長官に緊急連絡だ!」


 萩生田が叫んだ。


       ※※※


 ヴァンデンバーグ空軍基地では、新しくもたらされた座標値に基づき、ミニットマン4の着弾地点の変更が大至急検討された。


 核弾頭を運ぶPBVは最高速度でハワイの北側を通過するところだった。


「司令官、やはり無理です。PBVの性格上、加速はできても減速はできません。ロケットでの修正限界を越えています」

 管制官の声が飛んだ。


「やむを得ない、緊急回避!」


 基地司令官の命令に従い、管制官は核攻撃回避のための赤いボタンを力一杯押し込んだ。


 太平洋の遥か上空では、PBVが基地からの信号を受け取り、ロケットを点火した。


 2秒ほどでエンジンの出力が最大に達すると、全ての核弾頭を抱いたままで、PBVは衛星軌道外の宇宙空間へ飛び去っていった。


       ※※※


 ヴァンデンバーグ空軍基地がミニットマンを放棄してから、まだ15分とたたない時だった。


 ホンファの上空には、ミニットマン4とは違う北方向から、別の落下物が迫っていた。


 マッハ20を越える速度で自由落下してくるその落下物は、空気との摩擦によって赤熱していた。


 1個目、2個目はホンファの目のやや外側に落下し、3個目以降が目の内側に落下した。そして同時に5つの核爆発が起こった。


 目の外側での爆発は、衝撃波が一瞬周囲の雲を吹き飛ばして、2つの穴を空けその中に2つの火球が発生したが、強い風と重い雲が瞬く間にその穴を塞いだ。


 目の内側の無風域で爆発した3個は、一列に3個の火球を作り、高温の上昇気流がキノコ雲を発生させた。


 近接したキノコ雲同士はすぐに融合して一つの塊となった。

 やがてその熱と水蒸気は、ホンファの渦の中に吸収されていった。


 核爆発は一個が300㏏。広島型原爆の20倍の威力で、ホンファの総エネルギーから比べると、0.1%にも満たない。


 しかしながら、中心部に集中して、瞬間的に大きな熱エネルギーを与えられたホンファは、活動が励起され、瞬く間に勢力を拡大した。


 爆発からわずか数十秒で、渦の直径は一回り大きくなった。


       ※※※


 アニルは相変わらずモニター画面を注視していた。

 先程自分が予測した位置に、ホンファが向かうのかどうかが気になっていた。


 ひまわりからの衛星画像が受電できないため、レーダーとモニタリングポストの情報から位置を推測するしかないが、気圧の推移、風向の推移からして、ホンファは予測の位置に、ほぼ狂いなく移動したようだった。


 恐らく誤差は数キロというところだろう。


 アニルはその直後に起きた、ホンファの異変にもすぐに気が付いた。

 中心気圧が急激に下がり、900hPaを下回ったのだ。


 ホンファは確実に成長している。

 風速も急激に強まり、一旦落ちかけていた勢力も再びカテゴリー5を超えた。


 注目すべきは、先程までは西方向に向かっていた動きが止まり、反対の東向きのベクトルが強くなっていることだった。


 アニルが引き続きその動きを追うと、時間と共にホンファの東への動きは、より顕著になっていった。


 モニター画面には、それまでホンファを導いていた局地的な高気圧が、尚も赤いポイントとして何度も表示され、上海の方向に向かって何度も明滅をくりかえしていた。


 しかしもうそれは、ホンファに影響を及びしてはおらず、赤いポイントホンファの距離は見る見る開いて行った。


 ホンファは明らかに、操作の手から逃れたようだった。


 萩生田が電話の先で行っていた一策が、きっと功を奏したに違いないとアニルは感じていた。


       ※※※


 萩生田のスマートフォンが鳴った。アニルからの電話だった。


「所長、ホンファは解放されました。今は東向きの速度を増しながら、北東に進んでいます」


「こちらでも把握できている。ホンファは長江気団に押されて東に向かっている。自然な気象現象に戻ったという事だ」


「西向きの操作から解かれる前に、ホンファは急に勢力を増し、カテゴリー5を越えましたが、一体何が起きたのでしょうか?」


「詳しい話は後でするが、あれはホンファの目にICBMを撃ちこんだためだ」


「ICBM? 本当ですか?」

「そうだ、核爆発で一時的にホンファに熱量を注入した。それによる急激な勢力拡大で、ホンファはコントロールから解放されたんだ」


「今後ホンファはどうなるのですか?」

「勢力の拡大は一過性の出来事だ。これから大陸棚を移動することでエネルギーが削がれ、ホンファは急速に縮小するだろう」


 萩生田の言う通り、朝鮮半島を越えれば冷たい日本海。そしてその先は更に冷たいオホーツク海が待ち受けていた。


「放射能の影響はありませんか?」

「影響はゼロではないだろうが、健康に被害がでることは無いだろう。

 詳しくはこれから、アメリカ海軍が広範囲に放射線の測定を行ってくれるはずだ」


「了解しました。私はもう少し観測を続けます」

「ありがとう、アニル。君のお蔭で上海は救われたよ」


 萩生田はアニルの労をねぎらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る