第10章 終息
第26話 回避
萩生田のもとに、マイヤーズから連絡が入った。
「ミスター萩生田、ホンファは北東に進路を取り、上海は救われました。あなたのご尽力には感謝の言葉もありません」
「マイヤーズ長官、あなたが大統領と閣僚を説得して下さったから出来た事です。私からもお礼を言わせてください」
「本当にぎりぎりの戦いでした。我々は負けていてもおかしくはなかった」
「特に最後の最後で、ホンファの移動速度が急に落ちた時には、肝を冷やしました」
「対応を誤っていれば、我々はホンファの目では無く、周辺部で核弾頭を爆発させていたところです」
「結果的に核弾頭はホンファの目を捉えることができたようですが、あのほんの僅かの時間で、核弾頭の軌道修正ができたという事なのですか?」
「いえ、あの時はミニットマン4は、既にハワイ北にまで達していて、軌道修正を掛けるには時間が遅すぎました。
ミサイルは加速はできても減速はできません。西向きに飛んでいるミサイルは、着弾点を西に延ばす事はできても、東に短縮することは出来ないのです」
「ミニットマン4の核弾頭はどうなったのですか?」
「衛星軌道上で再加速させ、全て宇宙空間に廃棄しました」
「それでは、ホンファの勢力を強めたものは一体何だったのでしょう?」
「実は急遽ロシアからもICBMを発射したのです。極東アムール州のボストチヌイ宇宙基地からならば、アメリカ西海岸からの約4分の1の距離ですから、8分あれば着弾できます」
「ロシアですって?」
「幸いにも、同基地に配備されているSS28ミサイルとRDS8熱核弾頭は最新型です。我が国のミニットマン4と同水準の誘導精度を持っていました」
「二大国の間で、そんな連携が実現するとは驚きです」
「20世紀の冷戦時代には、考えられなかった事ですね。
しかしテロリズムとの戦いと言う共通の理念がそれを実現したのです」
「なぜロシアだったのですか? そもそも中国がミサイルを発射すれば、そんな面倒なことも起きなかったはずでは?」
「ミスター萩生田は、中国のミサイルの精度を御存じないんです。中国のロケット技術の大半はロシアから供与されたもの。そしてアメリカから盗んだものです。
中国は宇宙ロケットには国の威信をかけ、人、物、金を集中させていますが、量産品とも言えるICBMにまでは手が回っていないのです」
「中国がロケット製造に使用する工作機は、全て日本とドイツから導入した民生品レベルたと聞いています」
「それが真実です。ミサイルのような量産品にまで、高精度な部品は回せません」
「そう言う事だったのですね」
萩生田は頷いた。
※
「しかし、マイヤーズ長官」
一度萩生田はもう一度、口を開いた。
「先程、長官はテロリズムという言葉を使われたが、これからのテロリズムは、随分と様相が変わる事になる」
「同感ですね」
マイヤーズは萩生田に同意をした。
――テロリズム……、か……――
萩生田はその単語を心の中で反芻した。昨日拉致され、車椅子に固定されていた時に、あのヘルムートに萩生田自身が吐いた言葉だ。
ハリケーンの操作は、これまでのテロリズムのイメージとは大きく違い、銃や火薬による直接的な暴力の匂いが全くしない。
しかし明らかにこれはテロリズムなのだ。
今回は辛くも、萩生田たちは被害を最小限にとどめることができた。
しかし次はどうなるのだろう?
この次、相手がいつ、どんな手段でハリケーンをぶつけてくるのかは全く予想もつかないが、自分達はハリケーンが操作される度に、毎回核ミサイルを使用するわけにはいかない。
確実に分かっているのは、いつか必ず、エモーションアンプと呼ばれる謎の装置を叩く必要があるという事だ。
危機を現実のものと実感すると共に、萩生田の心には焦燥感にも似た思いが広がっていた。
なぜならば、自分達には戦うべき相手の正体さえも、まだ全く見えていないのだ。
※
「ところでミスター萩生田……、もう一つお知らせしたいことがあります……」
マイヤーズは話題を変えた。
その表情は萩生田の目に、何やら話しにくそうな様子に映った。
「何ですか? マイヤーズ長官」
「実は……、ディープスロートの電話の発信元が分かったのです」
「それは大きな進展ですね。一体どこから電話が掛かっていたのですか?」
「驚かないでください、ミスター萩生田。なんとIMLが発信元でした」
※※※
アニルが自室でホンファの軌跡を追いかけていると、突然部屋の外に慌ただしい足音が響いた。
廊下に出てみると、3人の警備員が隣室をノックしている。理事のラミーヌの個室だ。
部屋の中からは灯りが漏れているが、返事がないようだ。
警備員たちはもう一度ノックをし、返事が無い事を再確認すると、マスターキーを使ってドアを開け、中に入っていった。
「誰もいない!」
部屋の中から、警備員の声が聞こえてきた。
「3人も駆けつけて来るなんて、一体何が起きたんだ?」
物々しい行動が気になったアニルは、隣室を覗き込んで警備員たちに訊ねた。
「IMLのサーバーが、この部屋からハッキングを受けました。気象予測システムのプログラムデータが、不正に盗み出された疑いがあります」
警備員は答えた。
「何だと!」
驚くアニルをよそに警備員は、「ひまわりの制御システムを改ざんして、アクセス不能にしたのもこの部屋でした」と追い打ちをかけた。
「ラミーヌがやったのか?」
「実行犯が誰かはまだ分かりません。システム管理課の解析によると、実際に不正操作を行ったのは、プログラマーのニコラスさんのノートPCのようです」
「ニコラスが? 大至急、オペレーションルームの彼のデスクに、誰か向かわせてくれ」
「別の警備員が駆けつけている最中です」
「他にも不審な行動をした者はいるのか?」
「不審という訳ではありませんが、気になる方がもう一人。
理事のカミノさんが、昨日の午後に、アニルさんと一緒に廊下を歩いている姿が目撃されて以降、所内のどこにもいらっしゃらず、退出記録もありません」
「カミノの個室は同じフロアだ、行ってみよう」
アニルが先導し、警備員たちは廊下を早足に進んだ。
カミノの個室をノックするが、返事は無い。
ドアノブに手を掛けると、鍵は掛かっていなかった。
真っ暗な部屋の室内灯を点けると、正面のソファーには、ぐったりと横たわるカミノの姿があった。警備員が駆け寄った。
「カミノさん! カミノさん!」
繰り返し声を掛けるが、反応が無い。
警備員は首を横に振った。
既に息が無いようだった。
カミノの首元には、後ろから巻かれた細い金属製のワイヤーが残されていた。絞殺されたのだ。
「すぐに警察に連絡を!」
アニルは叫んだ。
※※※
吉松はIMLのゲートから、山の斜面を下った場所で、息を潜めてじっと草むらに身を潜めていた。
あの男女は相当に原野での戦闘訓練も積んでいるらしく、身のこなしには抜かりがない。1センチの隙間もないほどに、地面を舐めるように照らして吉松を探している。
あと10mほどで吉松が潜む下生えに、女の足が掛かる。
吉松は息を飲んだ。
その時だった。
女がヒュッと口笛を吹いて、男に合図を送った。
吉松が茂みから見上げると、腕時計を指さす仕草を男に示している。
どうやら奴らには、ここに滞在できる時間が決まっているようだ。
男は女の合図を無視して、そのまま探索を続けるが、女はもう一度ヒュッと口笛を吹いた。
今度は男の足が止まった。
しばらくの静寂の後、2つの草を踏みしめる足音が、斜面を下って行く音が聞こえはじめた。
――助かった――
吉松がそう思った瞬間だった。
吉松が胸のポケットに入れていたスマートフォンが、着信で振動し、吉松の体に触れている小枝を鳴らして、ブーンという音をたてた。
吉松は反射的に胸を強く押さえ、その音は一瞬で止まった。
それと同時に、つい先程まで規則的な間隔で斜面を下りかけていた足音も、その場でぴたりと止まった。
※※※
アニルのそばにいた警備員のインカムに、連絡が入った。
オペレーションルームに向かった別の警備員からだ。
「今、報告が来ました。オペレーションルームにニコラスさんはいません。
周囲のスタッフ達にも確認しましたが、昨日の昼前を最後に、デスクには戻っていないようです」
「やはりいなかったか」
アニルはつぶやいた。
「まずは所内を捜索させます」
警備員が言った。
「退出記録はどうなっている?」
「先程当たらせましたが、IDカードの履歴には二人とも退出した記録がありません。
入口ゲートの詰所にも問合せをしていますが、何度呼んでも電話に出ないので、今、人を向かわせています」
多分、ラミーヌとニコラスが全ての犯行の実行犯なのだろうとアニルには思えた。それともう一人、恐らく氷村も犯行に絡んでいるに違いない。
アニルはその事を、警備員に告げるべきかどうか考えたが、迷った末にそれは胸にしまった。
警備員のインカムには、入口ゲートからも連絡が入った。
「大変です。ゲート詰所で二人殺されています。頸椎をやられたようです」
「何だと!」
報告を聞くなり、アニルは声を上げた。
いったい何と言う日だ。
ホンファへの対応だけでも大変だというのに、同時に所内で3件もの殺人事件が起きているとは。
あまりの目まぐるしい事態の推移に、アニルは茫然とせざるを得なかった。
萩生田不在の所内では、自分が指揮を執る必要がある。
しかし、あまりにも沢山の事が同時に起きると、何から手を付けるべきか分からない。
アニルはスマートフォンを取り出し、萩生田の電話番号をコールした。
※※※
吉松は再びスマートフォンが着信で振動しないように、胸を地面にぴたりと着けて伏せていた。
電源を切っている余裕などなかった。
しかし2つの足音は、容赦なく、吉松の潜む下生えに向けて一直線に近づいてきた。
急斜面にも関わらず、それはまるで、平坦な地面を走るかのような早い速度だった。
――最早これまでか――
吉松が覚悟を決めたその時だった。
風に乗って、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
一台ではない。少なくとも3台以上はいる。
たった今まで聞こえていた足音が、急に止まった。
そしてその場で、カチャリという金属音が2つ聞こえた。
パリパリという乾いた音と共に、幾つもの風切音が聞こえ、そして地面をえぐるブスというや鈍い音が、吉松の周囲に広がった。
吉松は運を天に任せ、体の面積を極力小さくなるよう、その場で丸くなった。
一気にアドレナリンが噴出し、右足の激痛も消し飛んでいた。
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