由比イノセント2

-第44訓- 女子の電話は長いが、男も釣られて長くなる

 夏休みももう残り一週間程度。

 夕方になるとヒグラシが日中終了のお知らせを告げるのが、夏の終わりを感じさせる。

 部屋で一人、学校の宿題にラストスパートをかけているが、どうも集中できない。

 自分の中で休憩と称してボケーっとしていると、こういった隙間で感じる妙な焦燥感と孤独感は以前よりも少し強くなっている。

 そう――――夏休みが、もうすぐ終わってしまう。

 学校が嫌いなわけではないが、学校が始まることに憂鬱を感じずにはいられない。

 この夏は何があっただろうか。あー、最初はあれか、野球部の試合。保土谷球場ね。その後ファミレスで楽寺さんにガツンと言ってひと悶着あったな。そんで倉高さんに……そうだあん時からちょっかい出されるようになったんだわ。ナメやがって。

 夏休み序盤は現場入ってたなー。クソきつかった。暑ィいし。まぁみんなの顔見れたし良かったとしよう。

 でも予備校始まってからは仕事減ったんだよな。もう夏期講習の日程も終わってしまったので、次の授業は九月になってから。最初友達できるか不安だったが、一人できた。ミネ。ウェスと同じ高校の。あとまさか鵠沼がいるとは思わんかった。柳小路さんとも知り合ったけど友達ではないかな。

 そうそうそれで夏祭りでも出くわしたんだわ。うわ……思い出したくね。人生初ナンパをあんなクソ女に捧げてしまった。もうお婿に行けない。行くつもりないけど。

 直近のお盆にあった仲直り会とやらも既に懐かしく思える。楽寺さんと倉高さんが稲村にリベンジかまして、楽寺さんはぶっ倒れて、まさか俺んちに来るとはね。そして俺はマザコンらしい。認めたくはないけどれも。


「……結構、色んな事があったな」


 椅子の背もたれに身を預け、天を仰いで一人ごちる。

 思い返すとなかなか充実していたようにも思う。でも、なんかこう、やり切ったというか成し遂げたというか、そういうものが足りないような気がするのはなぜだろう。

 というか、この不完全燃焼感はこの夏休み中ずっと感じていた気がする。


「……あ。そういや花火見に行くとか言ってたな」


 先日、LINEで地元のツレであるウェスと航大からそんな誘いを受けていたのを思い出した。

 うちの地元では二つ、大きな花火大会がある。そのうちの一つは夏の終わりの八月二八日に行われる。

 人込み嫌いだし最初乗り気ではなかったが、ウェスが女から山の上に穴場があることを教えてもらったらしく、バイクで行けるところだと言うので了承した。

 たぶん、それが俺のこの夏最後のイベントだ。


『~♪』


 そんなことを考えているとLINEのトークの着信音が鳴った。噂をすればなんとやらかな。

 開いてみると名前に『さくぼー』と表記が出ている。

 

「……え? 由比さん?」


 ウェスか航大あたりだと踏んでいたが、全然違った。

 前にちょっとやりとりはしたことあるけど……久々すぎて何か変な緊張感が。


「……けっ、何をビビってやがる。そんなんじゃミソジニストの名が廃るぜ」


 と思い、速攻で既読をつける。どうだ参ったか。


さくぼー【おひさ! この間の仲直り会行けなくてごめんなさい……🙇😖】


 そんなメッセージとともに頭を下げるバッドばつ丸くんのスタンプが送られていた。

 ああ、そうだそうだ。誘ってきた張本人が来なかったんだあの日。マジふざけんなし絶対に許さない。


七里【全然大丈夫】


 とか言いつつ別に今更どうでもいいのでそう返した。

 するとこちらにもすぐに既読がつき、


さくぼー【本当? 絶対怒ってると思ったけど……😥】


七里【というかそんなこと忘れてた】


さくぼー【そうなの? ドタキャンだったしほんと申し訳ないです……😖】


七里【だから全然大丈夫だって】


さくぼー【……何か怒ってない?😟】


七里【え、なんで】


さくぼー【なんか文章がぶっきら棒というか……😰】


七里【そんなことない🤪🐷🤑🤡 これでええか?】


さくぼー【いや絵文字の使い方www😂】


七里【使い慣れてないんだわ🤪🐷🤑🤡】


さくぼー【絵文字さっきと同じじゃん!笑🙄】


七里【全部末尾にこれつけとけばええじゃろ🤪🐷🤑🤡】


さくぼー【やめてwww😂 お腹痛いwww😂😂😂】


 そんな面白いかこれ。俺いつも面倒くさくて電話しちゃうからな……。

 ってか電話でいいじゃん。由比さんも返信早いってことはそんな忙しくなさそうだし。

 そう思った俺は即座に彼女のIDへ電話をかけた。


『え、あ、はい、もしもし……?』


 少し驚いたような声で由比さんが出る。

 あっ……。

 俺は今気付いた。大胆にも女子にいきなり電話してしまったことに。常に慎重派な俺にはありえないことだ。やっちまった。


『もしもし? もしもし?』


 だが時既に遅し。何も喋らない俺に由比さんが何度も声をかけていた。


「すまん。えと、いつも電話にしちゃってるからつい……」


『そ、そうなんだ。全然いいようちは。電話ありがと』


 社交辞令だろうが、お礼を言われるとなんか安心した。


「あと別に怒ってないから。怒る理由もないし」


『うん。うちも変に勘ぐっちゃうところあるから。ごめんね』


「いやいや……」


 で、どうしよう。由比さんは俺に謝るためだけに連絡を取ったというのなら終いなのだが。

 さっきトークのやりとりでは和んだのに、電話に切り替えたらまた変な緊張感のある感じに戻ってしまった。


「えっと……他は何かあったっけ?」


 思わず由比さんに訊いてしまった。あーこれはモテない男の対応の仕方だと自分でも思う。


『他はー……海どうだったかなーとか……あ! 女好きになれた!?』


 しかし由比さんはそんな俺の問いにもちゃんと対応する。

 苦し紛れで出た質問っぽいけど、久々だなそれ。


「女嫌い直ったかってことだよね? 相変わら……」


 言葉を途切らせてしまった。海での出来事を思い返す。楽寺さんとの絡み、倉高さんや腰越さん、岸さんとの交流……鵠沼はさておき、思えば結構女子と絡んでんなと。


『あれ~? 黙ってるってことは何かあったなぁ~?』


 返事に渋っていたら勘繰られてしまった。


「いや、この間のこと思い返してただけ。聞いてると思うけど楽寺さんぶっ倒れてうちに来たんだわ」


『聞いた聞いた! びっくりしたよ!』


「な。俺もあんなガチで熱中症になった人って初めて見たかもしれん」


『じゃなくて七里くんがみんなを家に呼んだこと!』


「そっちかよ」


『だってあの七里くんがだよ!? 変わったねー!』


 俺が女子を家に呼ぶ=女嫌い直った、の方程式はどうなんだ? そもそもあんなこと起きなければ絶対に呼ばん。


「そんなこたない。あの時は他に選択肢なかったしよ」


『いやいや! これもうちが長年かけて少しずつ七里くんを女好きにさせたからだよ! えっへん!』


「長年て。ものの数か月じゃろ」


 女好きにさせるという言葉のチョイスについてはもうツッコまなくていいかな。直らんし。


「えへへ。でもうちはすごい嬉しかったんだそれ聞いて。優花とも仲直りできたみたいだから尚更ね。七里くん成長してるよ!」


「いや……そうかの」


 何となく、ここはもう否定しないでいこうと、そういう気分になってきた。


『そうだよ! みんな良い子だったでしょ?』


 否定しない否定しない。となると……、


「おう。水着姿は悪くなかった」


 長谷じゃないけど、目の保養にはなったからな。


『ちょっと! そういう意味じゃなくて! 男の子ってそういうところしか見てないの!?』


 いや俺に関しては中身をよく見るぞ。この女は腹の底で何考えてるのかとか、どんな醜悪な性格を秘めているのかとか。

 でも今日の俺は肯定派七里なので、


「いやまぁ、思ってたよりはいい子たちだったかな」


 あの復讐方法は正直感心した。てっきりやるなら陰湿な方法を取ると思ってたし。


『でしょ! みんな可愛くていい子なんだよ~』


「そうか」


『うん!』


「……おう」


 すると、沈黙が生まれてしまった。

 ……やっぱ肯定してばっかじゃダメじゃん。話終わっちゃうわ。

 う~ん、特に話すこと思い浮かばないな。そろそろ切るか。


「…………」


 でも……なんか……切りたく、


『七里くんって、どんな女の子をいいなと思うの?』


 すると、由比さんからまた話を切り出した。


「え? どんな子を……?」


 急な質問に思わず考え込んでしまう。

 最近、例えばこの夏、女子を見ていいなと素直に思ったことあっただろうか。

 野球部の試合の時、チア姿の女子は悪くないとは思ったかもしれんがこれを当の本人に言うのはちょっと。かといって他の女子でいうとあの時の楽寺さんへの印象は最悪だったし、倉高さんはからかってきてムカついたし、ねぇな。

 予備校では鵠沼は論外だし、柳小路さんは……ミネに言われて、言われてみれば可愛いのかとは思ったけど、何かこれも違う気がする。

 あと女子と絡んだ出来事といえば……海か。

 さっき言ったように楽寺さんのイメージは最初わがままで自分勝手だと思い印象最悪だったが、海でのいじらしさやそこから垣間見えた努力は結構な賞賛に値するものだとは感じた……あえて言うなら、これかな。


「まぁ……頑張ってる人は素直にいいなと思うかも」


 非常に抽象的だが、これで良いだろうか。女子の言う「優しい人が好き」くらい抽象的だ。


『なるほどー! メモメモ』


 メモすんの? 何で? ……と思いはしたが、口には出さなかった。

 今思い返してみて思ったけれど、俺の中では近年稀に見る女子と多く絡んだ夏だった。楽寺さんしかり倉高さんしかり腰越さんしかり岸さんしかり鵠沼しかり柳小路さんしかり……、


 ――ただ、高校生になって一番親密になった女子はこの中にはいない。


 そんな彼女との出会いはおかしなもので、その後の展開なんか俺は想像だにしていなかった。

 しかし「どんな子をいいなと思うの?」という質問は非常に困った。

 見目だけで好き嫌いを答えれば易いが、いかんせん俺の場合先入観が邪魔をして同年代の女子など眼中にないので皆同じに見える。だからどうしたって中身を加味して考えることを要される。

 そうしたらどんな子が良い子かは――――即決だ。

 何かの間違いで俺なんぞに告ってしまい、あんな酷い振り方されたにもかかわらずその後も仲良く接してくれ、更にはお節介とはいえ現在進行形で俺の女嫌いを更正させようとしている。

 俺はその人にほとんど悪感情がない。あるとすれば「女子」という部分くらい。

 そんな彼女の好感度を上回る女子など、俺の中にいるわけがないだろう。

 しかし、それを彼女に伝えてしまっていいのだろうか。


「…………」


 もし……もしだ。これはあくまで仮の話だ。

 もし仮に、彼女がまだ俺に気があるとすれば、それは変な誤解を生むのではないだろうか。


 ――というか、彼女は今現在、俺のことをどう思っているのだろうか。


 今まで俺の女嫌いを治そうと躍起になっていたのは、自分のことも好きになってもらいたいという意味も含んでいるのだろうか?

 そもそも俺にちょくちょく絡んでくるのはまだ俺のことを諦め切れてないからなのだろうか?

 なにより今になって海に行けなかったことを俺にわざわざ謝りに連絡するというのは、そして俺の女子の好みを訊いてくるのは……いけない。変な妄想ばかりを逞しく膨らませてしまう。童貞の悪い癖だ。

 とはいっても、それを確かめる知恵も力量も勇気も俺は持ち合わせていない。だから、


「ふっ、メモしても何の参考にもならんぞ」


 下手くそな笑いを含ませ、はぐらかすしか、ない――――。


『……なるよ。教えてくれてありがと。うちも海行きたかったなー』


 なぜそんなに静かに、意味ありげに答える。

 しかしその理由を聞くほど俺には経験値がない。こういう空気は苦手だ。とにかくこの空気を変えたい。逃げたい。


「由比さん来てくれたら助かるなぁと思うことは多々あったぞ」


 その一手として、話題を変えた。


『そうなの?』


 彼女は彼女できょとんと答える。


「ああ。由比さんって意外と頼りになるんだよ」


『え、七里くんそんな風に思っててくれてたの? それ嬉しい! けど、意外と、ってのは余計だー』


「いやいや、由比さんあまり頼りがいありそうな見た目してないでしょ」


『なにそれー!』


「ははは」


 思わず笑ってしまった。ああ、こういう感じでいい。

 すると突然、俺の部屋のドアが開いた。


「おい! うっさいんじゃボケ! 静かにせんとしばくぞコラぁ!」


 怒号が響く。びっくりして通話ボタンを切ってしまった。

 声の方に目を向けると、短く切り揃えられた髪、日焼けした肌に顎鬚、ガタイのいい体つき。俺とよく似た細い目。


「……親父。部屋に急に入ってくんな。どっちがうっさいんじゃダホ」


「ああ? ここはワシの家じゃ。生言ってると追い出けんの。大体いつもワシが朝早いの知ってるじゃろうが。静かにできんのかボケ」


 そんな大声で喋ってたか? 時間だってまだ夕方……ってもう八時回ってんのかよマジか。時間経つの早。そういや腹減ってるわ。メシできてんなこりゃ。……ああ、もういいわ。めんどくせ。


「……わあったよ。悪かった。静かにすればええんじゃろ」


「ふんっ」


 親父は鼻息で返事すると雑に扉を閉めた。くっそ、一気に気分悪くなった。死ねクソ親父。


さくぼー【な、七里くん……? ごめん何かマズった?】


 電話の切れたLINEを覗くと、由比さんからトークが来ていた。


七里【いやごめん。親父来て話し声うるさいって怒られた。


さくぼー【えーごめんなさい! うちのせいだよね……】


七里【いや俺が電話かけたんだし。うちの親父気性荒くてさ、すぐキレんだよ。最近現場の進捗が悪いみたいだから特に。気にせんで】


さくぼー【現場?】


七里【ああ、うちの親父、鳶なんだ】


さくぼー【へぇー。かっこいいね】


七里【全然かっこよくなんかねぇよ。仕事の不満を家庭に持ち込むなっていつも思うわ。マジ一緒に晩飯とか食いたくねぇ。この間も殴り合いになったし】


さくぼー【え!? 七里くんお父さんと殴り合いの喧嘩するの!? 意外……!】


七里【しょっちゅうだよしょっちゅう。あの人頭悪いから口論になる前に手が出るんだよ。いっつもすぐ「うちから出てけ!」とか言い始めるからな、バカの一つ覚えみたいに】


さくぼー【お父さんのことそんな言い方したら駄目だよっ! お母さんとは仲良しなのに!】


七里【いいんだよ別に。あーあ、俺も普通のサラリーマンの親父が欲しかった】


さくぼー【え~、そんなの何も良くないよ? キモいしウザいし足臭いし】


七里【……由比さんもなかなか酷くない? 「お父さんと洗濯物別にして!」って言うタイプ?】


さくぼー【あー、自分の服は自分で洗濯してるからなぁ。結果的にはお父さんと別だね】


七里【偉いな。でもお父さんには優しくしてあげなよ。俺に娘がいてキモいとか思われてたらマジへこむと思うし】


さくぼー【それ、七里くんが言う? さっきお父さんのことめちゃくちゃ言ってたけど】


七里【息子にならどう思われてもいいんだよ、キモがられようがウザがられようが構わん】


さくぼー【ふぅ~ん。ってか話変わるんだけどさ、ありがとね、七里くん】


七里【え? 何が?】


 急に礼を言われ、俺は混乱する。なんだか会話の雰囲気も変わった。


さくぼー【いや、何かね、急に言いたくなったの】


 何だその恋人同士がやる「急に(好きって)言いたくなったの」みたいなそれは……。


七里【??? 何の話?】


 思わずどぎまぎしてしまうが、何のことなのかまったく検討がつかない。俺が彼女に何かしてあげたことなどあっただろうか。というか最近は会ってすらいないんだが。


さくぼー【ごめん、聞き流して。えへへ】


 その意味深な言葉でなぜか脈拍が上がった。トークでよかった。冷静を装えるから。


七里【よくわからないけど、どういたしまして。でいいんかの?】


さくぼー【うん、大丈夫。……あ! 月末にやる海の花火大会ってもしかして七里くんの家近い?】


 丁度電話する前に思い出してたアレだ。たぶん。


七里【ああ、近い】


さくぼー【うちの家族、毎年みんなで浴衣着てその花火大会行ってるんだ! 今年も行くよ! 七里くんも行くの?】


七里【俺は普段行かないけど、ツレが穴場があるって言うから今回は行く予定】


さくぼー【えーすご! さすが地元民! もしかしたら会えるかな?】


七里【いやどうだろ。その穴場ってのがどこか俺もよくわかってないから】


さくぼー【そうなんだ。この日はお父さんもお母さんもお姉ちゃんもお姉ちゃんの旦那さんもみんな何でも奢ってくれるから屋台食べまくるんだ~】


七里【いや花火見ろよ】


さくぼー【あはは、ほんとだ。花よりなんとやらだね。じゃあさ、うちが見てるところからの花火の写真送るから、七里くんが見てるところからの写真もちょーだい!】


七里【別にええよ】


さくぼー【やった! ありがと! じゃあお風呂入るからまたね。次会うのは新学期……違う! 花火大会かもだ!】


七里【はは、そうね。おやすみ】


さくぼー【おやすみー😌】


 トークが終わり、俺はベッドに倒れこむと同時にスマホを手放す。


「はぁ……」


 頭がボーっとする。何だか一気に疲れも出てきた。急な眠気のせいか、さっきのやり取りが走馬灯のように脳内を駆け巡る。

 LINEをして、電話をして、途中で親父が乱入して気分を害したが、すぐにまた由比さんとLINEして……なんだか、胸のあたりが温かい。夏に温かいものなど不快なはずなのだが、そんな感じはしなかった。

 ふとスマホに目を向ける。もうトークが来たときの通知音は鳴らない。それでもスマホに手を伸ばし、今日のトーク履歴を一から洗いなおす。すると随所随所で思わず頬が緩んでしまった。うーわっ何笑ってんだ俺キモ……と思いながらも、トークを反芻することはやめない。


「……ねむ」


 薄れゆく意識の中で、ふと思った――――この感覚は何なのだろう。

 何となく覚えがあるような気がした。確か前にも一度だけ……駄目だ。うまく思い出せない。

 でもそれは思い出してはいけないような気もした。

 この感情は普通の人間には百薬の長だが、俺にとっては百害あって一理なし、みたいな。

 普通の人間には適量の酒だが、俺にはタバコ、いや薬物、みたいな。思い出すの、ダメ、ゼッタイ、みたいな。

 そうであるはずなのに、なぜ今はこんなにもいい気分なのだろうか。いけないと、自分を叱咤してもどうもうまく抑えられない。もうしないと、昔深く誓ったような気もする。

 球技大会の打ち上げの前、暇つぶしに遊んだ時のあの充実感。

 夏休み、隙ができると知らず知らずのうちに物思いに耽ってしまっていたあの時間。

 みんなで海に行った時、なぜか感じたあの物足りなさ。

 そして、この夏を振り返っての不完全燃焼感――――それらの原因の全てが、そこに眠っているような気がする。

 でも俺は、それ以上考えなかった。眠かったし、なにより俺は、それを思い出そうとしている〝感情〟と、それを思い出さないようにしている〝意地〟を天秤にかけたら、後者に傾くようにできている。

 なぜなら俺は男だし、ミソジニストなのだから――――。

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